12  氷の女王は擬態する ♪レ


 まるで戦火の中を逃げ回る兄妹だ。

 ぐったりとしたソラを背負ったまま、階段を駆け下りる。


 カウンターに差し掛かかると、背中でソラがきゅっと身を縮めるのがわかった。 カウンターの真向かいにそびえ立つ、金属製の扉。その向こうで「例のあの人」がマイクに向かって熱唱し始めたんだろう。


「頑張れ、ソラ。防空壕はもうすぐだ」

 励ましつつ首を伸ばし、カラオケルーム前の廊下を覗き込んだ。


 誰かいる。


 今日第一号のお客は、扉の向こうで歌っている「例のあの人」だ。

 家族以外で現在この建物の中にいる可能性があるのは、1年契約で居座り、出入り自由の人物だけだ。父さんの言う通り、さっきのは録画だったのか。

「つら……」

 呼び止めかけて、喉元まで出た声を引っ込めた。


 あれが北城つららであるはずはない。

 だって、黒い色がどこにもない。

 ていうかむしろ、白い。


 パステルカラーの小花が散る真っ白なワンピース。

 スカートは鳥籠のようにぷっくりと愛らしくふくらみ、その下はレースとリボンに縁どられたハイソックス。靴まで見事に白い。

 そこだけ見ると、絵本から脱け出してきたかのように可憐なのだが……


 でかすぎる。

 ヒール込みで180㎝はあるんじゃなかろうか。肩幅もけっこう広いし、もしや女装癖のある変質者? いったいどこから紛れ込んだ?


「早く……つらら先生に……ぴる……」

 呻くソラをいたわりながら様子を窺っていると、ロリータファッションの変質者は103号室のドアノブに手をかけた。

 扉が開いていく。父さんが言っていた通りあの番組が録画だったとしたら、中にいる北城つららが危ない。


「その部屋、貸切なんですけど。警察呼びますよ」

 腹に力を込め、声をかけた。

 観念したのか、変質者がゆっくりとこちらを向いた。

 修復中だった僕の動揺制御リミッターが、またしても無残に砕け散った。


「つらら先生、部屋、借りるぴる」

 見つめ合う僕と変質者(仮)の間を、ソラがよろよろと通り抜けていく。

「ソラ、かわいすぎ」

 北城つららがぽつりとつぶやいた。頭にワンピースとお揃いの、白い大きなリボンをのっけて。

 とんだボーイ・ミーツ・ガールだ。27歳をガールと言っていいならばだが。

 

 高そうな黒革のソファの上で、ソラは思う存分くつろいでいる。あんなに苦しがっていたくせに、マカロン模様の傘もしっかり持ってきているのがすごい。


 一緒に部屋に入れてもらったはいいが、僕の方はくつろぐどころではない。

 罰ゲームでコスプレさせられているとしか思えない恰好の北城つららをじろじろ見るわけにもいかず、かといって話しかける勇気もなく、借りてきた猫のようにちんまりと座っている。


「いいわね、ソラは。ちっちゃくて、かわいくて」

 吐息まじりの声に、ソラの目が輝いた。

「ソラ、かわいいぴる? どこが?」


 ああ、またしても始まってしまった。かわいいの無限ループ。

 返事がないので様子を窺おうと顔を上げて、ふと気づいた。

「あ、ソラの言葉、わかりませんよね? ていうか、ぴるぴる音で聞こえてます?予備のイヤモニ持ってくるんで、ちょっと待っててください」

 立ち上がりかけたのを制された。


「大丈夫。さっき貰ってきたから」

 北城つららがポケットから白いイヤモニを出してみせた。

「さっき?」

「そう。その服のイラスト持ってった時」


 指差した先ではソラがレインコートの裾を広げ、「かわいい」を見つけてもらうべくポーズを取っている。 

「えええ!」

 さとりの国の住人にあるまじき大声が出てしまった。記憶が巻き戻され、父さんの怪しげな言動の数々がパズルのピースのように、あるべき場所に嵌まっていく。


 僕の脳内では今、昔懐かしいスーパーファミコンの二頭身キャラと化した父さんが「だってさっき、それ」と、ソラを指差したところだ。

 あの「それ」はソラのことではなく、ソラが着ていた6月の新作衣装だったのか。北城つららはさっき、「それ」のイラストを持ってきたからテレビ局にいるはずがないと、父さんは言いそうになってあわあわしたんだ。


