5  養育係は煩悶する ♪レ


「うわぁぁぁ!」


 自分の叫び声で目が覚めた。授業もなく、心晴れやかに迎えるべき土曜の朝に。

 RPGだったらMPが一気にひとケタまで激減しそうな悪夢を見てしまったのだ。


 ダースベイダーがマスクを邪悪に光らせ、

「陸よ。今日からお前はロッテンマイヤーさんになるのだ。さあ、これを着るがいい」

と、濃紺のロングドレスと丸眼鏡をぐいぐい押しつけてくる、という。


 スター・ウォーズとアルプスの少女ハイジのコラボって。夢ってほんとに破天荒なことやってのけるよなあ。


 てことは、昨日体験したような気がする、常識の範囲を大きく逸脱したあれやこれやも、やっぱり夢? うん、そうだ、そうに違いない。

 変な姿勢で寝たせいでギシギシ痛む首を回し、ベッドの上を覗いてみる。


 ぱちくり。


 漫画化したら顔の横に絶対そんな描き文字が添えられそうな目をして、ソラが僕を見つめていた。

 と思うと、こぼれ落ちそうに見開いた水色の瞳をぎゅっとつぶり、なぜか慌ててベッドに寝そべり直している。


「ぐーぐーぐー」 


 うーむ。これは、今わたしは寝ています、というアピールと考えればいいのか?


「うわーーー」


 僕が先ほど発したのと同じ抑揚の叫びを、きっかり1オクターブ上のソプラノで再現して、ソラはむっくりと起き上った。再び開けられた目が「わたし、やり遂げたわ!」的な達成感をキラキラと発散させている。


「えーと……頑張ってくれたのに大変申し訳ないんだけど、さっきの起床方法はかなりイレギュラーなタイプだから、真似しなくていいから。とりあえず、ソラ、おはよう」

「うわーーーは、イレギュラーぷ? いつもは、しない?」

「うん。目を開けて、普通に起き上がるだけでいいから」

「ぷー」


 瞳の輝きが3割減、5割減……と、加速度的に翳っていく。

 見ているのが忍びなくて、ドラマや映画の中の『少女的に好もしい起床シーン』を必死に思い出してみる。


「あ、でも、起き上った時に両手を組んで『んー』って伸びをすると、女の子っぽいかもしれない」

 ここに鏡がなくてよかったと思いつつ、両手を天井に向けて伸ばし、お手本を示してみた。


「両手を組んで……んー!」

 張り切り過ぎたために、『んー』が演歌のこぶしめいて聞こえたけれど、伸ばした腕は女の子らしい曲線を描いている。


 いかん。養育係がドキッとしてどうする。続きだ、続き。

「で、誰かいたら、朝のあいさつ。おはよう」

「陸、おはよう!」


 よかった、達成感のキラキラゲージが上昇に転じている。

「うん、いい感じ」

 親指を立ててグッジョブ! のサインを出したら、またもやぱたんとベッドに倒れた。


 むっくり起き上り、両手を組み、伸びをして「んー」のあと、「陸、おはよう!」。グッジョブのサインまでご丁寧につけ、飽きもせず何度も繰り返している。


 もしかして。

 これから日常生活のありとあらゆるシーンで、こういうやり取りが展開されるのか。


 養育係の苦労を身をもって知った4月の朝。僕は胸の中で、大嫌いだったロッテンマイヤーさんに深々と頭を垂れる。


「ハイジをいじめるヒステリーおばさんめ!」――注 当時実際に使用された言葉よりかなりマイルドな表現に緩和されております――なんて、目の敵にして申し訳ありませんでした。

 あなたにはあなたの、底知れないご苦労があったんですね。


 牛乳。トースト。よ~く目を凝らして見ると、わずかに具が浮いている気がしないでもないスープ。

 冷蔵庫にあったものをかき集めて、僕が作った朝食だ。


 なにせ食パン・バター・牛乳の他は、ビールと酒のつまみくらいしか入っていなかったのだ。スープの具にするため、冷凍庫の奥で発見したしなびた冷凍野菜が傷んでないか、くんくん匂いを嗅ぎ、ベビーサラミの包装を1コずつ剥いて刻んでいる時の切なさといったら。


