18  マドンナはデビューを夢見る ♪ミ


 なぜかやたらと幸福そうに――ソラの一挙一動が、彼の幸福度を常にMAXにしているからなのだが――アルカイックスマイルを絶やさない琥太郎。

 ソラの質問に公衆の面前であるにも関わらず肉声で答えそうになる琥太郎を、過保護な爺のごとくハラハラと見守る僕。


 一度は崩壊するかに見えた関係が一夜にして修復され、以前より強固になったようにすら見えることに毒気を抜かれたのかもしれない。

 数日もすると、弾圧に加担する女子は潮が引くように減っていった。

 夏休みを数日後に控えた今、嫌がらせを止めないのは滝尾樹里一派だけだ。


 ということは、弾圧の首謀者は、やはり滝尾樹里なんだろうか。

 ピラミッドの頂上に君臨するにあたり1ミリも邪魔になりそうにない僕の、何が彼女の逆鱗に触れたんだろう。


 つらつらと考えながら、女子トイレの手前数メートルでソラフォンを取り出し、メールする。

《そろそろ帰るよ。出ておいで》


 このところソラは、暇さえあればトイレをパトロールしている。どうしても花子さんに会いたいらしい。

 放課後女子トイレの前でソラをピックアップして帰るのが、僕と琥太郎の日課となっている。他人には見えないとはいえ、なんとはなしに情けない光景だ。


 しかも今日は歯医者の予約があるとかで、琥太郎は泣きそうな顔をして先に帰ってしまった。

 ひとりで女子トイレ付近を徘徊していたら、今度こそ全女生徒の敵にされてしまう。


《早く来ないと、明日から父さんデザインのアレを着せるぞ》

「すぐ行くぴる! あの服だけは、ぜったいいやぷ!」

 ドラム缶を着せられては大変だと思ったんだろう。イヤモニが割れるんじゃないかと思うほどのボリュームで、ソラの声が響いてきた。


 と同時に女子トイレから、凄まじい形相の3人が悲鳴を上げて飛び出してきた。 誰かと思えば、滝尾樹里とお付きの二人だ。


「今の、なに? 誰もいなかったよね?」

「何なの、あの音。ぴるぴるぴるぴる、気が狂うかと思った」

「まままさか、トイレの花子さん的なやつ?」

 青ざめた顔で廊下の隅に身を寄せ合い、ガタガタ震えている。


「この人たち、うるさいぷ! あんなにきゃーきゃー言ったら、花子さん逃げちゃうぷ!」

 口を尖らせて、ソラがやっと出て来た。


 例の服への拒絶反応で極限までボリュームアップされたソラの声は、聞こえるはずのない樹里一派にまで届いてしまったようだ。

 彼女たちにとっては得体の知れないぴるぴる音で。


 なんと花子さんにされちゃってるよ、ソラ。本物に会わないうちに。

 笑いが洩れたのを見咎められてしまった。

 情けない姿を見られて恥ずかしいのもあったのだろう。お付き1号と2号が食ってかかってきた。


「なに笑ってんのよ、卑怯者」

「うわばきくんの分際で」

 うわばきくん? なぜ今ここで、そのあだ名が出てくるんだ?


「わざとらしくびっくりした顔してんじゃないわよ。とっくにバレてんだからね!」

「初めての参観日に親がいる前で、樹里に赤っ恥かかせたくせに」

 樹里に? 

