23  茶番は僕らを救う ♪ド


 レースで縁取られたハーフボンネット。

 パステルピンクの甘ロリ系ワンピースには苺が乱舞している。オーガンジーのパニエにドロワーズ。仕上げは赤いストラップシューズだ。


「こら! つけまつげを引っ張らない!」

 スタイリスト兼ヘアメイクを買って出た北城つららが叱りつける。その横で

「かわいいぴる! ソラもおそろいで着たかったぴる」

と、ソラが爪先立ちでボンネットに手を伸ばしている。


「変われば変わるもんだなあ」

 父さんはにやにやし、一応まだ絵玲奈のマネージャーであるらしい後藤さんは、目を白黒させている。

 そして僕はうっとりと囁きかける。

 ふくらんだ袖に守られた、華奢な肩に手をかけて。


「うん、素敵だ。かわいいよ、琥太郎」


「もう! 陸くんまで、やめてよ! 一生のお願いって言うから引き受けたのに」

 睫毛を300%ほど増量した目で僕を睨む琥太郎は、ご機嫌斜めの美少女にしか見えない。


 そうなのだ。

 僕は白坂絵玲奈の身代わりを、琥太郎に頼んだ。 


 ボカロと一緒に歌うことに抵抗がなく、ソラと充分に意思の疎通ができて、しかも愛らしい顔立ち。

「琥太郎、きみに決めた!」と叫んでモンスターボールで捕獲したいくらい、条件としては理想的だ。両足の間と喉元にちょっとばかり余計な物がついてたって、さしたる問題じゃない。


 準備期間わずか1日という無謀な試み。


「馬鹿じゃないの!」と毒づきながら、北城つららは琥太郎を身ぐるみ剥がして採寸し、イメージ画を描き、都内を走り回って衣装を用意してくれた。

 マネージャーの後藤さんは、テレビ局や事務所の上層部に頭を下げまくった。

 さやかちゃんは演劇部の経験を活かし、女の子らしい仕草と振付を特訓してくれた。夏休みの宿題そっちのけで。


 ウィッグの縦ロールを邪魔そうに払いながら、琥太郎が念を押してきた。

「約束だからね! 姫の超レアグッズ」

「わかってるって」


 ネットオークションでの高騰を狙って、父さんが隠匿している歌姫グッズ。それを根こそぎもらうことを条件に、琥太郎は代役を引き受けたのだ。

 でも、僕にはわかっている。琥太郎を動かしたのは(1割、いや2割くらいはそうかもしれないが)歌姫グッズじゃない。

 なんだかんだ言っても、琥太郎はあの「ほんとに歌が好きな」女の子に歌わせてやりたくてしかたがないのだ。


 僕も琥太郎もそうせずにはいられなくて、今、ここにいる。


「91.70! 残念! 川久保亜美さんの得点は、沢田実歩さんの得点には届きません!」

 司会者やゲストに慰めのコメントをもらって、また一人挑戦者が捌けていく。ステージ前に設えられた観客席から控えめな拍手が沸いた。


『カラオケ採点バトル アイドルの卵編』の生放送は着々と進行している。ここまで7人歌って、最高得点をマークしたのは5番目に歌った女の子だ。


「下馬評通りですね。あの沢田って子を出してきたモリプロ、うちの最大のライバルなんですよ。寮にカンヅメにしてボイトレさせてるって噂だったからなあ」

「上手いことは上手かったが、聴いててひとつも面白くなかったぞ」

 後藤さんと父さんが後ろの席でひそひそやっている。


「しっ! 次よ」

 振り返って二人を睨んだ北城つららが、首を再びステージに向けた。次にステージに上がるのはこの人に違いないと誤解させるくらい、ガチガチに緊張している。 一応有名人なので眼鏡とウィッグをつけているが、顔の引き攣り具合が異様すぎて、変装の必要を全く感じない。


