過去からの呼び声
20XX年 9月7日 17:15 大阪府寝屋川市
「涼しくなってきたな....」
夏の終わりを告げるような、初秋のそよ風を感じるようになり始めたある日、優二はため息まじりにそう呟いた。
八月を過ぎると何かに急かされているような寂しい気分になる。
そんな、何とも表現しにくい誰かに後ろから引っ張られるような不思議な感覚に毎年悩まされるが、
今は普段通り実家の周りで愛犬の散歩をしている最中であった。
「あっ、こらっ!そこにションベンすんなっ!」
愛犬が何とも間抜けな顔をしながら粗相をした場所は近所にある小学校の正門であった。
優二の、一応の母校である。
「お前は知らんかもしれんけど、
ここの警備員はな、うっさい奴なんやで....元から汚ねぇ学校なんやけどな」
一応の母校をこき下ろすようにチラリと見た後、優二は愛犬の方を凝視して、こう言った。
愛犬は相変わらず人なつっこい顔をしながら何食わぬ顔をしていたが、彼の少年期はどうやらあまり充実していなかったらしいことが伺える。
優二は他にも何か言いたそうなな顔をしていたが、 愛犬のリードを引っ張り実家の方に引き返して行った。
(そういやぁ、あのクソども今頃どうしとるんやろう?)
そんな自分以外の人間を全て否定しているかのような言葉を心の中で呟きながら歩いていた時、
優二はボロボロの自転車に乗った奇妙な女とすれ違った。
髪は背中辺りまで伸びていて、お世辞にも綺麗とは言えそうにない。
着ている服は何日も着替えていないのではないかと疑わせる程のものであり、
顔にはアザのようなものがあって、それを隠す為にマフラーのようなものを巻いている。
そのお世辞にも綺麗だとは言えない顔は、なぜか優二の方を一瞬だけ見て、何かを心配しているような悲しい表情をしていたが、
彼には全く身に覚えのない女であった。
(何やろ?あの陰気そうな女。同い年くらい...いや、多分もっと上だな)
自分のことを棚に上げて、
そんなことを考えながら実家に帰ると、バッタリと父親に出くわした。
「あれ?親父、今日は帰ってくんの早いな」
「今日は残業がなかったからな」
そんな、どこの家庭にもありそうなやり取りをした後、見た目が全く瓜二つなこの二人は少し早い夕食に向かった。
母は祖母の介護の都合で田舎に帰っている時で、優二はあらかじめ用意しておいた夕食を電子レンジで温めて
父親と二人でTVを見ながら食べ始めた。
- 安全保全法案が可決されましたが、街の反応はどうでしょうか? -
そんなアナウンサーの声がTVから独り言のように聞こえてきた時、
無言で飯を食うのも不味いと思った優二はこう切り出した。
「これ、明らかに戦争法案だよね。アメリカに頼まれて作ったんやって」
「ん?そうか?」
「知らないの?」
相手の知らないことに対して、自分の知識をひけらかすのが優二のいつものやり方であった。
それは例え、常識では逆らうことが許されない、自分の父親に対しても同様である。
「もうすぐ経済崩壊が起こるから、日本も戦争できるようにさせられたんやってさ」
「また、Mr.三井の話か?疲れているんだ。勘弁してくれよ」
「陰謀論じゃないよ。日本はデフレからは絶対に脱却できへん。だから後は崩壊するしかないんやって」
「ったく...佐藤主相は統率教会、津波は人口地震、ユダヤ人がどうとかの次は世界大戦か?
それよりも再就職先は見つかったのか?」
それらは全て優二の趣味であった。
半年前に営業職として一年間勤めていた会社を退職し、世間で言うニートになった今は友人もおらず
部屋に引き籠って世界情勢や陰謀論の本を読みあさる生活を送っていた。
唯一の特技は英語と射撃で、
前者は先日、GOEICという試験で900点を取った程度の実力であり、
後者については大学三年の時に警察から許可をもらい、なけなしのバイト代で愛銃を購入したが、
弾代が高く、あまり撃ちに行く機会に恵まれなかった。
しかし、腕前は中々のもので、射撃場に行くと毎回、年配の愛好家達を唸らせる程の腕を持ち合わせている。
そんな一般的な日本人の若者とは若干かけ離れた世界を持つ優二は
夕飯を食す度に父親に余計な心配をかけて困らせていた。
「この間、GPに履歴書を送っといたんやけど、まだ返事が来ないんよ」
「GP?...あー、ジェネラル・プリンセスか。あの新しくできた会社だろ?」
「出版社だよ。ちょっとは英語に関わる仕事がしたいから....」
「それよりも、友達はいないのか?一人で引き籠ってても、ふさぎ込むだけだぞ.... ほら、あのコはどうしてるんだ?よくウチに遊びに来ていた.....」
「あぁ、南野のこと?あいつどうしてるんやろう?中学のときまでは一緒に遊んだりしとったけど
今は何してるのかさっぱり」
「そうか。この間、お母さんが話してたけど、谷渕くん...かな?あの昔、少し悪かったコ」
「ん?誰?そんな奴いたっけ?」
「ほら、お前もよくケンカしてたじゃないか。あのコなんかもう結婚していて子供もいるって。
あんなに悪びれていたのに、今は随分と立派になったって...みんな言っているらしいぞ」
「.........」
「お前も早く自立しないとな。この間行った精神科医の先生も言っていただろう?
