準備-PREPARATION-

20XX年 9月9日 8:30 大阪府大阪市中央区 某ビル



「昨晩は、よく寝れたかね?優二君」


ガッシリとしたメタボ体質のような厳つい男は、エレベーターに乗り込みながらそう尋ねた。

優二は、昨日起こった一連の出来事があまりにも衝撃的で、普段から持ち合わせている過去との熾烈な格闘戦による寝不足が増すのではないかと不安であったが、流石に、昨晩は疲れの方が勝っていたようだった。


「はい。ご飯も美味しく頂いたので」


それを聞いた三井は、満足そうな笑みを浮かべてからクリスティーナの方を見てこう言った。


“He is satisfied with supper which you cooked yesterday. ”

 (君が作ってくれた晩餐が美味しかったと、彼が言ってくれているよ。)


 “ Oh,That's good.I'm glad to hear that.”

  (良かった。そう言ってもらえると嬉しいわ。)


昨晩は、彼女が美味しいビーフストロガノフを作って振る舞ってくれた。

円卓のある広い部屋にはキッチンや冷蔵庫も完備され、食材も揃っているので、自前で食事を用意するには苦労しない。

一日二食、朝と晩は交代でメニューを考え、皆で協力して作るのがこの会社の決まりらしい。

そして昼は各自、自由に食事を取る。

むろん、クリスティーナは、ほとんどの作業をさっさと一人でこなしてしまい、類まれな腕で素晴らしい料理を作るので、

昨日は、男二人で仕方なく裏方に回るしかなかったのだが....


「親御さんは、心配していないかい?」


「はい。住み込みの仕事を見つけたと連絡しておいたので」


そう、“株式会社ジェネラル・プリンセス”に採用された優二は、“住み込み”で働くことになったのだ。

そして、三人の“社員”には一人一部屋が用意されていて、中には冷暖房、パソコン、シングルベッドといったものまで、

生活必需品は全て揃っている。

広さは六畳程で一人の成人が生活するには十分であり、他にはトイレとバスルームが別にある。

つまり、このビルの十八階は彼らの“寮”であり、“職場”でもあるのだ。

しかし、こんな条件の良い待遇がある“株式会社ジェネラル・プリンセス”には、こなさなくてはならない“仕事”が勿論ある。

今日は、その初日にあたり、優二とクリスティーナは三井に連れられて「訓練所」に向かっていた。


「どの辺りにあるんですか?....大阪には無さそうですよね....」


てっきり、例のセダン車でどこかに移動するものとばかり考えていた優二はそう尋ねたが、

三井は何やらICカードのようなものを取り出すと、エレベーターのボタンがある下の辺りを鍵で開けた。


「えっ.....何ですか?これ???」


「いいや。我々が向かうのは地下だ」


そこには、ATMのキャッシュカードを入れるような機械が備え付けられていて、三井はそこにそのICカードを入れる。

すると、高速のエレベーターは全く予想外の動きで地下一階にある駐車場のさらに下に向けて降下を始めた。


「.....地下....ですか....?」


予想外の答えに、そうぼやくしかない優二だったが、三井が少し微笑むと

クリスティーナも何も知らない子供に笑いかけるように彼に向かって微笑んだ。

そして、エレベーターの位置を示す光が地下一階の所に差し掛かっても扉は全く開く気配を見せずにさらに降下を続け、数十秒後にようやく停止した。


「.......まじっすか......これは......」


「さぁ、訓練を始めるぞ」


エレベーターの扉が開き、優二が目にした光景は、世間一般の日本人には到底信じられないものだった。

まるで地下要塞のような場所。

だだっ広い地下のスペースに、いくつも仕切りがしてあり、建物の入り口やら車といった街の風景が忠実に再現されてある。

そして、天井はそんなに高くはなく、大人四人分程の高さであり、所々に生身の人間にそっくりなゴム人形が配置され、通行人の役を演じている。

天井の高さに限界がある以外は、普通の“街”がそこには広がっていた。

優二は、その信じられないような「訓練所」を目にして、呆然と突っ立っているだけであったが、

その間に三井とクリスティーナは、すぐ隣にある部屋の中に入って行った後、何かのケースを持って戻って来た。


“ This is your gun. ”

(これが、あなたの武器よ)