 そんなはずはない。だって、僕が泣かせたあの子は、くるみちゃんだ。


 二人の後ろで黙りこくっている滝尾樹里を見た。

 燃えるような目で僕を睨んでいる。


「陸は、いじめっ子じゃないぷ! 上履き、いつもひとりで洗ってたから、そう言っただけぴる! 『例のあの人』こそ、歌でソラをいじめたぷ! いじめっ子はそっちぷ!」

 女子軍団と僕の間にソラが仁王立ちして叫んだ。


「ごめん、ちょっと黙ってて」

 思わず声に出してしまった。ソラに言ったのだが、相手は当然自分に言われたと思うだろう。

「なに調子こいてんの? 黙るわけないじゃん」


 火に油を注いでしまった。怒りのボルテージを一気に上げた1号が詰め寄ってくる。

「樹里いじめて泣かせたくせに、ちょっとみんなに責められたら、被害者面してさっさと学校やめたっていうじゃん。残された樹里の気持ち考えなよ。信じらんない」


「あたしそれより、今になって親巻き込んで復讐する、その陰険さが許せない」

「親巻き込んでって、そんな覚えないけど」

 極力穏やかに言ったつもりだが、2号は引き下がってくれない。

「はあ? まだとぼけるつもり? みんなの前で樹里歌わせといて、入店拒否したじゃん。フツーだとか難癖つけて。しかも拒否られたこと噂にして垂れ流しやがって、根性腐りすぎ」


「ぷーーーーー」

 ソラの唸りがクレッシェンドし始めた。静電気を帯びた髪は波打ち、はちみつ色を通り越して、もはやプロミネンスのようだ。

 早く誤解を解かないと。


「カラオケ館ネプチューンなら確かに父の店だけど、マイクテストしたのは僕じゃないよ。いろいろあって、父と暮らし始めたのは4月18日の夜からだし」

 具体的な日付を出されて、2号がちょっと怯んだ。


「噂を流したとかいうのも、僕じゃない。入店拒否の噂流したって、うちの店の評判が悪くなるだけだし。でも、あんなに毎週通ってくれてたのに入店させないって、やっぱり失礼な話だよね」

「毎週?」

 1号・2号が怪訝そうに顔を見合わせた。


「そんな話持ち出して、脅すつもり? 卑怯者!」

 滝尾樹里がヒステリックに割って入った。

 今の今まで「ほ~ら、やっておしまい!」とばかりに二人をけしかけ、高みの見物を決め込んでいたのに。


 脅すって何だ? 土日にせっせと通っていたことは、取り巻きには秘密だったのか?


 妙な間が空いた。

 聞かされていたのとは違う事実が出てきた上に、自分たちには打ち明けるつもりのない秘密の存在を知ったのだ。1号・2号のテンションは急激に下がった。


「もういい。こんな嘘つきの話、みんなで聞くことない。あたしが話つけるから、帰って」

 いきなりの解放宣言に、1号・2号がほっとした顔になる。

「でもぉ、樹里ひとりじゃ……」

「心配だよねー」


 形だけの思いやりを口にしかけた二人に、ソラが突進した。

「ぷーーーーーーー」

 怒りをこめて唸りながら、二人の周囲をぐるぐると駆け回る。

 音程が上がるにつれ、音量も加速度的に増していく。まばゆい光を放つ髪は、溶けてバターになってしまいそうだ。


 1号が顔を歪めてうずくまり、2号はふらついて柱に縋った。

「痛……なんか急に頭が……」

「ごめん樹里、やっぱ帰るね」

 そそくさと立ち去る二人をバックに、ソラが意気揚々と振り返った。

「やったぴる! 完膚なきまでやっつけたぴる!」


 女子トイレの前で睨み合っているのも何なので、屋上行きの階段に場所を移した。誰かやってくることはまずないし、窓がない分いくらか涼しい。


 話をつけるなんて言ったわりに、滝尾樹里はなかなか口を開かない。

 ソラは待つのに飽きて、お菓子の名前を連呼しながら階段を上り下りしている。誰かとじゃんけんしながらする遊びだと知らないらしく、今唱えた「み、る、ふぃ、い、ゆ」まで、お菓子の種類は49を数えた。


 よし。記念すべき50個目になったら、こちらから話を切り出そう。


「て、ん、し、ん、あ、ま、ぐ、り」

 なぜここで天津甘栗? 

 お菓子の範疇から微妙に外れている気がするが、気持ちは和んだ。


「えーと、驚き半分うれしさ半分、っていうか」

 壁際に腰掛けた滝尾樹里は、こちらを見もしない。手摺り側に座る僕と1ミリでも多く距離を取りたいとみえて、左半身をぴったりと壁にくっつけている。


 不自然に空いた空間を、ソラが「ち、ん、す、こ、う」と唱えながら下りていった。世界お菓子の旅か!


