15  テディベアはハートを授かる ♪レ


 ここに至るまで相当な時間を要したにも関わらず、嫌な顔ひとつせずつきあってくれた店員さんが、マシーンの傍のボックスを手で示した。

「さあ、ここからがベア作りで一番大切なところです。ベアに心をあげるんです」


「心?! ソラ、くまのこに心、あげられるぴる?!」

 ソラの声が1オクターブくらい高くなった。興奮に呼応するように、はちみつ色の光が僕の身体の外まで沁み出してくる。


「このボックス、いろんな色のハートが入ってるでしょう? ベアに入れてあげたいハートを選んで、思いを込めてキスしてください。キスしたハートをお客様自身の手でベアに入れて、心をプレゼントするんです」

「ベアに入れるハートを選ぶんだって。いろんな色がある。ギンガムチェックのとかもあるよ。どれがいい?」


 説明している間も、ソラが瞳を輝かせてハートに見入っているのがわかる。

「赤! 赤いのがいいぴる! ピンクのチェックの横の、小さいけどぷっくりしたやつぴる!」

「ん? 赤いの? 小さめで……ぷっくりしたやつね、わかった」

 ソラのリクエストを復唱し、ハートを手に取った。


「じゃあ、ちょっと恥ずかしいけど、かわりにキスするよ?」

 ソラフォンに向かって宣言する僕に、店員さんが再び目を潤ませた。

「妹さんにキスさせてあげたいですよね。デリバリーサービスがなくて、本当に申し訳ありません」


 いやいや、ソラは僕を通して、今まさにハートにキスしようとしているわけで。泣かせた上に謝らせてしまって、本当に何とお詫びしていいものやら……チクチクチク。


 赤いハートを恭しく捧げ持ち、キスをした。心もち長めに。

 ソラが緊張しているのがわかる。ハートにキスしてるんだかソラにキスしてるんだか、なんだかわからなくなってきてくちびるを離した。

 頬が熱い。


「ふう」

 ソラの満ち足りたようなため息が身体の中を駆けめぐる。

 健全なテディベアショップにふさわしいとは思えないモヤモヤが湧き上がってくるから、勘弁してくれ。


「ベアの中に、ハートを入れるね」

 実況中継を続けながら、ベアの背中からハートを詰め込む。

 込めた力の1割増しくらいで指先が動いた感じがした。僕の中でソラが一生懸命、力を込めているからなのか。


「動き出した心が飛び出さないように、急いで背中を縫ってきますね。お待ちの間にそこのパソコンを使って、ベアの生年月日と名前、持ち主となられる方のお名前を打ち込んでください。出生証明書をおつけしますので」

 店員さんはベアの背中を慎重に手で塞ぎ、カウンターへと走って行った。ほんとにテディベアが好きなんだなあと、感心して見送る。


「出生証明書だって、陸。早く早くぴる!」

 ソラに急かされ、おもちゃみたいな丸っこいパソコンの前に座る。

「えーと、生年月日は」

「さっき生まれたぴる! なので2015年、6月22日、ぴる!」


「次は名前だね。なんにする?」

「あめふりくまのこ!」

「ちょっと長いなあ。だいたいそれ、歌のタイトルだし」

「ぷー。じゃあ、短くするぷ。……『あめ』は? 『あめ』ならいいぴる?」

「お、いいじゃん。ソラに、陸に、あめ。みんな二文字でなかよしだ」

「なかよしぴる!」


『あめ』と打ち込む指先に、またやわらかく力が加わった。両手に重なるソラの小さな手を確かに感じる。この名前、なにげに気に入ったんだな。

「最後は持ち主の名前だ。そ、ら。よし、できた」

「持ち主、ソラぴる。わーいわーい」


 店員さんがベアを抱いてカウンターから戻ってきた。

「できました! 妹さんのテディベア。ラッピングの前にハグしてみます?」

「ぴる! だっこするぴる! 生まれたての、あめ!」

 頭の中を飛び跳ねるソラの声に負けて手を伸ばした。

お、意外に抱き応えがある。


「あめ、こんにちは! ソラぴる。今日からよろしくぴる!」

 ソラは腕の中のあめに張り切って挨拶している。

 これから毎日、「陸、おはよう」の後には「あめ、おはよう」が続くに違いない。いや、この喜びようじゃ「あめ、おはよう」の方が先になりそうな気もする。


「お洋服や小物もありますが、どうなさいますか?」 

 店員さんに訊かれて、ソラフォンにお伺いをたてる。

「くまに着せてあげたいものとか、ある? 服とか帽子とか靴とか、いろいろあるけど」

「はっぱ! 頭にはっぱぴる!」

 即答だ。うーん、でも、さすがに葉っぱは。


「あの、葉っぱとか言ってるんですけど、さすがにありませんよね」

「あら。妹さん、『あめふりくまのこ』がお好きなんですか?」

 葉っぱというキーワードひとつで、あの歌が出てくるとは。この人、正真正銘のプロだ。くまの鉄人、いや、くまのマイスターだ。


「私もあの歌大好きなんですけど……残念ながら頭にのせる葉っぱは置いてないんです。申し訳ありません。あ、でも」

 店員さんは店の奥へと取って返し、私物らしいバッグを持って戻ってきた。なんとバッグまでテディベア柄だ。


「よろしければこれ、葉っぱの代わりにしてください。うちの子用に適当に作っちゃったので作りが雑ですけれど」

 差し出してくれたのはグリーンのタータンチェック地の、小さなベレー帽だ。


「え、いや、そんなことまでしてもらったら申し訳なさすぎて」

「いえいえ、嫌じゃなかったら、ぜひ。暇にまかせてもう、山のように作ってあるんです、ベア小物。こんなことならチェックじゃなくて無地で作ればよかったです。そしたらもっと葉っぱらしく見えたのに」


