17 マドンナはデビューを夢見る ♪レ
よりによってこんな時にと思ったけれど、ソラを連れてきてよかった。
授業中は授業に集中(してるふり)していればなんとかなる。でも、他愛ない会話がやたら楽しかった休み時間となると、そうはいかなかった。
お互い黙ったまま、前と後ろの席でただじっと過ごす10分間の長いことったらない。まるで当番でも決めているみたいに、どの瞬間も女子の誰かが意地悪にこっちを観察しているので、振り向いて琥太郎の様子を確かめることすらできない。
最初の休み時間は、しかたがないのでソラの質問にノートで答えて過ごした。
「女の子たちが、時々渡し合ってたちっちゃい紙は、なにぴる?」
《秘密の手紙》
「秘密?! 宝のありかとか、書いてあるぴる?!」
《先生昨日と同じ服着てるとか、ただの雑談。あと、噂話とか》
「そんなの、休み時間に話したらいいのにぷ」
《まったくだ》
「この席は、どうやって決めてるぴる? 早いもの勝ちぴる?」
《くじ引き。でも交渉して席代わってもらって、結局仲のいいやつで固まる》
「ソラ、わかったぴる! なかよしと離れちゃうと、秘密の手紙、渡せなくなるからぴる!」
《席が近ければ休み時間にもすぐ喋れるし》
「陸は、なかよしと喋らないぴる? 今、休み時間なのに」
痛い所突いてくるなあ。イノセンスって時々、手に負えない。
考えた末に書いた言葉は
《仲よしのソラと喋ってる、今》
「ぴる! ソラと陸、なかよし。だから休み時間に喋ってるぴる。わーいわーい」
赤ずきんのオオカミになった気分だ。「おばあさんの目は、どうしてそんなに大きいの?」と訊かれ、「かわいいお前をよく見るためだよ」なんて、しれっと言ってのけるあのオオカミ。
まるっきり嘘ではないけれど、ソラの純粋さを小狡く利用してしまった気がする。
ごめんよ、ソラ。情けないけど、ポケットの中の体温計も効かないくらいの非常事態なんだ。
小狡い僕はさらに図々しく、ノートをめくって走り書きする。
《僕の後ろの席の子、今どうしてる?》
「いっしょうけんめい、本読んでるぴる」という報告にほっとしたものの、2時間目の授業の間もずっと、後ろが気になってしかたがない。
琥太郎が泣き出しはしないかと耳をそばだてるうち、両耳はじわじわ後頭部へと移動し、気配を感じようとする背中には無数の触手でも生えてきそうだ。
今日中に僕は、背面部分にだけ気味悪い物体が屹立しまくった怪物になってしまうに違いない。
次の休み時間からはソラへの学校案内を口実に、学内をうろうろして過ごした。
でも、体育館に行けば
「かっこよくシュートを決める、バスケ部の先輩はどこぴる?! 隠れてこっそり応援する、片思いの女の子はどこぴる?!」
と目を輝かせるソラそっちのけで、(ああ、体育の授業中、琥太郎が顔でボールをレシーブして鼻血出したのは、この辺だったなあ)なんて考えてしまう。
「ここがあの、同じ本に手を伸ばして、ドキっとして、きゅんとして、恋に落ちる場所! ぼーいみーつがーるの聖地、図書館ぴる?!」
と尋ねられても、(あの机でよく、琥太郎とテスト勉強したっけ。琥太郎のシャーペンってどれもてっぺんに美少女フィギュアがのっかってるから、すぐコロコロ落下して、さっきみたいに拾ったよなあ)などと回想に浸らずにいられない。
これじゃまるで、別れた元カノに恋々とする未練男だ。
だけど僕と琥太郎の4年間は、クリスマスやバレンタインのたびにくっついたり別れたり、相手を替えたりするその辺のカップルなんかより、よっぽど濃くて、深くて、切実だった。
琥太郎は、僕がフリースクールに入って1週間目という日にやって来た。
いじめに遭って家に引きこもるうち、琥太郎は「琥次郎」という架空の弟を作り上げたらしい。あたかもそこにいるかのように会話したり世話を焼いたりし始めたことに慌てた両親が、引きずるようにして連れてきたのだ。
他の子には心を開かなかったのに、琥太郎はなぜか僕に懐いた。現実世界で夢を描かなくなった分、脳内で妄想アニメを製作しまくっていた僕に、同じ匂いを感じたのかもしれない。
たった1週間先輩というだけで、琥太郎は僕に尊敬の目を向け、頼ってくれた。
何かあるたび「琥次郎」の世界に連れて行かれそうになる琥太郎の手を、僕は引っ張り続けた。引っ張り続けるために強くなろうと思ったし、琥太郎の信頼だけは裏切るまいと努めた。
琥太郎のおかげで、今僕はここにいる。
だからこそ今日、手を放すのだ。再び「琥次郎」を目覚めさせかねない、不穏な空気から遠ざけるために。
感謝をこめて。
「帰らないぴる? 補習ぴる? 初めて会う、他のクラスの女子にときめくぱたーんぴる?!」
上の空でうなずきながら、窓の外を見つめる。
あ、来た。
校門に向かって歩いていく小柄な後ろ姿。
荷物をまとめて席を立ち、机の間を縫って教室を出るまで、僕が全身で彼の気配を追いかけていたことを、琥太郎は気づいていただろうか。
さみしげな背中が校門の向こうに消えるのを待って、立ち上がった。
「帰るぷ? 補習は? 陸、赤点取れなかったぷ?」
赤点取らなかったことを残念がられても。