「上履きネタで女の子を泣かせたKYな男子が僕の他にもいたかと思うと、正直ほっとしたんだけどさ。要するに人違いなんだ」

 何を今さらとでもいうように、滝尾樹里が鼻で笑った。

「僕が泣かせた子ってさ、おとなしくて優しくてピアノが上手くて、クラスのマドンナ的存在で……滝尾さんとはちょっと、雰囲気違うというか」


「喧嘩売ってんの?」

 切り口上で返された。つり目気味にアイラインを引いた目がさらに吊り上って怖い。

「い、いや、滝尾さんはほら、違うタイプのマドンナじゃん。華やかでオーラがあって、みたいな。峰不二子並みのボン、キュッ、ボン! だし」


「ぼん、きゅっ、ぼん?」

 ソラが立ち止まり、滝尾樹里と自分の身体を見比べた。

 胸に当てた手がつるんと滑り落ちる。

「なんかソラ、ちがうぷ。ソラ、きゅっ、きゅっ、きゅっ?」


「あ、今の、セクハラじゃなくて。僕が言ってる子はか細くて、胸もぺったんこだったから」

「あんたバカじゃないの? 小一でFカップとか、あり得ないし」


 思わぬところで個人情報を入手してしまった。

 3月までせっせと洗濯していた母さんのブラは、確かEカップだった。なぜかちょっと悔しい。

 いや、胸は大きさじゃない。フォルムだ! 母さん、自信を持って! 


「ああ、ごめん。僕、小5までは、なんとか学校行けてたんだよね。5年生くらいになれば発育のいい女の子って、出るとこが出てくるじゃん。その子は5年になってもまだ幼児体型っていうか、まあ、要するに胸、なかったんだよね」

「6年で生理が来てから、急激に成長したんだってば! てか、何言わせんのよ!」

 そんな情報まで公開されても。ていうか、言わせてませんから。


「だから違うって。僕が泣かせた子は、くるみちゃん。滝尾さんじゃないんだ」

 滝尾樹里はまだ疑わしそうに、横目で僕を睨んでいる。

「詳しく言うと、胡桃沢さん。苗字の3文字をとって『くるみちゃん』だったんだ。ね? 滝尾さんがくるみちゃんのはず、ないでしょ?」


「ないぴる! 胡桃沢さんがくるみちゃんなら、滝尾さんは、たきちゃんぴる!」

 見当はずれのフォローをするソラをかすめて、滝尾樹里が勢いよく立ち上がった。


「だから、あたしがくるみなんだってば! 胡桃沢樹里! 今は滝尾だけど」

「え……」


 全ては誤解だという確信にどっぷり浸かっていたので、ほんとに「え」しか出てこない。


 おしとやかだったくるみちゃんが、なぜこんな姿に? 

 何がどうして、胡桃沢が滝尾に? 

 それより何より、どうして僕はくるみちゃんの下の名前を覚えていなかったんだろう。


「気付いてないなら気付いてないって言ってよ! ああもう、バカみたい」

「いや、そもそも気付いてないから、気付いてないと言えないわけで……でも、なんかその、ごめん」

「なんで謝ってんの? バカじゃないの? 謝るの、どう考えてもあたしじゃん」


 立つタイミングを逃してしまったので、見下ろされてのお説教。まるで子供を叱りつける母親とダメ息子だ。

 さんざん捲し立てたあと、滝尾樹里はぷいっと横を向いてつぶやいた。

「……ごめん」


 あ、その睫毛を伏せた横顔。

 くるみちゃんの面影がなくもない……かな?


「許してあげてもいいぴる! でも、ごめんなさいは、ちゃんと顔見て言うものぴる!」

 僕に成り代わり、ソラがお説教し返してくれた。

 まあ、聞こえてないんだけど。


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