26  茶番は僕らを救う ♪ファ


 せっかくの祝日だが起きる気になれなかった。ここに来て以来毎日欠かさなかった朝食作りもサボってしまった。

 ベッドの中であめと一緒にうだうだしているくせに、聴覚だけ研ぎ澄まして階下の気配を窺っている。


 カーサプロの後藤さんは、30分ほど前にやって来た。父さんの自慢話を聞き流しつつ、取扱いの最終確認をしているところだろうか。

 お茶でも出しに行くべきなのだろうが、ソラが受け渡される場面はどうしても見たくなかった。


 話し声が大きくなる。会社に戻る後藤さんを父さんがエントランスまで送っていくようだ。

 早く行っちゃってくれ。耳が馬鹿みたいに巨大化する前に。


 着信音が鳴って飛び上がった。

 掛かってくることなど滅多にないのに、なぜこのタイミングで。

 耳に当てた途端、懐かしい声が飛び込んできた。


『カラオケで『あめふりくまのこ』歌ったんだって? 男子高校生としてどうなの、それ』


「……5カ月ぶりの電話にしちゃ斬新に口火を切ったね、母さん」

『そりゃそうよ。だって母さん、さらなる進化を遂げたんだから。このままじゃ子離れできなくなる! って愕然として、溺愛する息子から死ぬ気で遠ざかったんだもの。とびっきりスペシャルな存在にならないと!』


 言葉に詰まった。


 我慢して16年間付き合ってくれたんじゃなかったのか。

 行っていいよと、僕が手を放したんじゃなかったのか。

 自由になりなさいと、母さんが、手を放してくれていたのか。


『陸、あんた昔っからくまのこのこと、やたら可哀想な子にしちゃってるみたいだけど』

 くまのこのサバイバル能力はすごいと感動していたソラの顔が浮かんだ。


『頭に葉っぱをのせたくまのこはね、何見てると思う?』

「急にそんなこと訊かれても」

『下向いて雨に打たれてるんじゃないわよ? 山の向こうに虹が出ないかな、明日は晴れるかなって、顔上げて、背伸びして、空を見てるの』


 顔上げて、背伸びして、空を。

 いつもいつも爪先立ちしてた、ソラみたいに?


 ……ソラ!


 スマホをベッドに放り出した。転がるように階段を下りる。


 ついさっきまで話し声が聞こえていた。後藤さんはまだ車を出していないはずだ。


 外に出て駐車場を見回す。トランクを開ける後藤さんの姿が目に飛び込んできた。

 抱えた段ボール箱に文字が見える。S、O、L……


 ソラ! あの中にソラがいる。


「待ってください!」

 後藤さんが何事かと振り向いた。


「歌って、いろんな楽しみ方があっていいと思うんです。」

 口をついて出たのは、自分でも思いがけない言葉だった。


「たっきーみたいに正確無比な歌に感動する人がいたっていい。オペラ歌手やロックの大御所の、圧倒的な歌に熱狂する人がいたっていい。歌もダンスも下手くそな普通の子がアキバのステージに立って、じわじわアイドルらしくなってくのを見守って楽しむ人がいたっていい」

「そ、そうだね。……えーと」


 後藤さんは箱を抱えたまま棒立ちしている。こんなこと言われたって困るだけなのはわかっている。

 だとしても。


「どんな歌でも、聴く人が楽しんでくれれば報われると思うんです。ソラは、心に届く歌が歌えるように頑張ったんです。ものすごく」


 ロボットと格闘するソラ。

 エアカレーを頬張るソラ。

 さやかちゃんと、心無い先輩に立ち向かうソラ。

 新作のコスチュームに目を輝かせるソラ。

 琥太郎と手を取り合って歌うソラ。

 足をばたつかせるソラ。

 「ぷー」とふくれるソラ。

 『一番の宝物:陸』と、書き残してくれた、ソラ。


 動揺制御リミッターが壊れたままの、いや、もう壊れたことすら忘れていた僕の心の中は、ベーキングパウダーで膨らませすぎたホットケーキみたいに、こんなにもソラでいっぱいだ。


「だから……だからソラには、聴く人が幸せになれる歌を、歌わせてやってください。白坂絵玲奈みたいな、ソラを道具としか見ないやつに渡さないでください。ちゃんとパートナーとして認めて、ソラと心を通わせてくれる人と歌わせてやってください。約束してくれなきゃ、ソラは渡せません!」


「陸くん、ちょっと落ち着いて」

 箱を地面に降ろし、後藤さんが右手で僕を招き寄せた。

「ソラちゃんを預かるんだったら、僕が責任を持ってそうするよ。でも、落ち着いてこの箱の文字、読んでみてくれるかな」


 指差された文字を順番に読む。


「S」

「うん」

「O」

「うん」

「L」

「うんうん」

「O……O? S、O、L、O……って、ソロ?!」


「ふぁーっふぁっふぁっふぁ!」

 高らかな笑い声と同時に、ゴリッと耳障りな音がした。

 後藤さんの車の陰から父さんがよろめき出た。威勢よく立ち上がった拍子に、跳ね上げたトランクの扉に頭をぶつけたらしい。


「では社長が待ち構えておりますので、これで。あとはお二人水いらずで」

 ソロの箱を積み込み、お見合いの席の仲人のような台詞を残して後藤さんは去った。


「なんだよ……どうなってるんだよ……」

 無駄に意気込んでいた分、脱力感もハンパない。とりあえずしゃがんだ。


「ガンダムにジムがあるように、ソラにはソロがあるのだ!」

 小鼻を最大限に拡大させ、父さんが胸を反らした。

「一部の男子にしか伝わらないような例えはやめてください」

「要するに量産型、というわけだ」

「いや、僕は理解したけどね。それで向こうは了解したの?」


「ああ。滝尾樹里の歌でソラが七転八倒したことを話したんだよ、社長に。ソラはとてつもなく優秀だが、感度が良すぎて歌酔いの可能性も高い。ご希望ならそこそこ優秀で、程よく鈍感なタイプも作ってやろう、もちろん別料金で! と」


 父さんの自慢話は放っておけば永遠に続きそうだ。

 でもひとつだけ、今どうしても確かめておきたいことがある。それさえ聞ければ、あと何時間話に付き合わされたって構わない。


「父さん待って。じゃあ、ソラは?」

「ん? ああ、ソラか。あんなわがまま娘、うちに置いとくしかないだろうが。ま、飯代もかからんしな」


 もうしゃがんでいることすらできない。9月の陽射しに焼かれたアスファルトにへたり込む。


 尻に火傷したっていい。

 父さんの話が夜中まで続いたっていい。


 ソラが帰ってくる。

 ソラと一緒にいられるんだ、ずっと。 


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