第8話 父の猶予

「実、食!!」

 チルルは偉いな、なんてボヤキに似た独り言を口から自然と零していた。

 俺が……料理が下手なのは変わりようのない事実。

 それでもチルルは野良犬の様に毛並みをボサボサにして、俺の手料理を平らげてくれる。

 不味い不味い言いながらな。


 てか……チルルいいな。

「ん?」

 おっと、聞かれてしまったか。


 些事に執着しない元気溌剌な彼女の性格は接していて気持ちがいいし。

 何の手入れもしてない無造作ヘアーは自然美の如く人目を惹く。

 加えて他の娘達に引けを取らない整ったスタイルは男心をクスグル。

 彼女にはヒイロやマリーとは一味違った魅力がある、と言うことだ。


 だが同時にチルルは結構な阿呆だ、娘達と一緒に暮らして十日、彼女の言動の節々に阿呆のオーラを感じるビンビンに感じるビンビンに。

「娘達の前で卑猥な単語を口にするな、まったくアナタはこれだから困るんだよ」

 年齢(17歳と300ヶ月)、

 後ろめたい経歴、

 それから気の緩みで見え隠れする小皺こじわを除けば死馬教官は上玉の奥さんなんだが。

 だが死馬教官に欲情してビンビンになってはいけないと俺はビンビンに自戒する。

「ダディ止せ、私はっ、っ、っ、下ネタに弱いんだ」

 赤毛の麗人と称されるマリー・火影は下ネタに弱いメモメモ。


 結局、死馬教官はホウレン荘まで付いて来てしまった。

 俺が飯マズ属性だと説明すると、死馬教官は熟練された独り暮らしスキルを存分に奮ったのだ。

 独り暮らしって心身共に練磨されるんすね。

「所で死馬教官、例の件に付いてですが」

「何の話しだ火疋ひびき、それでもプロポーズのつもりか、判り難い」

「あんたの中で婚期逃したことってどれだけトラウマなんだよッ」

 俺は死馬教官に一喝入れて目を伏せた……教官、もしかして乳首勃ってないか?

「詳細は追って通達する、もしかしたら無駄な杞憂に終わる可能性だってまだ残されている」

「だといいんですけどね」


 俺と教官の会話を彼女達は当然耳にしている。

 出来れば、今ここで娘の誰かが内容に言及し、俺を……不甲斐ない俺を守って欲しかった。

 こんなことを胸中で思う俺は本当に、――不甲斐ない。


「ご馳走様!!」

 チルルは犬食いという不作法ながらも夕餉ゆうげを完食していた。

「ご馳走様」

 次いでヒイロも食事を終え、チルルと一緒に食器を流し台に戻す。

「ふぅ、今日の夕ご飯は美味しい。死馬先生は料理の腕前を誇ってもいいレベルだ」

「どういたしまして、そこまで賞賛してくれる生徒があの悪名高いマリー・火影であったこと、私は生涯忘れないだろう……どうだ、一つ私のことをお母さんと呼んでみないか」

「高く付くぞ。だけどまぁ、美味しいご飯をご馳走してくれてありがとうな、お母様」

 マリーの口八丁に乗せられて、死馬教官は頬を朱に染めていた。

「火疋のことはダディと呼んで、私のことはお母様と呼ぶのか、これをお前はどう思う?」

「どうでもえぇがな!」

 えっと、モモノは残業をやっつけているのか、まだ帰って来ないけど。

 他三人の娘達は俺の死亡フラグをスルーですか、期待してたのにっ。

 

 娘達は三々五々に去り、リビングには死馬教官と俺の二人のみとなった。

 ――お前がパパになるんだよ……え?