いい大人になれないぞって」
今の自分が持つ最も痛い弱点を突かれた優二は、
内心では反論することができていても、実際にそれを口に出すことはできなかった。
「もう飯いいわ。寝る」
そう言い残すと、優二はそそくさとリビングから出ていき、二階にある自分の部屋へと戻って行ってしまった。
「そうか」
たったそれだけのことを自分の息子に対して軽く言ってやると、
優二の父親は、特に何かを気にすることもなくそのままTVで流れているニュースのほうに視線を移したが、
彼も同様に父親のことなど気にも留めず、自分が今最も心地よく感じることができる空間へとさっさと逃げて行った。
しっかりと憶えていた。
暗記力が良い優二は、たった十年ほど前の出来事を今でも鮮明に、まるで昨日のことのように再生することが可能であったのだ。
「谷渕」は当時のいじめの主犯格で、俗に言うDQNな奴。
「南野」とは南野貴志という名の男で、優二の幼き日の親友であり戦友であった。
そしてなにより、彼の記憶の中心には一人のストレートヘアの女がいた。
そんな今ではどうでも良くなってしまったことを考えながら自分の部屋に戻った優二は、
小学生の頃から何も変わっていない学習机に向かい、そこに置いてあるノートパソコンを起動した。
やることは決まっている。オンライン英会話で外人の「おねぇちゃん」と文字通り英会話をするのである。
“Hello,Yuzi-san How are you doing today? ”
(こんにちは、ゆうじさん。ご機嫌いかがですか?)
パソコンの向こうでいつも相手をしてくれているストレートヘアの綺麗な女が現れる。髪の色は金髪だ。
“Well...pretty good.”
(いつも通りだよ。)
そんな英語の初歩的な挨拶をお互いに交わした後、
いつもと変わらない英会話の授業をしていたが、しばらくすると、
そのストレートヘアの女がそれまでと少し違った話題を振ってきた。
“By the way,You are a bit shy,Why?”
(あなた、少し恥ずかしがりやね。何でなの?)
優二は不意を突かれて一瞬戸惑ったが、そう自分に尋ねてきた女の顔が少し魅力的に見えてしまったので、本音で答えることにした。
“Ah....It's just my character,but I was a bit bullied when I was a child.”
(あぁ...単に俺の性格なんだけどね......まぁ子供の頃に少しいじめられてね)
そう答えると、その魅力的なストレートヘアの女は少し、はにかんだような笑顔を見せてこう返してきた。
“ Me too,....We have similar experience in the past.”
(私もですよ。似ていますね。私たちって)
優二はその瞬間、嬉しさとも興奮とも言えない形容しづらい懐かしく甘酸っぱい感覚に襲われたが、
残念ながら一コマ三十分程度の安上がりなオンライン英会話はそこで終わりの時間を迎えたようだ。
“Yuzi-san,Thank you for joining my lesson today,I'm glad to meet you again and really enjoyed our time. see you soon,Bye-bye.”
(ゆうじさん、ご利用ありがとうございます。またお会いできて嬉しかったです。またのご利用をお待ちしておりますね)
唯一の話し相手であり、一瞬で優二の童心をかすめ取って行ったその魅力的な女は、
そう言い残すとただの何もないピクセルの集合体へと変わっていってしまった。
一日の中で最も楽しみにしている時間が過ぎ去った後、優二は次のお楽しみに移る。
- 経済崩壊は近い!目覚めよ日本人! アメリカによる支配から脱却する時が来たのだ! -
パソコンの中でそう叫んでいるのは巷で有名な陰謀論者Mr.三井だ。
優二の中で彼の言葉は絶大な影響力を持ち、それは外の世界においても同じで、
大学生の時に彼の著書に出会い、そのことを話すと一瞬にして友人が一人もいなくなってしまう程の絶大な破壊力を持っていた。
そんな優二の中で最強の人物は直接会ったこともないのに、
彼の話をするとフェードアウトしていってしまうような薄い付き合いの友人達よりも、自分にとって不思議と親近感の沸く人物であった。
- 理由もなくドルが上がっている....おかしいと思いませんか?みなさん -
パソコンから聞こえてくるMr.三井の言葉を聞きながら、だんだんと眠くなってきた優二は、机に突っ伏して目を閉じ、金髪の女のことを考えていた。
(文法通りのキレイな英語....薄化粧やったなぁ....可愛い...あんなんが彼女やったらなぁ....)
気が付くと意識は遠のいていき、そのまま脳の電源をシャットダウンしていった。
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