22  赤鼻のトナカイは覚醒する ♪ミ


『続いては、2週間後に迫った『カラオケ採点バトル アイドルの卵編』のトピックです』


「お、ソラが出るやつじゃないか」

 拾ったフレンチトーストを咀嚼し終えた父さんが、ソラの背中を突っついた。


「ぷー……出たくないぷ……」

 ソラのテンションは今のひと言で急降下してしまった。リビングに(僕が)連れてきたあめに、またもや顔を埋めている。


『かわいいだけじゃない。わたしの歌を聴きなさい! をキャッチフレーズに、各プロダクションが秘蔵のアイドルの卵をエントリーするわけなんですが』

『話題になってますよね、どの事務所がどんな子出してくるか』


『デビュー前なのに生放送でナマ歌って! しかも機械にシビアに採点されるわけでしょ? 私、絶対無理。80年代アイドルでほんとよかったぁ』

『あんたは歌、悲惨にヘタだったじゃない。どっちにしろ出れないって』

 今はママドルとして活躍する元アイドルが、「ひどーい」とウソ泣きしてみせている。


 そうなのだ。口パク禁止騒動に完全に乗っかって企画されたに違いないこの番組で、ソラは歌うことになっている。

 あの白坂絵玲奈に憑依して。


「生放送でナマ歌」がコンセプトの番組なのに、ボカロに歌わせるってどうなんだ? と思うのだが、プロダクションとしては生でどれだけソラが通用するか、確かめたいのが本音らしい。

 その上、成功すれば白坂絵玲奈の格好の宣伝になる。まさに一石二鳥というわけだ。


 ただし、これまで2回行われたソラと彼女のお見合いは、さんざんだった。

 ソラの方はいやいやながらもきっちり仕事はしているのだが、白坂絵玲奈本人に全くやる気がない。美貌だけで世の中渡っていける、あとのことは周りが何とかすればいいと思っているのが丸わかりだ。


 下手なりに一生懸命練習してきてソラともちゃんと心を通わせ、「わたしたち、一緒にがんばりましょうね!」と手に手を取って誓い合う……みたいな子だったら、喜んでソラを嫁に出せるのに。


『実は昨日、その芸能事務所一押しのツワモノ達にまじってバトルに参加する、一般挑戦者2名が決定したんです!』

 アナウンサーが声を張り上げ、画面に二人の女の子の写真と名前が映し出された。二人ともかわいいことはかわいいが、今時の子にしてはかなり素朴というか、洗練されてない感じだ。


「へえ、一般枠ってのもあったんだ。激戦だったんだろうね」

「アイドルの卵の方は当日まで非公開だから、この二人、ネットやなんかで意外に人気が出るかもしれんな」

 呑気に会話する父と子の横で、夏休みのプールのバタ足テストみたいに、ソラが細い脚をばたつかせている。


 トイレから出てくると、ソラが待ち構えていた。

「陸、なんかたっきーの声、元気ないぷ。行ってみるぴる」

 歌酔いしなくなったかと思えば、今度は壁越しに聞こえてくる声で健康チェックとは。


 夏休み中すっかりたっきー専用ルームと化した106号室をノックする。

「あれ、陸。なに?」

 ドアを開けて顔を出したたっきーは、確かになんだか萎れている。

 ソラが気遣わしげに見上げて、頬にそっと触れた。何かが伝わったとみえて、たっきーがくすぐったそうに同じ場所を撫でた。


「歌い過ぎじゃない? なんか元気ないけど」

 とりあえず中に入れてもらった。

 テーブルの上には譜面やノートが散らばっている。《ピッチ少し高めに》だの《抑揚つける》だの《16分音符もっと刻む》だの、これでもかというほど細かく書き込みがしてある。


「実は昨日、オーディションに落ちちゃってさ。ちょっとへこんでたとこ」

「それで昨日は、珍しく来なかったんだ」

「うん。最終選考まで残ったし、カラオケの機械で採点するやつだから、音程だけが取り柄のあたしには有利だと思ってたんだけどなー」


 ん? 昨日? カラオケで採点だと? 

