25  茶番は僕らを救う ♪ミ


「花子さーん、いませんかー? お別れに来ましたぴる」

 連呼する声がイヤモニから聞こえてくる。


 まだ会ってもいないのに、お別れって。順番が逆だって教えとかないと。

 ぼんやり考えて、ああそうだった、明日からはもう養育係じゃなかったんだと苦笑いする。


 ソラの嫁入り決定を聞くや

「取り上げられるまで、もう一瞬だってイヤモニは外さないんだ! うわーん」

と泣きじゃくった琥太郎が、後ろの席でまた鼻をすすっている。

 

 イヤモニは今夜の『ソラお嫁入り祝賀カラオケ大会』にて回収の運びとなっているのだが、それまでに琥太郎の涙と鼻水が枯渇してしまわないか、大いに危惧されるところだ。


 オリエンテーリングの如く校内のありとあらゆる女子トイレを巡回したソラが、ようやく諦めて戻ってきた。

 前の扉の窓から教室を覗き込んでいる。足元はきっと、いつもの爪先立ちだ。

 少し眩しそうな目をしているのは、窓から差し込む陽射しのせいではないのだろう。


 ソラにとって学校は、手が届くはずのない場所だった。

 父さんにお許しを貰って以来、ソラは毎日嬉々として制服に着替え、一緒に授業を受けたり女子のトークに耳を澄ませたりしてきたのだ。

 明日から学校はまた、ソラには無縁の場所になる。


 退屈な授業が終わり、扉が開け放たれた。すっ飛んで部活に出ていく数人と入れ違いにソラが駆け込んでくる。

「花子さん、やっぱりいなかったぷ。どこまでシャイな子なのぷ」


「ああ僕、ソラちゃんのためなら、花子さんの仮装でもなんでもすればよかったんだ! 今頃になって気づくなんて! ううう」

 人目も憚らずすすり泣く琥太郎はスルーして、ソラはたっきーの傍に寄っていく。


 ソラの存在を明かしていないため、たっきーを今日のカラオケ大会に呼ぶことはできない。今日ここが、ソラにとってはお別れの場なのだ。

 帰り支度をしているたっきーの首に手を回し、ソラが爪先立ちする。


「いっぱい歌酔いしちゃって、ごめんぴる。でも、今のたっきーの歌は大好きぴる」

 ソラからのキスを受けた頬に、たっきーが左手でそっと触れた。どうかした? と訊く声に

「うーん、なんだろ。今なんか、あったかいものが触った感じがしたんだけど」

と首を捻り、教室を出ていく。

 その後ろ姿を、ソラが手を振って見送っている。


 さやかちゃんとのお別れは、カラオケ館ネプチューン裏口のフェンス越しに行われた。奇しくも僕とソラとさやかちゃんが初めて対面した場所だ。

 一緒に極悪先輩軍団と戦った仲のさやかちゃんと、どうやってさよならさせてやろうかと悩んでいたら、帰宅するちょうどその時、彼女がフェンスの向こうに姿を見せてくれたのだ。


「あ、陸さん。おかえりなさーい」

 2学期が始まってもう3週間になるが、5月の頃の暗さは微塵もない。革命は成功し、平和は保たれているようだ。


 ただいまと手を上げた横で、ソラが突然歌い出した。あの時の歌だ。

 さやかちゃんがすっと顔を上げた。視線が宙を彷徨う。

 わかっているけれど

「どうかしたの?」

と訊いてみる。


「久しぶりに聞こえた気がして。先輩と対決した時の、ぴるぴるっていう音。……そうだ、わたし調べたんです、あの曲。『レ・ミゼラブル』の中の『民衆の歌』っていう歌でした。歌詞がすごくいいんです」

「ちょっと歌ってみてよ。さやかちゃんがいいって言う歌詞、聴いてみたいし」


 ええーと照れながらも、さやかちゃんは辺りを見回して歌い始めた。

 ソラがフェンスから身を乗り出し自分に歌いかけていることを、さやかちゃんは知らない。

 それでも二人の歌声はやわらかく重なって、茜色の空に流れていった。


 久しぶりに入ったパーティールームは、4月とは別の意味で「禁断の107号室」化していた。他の部屋のお客が間違ってドアを開けようものなら、一瞬で逃げ出すこと間違いなしだ。


 ソラのコスチューム『エプロンドレスに春の風♪ ほどかないでね、胸のリボン』――この日のために北城つららが特注で縫わせたらしい――を身に纏い、『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』を歌い踊る琥太郎。

 ソラがふざけて数小節毎に憑依と脱皮を繰り返すせいで、フレーズの途中で声がめまぐるしく入れ替わり、それこそ歌酔いしそうだ。


 ソラとロボットの戦闘により大破し、新調されたソファに掛けている面々も凄まじい。


「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」時代のマリー・アントワネットを彷彿とさせるいでたちの北城つらら。

 普通の恰好じゃ愛する彼女に釣り合わないとでも思ったのだろうか。ドS王子佐々木駿はクラシカルな執事の衣装だ。――ていうか、なんであんたがここにいる!


