16  マドンナはデビューを夢見る ♪ド


「いやぷ! ぜったい着ないぷ!」


「梅雨も明けたし、その恰好じゃ暑苦しいって。ほら、この服なら涼しい上にセクシーだろ?」

「ふふーんぴる! 暑くても涼しくても、べつにソラ、関係ないぴる。つらら先生のじゃなきゃ、ぜったい着ないぷ!」

「ふふーんと言ったな、ふふーんと! このわがまま娘!」


 朝だというのに、リビングから剣呑な空気が漂ってきた。

 ちょっと早いけど火を止めて、スクランブルエッグを皿に移す。余熱で少しは固まるだろう。

 両手に皿を持って顔を出すと、ソラと父さんはテーブルを挟んで睨み合っている。真ん中にはなにやら紙が一枚。


「なになに、どうしたの」

 皿を並べながら覗いてみた。真っ青な布らしきものを巻き付けた物体が書き殴ってある。

 既視感ってデジャブって書くんだっけ、それともデジャヴだったっけ。……ま、どっちでもいいけど、これによく似たのを4月あたりに見たような。


「陸! お前が甘やかすからだぞ! せっかく新作をデザインしてやったというのに」

 赤いドラム缶が青いドラム缶に変わったようにしか見えませんが。


「ハカセの新作は、永遠にいらないぷ。陸、つらら先生、どこ? どうして7月の服、描いてくれないぷ?」

「忙しいんじゃないかな。このところ姫部屋にも黒部屋にも、いるとこ見てないし」


 もともとは二次元少女であるソラは、イラストをスキャナしてプログラムに取り込まないと着替えられない。これまで北城つららは、月初めに嬉々として、新作コスチュームを身に纏ったソラの絵を持ってきてくれていたのだが。


「テレビには相変わらず出まくってるぞ? またどっかの学校でいじめ隠しがあったからな。青白い顔しちまって、『アバタ―』の、ほら、青い部族。あれみたいだったな、うん」

 言うに事欠いてアバタ―って。あの人たち、青白いを通り越して青そのものじゃないですか。


 なんなんだ、今朝のこの、「青」という色の登場頻度。ひょっとして今日のラッキーカラーなのか? それとも何かの予兆ってやつ?

 眼鏡王子の「そろそろ限界かも」という言葉が頭をよぎった。

 

 姫部屋で息抜きもできず、いじめ問題の権威として祀り上げられ毒舌を吐き続けていたら、そりゃストレスも溜まるだろう。冗談じゃなく、北城つららがアバタ―化する日も近いかもしれない。

 なにやってんだよ、眼鏡王子。もっとしっかり守ってやれよ。

 ……などと言いつつ僕の方も、思いついたことを提案できないままになっていたのだが。


「そうだ、陸」

「ん?」

 ソラをなだめながら、肘でさりげなくドラム缶――入江海王画伯のデザイン画を、テーブルの下に落とした。ケンカの材料になりそうなものは、なるべく目に触れないところに隠すに限る。


「今日からソラを、学校に連れてってやれ」

「はいはい……って、えええ?」

 生返事で危険物隠蔽作戦にいそしんでいる場合ではなくなった。

 茫然とする僕をよそに、ソラのやる気ゲージは振り切れそうになっている。


「学校?! ソラ、学校行けるぴる?!」

「ああ。例のプロダクションが言ってきたんだよ。夏休みに入り次第、アイドルの卵を連れてきて相性を試したいって。まあ、お見合いみたいなもんだな」

「お見合いはいいとして、なんで学校?」


 父さんが、「そんなこともわからんのか」的優越感を滲ませて、大袈裟にため息をついた。

「馬鹿だなあ、陸。アイドルの卵っていえば、中学生か高校生だぞ? 学校生活も見せといてやらなきゃ、『グラウンドを走るきみ~』だの『席替えでやっと隣になれた~』だの、ソラがしみじみ歌えると思うか?」