「それってもしかして、『カラオケ採点バトル』ってやつ?」

 タイトル自体がすでにトラウマとなっているソラが「ぷー」とため息をついた。


「へー、陸でも知ってるんだ? つかカラオケ屋の息子なんだから当然かぁ。けどちょっと納得いかないとこもあるんだよね。準決勝までは採点機の点数だけで審査されてたのに、決勝だけ点数、表示されなかったんだもん。なんかわけわかんない将来性とかいう項目がプラスされちゃってさ。あたしには将来性がないのかー! 審査員出てこーい! みたいな?」

 笑い話めかして喋っているが、肩が力なく落ちている。


 さっきテレビで見た合格者二人の顔が頭をよぎった。あのいかにも素人ですという雰囲気。


 プロダクションが出してくるアイドルの卵は、デビュー前とはいえヘアメイクやスタイリストもついて、みんな垢抜けた感じなんだろう。

 彼女たちとの差別化を図るため、選考にあたって何らかの思惑が働いたんじゃないのか?


「昨日歌った曲、僕にも聴かせてくれない? 1番だけでいいからさ」

 突然のリクエストにたっきーは怪訝そうな顔をしたけれど、結局歌い始めた。


 画面に映し出されるグラフから音程は全く外れない。細かいリズムも見事に合っている。

 なにより、前は挑みかかるようだった声から、無駄な力がすっかり抜けている。

 聴いているうち、鼻の奥がツンとしてきた。


「たっきーすごいぴる。ボーカロイドになれるぴる!」

 ソラの褒め言葉を聞かせてやれたらいいのに。


 いや、僕にだって言える言葉はある。


「すごいじゃん。文句なしにすごいよ。あんなにぴったりグラフに沿って歌えるなんて、何十回どころじゃない、何百回も練習したんだろ? 受かった子にくらべてたっきーの努力が足りなかったなんてこと、絶対ない。たっきーの将来性は僕が保障する!」


「陸なんかに保障されてもなー。ほらもういいでしょ、行って行って」

 たっきーは少し目の縁を赤くして、僕を部屋から追い出した。


「一緒に歌うの、たっきーならよかったのに。ぷー」

 106号室を振り返りながら、ソラがため息をついた。

 全くだ。努力の人たっきーは、残念ながらボカロとの共演は望まないだろうけど。


 たっきーを切り捨てたあの番組に、努力という単語を辞書から破り取ってポイ捨てしたような、あの白坂絵玲奈が出るのか。

 そのサクセスストーリーに、ソラが加担させられるのか。

 なんだかやりきれなかった。


 夏休みも残すところあと4日。


『カラオケ採点バトル』本番は明後日だというのに、またもや白坂絵玲奈は約束の時間に現れない。いつ来るかわからない人間を鬱々と待っているのもなんなので、僕とソラは姫部屋で時間を潰している。


「まったくもう、暇つぶしに私の聖地を使わないでよ」

 口を尖らせながらも、北城つららは楽しそうだ。ペン先から生み出されていく可憐な妖精を、鼻をくっつけるようにしてソラが覗き込んでいる。


「世襲制の話って、無事進んでるんですか?」

「うーん。進んでるような進んでないような? 新作描く約束してた出版社が、ねちねち言ってきてるのよ。さやかの二代目襲名は、私が一作描き上げてからじゃなきゃ困るとかなんとか。いじめ路線じゃ、もうストーリー浮かばないって言ってるのに」


 喋っている間も楽しげに動き続けるペンを眺めるうち、ふと思いついた。

 いじめの引き出しはカラッカラだと北城つららは言っていた。けど、絵だけだったら?


「一作だけだったら、絵、頑張れますか?」

「え?」

 形のいい眉を寄せて、北城つららが僕を見た。

「その一作、ストーリーはさやかちゃん、絵はつらら先生で、北城つらら一世と二世の合作にしちゃったらどうかなあって。理想的な襲名披露になりそうな気がするんですけど」


「さやかちゃんのお話に、つらら先生の絵? すてきぴる! ソラ、読みたいぴる!」

 大乗り気のソラの横で、北城つららは魂が抜けたようにぼーっとしている。

 と思うと、いきなりスマホを取り出して、あちこちに電話をかけ始めた。さやかちゃん、出版社、マネージャー、ついでにドS王子にも。


 関係各所すべて電話しまくって、どうにか話はまとまったらしい。捲し立てすぎてハスキーになった声で僕に向けた言葉は

「ああ、またしがない高校生に助けられてしまった!」

 そんな、「またつまらぬ物を斬ってしまった」みたいに言わなくても。


「世襲制とか合作とか、話が動き出した今でも信じられない。何にも考えてないような顔してるくせに、何なの? そのぶっ飛んだ発想。うー、なんかくやしい」

「つらら先生みたいな才能あふれる人にくやしいって言われてもなあ。僕ってほら、これで食っていける! って胸を張れるようなアビリティ、何にもないじゃないですか。リアルで夢叶えるの諦めた分、頭の中で勝手に妄想ふくらませてるだけですよ」


