13 氷の女王は擬態する ♪ミ
車を降りた人物がこちらに気付いた。
長身なのに、あの頭の小ささ。脚はオプションで継ぎ足したのかと思うくらい長い。端正な顔立ち。そして、洒落た眼鏡をかけている。
紛うことなき眼鏡王子、佐々木駿だ。
「あれ、今日はお迎えつき? まさか『つららは僕のものだ! 帰れ!』とか追い返される展開じゃないよね」
いやいや、あんな激烈な人を冗談でも「僕のもの」なんて呼ぶ勇気、僕にはありませんとも。
「ちょっとドアの調子が悪くて、今日は手動なんです。知人が来るからって、つらら先生に言いつかって」
「ふ~ん」
意味ありげに語尾をのばして、佐々木駿が僕を見た。眼鏡の奥の目に面白がるような光がちらついている。
腹黒いという北城つららの評価は正当だ。
あの毒舌は、虚勢を張ってのパフォーマンスなんかじゃない。完全に、地だ。
こんなやつ相手にうまく時間を稼げるのか? がんばれ、僕。さとり王国の小市民の意地を見せるんだ。
「自動ドアがするするっと開いてさ。さあ入ろう! ってとこで冷たい金属ドアに阻まれる感じ、好きなんだけどな。残念」
え? どう見てもSっぽいのに、まさかのMでいらっしゃる?
「あそこで偉そうに降りてくるマイク! ひと思いにポッキリと折ってやりたくなるよねえ、ふふ」
「……家族経営のしがないカラオケなんで、できればその衝動には耐えてください」
ニヤリと上げた口角が、もはやSの字のカーブにしか見えない。
案内役の僕を置いて、佐々木駿はさっさと中に入っていった。
「よかったら先に飲み物選びませんか? 僕、運びますから。ドリンクバーなのでたいしたものありませんけど」
ドリンクバーコーナーの前で、とりあえず引き留めにかかる。
ここを通り抜けたら、カラオケルームはもう目と鼻の先だ。パニック状態に陥っていた北城つららの着替えが完了したとは思えない。少しでも時間を稼がなければ。
順当にいくならば、ここは飲み物をバシャッと相手にかけて
「あああ、すみません! 拭かないと。ていうか、着替えますか? あたふたあたふた」
とでもやるところだ。
でもあの服、どうみても高そうだしなあ。コーヒー紅茶って染みになるし。
クリーニング代請求もしくは弁償となった場合、北城つららはにっこり笑って払ってくれるんだろうか。
……水だ! 水がいい!
おお、太古から人類の喉を潤してきた神々しい液体よ。混じりけのないその透明さを存分に発揮する時が、今、来たのだ!
『おいしい水』と書かれた蛇口にそろそろと忍び寄る僕を、佐々木駿が押しとどめた。
「頼むから、水とかかけないでね。そんな暴挙に出なくったって、ちゃんとここで時間潰してあげるからさ。言われたんでしょ、つららに。時間稼ぎしてこいって」
声が笑いを含んでいる。
いったい何者なんだ、眼鏡王子、佐々木駿。
「あと4、5分もしたら平気かな? 着替え」
はい! と元気に答えるわけにもいかない僕は、どうしたら?
ホット用のカップにコーヒーを注ぎながら、王子はさらっと言ってのけた。
「大丈夫だよ。慌てふためいて着替えしたくせに、取り澄ました顔必死に作って僕を迎えるつららが見たくて、急に来たんだから」
この人、Sだ! 真性の、超弩級の、Sだ!