「てことはもしかして、『桜並木で待ってるね♪ 似合うかな? 新しい制服』も?」

「うん」

「5月の、『エプロンドレスに春の風♪ ほどかないでね、胸のリボン』も?」

「そうよ? だってもともと『歌姫プロトタイプ』のキャラデザしたの、私だもの」

「えええええ!」


 ここ数年出していなかった分の大声を出し尽くした後、深呼吸で心を落ち着けること数分。


「……あの、まさか父さんが先生を脅して描かせた、とか?」

 恐る恐る尋ねた僕に、北城つららは呆れた顔をした。

「ばかね、そんなわけないでしょ。楽しんで描かないで、あんな絵が描けると思う? あー、このカッコでこの部屋、居心地悪くてしかたないわ。隣、行くわよ」

「え? 隣?」


 まだ頭の中を二頭身キャラの父さんやマカロンやエプロンドレスが飛び交っている僕を置いて、北城つららはドアを開け、104号室へすたすたと歩いていく。

 その後ろをソラが

「つらら先生、どこが? どこがそんなにかわいいぴる?」

と尋ねながら追いかけていった。


「これ、かわいい! 何ぴる?」

「でしょでしょ! ボンネットって言うのよ。ちょっとノスタルジックな姫ファッションに欠かせないの。ソラにも似合いそう」

「この白いのは? かぼちゃみたいな形ぴる」

「それはドロワーズ。スカートの下に履いて、ドロワーズの裾のレースやフリルがちらっと見えるのが、もう、とろけそうに可愛いの。あ、そうだ! ソラの7月の衣装、フリフリのドロワーズをプラスしちゃおっか」

「しちゃうぴる! ソラ、フリフリをちらっと見せるぴる! わーいわーい」


 104号室に入ってから既にもう30分が経過したというのに、ソラと北城つららはきゃぴきゃぴとカワイイ談議に花を咲かせている。これが噂の女子会というやつか。

 いや、昨今は40代・50代のおばさん世代はもとより70歳を超えるおばあちゃん世代まで、遠慮なく「女子会」と称して集まるくらいだ。この夢々しい世界は「少女会」とでも呼んだ方がふさわしいのかもしれない。


 猫足の白い家具で統一された室内。

 壁にはカラフルなドレスが所狭しと並び、飾り棚もロマンティックな小物でぎっしりだ。もう少しスペースがあったなら、間違いなく天蓋つきの姫ベッドが置かれたに違いない。


 仲よく肩を寄せ合ってワードローブを覗き込んでいる二人は、服のデザインこそ違うが、ロリータ風味で絵付けされたマトリョーシカのようだ。

 北城つららが一番外側のLサイズマトリョーシカとすれば、ソラはつららマトリョーシカをポコッと開け、次のMサイズも開け、そのまた次のSサイズも開けてやっと出てくるSSサイズといったところか。


 北城つららはタガが外れたようにはしゃいでいる。氷の女王の面影はカケラもない。声なんかカラオケのキーで言うと♯5くらい高くなって……あれ?


「あの、つらら先生。もしかして、4月にそこのトイレの前で、ソラの制服姿を褒めたりしました?」

「うん、褒めた褒めた。だって天使的にかわいかったんだもの」


 やっぱり。眼鏡にマスクの謎の人物は、この人だったのか。変装した上に、口調まで馬鹿丁寧な標準語にしてカムフラージュしていたとは念の入ったことだ。


「つかぬことをお伺いしますけど……褒めてくださったあと、『きゃわわ~!』とか『きゅい~ん!』とか、叫んじゃったりしました?」

「やーん、聞こえてたの? だって叫ばずにいられないくらいかわいかったんだもの。すかさずヘビメタ流したのになー。聞こえちゃってたか」


 はい、ばっちり聞こえちゃってました。

 そして『きゃわわ~』のみならず、氷の女王の口から『やーん』なんて感嘆詞を聞く日が来ようとは思ってもみませんでしたとも。


「あーあ、スマホあっちに置き忘れたせいで、ついにバレちゃったわ」

 ため息をつきながらも、北城つららはなんだかほっとしたような表情だ。


「仕事部屋にしては隣の部屋、片付きすぎてるなーとは思ってたんだけど。こっちの部屋で描いてたんですね」

「うん、あっちの黒部屋はカムフラージュ用。編集者や取材の人が来ることもあるからね。都心のマンションに、正式な仕事部屋はあるのよ? アシスタントもそっちで仕事してる。でも、氷の女王モードでずっと描いてると、息が詰まっちゃって。この姫部屋は、私のオアシス」


 飽きもせず飾り棚に並ぶアクセサリーを見つめていたソラが、くるんと振り返った。

「姫部屋、すてきぴる! ソラ、こっちのほうが101万倍好きぴる!」

「いや、そこは100万倍でいいから。いったい何に対抗心燃やしてるんだよ」


 ふふっと小さな笑い声をたてたあと、北城つららが眩しそうにソラを見た。

「100万倍だろうが101万倍だろうが、好きなものを好きって言えるのは、幸せなことよ」

「つらら先生、好きって言わないぷ? 好きなのに?」

 ソラは不思議そうに首をかしげている。


「言わない。言えないでしょ、これじゃ。陸、私のこの格好見て思わなかった? 仮装パーティーでウケを狙ったか、それとも何かの罰ゲームだろうって」

 思いました。ごめんなさい。……なんて口が裂けても言えない。


「お姫様が出てくる童話ばかり読んでたのよね。小さい頃。初恋は『眠りの森の美女』の王子様。きれいでかわいくて、ふわふわひらひらしたものが大好きで、どうしてお母さんは金髪に青い目で私を産んでくれなかったの、って思ってた」