 歌詞に昭和の匂いがプンプンしてるのには目をつぶるとして……よりによって、今ですか。


「ソラ、着替えなきゃ! 学校は制服ぴる! ハカセ、制服早く出してぴる!」

「ち! どうせ他のやつらにゃ見えないのに」

 舌打ちしながらも作業を始めた父さんが、眉間に皺を寄せたままこちらを見た。

「どうした、陸。何か不都合でもあるのか?」

「ん? そういうわけでも」


 あるんだけど、実は。


「期末試験終わったんだろ? 買い物やら散歩やら、いつもさんざん連れて歩いてるってのに変な奴だな。ほら、お前もとっとと支度しろ」

 押し切られてしまった。まあ数日ならやり過ごせるだろう。

 ソラの澄んだ瞳を、物珍しさというベールが覆ってくれているうちならば。


 校門をくぐりながら再度言い聞かせる。誰にも見咎められないよう、口に手を添えて。

「学校じゃ、僕はソラにほとんど返事できない。なんでだっけ?」

「授業中、ソラフォンを出して喋ったら、先生に取り上げられるから、ぴる!」

 辺りを憚る必要のないソラの返事は、必要以上に元気だ。


「そう。質問には家に帰ってから答えるから、それまでがまんして。どうしても急いで返事しなきゃいけなくなったら、僕はどうするんだっけ?」

「ちっちゃい声で喋るか、ノートに書いて返事する、ぴる!」

「うん。だから、ソラは学校では」

「勝手にあちこち歩き回らない、陸のそばにいる、ぴる! もういい? 3回目ぷ!」


 言うが早いか、ソラは昇降口へと駆けていく。「そばにいる」と今約束したばかりなのに。半径1m以内に、とか限定しておくべきだったか。

「大混雑ぴる! スーパーフレッシュみたいぴる! でもみんな、動きにキレがあるぴる!」


 そりゃそうだろう。こっちの構成メンバーは育ち盛りの高校生ばかりなんだから。予鈴間際ともなれば普段はだらだら歩いてるやつだって、動きも機敏になろうというものだ。


 下駄箱から上履きを出して履き替えていると、嫌な視線を感じた。

 滝尾樹里の取り巻きの二人だ。こちらをちらちら見ては耳打ちし合っている。素知らぬ顔で向き直ると、冷たい一瞥の後、荒々しく階段を上っていった。


「これぜんぶに靴、入ってる? すごいぴる! 一番上……ぷー! 届かないぷ」

 爪先立ちして下駄箱のてっぺんに手を伸ばしていたソラは、不穏な空気に気付かなかったようだ。とりあえずは下駄箱に感謝だ。


 6月の下旬あたりからだっただろうか。

 クラスの女子からの風当たりがいきなり強くなった。

 目が合うと睨まれ、目を逸らすとこれ見よがしにひそひそ囁かれ、プリントすらまともに渡してもらえない。初めはごく一部、派手目なグループの数人だけだったのが、日がたつにつれじわじわと広がり、今はクラスの女子全員が僕を避けている。


 ほら、今も。

 すれ違いざま僕と肘がぶつかりそうになった女子が、不自然に身を反らせて接触を避けた。マトリックスか! ってツッコんだところで笑ってくれるはずもない。


 小学校でいえばバイキン扱いってやつだ。触るとバイキンがうつるからあっち行け、みたいな。

 毎日風呂には入っているし、特に不潔にした覚えはない。妄想は慎み深く脳内だけに留めることにしているので、更衣室を覗いたりバスの中で痴漢したり、ましてや帰り道で女子を襲ったりしたこともない。

 これといって原因が思い浮かばないのが困ったところだ。


 うちの高校、スクールカースト的なものはあっても、グループ同士の小競り合いはなかったはずなんだけどなあ。趣味嗜好が違うグループ、容姿や能力が釣り合わないグループは「そっちはそっちで楽しくやれば~」と穏やかに放っておかれるだけだったのに。


