14  テディベアはハートを授かる ♪ド


 空一面を覆い尽くすような雲。

「青い! 高い! 遠い! 明るい!」とおでかけ初日にソラが叫んだ形容詞は、鬱陶しいねずみ色に塗り潰されてしまったかのようだ。


 今にも降り出しそうな曇天だというのに、ソラは絶好調だ。マカロン傘を「よいこはまねしないでね」とキャプションをつけたいほどの勢いで、ぶんぶん振り回している。


「このキモチ……えーと、えーと……ぴる! 晴れやか、ぴる!」

「お、いいとこついてきたな。晴れやか、大正解! でもなんで今日は来なかったんだろうね。今まで皆勤賞だったのに」


 賞品のひとつもなく、別に本人も意識すらしていないであろう皆勤賞を今日惜しくも逃したのは、「例のあの人」。僕の同級生のリア充女子、滝尾樹里だ。


 クラスで「あんな店、潰れてしまえ!」的発言をしていたにも関わらず、4月から2か月間ずっと、土日のたびになぜか彼女は『カラオケ館ネプチューン』にやって来た。お供も連れず、オープンと同時に一番乗りで。


 かなりの音痴や癖のある歌でも平気なソラだが、なぜか彼女の歌だけは苦手で、歌酔い状態に陥ってしまう。もちろん「歌声に酔いしれる」方ではなくて、一気飲みを強いられた新入生が、口を押えてトイレに駆け込むほうの酔い方だ。