 隣でその顔に慄いている僕も、たぶん似たようなものだ。さっきから瞼がやたらと痙攣するし、歯を食い縛っていないと「あわわわ」と変態じみた声が出てしまいそうだ。


 さあ来い、僕らの秘蔵っ子。

 特訓の成果を全国に見せてやれ。


 登場ゲートの電飾が派手に点滅し、中から女の子が一人現れた。

 ハーフボンネットにパニエでふくらませた苺のワンピース、赤いストラップシューズ。

 ……の、琥太郎ではない。

 清楚な制服姿のたっきーだ。


「8番、滝尾樹里さん。昨日急遽行われた敗者復活戦で出場を決めたラッキーガールです。一般挑戦者枠のお二人は、残念ながら既に敗退してしまったんですが、お気持ちはいかがですか?」


 歌う前から何だよ、その質問。

「きみにいったん勝った、格上の二人が負けたんだよ? 今さら出てきて大丈夫なの?」と言わんばかりだ。


 意地悪な司会者に向けて微かに笑ってみせたあと、たっきーは顔を上げて観客席を見渡した。その目が一瞬僕ら4人を捉え、ランプの着いたカメラへと戻っていく。

「二人の分も頑張ります。せっかくいただいたチャンスなので。わたしにチャンスをくれた人、応援してくれている人たちのために、精いっぱい歌いたいと思います」


 なんだよ、まともなコメント、できるんじゃないか。

 緊張したたっきーの顔に懐かしいくるみちゃんの面影が重なって、目の奥が熱くなる。


 採点が不透明すぎた、一般挑戦者決勝戦のやり直し。


 白坂絵玲奈の代役を琥太郎にさせるにあたり、僕が出したたったひとつの条件がこれだ。

 出場を決めた二人は、もうそのままでいい。決勝で落とされた8人をもう一度集め、採点機の点数だけできちんと競わせ、最上位の一名に出場枠を与えてほしい、と。


 そんなまだるっこしいことをしなくても、代役をたっきーに頼めば済む話だったかもしれない。でもそうなるとたっきーは、ソラに憑依されて歌うことになる。ソラは喜ぶだろうが、たっきーはそれを良しとしないだろう。


 というより僕はただ、返してやりたかったのだ。本来手にするはずだったチャンスを、手にすべき人に。

 誰かの代理なんていう棚ボタじゃなくて、納得できる形で。


 無謀とも思える願い事をしたあと、僕は琥太郎を巻き込んだ。いやいや巻き込まれるような顔をしながら、琥太郎はネットに書きまくってくれた。


《カラオケ採点バトルの一般挑戦者決勝戦、採点機の点数が伏せられてたって!おかしくね?》

《えーなにそれ。すでに採点バトルじゃないじゃん》

《一般人をなめんな! やり直し求ム》


 注目の番組だっただけに、ネットの住人の反応は早かった。

 後藤さんがマネージャー生命を賭けて社長に直談判し、テレビ局に掛け合ってもらう間に、反響は膨れ上がった。素人が馬鹿なことを、と斬って捨てることができないほどに。


 GOサインが出たという涙声の電話のあと、僕はノックもせずにたっきーのいる106号室に飛び込んだ。ボカロプロジェクトのあたりは話をぼかして、かいつまんでの事情説明。


 たっきーがもう一度公正な審査を受けたいと思うなら、琥太郎は女装でもなんでもすると言っている。僕も周りの大人も、できる限りの協力をする。

 風当たりはかなり強いかもしれないが、やってみる意思はあるか、と。


 即答だった。

「やる! 絶対やる! 何があってもやる!」


 そのあとなぜか熱烈なハグをされて、生まれて初めてのFカップの感触を脳裏に刻みつけたのは秘密にするとして。


 了解もとらないうちから協力者リストに加えられていた北城つららは、琥太郎の分を上回る熱心さで、たっきーのイメージ画を描いてくれた。

「あなた今まで、ずっとそのケバいメイクでオーディション行ってたの? 馬鹿ね。ぜんっぜん似合ってない。陸といいあなたといい、なんでそんなに自分が見えないのかしら」


 毒を吐きながら描き上げてくれたのが、今日の制服だ。無論うちの高校の制服ではない。締め切りに追われる中、昨日一日奔走して、イメージ通りの制服を探し出してきてくれたのだ。