 物価の優等生にして栄養価も申し分ない卵すら買えないほど、父さんはお金に不自由しているのだろうか。それとも単に食生活に無頓着なだけなのか。

 悲しいほど質素な朝食をリビングへと運び、テーブルに並べる。調理中もずっと僕に張り付いて模倣を怠らなかったソラが、皿の上のトーストを見て目を輝かせた。


「陸、これ! くわえて走って、曲がり角で男の子とドーンって! 恋の必須アイテムぴる!」


 父さんがソラにインプットした恋の予備知識には、かなり偏りがありそうだ。

 ていうか、いくらなんでも古すぎますって。

「そういう恋の芽生え方もごく稀にはあるかもしれないけど、まあ大半の女の子はちゃんとテーブルについて、お行儀よく食べるかな、トーストは」


 今にもエア食パンをくわえて走り出しそうなソラをいなしていたら、父さんが寝惚け眼で起きてきた。

「おお? 朝飯か。何年ぶりかなあ。あ、陸、せっかくだからキャビアのっけちゃおうぜ。えーと、どこだったかな」


 ……はい、「食生活に無頓着」が正解だったわけですね。慎ましやかに卵だけでもなんて言ってないで、後で食材をたんまり買い込んでくるとしよう。


 どこかから発掘してきたキャビア――賞味期限がはなはだ怪しいので、僕は謹んで遠慮しておいた――をこんもりとトーストに載せ、父さんはご満悦だ。この機会に養育係として訊いておかねばならないことをまとめて質問してしまおう。


「ところで父さん。昨日ソラは、なんでロボットと格闘してたの?」

「あー、あれはだな。憑依先のアイドルが顔合わせに来るのはまだ先だし、憑依の実験台になってくれるやつもまだいなかったから」


 ん? 今何か、気になるひと言をさらりと口にしていたような。「まだ」ってなんだ、「まだ」って。


「とりあえず制作中のアンドロイドに憑依させてみようと思ったわけだ。だいたいあんなチャラチャラした格好より、俺の美学をとことん盛り込んだ、メタリックでソリッドなあの姿の方が100万倍かっこいいからな」

「かっこよくないぷ! ソラ、この服のほうが、101万倍好きぴる。 今度アンドロイド着せようとしたら、完膚なきまで破壊するぷ!」


 スカートの裾を愛らしくつまみながらの発言とは思えない、物騒な単語が飛び出した。ともあれ、相手をやり込めようと思う人間なら1000万倍とか1億倍とか派手に数字を上積みしそうなところを、101万倍としたあたりが微笑ましい。


「なるほどね。ソラは、無理やり着せられたアンドロイドを脱ごうとしてたわけか」

「ぴる。無理やり、ダメぷ。ぜったい!」


 どこかで聞いた標語みたいに宣言したソラと、自作のアンドロイドをケチョンケチョンにけなされた父さんが、互いの美意識を巡って睨み合う。のどかな土曜の朝の食卓とは思えない険悪な雰囲気だ。


 こういう時こそさとりの国の住人代表らしく、気の利いた話題転換を。

「今ので思い出したんだけどさ。ソラのキャラクターとか洋服のデザインって、誰が描いたの? メタリック&ソリッド風味が好きな父さんが描いたとは思えないんだけど」


 マーメイドラインのドレスを描いたつもりが、真っ赤なドラム缶にしか見えない父さんの画力に敢えて触れないでおくのは、僕のささやかな親孝行だ。


「あれは苦渋の決断だったんだ。世間に迎合するみたいで嫌だったんだが、ボーカロイドとして手っ取り早く軌道に乗せてしまいたかったからな。ボカロユーザー層が歓迎しそうなのを選んで」

「選んで?」

 いったいどこから? まさかネット上に公開されたものを無断で、とか?


 父さんの目がわかりやすく泳いだ。とことん表情に出やすい人だ。ババ抜きとかポーカーに加わったら最弱王決定レベルの。


「言っておくが、盗作とかじゃないからな、断じて! 双方の合意のもと、物々交換というかなんというか」

「まさかベイダーのマスクかぶって誰かを脅して描かせてる、とかじゃないよね」

「馬鹿言え! 正当な対価を支払ってるって。向こうも楽しんで描いて……」


 しまった、しゃべりすぎたと思ったのか、父さんはスープを一気飲みし、げほげほと盛大にむせてみせた。早速ソラがエアスープを飲み干し、けほけほと真似を試みている。


「さて。腹もいっぱいになったところで、ソラ、今日は陸と散歩にでも行くか?」

 昨日といい今日といい、『上手な話題の逸らし方』という本でもあったらプレゼントしたくなる、この取ってつけたような話題の変換ぶり。


「さんぽ? ソラ、外に出ていいぴる?」

 ソラの髪がぱあっと光を帯びた。スカートがめくれ上がるのも気にせず、ぴょんぴょん飛び跳ねる。

 よかった。持っていたのがエアスープの皿じゃなかったら、興奮のあまり落として粉々にしているところだ。


「ああ、許可する。お前が知りたいとほざく言葉のキモチとやらを、外の世界で体験してくるといい。わからないことは養育係の陸が、全部教えてくれるからな」

「陸、すごいぴる! ぜんぶ教えてくれるぴる?!」

 いやいや、そんな全面的に信頼されても。気持ちの表現なんて実は一番苦手な分野なんですけど……とここで言ってもどうしようもないよなあ。


「あのさ。イヤモニしてればソラの声は聞こえるから、質問には答えられるだろうけど。ソラの姿って、他の人には見えないわけだよね? 僕、何もない空間に向かって喋る危険人物として、ご町内で有名になっちゃうよね、絶対」