「全部お見通しなんですね」
「そりゃそうさ。きみくらいの頃から5年間、ずっとしつこく追いかけてきたんだもの。かわいいでしょ、あの人。でもショックだな。一番に秘密を打ち明けられたのが僕じゃないなんて」
「あー、僕の場合アクシデントというか、第一種接近遭遇的な感じだったんで。けっして打ち明けられたわけではないです」
SランクのS王子にじわじわいたぶられるのは御免なので、速やかに申告する。
「第一種って、ひどいなあ。人の彼女を未確認飛行物体みたいに言うなよ」
あ、やっぱり彼女なんだ。微妙な言い回しするから、対応を迷ってしまったじゃないか。
わかったところで思い切って尋ねてみる。
「あの、打ち明けるように仕向けて、楽にしてあげようとか思わないんですか?」
「んー。埋めた宝物を必死になって隠してる犬みたいな、あのけなげさをね、もうちょっと見ていたいというか。それに打ち明けてくれないってことは、まだ僕を一人前の彼氏として認めてくれてないってことでしょ。にっこり笑って『わかってるよ、ハニー』なんて手を差し延べるの、癪じゃないか」
年下の彼氏ならではの、意地も苦労もあるというわけか。整い過ぎた顔立ちが、ようやく同じ地球人に見えてきた。
壁の時計に目をやり、「そろそろいいかな」と王子がカップを置いた。
黒部屋に着く前に、もうひとつだけ訊いておこう。
「ところで、どうしてわかったんですか? つらら先生の趣味っていうか、嗜好?」
「借りた本にはやたらラブリーな栞がはさまってるしさ。デートすればロリ系ファッションの店に目が吸い寄せられてるし。あれ? って思うよね、普通。でもまあ決定打は、泥酔してたときに……」
何をやった、北城つらら。
ひょっとして洗いざらい告白したのに、忘れてるってパターンか?
「下着がお姫様仕様だったんだよね。レースにリボンにお花の刺繍! 脱がせる時はいいとして、朝、二日酔い状態で秘密の暴露に気付くなんて可哀想でしょ? 眠ったの見計らって、いつもの大人仕様の黒いやつにすり替えるの、大変だったなあ。僕って意外と親切だよね、はは」
はは、じゃないですって。
年齢=彼女いない歴の男子高校生相手に、そんな生々しい妄想を誘うような話を……わざとしましたよね。この、ドS王子!
とりあえずソラを連れてきてなくてよかったと胸を撫で下ろす、養育係の切なさよ。
黒部屋の中では和やかな談笑が続いている。撮影したら『眼鏡王子、氷の女王のお部屋探訪』なんてタイトルをつけて放送できそうだ。
ある一点を除いては。
レースにリボンの下着と黒の下着と、しどけなく横たわる北城つららがスロットマシンのように脳内を回転し始めていた僕は、王子を案内したらすぐに引っ込むつもりだった。ソラを連れて。
ドアを閉じるやいなや室内では、僕が体験したこともないめくるめく世界が始まるであろうと予測されたので、ソラに「あの変な音はなにぴる?」なんて訊かれないうちに、可及的速やかに外に出ようとまで決意していたのだ。
にも関わらず僕はまだ、黒部屋の中にいる。ソファに座る王子の横に、出来の悪い付き人みたいにかしこまって。
「よりにもよって私がレギュラー出演してる番組で、コメンテーターもたいがいにして原稿書け、みたいなこと言っちゃって。眼鏡王子なんて騒がれてたって、人気商売なんだからね。仕事なくなっても知らないわよ」
向かいに座る北城つららは、あの狼狽ぶりが嘘のように悠然と構えている。
黒のスリムパンツにシンプルな黒のシャツを合わせ、足元も黒のヒール。いつもの隙のないファッションだ。
しつこいようだが、ある一点を除いては。
ボタンを3つめまで外した彼女の首筋に「それ」を見つけて僕が固まった瞬間、王子は爽やかな笑顔でおっしゃったのだ。
「ああ、せっかくだからきみも、ゆっくりしていきなよ」
ドS王子め。あの時口の端に浮かんだS字カーブを、僕は一生忘れないぞ。
王子はアクシデントに僕がどう対処するか、静観して楽しむつもりらしい。
確かにあれだけドタバタやって着替えたのに「それ」を王子に指摘されたんじゃ、「二日酔いの朝のベッドではたと気づくレース&リボン下着」級のショックが、北城つららを襲うだろう。
王子には気付かない体を装ってもらいつつ、僕が彼女に「それ」の存在を伝えなければ。可能な限り、さりげなく。
「眼鏡王子、テレビそっくりぴる! でも、つらら先生、どうしてあんなに急いで着替えたぷ?ソラ、さっきの服のほうが101万倍好きぴる」
ソラが「着替え」と口にした途端、北城つららの右頬がピクッとわずかに痙攣した。
おお? まだイヤモニを外してなかったのか。チャンスだ!