 ソラの声が店員さんの声に被さった。

「そんなことないぷ。ちゃんとはっぱの色ぴる。ソラ、うれしいぴる! 陸、おねえさんにありがとう、言ってぴる」

 ソラフォンにうん、うん、と頷いてみせ、店員さんに向き直る。

「妹がすごくうれしい、ありがとうって伝えてと言ってます」

「いえ、私こそ妹さんのベアのお誕生に立ち会わせていただいて、感激なんです」


 生まれたばかりのあめの頭にベレー帽がちょこんと乗っけられた。

 出生証明書を添えて綺麗にラッピングした箱を渡す時、店員さんは「いいですか?」とでも言うようにソラフォンを指差した。

 遠慮がちに顔を近づけて言ってくれた言葉は

「そらさん、ベア作りのお手伝い、楽しかったです。あめちゃんのお誕生、おめでとうございます!」


 温かい光を身に纏って、ソラが僕の身体から飛び出した。

 心やさしい店員さん。実は電話の向こうにソラはいないんです。でも今あなたに駆け寄って、猛烈にハグしまくってます。

 ありがとう。


「おねえさん、やさしかったぴる」

 あめをベレー帽ごと撫でながら、ソラが言った。僕のベッドは既に、ソラとあめとに占領されている。


「うん、いい人だったね。それに筋金入りのくま好きだ。あれはもう天職だね」

 いい人すぎて、良心の呵責という名の棘がハンパなく刺さったけど。チクチク×10回ほど。


「陸、お金なくなっちゃったぷ。おさいふ、お札一枚もないぷ」

「人の財布を覗き見るなよ。だいじょぶ、ソラの養育係で父さんからバイト代貰えてるから。たまにはソラに還元しないとね。ほしかったんだろ、あめふりくまのこ」

「ぴる! あめ生まれてうれしい! ソラ、あめに心、あげられた。うれしいぴる!」


 ソラに赤いハートをもらったあめは、つぶらな瞳でソラを見つめている。ソラは寝そべったまま頬杖をつき、うっとりとあめに見とれている。


「ソラも」

 頬杖をほどき、ソラが指でハートの形を作った。

「あめみたいにハート、入れられたらいいのに。心があったら、ソラ、もっと言葉のキモチ、わかるぴる」


「……心があるって、ソラが思ってるほどいいことばかりじゃないよ」

 ソラが目を見開いてベッドの上に座り直した。

 向い合わせていた両手が離れ、小さなハートが消失する。まるでそんなもの始めからどこにもなかったみたいに。


「うれしいとか楽しいとか、幸せ感じてる時は、そりゃいいけど。幸せをいっぱい感じた分、失くした時はもっといっぱい悲しくなるんだ。ソラも、もし今、誰かがあめを連れてったりしたら悲しいだろ?」

 驚くべき素早さでソラは立ち上がった。あめを背中に庇い、両手を広げる。

「あめは、誰にも渡さないぷ! 連れてこうとしたら、完膚なきまでやっつけるぴる!」


「いや、たぶん誰も、あめを誘拐しには来ないから。でもほら、あめが取られるって思ったら嫌だったろ?」

 まだ髪の毛を逆立てたまま、ソラが頷く。

「ね? 心って厄介なんだ。だから僕は、人にも物にもあんまり深入りしないようにしてる。大切な人とか大切な物は、最小限にとどめるんだ」


「最小限の中、ソラ、入ってる?」

 いきなりこそばゆいことを訊くなよ、もう。

「ま、まあ一応、入ってるかな。だってほら、僕はソラの養育係だし」


「ハカセは? ハカセも入ってるぴる?」

「入ってる入ってる。こんな僕と一時でも一緒にいようなんて思ってくれる人は、本気で大切にする。けど、その人が他に好きなものを見つけたら、すぐに手を放そうって決めてるんだ。覚悟してないとキツイからね」


「大切なのに、手、放すぷ?」

 不思議そうに尋ねるソラは、あめの手をぎゅっと握っている。

「大切だから、放すんだよ。こんな僕に関わってくれてありがとうって。だからね」


 胸の奥の奥が、ちょっとだけ疼いた。お守りの体温計は制服のポケットの中だ。大丈夫、わざわざ取りに行くほどじゃない。


「母さんのニューヨーク行きも、笑って見送れた。あ、実際には見送り、行けてないけどね。息子としてはかなり頼りない僕にさ、あの有能な人がよくもまあ16年も我慢してつきあってくれたもんだと思うよ」


 4月以来母さんからは、電話はおろかメールの一通も来ていない。

 それでいいのだ。僕という足枷がなくなった今、母さんは思う存分才能を開花させ、仕事に邁進していることだろう。


 ソラは黙りこくったまま、考え込んでいる。

 ちょっと難しかったかな。「言葉のキモチ」を追い求めるソラには、しなくてもいい話だったかもしれない。


「ソラがどっかのアイドルに貰われてく時も、笑って見送らなくちゃなあ。花嫁の父気分で、泣いちゃったりしないように」

「陸、泣くぴる? ソラが貰われたら?」

 なんで泣く「ぴる」なんだよ。泣いてほしいのか、こいつめ。


「だから泣かないって。このところ破壊されまくりの僕の動揺制御リミッターも、その頃には完全に修復されてるはずだからね。いや、必ずや修復してみせるとも!」


 ほんとはちょっと、いや、かなりさみしいかもしれない。

 でも「泣くぷ」じゃなくて「泣くぴる」なんて言ったから、ソラの前では泣いてやらないんだ。

 どこか物陰で、こっそり泣くことにするよ。

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