 連絡が前日だったにも関わらず、落とされた8人は全員、敗者復活戦にやってきたそうだ。

 そしてたっきーは、断トツのスコアでチャンスをものにした。


 誰もが息を飲んでモニターを凝視している。


 Aメロ・Bメロが終わってサビに突入しても、一度のミスもない。たっきーの歌はグラフから1ミリもずれずに進んでいく。

 80年代アイドルの歌を選んだため、客席のほとんどを占める若者層には全く馴染みのないメロディーなのに、皆静かに耳を傾けている。


 間奏に入ると、あちこちから「はあ」と感嘆の声が漏れた。

 我に返った司会者がさっきとは打って変わった愛想の良さで

「すばらしい! ノーミスです。さすが敗者復活戦を勝ち上がった実力の持ち主!」

と声を張り上げた。


 2番が終わり、高音が連続するCメロに入っても、グラフは一切乱れない。伸びのあるきれいなソプラノで、たっきーは昭和のメロディーを歌い上げていく。

 よし、いい感じだ。

 根っこがクラシックな分、歌い方が素直で、他に比べるとこぶしやしゃくりが少なめだけど、大丈夫だろう。比類なき正確さでハイスコアを叩き出すこと間違いなしだ。


 ひとまず安心して隣を見ると、なんと北城つららが号泣していた。遥か遠くなった青春を思い返すという歌詞が胸に刺さったに違いない。

 見られていることに気づくや、見るな! と太ももを思い切りつねってきた。


 隣のお姉さんが僕をいじめるんです、と訴えかけようと後ろを振り返ると、今度は後藤さんがぽろぽろ泣いている。これじゃ涙のひと粒も流さずに聴いている僕が冷血動物みたいじゃないかと、慌てて前を向いた。


 でも、と思う。


 ついこの間まで僕は、平熱をできる限り下げて生きるのが僕らしいと思っていたのだ。高望みしてじたばたする姿を晒すくらいなら、そんなものいりません、興味ありませんとそっぽ向いていたほうが、まだ恰好がつくと。


 にも関わらず、ソラに出会ってからのこの数か月、僕はじたばたしっぱなしだ。カッコ悪く走り回って、エネルギーを無駄に消費しまくって、二酸化炭素排出量もさぞや増えたに違いない。


 けど、この楽しさはどうだ。

 僕は今、楽しいのだ。楽しくてたまらないのだ。

 失くした青春を歌うたっきーの、沁み渡るような歌声を聴いていても。


 昭和の名曲を、たっきーはミスわずか1回で歌い通した。拍手と歓声が沸き上がる。

「95.58! なんと、95.58という高得点が出ました! 敗者復活から、滝尾樹里さんが暫定1位の座を勝ち取りました!」

 司会者が自分の手柄ででもあるかのように叫んでいる。


 9番・10番の挑戦者は、やはりたっきーの得点には及ばなかった。点があまりに離れているせいか、妙にさばさばした表情で引っ込んでいく。

 さて、次だ。

 急遽決まった敗者復活枠により、11名という半端な数になってしまった挑戦者のラストを飾るのは……


 ハーフボンネットにパニエでふくらませた(以下略)