 極め付けは、黒光りする例のマスクをかぶった父さんだ。しかも今日はご丁寧にマントまで付けている。

 唯一まともな恰好をしている僕の方が、準備が悪くてすみませんねえ、という気分になってしまう。


「いいこと? 今宵は必ず一人一曲は披露するのです! 歌わぬ者は即刻、首をはねよ!」

 首をはねるのは『不思議の国のアリス』のハートの女王の得意技であって、マリー・アントワネットははねられた方ではなかったか。


 ともあれ、女王になり切った北城つららの命により、参加者全員が歌わされる破目になった。


 琥太郎(時々ソラ)の次は、父さんがアカペラで『ダースベイダーのテーマ』をがなり立てた。

「おーれーはー あーくのーそーうとーう」とか歌詞を勝手につけていたようだが、なにぶんマスク越しなので意気込みだけしか伝わってこなかった。

「悪者ぴる! 完膚なきまでやっつけるぴる!」

と、ソラがマスクをパカパカ叩いて大喜びしていたのだけが救いだ。


 悪の総統の後を引き継いだのは女王と執事カップルだ。

 佐々木駿は

「つららにソラちゃんのこと聞いてからずっと、憑依されてみたかったんだよね。やってみてくれるなら最新アルバムからソロ曲歌うけど、どう?」

などと持ちかけてきたが、養育係として断固阻止した。

 ピュアな琥太郎ならともかく、ドS王子なんぞに憑依したら、嫁入り前のソラの心にどす黒い染みが付きかねない。


 かくして北城つららとのデュエットとなったのだが、ねっとり見つめ合って『愛と青春の旅立ち』を熱唱するのには参った。

「そのコスプレでなぜその選曲? どうせならベルばら歌えよ!」とツッコめる冷静な人物はもはやいなかった。


 ついにマイクが回ってきてしまった。ここは順当にノリのいいJポップでも、とデンモクに手を伸ばしたら、ソラにお願いされてしまった。

「陸、『あめふりくまのこ』歌って。ソラ、あれがいいぴる」


「何よ、二人の思い出の曲?」

「ふーん。なんか意味深だなあ」

「陸くんずるいよ! そんなこと教えてくれなかったじゃん」

「またあの曲か。お前はあれしか歌えんのか」

 さんざん囃し立てたくせに、歌い出すとみんなは申し合わせたかのように黙った。


 ソラはステージの真正面に立ち、小さな頭を左右に揺らしながら聴いている。

 ここでソラがロボットと格闘していたのはわずか数か月前だ。

 たったそれだけの時間で、ソラは僕のベクトルを変えてしまった。

 明るい方へ、賑やかな方へ、諦めない方へ。


 僕はソラに何を残してやれたんだろう。僕と過ごした記憶は消去され、新しい宿主との思い出に上書きされてしまうのだろうか。

 無邪気な仕草に胸が詰まり、ことさら元気に歌うしかなかった。


 とってつけたように明るい北城つららと、いつも通りのドS王子と、「いやだー取らないでーうわーん」と抵抗する琥太郎からイヤモニを回収して、『ソラお嫁入り祝賀カラオケ大会』はお開きとなった。