 壁に掛かったドレスを、切れ長の目が愛おしそうに見回す。


「金髪に青い目なんて、高望みもいいとこよね。黒髪に黒い目だろうと、女の子っぽい容姿なら、こういうドレス着たって違和感ないんだもの。なのに背は馬鹿みたいに伸びるし、肩幅はがっしりするし、女子にしかモテない凛々しい顔になっちゃうし。スカートはいてると、好きな男の子にまで『なんで今日おまえ、女装してんの?』とか真顔で言われるし」

「ひどいぷ! その男の子、完膚なきまでやっつけるぷ!」

 息巻くソラに、北城つららが「ありがと」と微笑んだ。


「人前で好きな恰好をするの諦めて、描き始めたのが漫画なの。願望も妄想も全部つぎ込むんだもの、そりゃ上達するわよね。漫画雑誌でちょこちょこ賞もらったりして、今度は漫研の先輩たちに目をつけられた。さやかちゃんのとはまたひと味ちがう、オタク女子ならではのねちっこいいじめを受けたわけよ」


 再び「完膚なきまで!」のセリフが出る前に、ソラには「お口にチャック」の合図をした。それでも柔らかい髪の毛は怒りをはらんで発光し始めている。


「ずっとファンタジー路線で描いてたんだけど、理不尽にいじめられるのがあんまり悔しくてね。一作だけ描いたのよ、いじめ漫画。自分がされたこと、これでもかって詰め込んで。そしたら、よりによってそれが新人大賞とっちゃったの」

「もしかして、『荊の教室』ですか?」


「そう。残酷なまでにリアルだ! とか絶賛されて、世間のイメージはすっかりイヤミス漫画の北城つらら。いじめがニュースになるたびに専門家みたいに担ぎ出されて、もうこのキャラでやってくしかなくなっちゃった。ロリータファッション大好き、ほんとはファンタジー描きたいんですなんて、もう絶対言えない」


 ソラがぱたぱた走ってきて、椅子に座る北城つららの横に立った。真剣な顔で悩める女王の目を覗き込む。

「つらら先生も、言いたいこと言えないぷ? ソラ、つらら先生の声になるぴる。さやかちゃんの時みたいに。好きなこと、言いたいこと、ソラがぜんぶ言ってあげるぴる」

「ありがとう。でもね、ソラ。さやかちゃんの時とはちょっと事情が違うの。秘密が世間にバレたら私、今まで積み上げてきたもの、全部失っちゃうのよ」


 そうだろうか。

 描線一本一本から描き手の愛情が溢れ出てくるような、あの繊細な絵は、本物だと思う。

『荊の教室』に救われた人が大勢いたように、あのイラストに癒され、支えられる人だっているだろうに。


 何か言わねばと口を開いた途端、着信音が鳴り響いた。相手の名前を確認した北城つららが慌てて電話に出る。


「ああ、駿? ……あらそう。あれ、今日放送だったんだ。私より毒舌吐いてくれちゃって、偉そうなんだから、もう。……え? なんで? 今? ちょっと待って。あー、どうしよう」

 慌てて出た割に、わざとらしいくらい鷹揚な口調で喋っていたのに、途中からどんどん早口になり、電話が切れた今はパニック状態だ。


「どうかしたんですか? 何かまずいことでも?」

「駿が来るって! 今、市役所のあたりって言ってたから、あと5分もしたら着いちゃう。着替えなきゃ」

 まさかとは思うけど、この慌てようは、もしや。

 いや、でも佐々木駿って、5つくらい年下だったような。


「その服で、かわいいぴる。でも、リボンよりこっちのボンネットのほうがすてきかもぴる」

 ソラは瞳を輝かせて、覚えたばかりのボンネットを指差している。

「いや、つらら先生はいつもの黒い服で、黒部屋に行かなきゃいけないんだよ。緊急事態だから、ソラ、ちょっとだけおしゃべりなしで」

「ぷー」


 ふくれたソラの横で北城つららが、あろうことか身につけているものをぽんぽん脱ぎ始めた。彼女の精神状態はもう、十代のガキに下着姿を見られようと構っちゃいられないところまで追い詰められているらしい。


「うわ、つらら先生、早まらないで。僕、すぐ部屋出ますから、着替えはその後で。入口で駿さん待ち伏せして、時間稼いでおきます」

 急いで部屋を出て後ろ手にドアを閉めた。

 可哀想な僕の動揺制御リミッターを修復するチャンスは、いつ来るんだろう。


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