21  赤鼻のトナカイは覚醒する ♪レ


 目の前にいきなり何かが飛んできた。咄嗟に身体をひねって回避する。

 頬をかすめて飛んでいったそれは、壁に一瞬だけ刺さってぽとりと落ちた。後ろでさやかちゃんが小さく悲鳴を上げた。


 Gペンだ。

 こんなものが眉間に刺さったら、「兄さん! その眉間の傷は!」なんてさやかちゃんに叫ばせて遊ぶどころじゃない。


「白部屋ぴる! 黒部屋が、白くなってるぴる!」


 一面に撒き散らされた白。

 テーブルも、黒革のソファも、一応置いてあるカラオケ機器も、白い紙吹雪に覆われている。


 その真ん中で奇声を上げて紙吹雪製造機と化しているのは、北城つららだ。入ってきた僕たちに頓着することなく、ひたすら原稿を破き続けている。

 さやかちゃんが縋るような目をして、僕のTシャツの裾を引っ張った。


「最初は普通だったんです。差し入れ喜んでくれて、私の作品もいつも通りちゃんと読んで、批評してくれて。でもお仕事の電話がかかってきてから、なんかちょっとぼーっとして……新作、どんなストーリーなんですか、って訊いたら急に……」


 そろそろ限界、じゃない。とっくに限界だったのだ。かわいいものが大好きでお姫様になりたかった女の子が、イヤミス女王に擬態するのは。

 原稿の残骸の上を飛び越えて、ソラが北城つららの腕にしがみついた。

「つらら先生、だめぷ! いっしょうけんめい描いた原稿ぴる!」


「こんなもの、何の価値もない! ただの焼き直しよ。いじめていじめられて、いじめていじめられてって、もうそんな世界描きたくない。私の中のいじめの引き出しは、もうカラッカラなの。ひっくり返したってもう、何にも出て来ない!」

 重さを持たないソラは、北城つららの動きにただ振り回されるしかない。それでもなんとか止めようと必死にかじりついている。


「北城つらら!」


 思わず叫んでいた。

 呼び捨てされて、北城つららの動きが止まった。


「を、やめればいいじゃないですか」


 何を言われたのか、一瞬理解できなかったらしい。ゆっくり首を回してこちらに顔を向けるうち、切れ長の目に憎々しげな光が宿った。

「漫画家やめろって言うの? 7年かけてコツコツ積み上げてきたもの、全部捨てろって?」

「漫画家をやめろなんて言ってません。北城つららをやめたら、って言ってるんです」


「……あんたいったい、何言ってるの?」

 眉を寄せ、顔を引き攣らせて、北城つららは僕を凝視している。その彼女を、ソラがいたわるように、さやかちゃんが息を詰めて、見守っている。


「『北城つらら』を、世襲制にしたらどうですか? 歌舞伎みたいに」


 着替え事件からずっと考えていたことだ。北城つららがぽかんと口を開けた。

「せしゅうって何ぴる?」

と口走ったソラが珍しく空気を読んで、自分で「せしゅう、せしゅう……」と検索を始めた。


「昔のつらら先生みたいに、今のさやかちゃんみたいに、いじめられた苦しさを作品にして吐き出したい人、たくさんいると思うんですよね。けど、何年も何十年もそこにこだわり続けるのはキツイし、作品にするうち恨みつらみが薄まってくってとこもあるんじゃないかな、って」


 思い当たる節があるらしい北城つららは微かに頷き、いじめの記憶がまだ新しいさやかちゃんは、そんな日が来るのかしらという顔をしている。

「陸、すごい! 世襲、いいぴる! 誰かがつらら先生の名前、もらうぴる?」

 検索を終え、世襲の意味を理解してくれたらしいソラの言葉に頷く。


「つらら先生、さやかちゃんの作品、褒めてましたよね。当事者だけあってリアルに書けてる、光るものがあるって。北城つららの名前、さやかちゃんに譲ってあげたらどうですか?」

 さやかちゃんが零れんばかりに目を見開いた。首を小刻みに振り始める。


「そんな……ありえません。わたし、物語は書けるけど、美術の成績2だし……猫を描くと熊って言われるし、象描いたのに車って言われたことあるし。漫画なんてとても」

「漫画じゃなくていいんだよ、さやかちゃん。『北城つらら』は、思春期のトラウマを自由に吐き出す場にしたらいいんじゃないかな」


 話しているうち、頭の中を彷徨っていたアイデアが、どんどん形を成してきた。僕なんかが思いつくことなんてと卑屈になってないで、もっと早くに言葉に出してみればよかった。