でもソラには今日、ずいぶん救われた。先生に取り上げられる心配のなくなったソラフォンを出して話しかける。
「うん、残念ながら。次こそは赤点取れるように頑張ってみるよ」
放課後になっても執拗にこちらを睨んでいた女子軍団が、顔を見合わせて吹き出した。出口に向かって歩く僕を嘲笑が追いかけてくる。
「赤点取れるように、だって! 子分に見放されておかしくなったんじゃん?」
「落第したら逃げられるって思ってるとか? ウケるー」
お前らにどう思われようと、知ったこっちゃない。でも、琥太郎は断じて子分なんかじゃない。
親友とか仲間とか、そんな言葉じゃ括れない。
琥太郎は、ただ、琥太郎なんだ。
校門を出たところでつんのめりそうになった。
門柱に隠れるようにして琥太郎が立っている。
「あ、陸の後ろの席の子ぴる。なにぴる? 立たされてるぴる?」
興味津々のソラに「お口にチャック!」の合図をする。
上目遣いで僕の顔色を窺ったあと、琥太郎はぎゅっと目をつぶった。
「陸くん、僕……」
「こんなとこで僕に話しかけちゃだめだ」
琥太郎が目を見開き、「え」と青ざめた。
「ていうか、学校以外でももう、連絡取らないことにしよう」
「なんで? もう僕になんか関わりたくないから?」
「そんなわけないじゃないか。琥太郎が、僕になんか関わっちゃいけないんだ」
こんな風にしっかり目を見て話せるのも最後だと思うと、声が震える。
ただならぬ雰囲気の僕と琥太郎の顔を、ソラだけが天真爛漫に見比べている。
「学校でだけ他人のふりなんて、琥太郎にはキツすぎるよ。心に負担がかかるようなことはしないほうがいい」
「やっぱり僕が変だから。僕のお守はもう、いやなんでしょ」
女の子みたいにきれいな頬を涙がつたう。胸が締めつけられる。締めつけられるけど……
何かがおかしい。話が噛み合ってない気がする。
「琥太郎のこと、変だと思ったことなんか一度もないよ。えーと、ごめん。僕が言ったこと一回忘れて。何話そうと思って待ってた?」
「僕はただ、相談したかっただけなんだ、陸くんに」
錆びついたロボットがギシギシ音をたてて首を回すみたいに、琥太郎はゆっくりと僕の右隣に顔を向けた。
ぎこちなく右腕を上げ、指を指す。
「そこに、僕の姫が立ってる。朝からずっと見えるんだ。陸くんのおかげでやっと琥次郎にさよならできたのに、今度は姫って。僕、本格的に変になっちゃったのかな」
忘れてた。
ソラは「波長の合う」人には見える可能性があるってことを。
「ソラのこと、見えるぴる? わーい! 姫じゃなくて、ソラぴる! よろしくぴる!」
お口にチャック指令も忘れ、ソラは愛想よく手なんか振っている。
「あああ! こんな時なのに、笑って手を振ってる姫が見えるんだよ? 僕、もうだめだ。勇気出してやっと相談しようと思ったのに、陸くんにまで見放されたら、僕、僕……」
「落ち着け琥太郎。それ、僕にも見えてるから」
どんどんピッチを上げていたボーイソプラノが止んだ。
「え?」
「大丈夫。変になったんじゃない。僕にもちゃんと見えてるから。『桜並木で待ってるね♪ 似合うかな? 新しい制服』バージョンの姫ちゃんだろ」
「6月のマカロンのレインコートも、かわいいぴる。今度見せるぴる」
聞こえてはいないのに、ソラは琥太郎の真ん前に進み出てしきりに話しかけている。琥太郎はといえば、僕とソラの顔をかわるがわる見て、ぽかんと口を開けたままだ。
安堵が広がっていく。
突き放されたわけじゃなかったんだ。取り越し苦労でモンスター化しかかっていた自分に、「こいつぅ!」とデコピンしたい気分だ。
琥太郎が実害を被っていないのなら、まだ他に戦い方があるかもしれない。あと少しだけなら、そばにいられるかもしれない。
「僕はまた、琥太郎のほうが僕から離れたくなったのかと思ってたよ」
ほっとしたあまり、口から言葉がこぼれ出た。
「何それ」
琥太郎にしては鋭い口調にたじろぐ。言い訳を探していたら先回りされた。
「女子の嫌がらせのこと?」
一瞬、息をするのを忘れた。
「……知ってたのか」
「あたりまえじゃん。毎日一緒にいて、気付かないほうがおかしいでしょ。……じゃあなに? 陸くんは、僕が女子にビビッて、陸くんを見捨てようとしてると思ったわけ?」
「ごめん! 急に態度がおかしくなったから。巻き込みたくなかったんだ。離れるのが正解だと思ったんだ。標的は僕みたいだし、今離れてくれたら琥太郎を守れるって思って」
「女子、陸をいじめてるぷ? 許せないぷ! 完膚なきまでやっつけるぷ!」
成り行きをようやく理解したソラが発光し始めた。
あんなに恋焦がれていた「姫」が尋常ならざる様子だというのに、琥太郎は目もくれない。頬を紅潮させ、まっすぐに僕を見ている。
「陸くんは、いつもそうだ。守ってくれるのはうれしいよ。でも、なんで僕にも守らせてくれないの? 女子のこと相談してくれるの、ずっと待ってたのに」
心臓がドクンと大きく波打った。
このところ元気がなかったのは、歌姫ロス症候群じゃなかったのか。
姫ちゃんの幻覚が見えてもおかしくないと思えるくらい、琥太郎は悩んでいた。女子との一件を僕の口から切り出させるために?