 ビジュアル的には今日登場したどの女の子より女の子らしい、我らが琥太郎だ。


「来た! 私の芸術品。どこから見ても完璧! やっぱり今度、男の娘ってやつを描いてみようかしら。琥太郎にあんなポーズとかこんなポーズとかさせて……ふふ、いいかも」

 号泣から立ち直った北城つららが、隣で早速計画を練り始めた。くちびるの端が片方だけ持ち上がっている。眼鏡王子とキスしすぎて、ドSカーブが伝染したんじゃなかろうか。


 大股で歩いてはいけないとさやかちゃんから厳しく指導されたため、琥太郎の歩幅は必要以上に小さい。あのかぼちゃパンツみたいなドロワーズのせいもあるかもしれないが。

 その後ろをソラが跳ねるようについてきた。観客席に僕たちを見つけたらしく、爪先立ちになって身を乗り出し、無邪気に両手を振っている。


 思わずにやけて振り返しそうになった手を引っ込め、ソラフォンでメールを送る。

《こら、はしゃぎすぎ! 琥太郎のフォロー、頼んだよ。2番のサビから作戦通りね》

 無事届いたらしく、ソラはまじめくさった顔で敬礼をよこした。


「最後の挑戦者は11番、入江そらさん。カーサプロモーション一押しの研究生です」

 司会者に自分の名前を呼ばれて、ソラはずいぶんとうれしそうだ。まさか宗方琥太郎なんて厳めしい名前を、プロフィールに書き込むわけにはいかなかっただけなのだが。


「おとぎの国からやってきたようなかわいらしいファッションですが、いつもこのようなお洋服を着られてるんですか?」

 琥太郎は反射的に首をぶんぶん振っている。

 あーあ、そこは可憐に微笑んで「はい。かわいいものが大好きなんです」とか言うところだろ。


 ソラにつっつかれて役割を思い出したのか、琥太郎は

「きょ、今日歌う曲のイメージに合わせてコーディネートしてみました」

と答えた。

 最初の「きょ」が、春先に「ホーホケキョ」を練習中の初心者ウグイス並みにひっくり返ったけれど、まあ良しとしよう。


 ソラが琥太郎と手を繋いだ。目と目を見交わし、軽くうなずき合う。

 琥太郎の不自然な動作に、観客席がざわめいた。

「なに? あの子、不思議ちゃん?」と囁く声が聞こえる。


 仲よく二人、手を繋いでのお辞儀。

 ソラのあの深々としたお辞儀が見えているのは僕と北城つららと父さんだけなのにと思うと、いじらしくてたまらない。


 頭を上げるとソラは、琥太郎の肩に後ろから手を置いた。軽くひとつ叩いたあと、琥太郎の後頭部にコツンとおでこをぶつける。

 長い髪がふわりと広がって、はちみつ色の光を放ったかと思うと、ソラの身体は琥太郎の中へと吸い込まれた。

 イントロが始まる。


「綺麗なものね。憑依なんておどろおどろしい言葉からは想像もつかなかった、あんな光景。音痴のアイドルをボカロが修正して上手く見せるなんてどうなの? って思ってたけど」

 憑依の瞬間を息を詰めて見守っていた北城つららが耳打ちしてきた。


「あの二人見てたら、ごめんなさいって言いたくなる。修正するとかしてもらうとかじゃなくて、あれってもう、愛の共同作業じゃない? なんていうか……二人でじゃれ合いながら、砂浜でお城作ってるみたい」


 ロマンティックな形容を賜った二人は、1番のサビのあたりを歌っている。

 曲は人気テクノポップユニット『パレード』のヒット曲『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』。ボーカロイドのソラにはお手の物のテクノチューンだ。


 モニターのグラフには、当然ながら寸分の乱れもない。面白いのは、本来アンドロイドじみた3人が無機質に歌う雰囲気がウリの楽曲なのに、ほのぼのとした情感が伝わってくることだ。


 響きのいい単語がぽんぽん羅列されただけのような歌詞。

 その一語一語に体温がある。気持ちの手触りがある。

 さやかちゃん渾身の特訓の甲斐もなく、どこかたどたどしい琥太郎のダンスと相まって、アンティークドールが突然魔法で人間になり、懸命に歌っているかのようだ。


 ソラお気に入りの単語が飛び出すたび、琥太郎の周りにはちみつ色の光の輪がぽわんと広がる。

 さっきから僕にはちゃんと見えている。振付を真似ながら歌い踊るソラが、二重写しで。甘いキャンディをなめるみたいに言葉を口の中でコロコロ転がし、はしゃいでいる姿が。


 頑張ったよな、ソラ。

 血の通った歌が歌いたくて、二次元世界から飛び出して。

 爪先立ちで、届かないものにいつも手を伸ばして。

 言葉のキモチ、もうちゃんと掴んでいるじゃないか。


 生放送でこれだけの完成度を示したとなると、ソラの嫁入りの日は近いのかもしれない。白坂絵玲奈に貰われる心配はなくなったものの、別のアイドルがソラをかっさらっていくんだろう。

 その時僕は約束通り、笑って見送ってやれるんだろうか。


 曲がついに、2番のサビに差し掛かった。

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