 僕が聴いた限りでは、尾樹里の歌は決して下手ではない。素人にしてはむしろ上手い部類じゃないだろうか。

 何がそんなに気持ち悪いのかと訊いたところ

「言葉のキモチがからっぽぷ。なのに、声に変なのくっついてるぷ! ぐちゃぐちゃのドロドロで、気持ち悪いぷ!」

との答えが返ってきた。


 歌詞に気持ちが乗ってないということだろうか。からっぽなのにぐちゃぐちゃとは、なんとも理解しがたい物言いだ。養育係としてソラの言語表現をさらに磨かねば。


 とはいえ、ソラに重篤な歌酔いを引き起こす滝尾樹里は、日曜の今日、現れなかった。ソラの気分はまさに晴れやか。めでたしめでたしだ。

 昨日も来ないでおいてくれたら、あの黒部屋・姫部屋ドタバタ事件に巻き込まれずに済んだのに。


「陸! くまのこ! くまのこ、いっぱいぴる!」


 お姫様ランジェリー姿で眼鏡王子と手をつなぎ、黒部屋に入ろうとする北城つららのイメージがソラの声でかき消された。

 ショーウィンドウの前で爪先立ちして、ソラは棚の上のぬいぐるみを一心に見上げている。


 テディベアの店だ。

 歌酔いを免れ、元気いっぱいで先を行くソラを追いかけるうち、いつもとは違う通りに出てしまったようだ。


「かわいい! ふわふわくまのこも、もこもこくまのこも、服着てるくまのこも。 あめふりくまのこも、いるぴる?」

「うーん、あめふりくまのこは、さすがにいないだろうなあ」


 黄色いドアが開いて、エプロン姿の若い店員さんが顔を出した。慌ててソラフォンを耳に当てる。

 ひとりでぶつぶつ呟いている変な男がいる、なんて思われなかっただろうか。


「もしかして彼女さんへのプレゼントとか、お探しですか? 世界にたったひとつのテディベアが自分で作れちゃうんですけど、いかがですか?」 

 感じのいい笑顔で営業されてしまった。


「陸、陸、自分でだって! 世界にたったひとつのくまのこ! ソラ、ほしいぴる。陸、作れる? 作ってぴる! おねがいぴる!」

 ソラの興奮度は明らかにMAXだ。アキレス腱が悲鳴を上げそうなほど(上げないけど)爪先立ちして、店の中を覗き込んでいる。


「いや、彼女とかじゃないんですけど……えーと、妹……の、バースデープレゼントを探してて。あの、電話しながらでもいいですか?」

「はい、もちろん。他のお客様もいないし、どうぞ中で。ほんとにかわいいので、見てくださるだけでも結構ですから」

 店員さんはドアを押さえて、僕を招き入れてくれた。ソラは僕より先に猛然と店内に駆け込み、歓声を上げている。


 赤、青、黄。

 店の中は、気持ちが浮き立つような明るいクレヨンカラーで彩られている。テディベアや洋服、帽子や靴といった小物が棚に並んでいる点は、何ら他の店と変わらない。

 が、あちこちにディズニーの実写映画に出てきそうな、ベア作りのための機械が置かれているのがなんとも楽しい。「おもちゃ箱をひっくり返したような」という言葉がぴったりの店だ。


「これ、何ぴる? 白いのがふわふわ回ってる! すごいぴる!」

 ポップコーンマシーンによく似た機械を見上げ、ソラが叫んだ。

 吹き出す風にまかせて浮遊する「白いの」の動きにつられて、ソラの頭もくるくると回っている。猫じゃらしの動きを追う子猫みたいに。


 僕が作ってもいいんだけど……こんなにうれしそうな姿見ちゃうとなあ。

「ソラ、今日の一回、テディベア作りにする?」

 ソラフォンに問いかけると同時に、ソラが瞳を爛々とさせて振り返った。

「ぴる! ソラ、作るぴる! 世界にたったひとつのくまのこ。わーいわーい!」


「おいで」と声をかける暇もなく、飛びついてくる。

 一瞬だけぱっとはちみつ色の光を放ち、ソラの小さな身体は僕の中に吸い込まれた。憑依、完了。


 ソラを憑依させてベア作りをするとなると、少しばかり工夫が必要だ。我が家でカレーを味見したり、路地裏で野良猫を撫でてみたりするのとは訳が違う。

 さて、このフレンドリーな店員さんにどう予防線を張ったものか。


「あの、僕の妹、普通にお店に来て、自分でベアを作ったりできない身体なんです。なので、電話で実況中継しながら作るんでもいいですか? 一緒に作ってる気分だけでも、味わわせてやりたいので」

 う、嘘は言ってないぞ。実際とは異なった解釈はされるかもしれないが。


 店員さんの目がみるみる潤んだ。

 たぶん今彼女の頭の中では、ベッドに横たわる薄幸の美少女が青白い顔に弱々しい微笑みをたたえ、受話器を握っている。

「いいお兄さんがいて、妹さん、幸せですね。わかりました。精いっぱいお手伝いさせていただきます」


 いいお兄さんの皮をかぶって胸がチクチク痛む僕と、薄幸でも青白くもなく、やる気まんまんのソラに、店員さんが説明を始める。


「まず、ここに並んでいるベアたちをよく見て、どのタイプにするか決めてください。決まったら同じ番号のついたボックスから、ボディを選んでくださいね」

 受話器の向こうにいる(ことになっている)妹にも聞こえるようにと、店員さんはかなり大きな声で喋ってくれている。いい人だ……チクチク。


「どのくまがいいかな? 茶色いの、白いの、クリーム色……お、なんと、レインボーカラーのまであるよ。毛も、長いの、短いの、ふわふわ、もこもこ、いろいろある」

 別にいちいち説明しなくても、ソラは僕の目で思う存分ベアを見ているのだが、店員さんに申し出た設定上、ここはしかたがない。ショー・マスト・ゴー・オンだ。


「あの子がいいぴる! 11番のくまのこ。間違いなく、あめふりくまのこ一族ぴる!」

 頭の中にソラの声が響き渡る。やる気ゲージが振り切れそうになっているせいか、店員さんに負けず劣らず大きな声だ。


 テディベアが無事完成するまで、僕はずっとこのふたりの大声にはさまれて作業をするわけか。突発性難聴にでもなってしまいそうだ。


「ん? 明るい茶色? ふわふわともこもこの、真ん中くらいか……ああ、これがいいかな」

 11番のベアの特徴をわざとらしく並べ立て、棚の下のボックスへと移動する。


「同じ11番のボディでも、目や鼻の位置、しっぽや耳のつきかたがそれぞれ違うので、見て触って、確かめてください。この子と思える子に出会えるまで、じっくり時間をかけて」