小鼻を思い切りふくらませる。父さんのを見て以来、小鼻拡大術にソラは大いに興味を抱いているから、たぶん注意を引けるはずだ。
ソラが案の定、こちらを見た。しぱしぱと瞬きで合図を送ったあと、目を北城つららの首元に向け、ソラの視線を誘導する。
「陸、なにぴる? つらら先生の首、気になる? あー、あれはチョーカーというものぴる! さっき教えてもらったぴる。服は真っ黒になっちゃったけど、かわいいの一個だけ残って、ソラ、うれしいぴる」
北城つららがみるみる青ざめた。震える右手で首筋を確かめる。
そう、それですよ、つらら先生。
ピンクのベルベットリボンの上にリスやバンビや薔薇の花が並んだ、超メルヘン路線のチョーカー。
まるごと着替えて、どうやらメイクまで直したっぽいのに、それを外すのだけなぜ忘れる。
王子は本棚に並ぶ本に気を取られているふりをして、「僕の視界に今、あなたは入っていませんよ」感を漂わせている。あきれるくらい自然だ。さすが演技派。
シャツの襟をさっと掻き合わせ、北城つららが立ち上がった。
手を喉元に添え、盛んに咳込み始める。当然こちらの演技は、王子ほど上手くはない。
「けほけほ……駿、あなた、どこかでいかがわしい菌でもつけてきたんじゃないの? ……けほけほ。ちょ、ちょっと外の空気吸ってくるから、おとなしく待ってなさい。けほけほ」
しっかりと襟元を押さえたまま、北城つららは部屋を出ていく。心配そうにソラがその後に続いた。
ドアの前で男同士肩を寄せ合い、足音が聞こえなくなるまで様子を窺ったあと。
「はぁぁぁぁー」
「ぷっ……ははははは」
僕は大きく息を吐き、王子は身体をくの字に曲げて笑い出した。
「笑いごとじゃないですよ、もう。小心な高校生をマニアックなプレイに巻き込まないでください。つらら先生だってあんなに青くなっちゃって、可哀想じゃないですか」
「可哀想か……うん、そろそろ限界かもしれないな」
笑い過ぎて目の端に涙を滲ませた王子が、こちらに向き直った。
「少女趣味に関しては、なんとかなると思うんだよね。周りに何て言われようと、僕が受け止めてやれば済むことだからさ。問題は仕事なんだよな」
「テレビでも冗談ぽく言ってたけど、ファンタジー描きたいってあれ、本音ですよね」
「うん。本来はかわいらしい人だからね。過去のトラウマにしがみついて描き続けるの、きついと思うよ。んー、半年くらい前だったかなあ」
記憶を遡るように王子が天井を見上げた。
「前作のサイン会に、つららをいじめまくった先輩が来やがったんだよね。泣いて謝られた上に、保育園でいじめられてる娘の相談までされたんだって。『商売のタネの毒気、抜かれちゃったわよ。トラウマが薄れてゆく~。どうしよ~』とか茶化してみせて、痛々しいのなんの」
薄れてゆくトラウマ。
描きたいものと、描き続けなければならないもの。
なんだろう。頭の隅にぽわんと、ヒントめいたものが浮かんだような気がした。
「僕も超人気若手俳優って立場を駆使して、いろいろやってみるからさ、きみも協力できることは、してやってくれないかな。話相手になってやるだけでもいいから。頼むよ」
超人気って、自分で言ったよ、この人。
駐車場では異星人としか思えなかったけれど、最後のひと言で佐々木駿は、理解しようと思えばできなくもない地球人として、僕のメモリーに上書きされた。
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