「なんで言ってくれないの? なんで僕の意思も確かめないで離れようとするの?カッコいいまま離れてくくらいなら、カッコ悪い陸くんでいいから、そばにいてよ!」
ヘタなプロポーズよりグッと来た。
今の言葉を反芻すれば、この先100年くらいはしぶとく生き抜けそうだ。うれしいやら申し訳ないやらで、何と言っていいのかわからない。
「コタロー、陸のこと大好きぴる。カッコ悪くても好きって、すごいことぴる」
照れくささが倍増するようなコメントをするなって。
ソラをひと睨みしたあと、琥太郎に向き直る。まずは謝ろう! ……と、したのだが。
「僕のこと信じてくれない陸くんなんて、絶交!!」
え? 今確か、「そばにいてよ」って。あそこで大団円じゃなかったのか?
「反乱軍に僕も入れてくれるって約束して、あとそれから姫のこと、ちゃんと説明してくれるまでは、絶交だー!!」
期間限定の絶交宣言をして、琥太郎が駆け出した。運動神経が欠如しているため幼稚園児のかけっこ並みにのろい。
数メートル進んだところで名残惜しそうにちらっとソラを振り返ったが、「いや、僕はこんなに怒ってるんだ!」と言わんばかりに、また走り始める。
「コタローって、かなりゆにーくぴる」
鹿爪らしい顔でソラが批評した。
世界的にも、いや、宇宙的にもユニークな存在に、「かなりユニーク」って評価されちゃってるよ、琥太郎。
そりゃそうだ。琥太郎は僕にとって、唯一無二の存在なんだから。
プチ絶交は、翌日早朝にはめでたく解除された。
絶交期間、わずか半日。
フリースクール時代みたいに僕が迎えに行くことは想定内だったらしい。
玄関先で「下にいる。頼むから出てきて」とメールしたら、琥太郎は1分もしないうちに出てきた。
6時前だというのにパジャマ姿ではなく、ちゃんと制服で。
「陸くんたら、遅いよ、もう! 昨日のうちに謝りに来てくれると思ってたのに」
とふくれてみせたけれど、僕の後ろからソラがぴょこんと顔を出すと、途端に慌てた。真っ赤になって癖っ毛の髪を撫でつける。
どうだ! 長年連れ添った仲ならではの、この想定内返し!
プチ絶交を解除してもらうべく僕が用意してきたひみつ道具は、この3つだ。
1.素晴らしい科学者を父に持った喜びを、30分あまり心を込めて伝え続けてゲットした、予備のイヤモニ(シリアルナンバー001が刻まれた、超レア歌姫コインケース入り)
2.友情を復活させようと意気に燃えるソラ(歌姫ファンには未公開の『エプロンドレスに春の風♪ ほどかないでね、胸のリボン』着用)
3.歌姫時代の膨大なメモリーの中からソラが一晩かけて発掘した、琥太郎制作の楽曲『蒼い瞳のリグレット』
琥太郎がイヤモニを装着し、エプロンドレスの裾を翻しながら自分の楽曲を歌うソラの声を聴き始めた瞬間、僕には見えた。脳内スクリーンで、だけど。
二頭身キャラ化した琥太郎が、後生大事に握りしめている「絶交なんだからね!」の文字入りプラカード。
その「絶交」の文字がふにゃりととろけてピンクの巨大なハートになり、プラカードを飲み込んで、ぽよんぽよんと地平線の彼方へ去っていくのが。
その後、ソラの言葉や仕草にいちいち顔を赤らめながらソラ誕生秘話を聴く琥太郎の姿が、DVD化したいくらい愛くるしかったことは言うまでもない。
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