 高校に入学して1年と3カ月。女子たちと親しくお付き合いすることこそなかったが、男子として特に意識もされない代わり、無害と認定されていることだけは確かだった。

 ここにきて俄かに注目を浴びたところで、要注意人物としてじゃ、うれしくもなんともない。


「教室ぴる! 机と、椅子と、生徒だらけぴる! ぎゅうぎゅうぴる!」 

 いつのまにか教室の前に来ていた。後ろをついてきたソラが興味津々で覗き込んでいる。


 うっかり前の扉から入ってしまったのがまずかった。

 女子軍団による冷ややかな視線の総攻撃。狙いが決して外れない分、ある意味実弾よりたちが悪い。

 とは言っても相手は十数人。小学校じゃ学年ほぼ全員から、マドンナを泣かせた極悪人扱いされていたのだ。それに比べればなんてことはない。


 それに僕には、琥太郎がいる。フリースクール時代から慰め合い励まし合い、この高校目指して一緒に受験勉強もした心強い仲間が。


『歌姫プロトタイプ』休止のショックから、琥太郎はいまだに立ち直っていない。元気がない分、僕への弾圧が始まっていることもたぶん知らない。

 ほとぼりが冷めて打ち明けた時、「え、そんなことされてたの? 女子ってコワイよね!」と慰めてくれる相手が、僕にはまだいる。


 大丈夫。ふさぎ込んだりはしない。ただちょっと、過ごしにくくなるだけだ。


「あの大きいのが、先生の机ぴる?!」

 ソラが僕を追い越して教室に入った。「あ」と思わず声が出て、何か読んでいた琥太郎が僕に気付いた。

 顔がぱっと明るくなって、いつものように軽く右手を上げて……


 その後に続く「あ、陸、おはよー」がなかった。

 怯えたように顔を強張らせ、上げかけた右手を引っ込めていく。

 ぎこちなくうつむき、琥太郎は再び本に目を落とした。


 ああ、そうか。手を放す時が来たんだ。


 女子軍団の総攻撃などものともしなかった胸が、急にキリキリ痛み出す。足が鉛みたいに重い。でも、歩けないほどじゃない。

 ポケットを探って、体温計を握りしめた。意地の悪い忍び笑いが広がる中、なんとか席まで辿り着く。


 普段通りにするんだ。琥太郎に、申し訳なさそうな顔をさせるな。


「陸、『例のあの人』がいるぷ! 今の笑い声、ぜったい『例のあの人』ぷ!」

 滝尾樹里を指差しながら、ソラが後ずさりしてきた。返事ができないまま腰を下ろす。


 椅子を引くとき、背が琥太郎の机にぶつかった。

 机の上にあったシャーペンが落ちて、僕の足元に転がってくる。後ろで琥太郎がはっと息をのむのがわかった。


「歌姫シャーペン! 陸、ここについてるの、ソラぴる。猫耳&しましましっぽバージョン、780円。限定100本、シリアルナンバー入り、ぴる!」


 ソラが床に女の子座りして、シャーペンをうれしそうに覗き込んだ。

 無邪気な仕草に励まされてフリーズが解けた。腕を伸ばし、二頭身ソラがのっかったシャーペンを拾い上げる。

 女子たちが刺すような視線で成り行きを見守っている。


 振り向いちゃだめだ。話しかけてもだめだ。

 琥太郎は、こんな僕とは関係ありません。たまたま席が前後になって、今まで相手してくれてただけです。

 何が悪いんだかさっぱりわからないけど、とにかく悪いのは僕ひとりです。


 前を向いたまま、後ろ手でシャーペンを差し出した。なるべく素っ気なく見えるように。

 わずかな間のあと、震える手がそれを受け取った。


「陸くん、ごめん。僕もう、だめみたい」

 消え入りそうに小さな声。


 謝ることなんかないんだ。こんな僕と4年間も、一緒にいてくれてありがとう。


 担任が入ってきた。

 何事もなかったように朝のホームルームが始まる。

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