「これからくまの身体に触ってみるからね。うん、ちゃんとまじめに選ぶから。両手使うから、ちょっと電話置くね」


 それらしいことを一応口にして、ソラフォンを棚に置いた。

 11番のボックスに手を入れる。指先からソラのわくわくが伝わってくる。一匹一匹撫でては持ち上げ、目を覗き込んだり、しっぽの丸さを確認したり。ソラの声に従って手を動かす。


「この子にするぴる! この子こそソラの、あめふりくまのこぴる!」


 ほんとにじっくり時間をかけて、ようやくボディが決まった。どこがソラの琴線に触れたのか不明なため、しかたなくこう言ってみた。

「この子にします。なんかちょっと妹に似てる気がするので」

「……!」


 ああ、店員さんのくちびるが震えている。

 茶色い上にいたずらっぽい顔立ちのベアが、店員さんの思い描く病弱な少女の顔に似ているなんて発言が、こうもすんなり通るとは思ってもみませんでした。ごめんなさい……チクチク。


「では次に、ボディにお客様ご自身の手で綿を詰めていただきます。こちらにどうぞ」

 震えるくちびるをなんとか制御した店員さんが、例のポップコーンマシーン(のようなもの)の横に立った。まだ縫い合わされていないベアの背中を、突き出たパイプに当てる。


「お客様がそこのペダルを踏んでいる間だけ、マシーンから風が出ます。お客様が送った風で、このふわふわした綿がベアのボディに詰まっていくわけです」

 身体の中でソラが、うれしさのあまりぴょんと飛び跳ねるのがわかった。一緒に飛び跳ねてしまいそうで、慌てて店員さんとの会話に頭を切り替える。


「じゃあ、綿の詰まり具合を実況中継してやれば、妹にストップ、かけさせてやれますね」

「ええ、ええ! 途中、パイプから外して抱きしめてハグテストができますので、ご遠慮なく何度でもお申し付けください。思う存分、実況中継してあげてください」

 言いながら店員さんはついに壁側に顔を背け、隠れるようにして目頭を押さえた。


 うわ、そんな。涙を誘おうとして言ったんじゃなくて、ソラに段取りを確認させるために言っただけなのに。頼むから泣かないで……チクチク。


「くまに、白くてふわふわした綿を詰めていくから、いいかな、と思ったところでストップって言うんだよ? どのくらいふくらんだかは教えるからね」

 左肩と耳の間にソラフォンをはさんで喋りかけながら、ペダルに足をかけた。

 眼鏡王子には遠く及ばないが、北城つららよりはマシかな? と思える演技で実況中継を続ける。

 大興奮のソラの「ストップぴる!!」の声に、頭が割れるかと思った。


 さあ、初めてのハグテストだ。テディベアの感触をソラが存分に味わえるよう、まずはそっと抱きしめる。

「やわらかい……あったかい……ぎゅうってしてみてもいいぴる?」


 さっきとは打って変わってうっとりした声だ。

 リクエストに応え、今度はぎゅっとベアを抱きしめる。年頃の男子としてはけっして人に見られたくはない光景だ。人のいい店員さんがしんみりと見守っているだけだし、まあいいか。


「ふわふわぴる……でも、ソラ、くまのこ抱っこするの初めてだから、わからないぷ。どのくらいふわふわがいいぴる?」

「えーと、ぎゅっとするとふにゅっとへこむ感じだけど、どうする?」

 ソラフォンに報告してみせる僕に店員さんがアドバイスをくれた。


「ずっと一緒に過ごすベアですから、これでいいかなって思うより、ちょっと多めに綿詰めするといいですよ。抱きしめるたびに愛情が伝わって、いい感じの手触りになってくるんです。愛情も綿も、たっぷりがいいんです」

「愛情も綿もたっぷり! すてきぴる! 陸、もっと綿、詰めるぴる!」


 こうしてペダルを踏んでは離し、ベアを抱きしめ、抱き心地を報告し、また踏んでは離し、抱きしめ……を何度も繰り返し、ベアはソラの理想のくまのこへと成長した。

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