「........ぉおっ!?スナイパーライフル!!...本物やっ!!」


クリスティーナが彼に手渡してきたものは実戦用対人スナイパーライフル。


    <H&K MSG90>


優二の新しい愛銃の名はそれだ。

ドイツの銃器メーカーであるヘッケラー&コッホ社が開発した対テロ特殊部隊向けの狙撃銃。

優二の愛銃である「ミクロMss-20」との違いは、弾丸の装填方法で、

この実戦向けの狙撃銃は、「ボルトアクション方式」ではなく「セミオートマチック方式」、つまり連射が可能であることだ。

前者の銃では、一発を撃ってから弾を装填し、次のターゲットに照準を合わせるまでに時間が掛かるが、

後者はその必要がなく、すぐに次のターゲットに移行するができる。

そして何より、特筆すべきはその射程距離だ。

この銃は、「ミクロMss-20」とは比べ物にならない程遠い目標を仕留めることが可能であり、

これらの機能は全て、優二にこれから課される仕事がどのようなものになるかを物語っているようでもあった。


“ How is it,Yuzi-san? Do you like it? ”

  (どう?優二さん。気に入ってくれた?)


そして、彼女が両手に持っているものは、これまた実戦用対人短機関銃、サブマシンガン二丁だ。


            <H&K MP5>

 

彼女が、“職場”で使用する愛銃は、その銃のようだ。

同じドイツのヘッケラー&コッホ社が誇るベストセラーで、

世界中の軍隊や警察で愛用されているサブマシンガン。軽量化が図られていて反動が軽く、女や子供でも簡単に扱うことができてしまう。


“ Why our guns are from Germany? ”

  (なんで、全部ドイツ製なの?)


そう尋ねた優二に、クリスティーナは微笑みながらこう答えた。


“ Actually,We have a distributor in Germany. ”

   (ドイツに業者がいるの)


そして、三井も説明に加わり、こう付け加える。


「ドイツから、あるルートを使って仕入れている。心配ない」


何の心配がいらないのか少し謎ではあるが、優二は噛み切ることができなかった硬いスルメを無理矢理飲み込むような感じで、

三井の発した言葉を自らが持つ懐疑心の奥へと流し込んだ。


“And,This is formal attire.....so called a combat uniform.”

(そして、これがあたし達の戦闘服<コンバット・ユニフォーム>)


よく見ると、クリスティーナはその服装に着替えていた。

群青色のパーカーにプリーツスカート、パチンコ750ccでヤクザを相手に華麗な舞を披露した彼女が身に纏っていた恰好だ。

そして、その下着には黒いスパイスーツを着込んでいて、身体の機動性を確保しているように見える。


(結構こだわってんなぁ...中々イケてるやん)


今風の若者が着ても全く違和感がない。

優二は、てっきり軍隊のような恰好をさせられると思っていたので、クリスティーナの綺麗なシルエットがそのファッショナブルな戦闘服によって、

さらに磨きが掛けられているのを見て生唾を飲み込んだ。

また、彼に手渡された戦闘服(コンバット・ユニフォーム)も、同じく黒いスパイスーツに群青色のパーカーで、彼女のそれと違う点は下がスカートではなく

スノーボードウェアのようなダボダボのルーズパンツである点であった。

そして、その戦闘服と一緒に手渡されたものは黒いアノニマスマスク。

だが、この黒いアノニマスマスクは通販で販売されている安上がりなものでは無さそうで、しっかりと顔に固定できるように高級そうなベルトが備え付けられている。


「そのアノニマスマスクは、中々の優れモノでね。我々が最先端技術の粋を集めて作り上げたのだよ。」


三井は誇らしげにそう説明すると、優二にそれを被ってみるように促した。


“ どうや?優二。中々イケとるやろ? ”


「......っ!?..南野!?」


“ ハハハ。これが最先端技術でっせ。”


その黒いアノニマスマスクは、被ってみると両耳を覆うように設計されていて、中にはマイクと無線機が内臓されている。

その為、急に雑音混じりに南野の声が聞こえてきて優二を驚かせた。


    “ How shall we begin today,Mitsui-san? ”

(三井さん、今日は何から始めればいいのかしら?)


   “ In the mean time,moderate explanation is proper.”

   (取り敢えず、説明から入るのが良いだろう)


群青色のパーカーの上からハーネスを身に着けながら、クリスティーナは三井に「訓練」の流れを尋ねる。

そして、彼女の太もも辺りに目を移すと、いくつかベルトが巻きつけてあり、何かを取り付けられるようになっているようだ。

三井からの指示を聞いたクリスティーナは、ケースからハンドガン二丁と予備弾倉(マガジン)を取り出すと、それらをハーネスと太もものベルトに備え付けて、

最先端技術が詰め込まれている黒いアノニマスマスクをしっかりと被った。


 “ アノニマス(匿名集団)は、三人一組で構成されている”


「あぁ...それは昨日、聞いたで」


“ まぁ焦んなよ。優二。俺らには一人一人、違う役割があんねんけどな....”


