バイパー・ゼロ

20XX年 9月8日 12:05  日本海上空 空域“G”


どんよりとした曇り空の殺風景な日本海上空を二機の小柄な飛行機が地鳴りのような騒々しい爆音を轟かせながら飛んでいる。

海に溶け込んで見えなくなりそうな群青色をした何かを運搬する為に飛んでいるには不自然過ぎる二機の飛行機。



“ Viper01,Order vecter230, Climb Angels20. ”

(バイパー01、2万フィートに上昇し、南西へ向かえ)


航空自衛隊小松基地第六飛行隊所属の高山隼(はやと)一等空尉は自らが駆るF-2戦闘機の操縦席で舌打ちした。

突然、早期警戒管制機(AWACS)から無線が入ったのは後輩の新米パイロットを育成する訓練を行っている最中であったのだが、

聞こえてきたのは福岡県にある築城基地所属のF-15イーグル戦闘機が二機、日本海上空で墜落したという内容で、

彼らのミッションは「訓練」から「偵察」へと切り替わってしまったのだ。


“ Viper01,Roger. ”

(バイパー01、了解)


酸素マスクに内臓されているマイクで、そう応えた高山一尉は内心、嫌な予感がしていた。

航空自衛隊では、領空侵犯や非常事態が起きた際、戦闘機が現場に到着するまで、詳細な情報は伝えられない。

まず、パイロットに一方的に伝えられるのは今からどこへ向かえといった方位と高度のみで、

自分達が、どういうミッションを遂行しなければならないのかは現場に着いてみないと分からないのだ。

操縦桿を握る高山一尉の表情はヘルメットと酸素マスクに覆われて見えないが、間違いなく険しく、

“Falco”(ファルコ)と記された彼のTACネームが、ファイターパイロットとしての佇まいを際立たせている。

TACネームとは戦闘機パイロットに付けられるあだ名のようなもので、彼に与えられた空の上での名はそれであった。


(クソ....築城のF-15は、一体、何をしていやがったんだ?....)


内心、そう呟いた高山一尉が操縦するF-2戦闘機を後方から追いかけているのは、同じ第六飛行隊所属の新米パイロット、正木拓馬三等空尉の乗る機体だ。

彼のTACネームは“POCHIポチ”。

正直で、従順で、お人好しな、彼の性格に因んで付けられたTACネームであったが、その名は同様に、彼のパイロットとしての未熟さを表しているいるようでもある。

高卒である航空学生出身の正木三尉は、戦闘機の操縦課程をギリギリの成績で突破してきた人材で、

今日の「訓練」でも、空中戦の達人である高山一尉に付いて行くのが、やっとであったのだ。


「正木、ちゃんと付いて来てるか?......クソみてーなことにならないことを祈ろうぜ」


「はっ...はいっ!先輩!」


そんな二人の駆る二機のF-2戦闘機は指令通り莫大な推力を利用して上昇し、

これから起こることを予想しているような不気味な暗い雲を突き抜け、どんよりとした曇り空の上に出ると、

目標地点に向けて爆音と共に飛翔していく。

レーダーには、まだ何も映っていなかったが、しばらくすると再びAWACSから無線が聞こえてきて、二人に状況の変化を知らせた。


“ Target230/110,HDG45,SPD500,ALT20 ”

(目標の位置は230度、距離110マイル、速度500ノット、2万フィート、こちらに向かって来る)


(何だと.....冗談だろ?)


高山一尉がそう思うのも無理はない。

彼の嫌な予感はどうやら的中していたようだ。

レーダーに「目標」の位置を示す輝点が二つ現れ始めるが、それは高山一尉に、「目標」が「敵機」になる危険性を知らせていた。


“ RadarContact!,230/80,ALT20 ”

(方位230度、2万フィートで飛行する目標をレーダーで捕捉した!、目標との距離80マイル)


経験の浅い新米を率いて今までに遭遇したことのない脅威に対峙しなくてはならない高山一尉も若干二十八歳の若手である。

戦闘機に乗り始めて四年、過酷な訓練の数々を潜り抜け、様々な命懸けのミッションを経験し、自己研磨を重ねてきたが、

今回ばかりは流石に腹にこたえそうだ。


「クソ...何だ?....速い...」


正木三尉がそう呟く声が聞こえて来た時、高山一尉の目に、こちらに向かって来る二つの黒い飛行物体が映る。

その不気味な影はさらに速度を増し、二機のF-2戦闘機に対して一直進に飛来して来るので、徐々に輪郭がはっきりとしてきたが、

その正体を確かめる暇も無く、四機の歪な飛行機は真正面から互いに近づいて行く。


「畜生っ、戦闘機だ!すれ違うぞ!」


高山一尉がそう叫んだ瞬間、その不気味な飛行物体は正体を現し、一瞬で二機のF-2戦闘機とすれ違った。

動体視力が抜群に良い、彼の目に映ったのは、大きな黒い戦闘機。

相手のパイロットと目が合った。

そして、本来であれば、両翼に付いている筈のミサイルが一発ない......。


「くっ....目標確認っ!Su-33スーパーフランカー二機!」


そう報告した高山一尉の耳に信じられない応えが返って来る。


“ Enemy target is confirmed.Viper01,Cleared to engage.Kill the target.”

