第2話
四国香川県 2015年 新暦晩春
ゲンジ二十三歳
播磨灘から吹く東風が春の到来を告げると、阿波、土佐、伊予、讃岐の道々では白装束に身を包んだお遍路たちが寛歩する光景をあちこちに見ることが出来る。
歩き遍路二巡目となる四国霊場八十八ヶ所の最後の札所大窪寺を結願参りしたリキュウとゲンジは、金剛杖のささくれを寺の石段でそぎ落として道端に座り込んだ。
「さて、これからどうする?」
「……」
ゲンジはリキュウの問いには答えず、ただ黙って杉の大木を見上げている。
「決めたのか?」
「何を」
リキュウは霞を食うような顔を向けるゲンジに少し苛立って言った。
「復学さ。戻る気はないのか?」
「いまさら」
ゲンジは口端で笑いを浮かべて言った。
「トヨトミ教授はお前の次世代ロボットについての論文をすこぶる評価していた。あの一度たりとも学生を褒めたことのない教授がお前を研究室に残れるよう教授会に働きかけていたことは覚えているだろう?」
「そんなこともあったな」
ゲンジは遠い目をした。
「リキュウ」
「うむ?」
「では聞くが、この遍路のために一部上場のオケハザマ製作所の内定をあっさり 蹴ったのはどこのどいつでしたかねえ」
ゲンジのリキュウへの指摘は痛烈だ。
「いや、それとこれとは……」
「それとこれとは何だよ」
「不承不承。さて高野山の御礼参りに向かうとするか。行くぞ」
リキュウは踵を返すと、南に向かって慌てて歩き出した。
猩々緋色のヤマモモが深緑の葉の奥で控え目に果実を実らせ、行き交う巡礼者の目を楽しませてくれている。セイヨウタンポポの花が揺れている。桜の花びらが風に乗ってため池のほとりに降り頻っている。
「このはかなさはこの世に生を受けたもののみが味わう無常だとは知ってはいても、やり場の無い虚しさはほつほつと降り頻るもの……」
「……」
「ま、何だかんだ言ってもお前とは幼ないのころからの腐れ縁。俺にはお前が今 何を考えているのかは分かるつもりだがな」リキュウはすれ違う遍路びとに会釈をし、ゲンジの持つ金剛杖に彫られた『永劫回帰』の文字に目を注ぐ。
「主という門人がお前に告げたヨイチという者の存在……。聞くところによれば、五百年前以上も前より沙門として小豆島は西ノ瀧に峰入し、一日片時と惜しんで行場に体を晒している者と聞く。数多くの輩がヨイチ遇いたさ見たさに西ノ瀧に上るが、そこはまさに幽谷懸崖。生きて帰ることが出来たものは皆無という。ゲンジよ、それでもお前は行くつもりか」
一度言い出したら後には引かない幼馴染の性分。意味のない問いかけだとは思うのだが、リキュウはどうしても聞かずにはいられない。
ゲンジは持っている金剛杖に刻んだ文字を、一心に見つめたのち天を仰ぎ眼を閉じ
「行く」と強く言った。
「決意は変わらないな」
「ああ」
「承知した。では、わたしも共について行くぞ」
「……本気か?」
「これを虚言だと思うか?わたしは本当に信用がないのだな。まあ、お前もわたしの性分は知っているだろう?」
「一度言い出したら……」
「後には引かない」
お互い顔を見合わせて笑った。
それから、とリキュウは続けて「オリョウを悲しませるな。そのためには何が何でも生きて帰ろうじゃないか」
「ああ、そうだな」
山谷袋に手を掛けると、携帯メールの着信音に気づいた。リョウからだ。
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