「あぁ」

  

“ 俺みたいなハッカーは敵のサーバーに攻撃を仕掛けることはできるんやけど、

直接、マザーコンピューターの管理者権限を奪えるようなケースは非常に稀やねん。”


「.....それは、何となく分かる」


“ そこでや。前線で戦うスパイが必要やねん。 ”

 

「どういう意味?」


“ そのアノニマスマスクには、特殊な電波を飛ばすことができる装置が内臓されとる。非常に強い電波や”



南野がアノニマス(匿名集団)の戦略について説明をしていると、

群青色の戦闘服(コンバット・ユニフォーム)を身に纏ったフル装備のクリスティーナが疾風のように走り出した。

あまりの俊敏さに、呆気に取られてしまう優二だが、あっという間に彼女は五十メートル程先まで駆け抜けて行ってしまう。


“ 言うまでもなく、ほとんどのサーバーは無線LAN(Wifi)で繋がっている。いくつものアクセスポイント(AP)を経由してな。

まぁ、これはいわゆるルーターみたいなもんやと思ってもらってもええわ。”


「....つまり?」


 “ 最近の無線LANは、WEPと呼ばれる方式で暗号化されているんやけど、これは無線電波自体を暗号化しとるから、

めちゃめちゃ脆弱性があるねん。アクセスポイントを堕とせばすぐに解析ができてしまう。”


三井が何やらリモコンのようなものを取り出して操作すると、「訓練所」にある仕切りの隙間から四体の黒いゴム人形が飛び出して来た。

それらの黒いゴム人形達には「ENEMY」と大きく文字が書かれていて、顔と胴体に標的が貼り付けてある。

そして、それを見たクリスティーナはハーネスから素早く二丁のMP5サブマシンガンを抜き取ると、その四体のゴム人形に狙いを定めて発砲した。

すると、やかましい連射音がして、黒いゴム人形達はたちまち蜂の巣にされていく.....。


“ 自分ら二人が敵の陣地に潜り込むと、その周辺にある敵のアクセスポイント(AP)に対して、強い電波で負荷をかけて堕とすことができる。”


「っ!!.....そうか!!なるほど」


“ 敵のサーバーは、いくつも存在していて、自分ら二人が敵陣の内部に侵攻してアクセスポイント(AP)を堕とす度に、俺が解析できる暗号と潜入できるサーバーが増えていく。”


「......ハッキングってそういうことだったのか.....」


“ 実は、俺らはロシアから衛星を借りとってな。敵のサーバーを無力化して操作することができるようになれば、その衛星を経由して、本部と前線のスパイ、俺ら三人のデータリンクが可能になるねん ”


「.........!!」


“ まとめるで。話は至ってシンプル。簡単や。敵のサーバーを、どんどんとこちらの手に堕としていく、そして、最終的にマザーコンピューターへ十分な負荷をかけて攻撃し、管理者権限を奪取する。要は、俺がハッキングをかけられるように、こちらの青陣を増やしていくのが諸君らの仕事や ”


クリスティーナは、抜群の命中精度でMP5サブマシンガンを撃ち続けていたが、銃弾を全て撃ち尽くしてしまい、

太ももに備え付けてある弾倉(マガジン)を装填(リロード)しようとした。

だが、その僅かな隙に五人目のゴム人形が現れ........


“ Ah!...Damn it! ”

(あぁっ...しまった!やだっ!もう!)


透き通った綺麗な声で、軽く悲鳴を上げた彼女の戦闘服(コンバット・ユニフォーム)には生卵の中身が付着していて、それを汚していた。

五人目のゴム人形には小さな空洞があり、どうやら、そこから“発砲”されたことが推測できる。


「今のところ、クリスティーナが近接戦闘を行うことができる限界は四人までだ」


 冷静沈着に彼女の動きを監督していた三井は、そう説明する。


「そこで、君の力が必要になる。彼女の死角から攻撃を与えてくる敵を全て中距離から狙撃し、排除するのだ」


「........!!」


「アノニマス(匿名集団)の小隊は、FIGHTER(戦闘者)、SNIPER(狙撃者)、COMMANDER(指揮者)の三人で構成される」









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