 黙って聞いていた北城つららがいきなりくつくつと笑い出した。

「な~んだ。陸ったら、やっぱりコドモね。」

「陸はこどもじゃないぷ! りっぱな高校生ぴる!」

 至極まっとうな抗議をしたソラが、はいはいといなされる。


「周りはあんなに見えてるくせに、自分のことは全然見えてない。確かにあなたって、しゃしゃり出てこれ見よがしに輝くお日様タイプじゃないけど」

 僕を覗き込んだ目が、ふっと優しくなった。


「気が付かないの? さやか、私、それからあの……ほら、106号室でばかみたいに毎日歌ってる女子高生。陸って、何かが必要な人に、必要な何かを見つけて、どうにか届けちゃうじゃない。それって自分がギラギラ輝くより、ある意味難しいことよ。アビリティがないなんて拗ねたこと言ってないで使いまくりなさい」


「陸、お届け物やさんになるといいぴる?」

「今のところは、ちょっといじけた赤鼻のトナカイってとこかしらね」

 フリフリのドレスに身を包んだおっきいのとちっちゃいのが、おでこを付き合わせてくすくす笑っている。


 そんなアビリティが、ほんとに僕にはあるんだろうか。

 あるとしたら、この先僕はその力で、誰かの役に立てるんだろうか。

 俄かには信じ難かったけれど、北城つららの言葉は僕の平熱をやわらかく押し上げた。


 北城つららのせいで、8月だというのにソラは『赤鼻のトナカイ』を機嫌よく口ずさんでいる。

 まあこれも暑さ対策だと思えばいいか、と宿題のプリントに手を伸ばしたら、父さんがドタバタと上がってきた。


「陸、ソラ、大変だ! 白坂絵玲奈がスクープされちまった」

 道理で来ないはずだよ。いったい何をしでかした、白坂絵玲奈。


 慌てて駆けつけてきたマネージャーによれば、未成年の白坂絵玲奈は、男性モデルとクラブで飲酒喫煙しているところを撮られたらしい。

 デビュー前なのになぜ? と不思議だったのだが、要するに本人ではなく、相手の人気モデルが狙われていたわけだ。とばっちりと言えなくもないけれど、歌の練習もしないで遊び歩いていたのだか、やっぱり自業自得だ。


「写真が掲載されるのは『カラオケ採点バトル』の後なんですが、だからってしゃあしゃあと絵玲奈を出すわけにもいきませんし。どっちにしてもデビュー前にあんなスキャンダルじゃ、絵玲奈はもう終わりです」

 うなだれるマネージャーをよそに、ソラはガッツポーズを連発している。


「んじゃ、今回ソラは出動させなくていいわけだな?」

「出動していただこうにも明後日じゃ、うちには用意できるタレントが……。今回の番組は、ボカロプロジェクトの成果を確かめたいって、社長も本当に注目してたのに……タレントのスキャンダルを防げなかった上に番組に穴あけたりしたら、僕クビですよね、やっぱり」


 沈んだ声を聞いているうちに、心底気の毒になってきた。

 わがまま放題の白坂絵玲奈の代わりに、この人はいつも謝って歩いていたのだ。強く注意できなかったのはどうかと思うが、謝罪の言葉にはいつも誠意があった。


「上手くても下手でも、ほんとに歌が好きな子と、二人三脚でアイドルを目指すのが夢だったんですけど……力不足でした。ご迷惑かけてほんとに申し訳ありません」

「白坂絵玲奈は、歌、好きじゃなかったぷ。マネージャーさんのせいじゃないぴる」

 ソラがマネージャーの傍に寄り、頭をよしよししている。


 ほんとに歌が好きな子。

 必要な人に、必要な何かを。

 赤鼻のトナカイ。


 マネージャーの言葉と北城つららの言葉が頭の中で衝突し、螺旋を描き、そして繋がった。


 僕のアビリティ、今、目覚めろ。

 さとりの国で安穏としていた分、最大出力で。


 大きく息を吸い込んだ。いじけた脳に酸素を行き渡らせる。

 後戻りできないよう、急いで口に出した。


「絵玲奈さんの代理、もしかしたら僕、用意できるかもしれません。そのかわり、ひとつだけ聞いていただきたいお願いがあるんですけど」

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