     (バイパー01、交戦を許可する。敵機を撃墜せよ)


(なっ....何だと....?)


そう聞き返す暇もなく、二機の黒い「敵機」は素早く反転し、彼らの乗るF-2戦闘機に食らいつく為に攻撃的な軌道を取り始めた。


“....Ragor,Viper01 engae! ”

(....バイパー01、了解。交戦する!)


必要最低限の応えを返した高山一尉はそのまま操縦桿を倒し、機体を九十度傾け、敵機を撃墜する為の軌道に入る。

そうすると、彼の駆るF-2戦闘機は腹に取り付けられている増槽タンクを素早く外し、一切の無駄を削ぎ落とした身軽な機体で機敏な旋回を始めた。

“ドッグ・ファイト(空中戦)”の開始である。

その瞬間から、まるで神に抗ったイカロスのように強烈なGがパイロットに襲い掛かり、シートに縛り付けていく。

ファルコが操縦席にある計器に一瞬目を向けると、自分に圧し掛かる重力加速度を示すGメーターの値がどんどんと上がっていくのが分かる。

....4G...5G...6G.....7G...7.5G......

二機の戦闘機は互いに円を描きながら、敵の背後に回り込もうと旋回軌道を続ける。

だが、この「フランカー」と呼ばれる、敵の戦闘機は、高山一尉らの駆るF-2戦闘機よりも旋回性能では上回っていた。

ロシア製の優れた性能を持つ最新鋭機で、西側諸国の空軍やNATOからも恐れられる程の戦闘機。

そう、彼らの「敵機」は最悪の相手であったのだ。


「うわぁっ...ダメだっ!...ロックオンされるっ!!」


僚機である正木三尉の声が聞こえてきた時、ファルコの乗るF-2戦闘機のコックピットに、赤外線追尾ミサイルにロックオンされたことを知らせる、

耳障りな警告音が鳴り出した。

ゲームセット、撃墜される。

ここで、普通のパイロットに残された選択肢は二つしかない。

一つは、機を捨て、命からがら緊急脱出するか、もう一つは、敗北を認め、機と運命を共にするかだが、

やかましい警告音が鳴り響くコックピットの中で、命の駆け引きをするこの男は冷静であった。

機体を素早く水平に戻す.......あきらめたのか?

今にも敵のパイロットがミサイルの発射ボタンを押しそうな中、

ファルコは、スロットルレバーでエンジンを一気に絞り込み、速度を殺す。

そして、上げ舵をとり、スピードブレーキを開いた後、右方向舵を一杯に踏み込んだ。

すると、視界が三百六十度ぐるりと回転した後、スピードを持て余した相手の「フランカー」が目の前へのめり出して来る。


            “クイック・ロール”


形勢逆転である。

まるで、映画の空中戦に出てくるような妙技であったが、

これが、空戦の天才である“ファルコ”こと、高山隼一等空尉の必殺技だった。

そう、この伊達男は劣勢に立たされた困難な状況の中で、性能が上回る装備を持つ相手に対して自らが持つ技術の粋を集め、

三つ目の選択肢を捻り出したのだ。

そして、HUD(ヘッド・アップ・ディスプレイ)に捕らえた「フランカー」を赤外線追尾ミサイルでロックオンした、

独特の何とも表現できない音が相手にトドメを刺せと言わんばかりに聞こえてくる。


   “ RadarRockOn! Viper01 FOX-2!”

(レーダーロックオン!バイパー01、ミサイル発射!)


ファルコが駆るF-2戦闘機の主翼に備え付けられている赤外線追尾ミサイル、通称サイドワインダ―が機体から離脱し、

「フランカー」の巨大なエンジンから発せられる莫大な熱エネルギーを追って飛翔する。

機体を傾け、回避行動を取ろうとする「フランカー」だが、ファルコからの反撃をプレゼントされ、それを受け取ることを拒否するには、

二機の距離はあまりにも近すぎるようだ。

ミサイルは敵機を完全に捉え、そのまま吸い込まれるようにエンジンに潜り込み、そして、爆発した。

炎に飲まれた「フランカー」は、相手のパイロットに脱出する機会を与えなかったであろう。

そのまま地獄に堕ちるような形で、不気味な暗い雲の下に消えて行ってしまった。


「敵機撃墜!.....待ってろ正木。今、助けてやる」


もう一機の「フランカー」が、正木三尉の乗るF-2戦闘機に食らいつき、今にも襲い掛かろうとしているところであったが、

僚機を失った為か、高山一尉の空中戦技術に恐れをなした為か、反転して北の方角へ逃げ去って行った.....。


「ふぅ....助かった...先輩...それにしても....これは一体....?」


「さぁな。まぁ、クソみてーな状況には、変わりねーだろうよ」













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