「一代目は漫画、二代目のさやかちゃんは小説。三代目はバンドだって劇団だって、アニメ作家だっていい。思う存分吐き出したら吐き出したい誰かに譲って、卒業しちゃえばいい」


「世襲制、いいじゃない。北城つららの名前、譲るわよ。譲っちゃいたい。さやかになら」

 驚いた。しばらく黙っていると思っていたら、いきなり声に力が戻っている。

 憑き物が落ちたような表情で、北城つららは手の中の原稿を天井高く放り投げた。


「でもなあ。卒業って言ったって。私もう27よ? 世間には毒舌キャラで認知されちゃってるし、今さらどうしろって感じよね」

「つらら先生には描きたいものも、描ける力もあるじゃないですか」

「ぴる! 『荊の教室』もいいけど、ソラ、つらら先生のかわいいほうの絵、もっとすきぴる」

 よし! 絶妙なタイミングで、いいこと言った! ソラ、グッジョブ!


「つらら先生が描いてくれた歌姫イラストのおかげで、父さんがどんだけ稼いでるか知ってますか? 歌姫ストラップに歌姫シャーペン、クリアファイルにマグカップ。買い逃したやつ、琥太郎なんかネットオークションで小遣いはたいて買ってますよ。だいたい『歌姫プロトタイプ』がヒットし始めたのって、歌に合わせてイラストが踊り出してからだし」


「歌姫イラスト?」

 置いてきぼり状態のさやかちゃんに説明を試みる。

「つらら先生は、ぜんぜん違うタッチでも描けるんだよ。ていうか、はっきりいってそっちのほうが、僕はすごいと思ってる。あとできっと、衝撃の告白&お部屋公開があると思うから、楽しみにしてて」


「りーくー!」

 もともと低い声にドスを効かせるもんだから、極道の姐さんじみた迫力だ。でも微かに朗らかさを含んでいる。もうひと押しだ。


「全部失くして、あれがあったらこれがあったらって、ないものねだりするのはきつい。でも先生は、夢もアビリティも外に出してこなかっただけで、もう持ってるじゃないですか。ないものねだりじゃなくて、あるものねだりですよ。先生はあの路線で、今までよりすごいことが絶対できると思う」

「ないものねだり、すてきぴる! つらら先生、ソラの絵、もっといっぱい描いてぴる」


 しょうがないなあとでもいうように、北城つららが大袈裟なため息をついた。目尻には光る何かが滲んでいる。

「突然のキャラチェンジで叩かれるのが怖いなら、素性は隠しちゃえばいい。覆面漫画家なんて、たくさんいるじゃないですか。好きなものを好きなように描いて、僕たちに見せてください。オタク男子の救世主になってください」


「んー、もういっそコテコテのロリータファッションで、痛いキャラで売ってくってのもアリじゃないかなあ」

 言ってることはブラックなのに、やたらと甘いこの声は。


 早いじゃないか、眼鏡王子。

 扉の枠に斜めにもたれ、佐々木駿は艶然と微笑んでいる。まるで映画のワンシーンだ。


「駿……なんで?」

 北城つららがぺたんと床にへたり込んだ。驚きながらも、けなげに髪の乱れを直している。


「ついさっき陸くんから、メールもらったんだよね。《つらら先生ご乱心!》って。あ、ヘリチャーターして飛んできたとかじゃないよ? さすがに。昨日からつらら、全然電話に出ないから心配でさ、ちょうどここに向かってる途中だったんだ。……ってことで」

 佐々木駿は右手を僕の肩、左手をさやかちゃんの肩に回して、にっこりと笑った。


 二人まとめて感謝のハグでもするつもりか? この腹黒眼鏡王子に抱きしめてもらってもなあ。

 ……でもまあ、したいと言うなら致し方ない。されてやってもいいか。


 観念して社交辞令的微笑を浮かべた途端、僕たちの身体は容赦なくドアの外へと押し出された。

 慌てたソラが原稿の残骸をぴょんぴょん飛び越して走ってくる。

「ここからは僕に任せて。ほら、どんなおとぎ話でも、王子は最後に登場して、いいとこかっさらってくものじゃない? 少年少女よ、悪く思わないでくれたまえ」


 あっけなく閉じたドアを、さやかちゃんがぽーっと上気した顔で眺めている。

 だまされるな、さやかちゃん。あの男は名前にSが3つも入った、生粋のドS王子だ。

 そして何より、北城つららにぞっこんだ。



『さて、次は俳優・歌手・モデルと、マルチな才能を発揮するあの方の新コーナー。『佐々木駿の今、コレが旬!』です。VTRどうぞ!』

 テレビから流れる声に父さんが吹き出した。


「なんだ、このだっせータイトル。人気者になるとこんな仕事もしなきゃならんのか。つららの彼氏も気の毒に」

 ネーミングセンスに関しては、父さんに何か言う資格があるとは思えませんが。


「眼鏡王子、また違う眼鏡かけてるぴる! いったいいくつ持ってるぴる?」

 ソラの声に台所から顔を出すと、佐々木駿が笑顔で話し始めるところだった。口元にはドSカーブの片鱗もない。

 役者って怖いと心底思う、入江陸、高2の夏。


『こんにちは。佐々木駿です。記念すべき初回に、何を紹介させていただこうか迷ったんですが……眼鏡王子、なんてみなさんが呼んでくださるので、僕の自慢の眼鏡コレクションでも』