「心配するな! こんなこともあろうかと、これを用意しておいた。偉大な父を持ったことを感謝していいぞ。ソラフォ~ン~!」


 金曜のゴールデンタイムにTVから聞こえてくる、あの声にそっくりな節回し。

 父さんが四次元ポケットならぬジーンズのポケットから仰々しく取り出したのは、スマホらしき物体だ。


「ぶっちゃけて言えば、普通のスマホや携帯でも全然問題ないんだ。誰かと電話で話してるふりでソラの質問に答えていれば、変には思われないからな。だがこのソラフォンは、ソラが離れたところに移動してもこっちの声を届けてくれる。しかも! なんらかの事情で声が出せない状況に陥ったら、ソラの頭脳に直接メールができてしまうというスグレモノだ」


「メール? ソラと陸、メル友? メル友ぴる!」

 赤外線でちまちまとメアド交換する暇もなく、ボーカロイドのメル友にされてしまった。


「ソラの質問に図形で答えることもあろうかと、手書き入力もできるようにしといたからな」

 小鼻を得意げに膨らませた父さんからソラフォンを受け取り、僕はできたばかりのメル友に声をかける。


「じゃあ行こうか、ソラ。はじめてのおさんぽってやつに」


 階段を下りる。行先は昨日父さんが『禁断の107号室突入イベント』の囮にしようと目論んだ1階のトイレだ。


「おさんぽ行くぴる。すぐ行くぴる。」

 実体化以来ずっと107号室に軟禁されていたソラは、よっぽど外の世界に憧れていたらしい。軽やかに僕を追い越し、階段の下からわくわくと見上げている。


「トイレ行ってくるからちょっと待ってて。ソラと違って人間は、食べたら出さなきゃいけない動物なんだ」

「トイレぴる?! 女の子が、休み時間に一緒に行くとこ? 手、洗いながら、ウワサ話するとこ? たまに花子さんがいるとこ?」


 父さん……ティーンエイジャーの女の子の常識として、いったい何をインプットしたんだ。


「あー、学校のトイレに限って言えば、まあそんな一面もあるかな。残念ながら僕は花子さんには会ったことないけど。でもトイレに行く一番の目的は生理現象の処理であって、要するに食べたものを出す、という」

「ソラもトイレ行くぴる! 出すぴる!」

「出すって何を? エアスープ飲んでも一滴も出せないから!」


 不毛な会話を続けるうち、トイレの前に着いてしまった。

「ソラもトイレ入るぴる! 出してみせるぴる!」

「いや、どうがんばっても出ないって。それにこっち、男子トイレだから」


 いくら専属の養育係に任命されたとはいえ、トイレの中まで付いて来られちゃたまらない。説得に必死になるあまり気付かなかった。


「仲がいいのは羨ましい限りですが、カラオケのトイレまで一緒に入るというのはいかがなものでしょう」


 いつから見られていたんだろう。

 104号室のドアからお客がにょっきりと顔を出している。


 分厚い眼鏡に大きなマスク。顔の位置からして背は高いようだが、マスクで声がくぐもっているのと短髪のせいで男性なんだか女性なんだか、如何せん判断がつかない。


 いや、そんなことより「仲がいい」だと? 

 ソラの姿は他の人には見えないし、言葉だって届かないはずなのに。それに今朝はまだ店は開けてなかったはずだ。


「えーと、あの……」

 フリーズした僕の隣で、ソラはまだ

「トイレ入るぴる! 花子さんに会うぴる!」

と小さな拳を握りしめ、主張している。


 そのソラにはっきりと視線を向け、104号室のお客が言った。

「その制服、大変よく似合ってますね。天使的レベルです。では」


 ドアがパタンと閉じた。一瞬の沈黙の後、「きゃわ~」だか「きゅい~」だか意味不明の高音が2秒ほど聞こえたかと思うと、耳をつんざくようなヘビメタのイントロがそれを凌駕した。


 今の「きゃわ~」もしくは「きゅい~」は、ヘビメタならではのド派手なギターソロだったのか? 

 ていうか、今の誰? なぜソラが見える?


「似合ってるって! ソラ、ほめられた?」

「うん、ほめられたね、ものすごく。うれしい時は『わーい』って言うといいよ」

「ソラ、ほめられた! うれしいぴる! わーい」


「わーい」の練習にソラが夢中になっている間に、男子トイレへの単独突入に成功した。頭の中には104号室のお客への疑問が充満しているが、とりあえずは消化活動によって腹部に充満したものを出さないと。


 にんげんだもの。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る