 養育係の特権として、僕だけは日付が変わるまで回収を免れた。


 時計の針は10時半を指している。

 明日になるまでの2時間弱、思い出の場所でも回ってこようかと訊いたら、ソラは家で過ごしたいと言った。


「楽しかったぴる!」

 ベッドの上で愛おしそうにあめを撫でていたソラが、急に話しかけてきた。

「うん、楽しかったね。みんななにげに歌上手かったし」

「ちがうぷ。毎日、楽しかったぴる」

 くるんとこちらに向き直り、細い指を折り始める。


「ソラおいでーって、陸、呼んでくれたぴる」

「ないものねだり、がんばったって褒められたぴる」

「青い、高い、遠い、明るい、みんなまとめて、空がきれいって教えてくれたぴる」

「スーパーフレッシュで、おばさんたちに負けないように走ったぴる」

「さやかちゃんと一緒に、悪い先輩、完膚なきまでやっつけたぴる」

「つらら先生の高速着替え、手伝えないけど応援したぴる」

「陸と一緒に、あめにハート、あげたぴる」

「女の子のコタローと、みんなの前で歌ったぴる」


 折る指がなくならないうちに、喉が塞がって情けない声にならないうちに、口を挟んだ。

「そうかそうか、楽しかったか。養育係冥利に尽きるよ。ソラは、なんていうか、教え甲斐のある生徒だったからなあ」


「ソラ、がんばった?」

 既視感って、デジャブだったかデジャヴだったか。

 この部屋でソラが同じことを訊いたのは、初めて会ったあの日だ。


 小首を傾げて覗き込んでくる水色の瞳を、想いを込めて見返した。

「うん、がんばった! ものすごくがんばった! 卒業証書あげたいくらいだよ」

「ソラ、がんばったぴる! すごいぴる! あめみたいにハート入れられないけど、言葉のキモチ、マスターしたぴる!」


 相も変わらず喜び方がストレートだ。

 ソラがベッドの上で飛び跳ねるたび、はちみつ色の髪が空中で摩訶不思議な図形を描く。

 あの色。あの形。


 そうだ! ソラにしてやれることが、もうひとつあった。

「ソラ、おいで。ホットケーキ焼こう」


 皿の上ではキツネ色に焼けたホットケーキが湯気をあげている。

 なんと卵は残り1個だった。忙しくともスーパーフレッシュの目玉商品争奪戦にだけは馳せ参じていた自分を、心から褒めてやりたい。


「ハートの形ぴる!」

 ソラが目をまんまるにして歓声を上げた。

「すごいだろ? ソラにハートをあげる方法、やっと思いついたんだ。そしてこれが秘密兵器!」


 ポケットから小瓶を取り出そうとして、指が引っ掛かった。

 カシャーンとガラスの割れる音。

 手の中に小瓶は残り、台所の床には体温計の残骸がある。


「陸、たいへん! 割れちゃったぷ!」

 駆け寄るソラに首を振ってみせる。

「いいんだ。秘密兵器はこっちだから」


 そう。それはもういらない。

 僕にはもう、必要ないんだ。


 小瓶の蓋を厳かに開ける。中は色とりどりの金平糖だ。

 ピンクのひと粒を取って、ホットケーキに埋め込む。

「これは、うれしい」

 水色とオレンジをつまむ。

「さみしいと、楽しい」


 黄色、白、薄紫。

「きゅんきゅん、ほっこり、せつない」

 かわいい、わくわく、ツンデレ、てへぺろ、うるうる、激おこぷんぷん丸。

 テーブルの周りを行進しながら、ソラがはしゃいで復唱する。金平糖が瓶になくなるまで、いろんなキモチをホットケーキのハートに詰め込んだ。


 甘くなり過ぎるのは目に見えているけれど、最後にメープルシロップをたっぷりとかける。

「で、これは、僕の気持ち。ソラにありがとうと、楽しかったよと、さよならと、それから」

 おあずけをくらったトイプードルみたいに皿に鼻をくっつけているソラを見つめる。

「大好きだよ、って気持ちをかけて」


 ソラが僕を見た。

 澄んだ瞳にフォークとナイフを握りしめた僕が映っている。

「さあ、最後の『今日の一回』だ。一緒に食べよう」


 ホットケーキは、思った通り甘過ぎた。おまけに相当な量の金平糖を噛み砕かねばならず、しまいには顎が痛くなった。

 それでもソラは

「あ、今ガリッていったの、きっと激おこぷんぷん丸ぴる」

などと天真爛漫な批評を加えつつ、一緒に食べ尽くしてくれた。


「ソラ、ハートもらえたぴる! 陸特製の、おいしいハート。あめとおんなじぴる。ソラの中、今、心が入ってるぴる!」

 台所から僕の部屋まで踊るように戻ってきて、ソラは早速あめに報告した。


 時計を見る。11時59分。

 1分後、ソラはどうなるのだろう。消えるのか、それとも僕のことを忘れてしまうのか。

「ソ……」

 声を掛けようとして口をつぐんだ。あめに頬を寄せ、ソラはくーくーと眠っている。


 いきなり電気が消えた。

 圧し掛かるような闇の中で、机に置いたソラフォンの画面だけが温かな光を放っている。


 手繰り寄せて覗き込んだ。文字がカタカタと打ち込まれていく。


《入江ソラ 14歳 身長:147㎝ 体重:38㎏ 誕生日:9月14日 星座:乙女座》

 ソラのプロフィールのようだ。


《すきな食べ物:ホットケーキ・甘口カレー

 すきな歌:あめふりくまのこ

 行きつけのお店:スーパーフレッシュ

 きらいな物:悪の軍団

 一番の宝物:


 淀みなく続いていた入力が止まる。

 一瞬置いて《あめ》の二文字が書き込まれ、なぜかデリートされた。


 次に画面に浮かんだのは《り》の文字。

 続いて《く》。

 変換がかかって、《陸》になった。


 滲んだ視界の中で、画面がぷつりと消える。と同時に部屋が明るくなった。


 ベッドは振り返らない。

 いるのはあめだけだとわかっているから。

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