「やったぴる! いくつあるか、これでわかるぴる! わーいわーい」

 知識欲を満たすことに並々ならぬ熱意を抱くソラが、意気込んでテレビに駆け寄った。


『……なんていうのじゃあまりに芸がないので』

 ソラの首がカクンと前に垂れた。可哀想に。ソラまでS攻撃の餌食にするとは、ドS王子め。

『今日は特別に、進行中の新しいプロジェクトをお知らせしたいと思います。デビュー5周年を記念して、この秋全国ツアーをするんですが』

 王子が歩き出し、カメラがその後を追う。


『そのツアーから、僕のオフィシャルグッズを一新します。新進気鋭のイラストレーター、AQUAさんとのコラボ、『眼鏡王子と12人のフェアリー』シリーズです!』

 王子が右手を颯爽と上げた瞬間、後ろの幕が左右に分かれた。


 壁の中央、Sの字を3つ組み合わせたロゴの下には、黒を基調にした眼鏡王子の巨大なイラスト。

 カラフルな妖精のイラストが12枚、その周りを時計の文字盤のように飾っている。

 イラストの下に置かれたテーブルにはタオルやTシャツ、ペンライトやうちわなど、ツアーではお馴染みのグッズが満載だ。


『1月から12月まで、どの子もほんとにかわいいでしょう? 生まれ月のフェアリーをご贔屓にしてくださるとうれしいなあ。あ、もちろん、あっちの子のほうがかわいいわ、なんて思ったら、生まれ月とは別の子にしてくださってもかまいません。どの子も好きだから全部買い占めちゃえ! っていうのが、僕としては一番うれしいですけど』


「かわいいぴる! あ、陸、11月のフェアリー、ソラに似てるぴる! 見て見て」

 王子がテーブルの上からTシャツを1枚手に取り、カメラの前に広げた。眼鏡王子の肩にちょこんと乗る、愛らしい妖精の絵がプリントされている。


『AQUAさんのこと、ご存じない方も多いと思いますけど、実はすごい人なんですよ。話題のボーカロイド『歌姫プロトタイプ』のキャラクターデザインで、あのプログラムを一躍スターダムにのし上げちゃったんですから』

 頬張っていたフレンチトーストを、父さんががふっと吐き出した。


『そしてなんと! この眼鏡王子とフェアリーたちを主人公に、10月から『コミックフリーク』で、AQUAさんが漫画の連載に挑戦します! 謎のイラストレーターAQUAさん、今僕が一番注目しているアーティストです。みなさんも僕と一緒に、AQUAさんの今後の活躍をぜひとも追いかけてください。ではまた来週。佐々木駿でした』


 やりやがったな、ドS王子。


 大々的に自分のツアー宣伝をしていると見せかけて、最後にはしっかり、AQUA(に変身した北城つらら)を視聴者に印象づけた。

 ダサすぎるタイトルのこのコーナーも、そのためだけに引き受けたんだろう。


「歌姫のキャラデザは姫部屋の秘密と引き換えって条件だったのに、あいつめ! 陸、ヤバいぞ。これまでのキャラクター使用料出せとか言われたら、うちは火の車だ。特売の卵すら買えなくなるかもしれん」

 だからって吐き出したフレンチトーストを意地汚く拾って食うなよ、父さん。

「いや、だいじょぶだと思うよ。その辺はうまく交渉するから」


 Sの字を3つ組み合わせたロゴ。

 あれは絶対、僕の言葉をヒントに作られたものだ。


 北城つららご乱心事件のあとで、僕が王子に送ったメール。

《つらら先生の件、いろいろとお疲れ様でした。さすがお名前に3つもSの字が入ってる方だけあって、素敵にサディスティックな幕引きでした》


 僕としてはかなり頑張って皮肉を込めたつもりなのに

《いや~照れちゃうなあ。そんなに褒めるなって♪》

と返信されて撃沈したのだが。


 まあ、交換条件ぐらいにはなるだろう……たぶん。

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