 ――いいから、私に任せろ……え、ちょ。

 ――抵抗するな火疋ぃ……やめっ。


「ふぐっ、ふぎ、ふっ、ふぐりぃいいい! っはぁぁ……夢、だったのか、そうか夢って、ん?」

 翌朝、目が覚めると一通の封筒が枕元に置かれてあった。それに、寝間着姿のヒイロが俺と寄り添いながら寝ているし。

「お早う父さん」

「ヒイロ、いつからそこに」

 寝起き時にヒイロ程の美少女が隣に居ると心臓が動悸してしまうのみの心臓の哀れな俺。

「いつから……だったか、父さんが死馬さんとプロレスに興じようとしていた時、不思議に思って」

 ――父さんが死馬さんとプロレスに興じようと。

 察するに、この封筒は死馬教官の慰謝料じゃないか……いや、違う。


 その封筒は西側への潜入計画の指令書だった。

 あの人、昨夜は未然に終わったからと言ってきっちりと俺に報復して行くのな。

「その手紙は?」

「この手紙は……」

 この手紙に由れば、作戦開始時刻は今夜二十時より、チームを組んで西側へ潜入するらしい。

 手紙の文末には綺麗な筆跡で。

『事は一刻を争う、存外、火疋は上の連中から有望視されているみたいだな。これで分かっただろ、上の連中がいかにあてにならないかを……苦渋の決断とは言え、私はみすみすお前を、いや止そう。お前にはまだ死なれてもらっては困るのだけは確かだ、私の教えを活かし、必ずや生きて帰って来いよ、必ずや』

「……縁起悪、だから教官は行き遅れるんですよ!」


 などと揶揄しても手紙の主はもう居ないから、寂しいだけだ。

 ふと気付けば、ヒイロが呆然とした様子で俺を見詰めていた。

 俺は、彼女に助けを請い、縋ってもいいものなのか?

 見っとも無い、それでも男か、腑抜け、なんて具合に後ろ指さされるんじゃないか?


 今はこの任務を放棄して、臆病者の謗りを受ける妄想を巡らせている。

 その時、俺の娘達は周囲からどんな扱いを受けるだろうか……。

 想像を巡らせると、心は反発していた。


 ――その日の二十時。

 俺は教官から指定された装備(と言っても至って普通の高校生の身形)に着替え、集合場所で待機していた。

 俺は意外とプライドが高かったようだ。

 何故なら俺は自分の命よりも、娘達の名誉を取ったのだから。

「では、貴様等に今作戦の概要を伝える。今作戦は……」

 死馬教官はそこで言い淀んだ。そして一度嘆息を吐くと。

「今作戦は西日本へ亡命したとあるご令嬢の確保である、ターゲットの名前は鹿野イブキ。学園長、鹿野マサムネ氏の娘さんだ。重要な人物であるが故、西日本に重要機密を漏洩されてもらっては困るからな、貴様等は速やかに彼女を確保したのち、西に潜伏している協力者と共にターゲットを連れ戻せ、以上」

 俺はその命令を聞いて、疑問を覚えた。


 確か俺は、常士学園のヒエラルキーは逆三角形だと聞いていたはずだ。

「死馬教官、常士学園のヒエラルキーは逆三角形なのではないですか?」

「……だから?」

「だから、……いえ、何でもありません」

「火疋ぃ、ヒエラルキーは私達の方が上であっても、作戦の発令権、及び決定権は学園長にあるんだよ。今回は奴の私情が混じってるのはお前にも分かっているかとは思う」

 教官の的確な返答に、疑問はすぐさま晴れた。

「……それにしても、鹿野カノンはどうした」

「あいつは基本ルーズな奴です」

 そして今作戦のチームにカノンの奴も加わっている。

 まぁターゲットはカノンの姉とのことだし、説得役として必要なんだろうな。

 チーム人数は三人、俺、カノン、とそれから――

「スニ―キングミッション。今! ボクの血は最高に滾って、滾り滾って、いぬ! クンカクンカ」

 向いてねぇぇぇ~、チルルにこの作戦は無理だって、俺以上に素質ねえって。

 懐疑の眼差しを死馬教官に送れば、熱っぽい瞳で見つめ返してくるだけで。

「はぁ」

 俺が吐いた嘆息はこれでもかと言うぐらい、不安な先行きを予言していた。


 今作戦に参加する前、居残るヒイロ達には書置きを残してある。

 ヒイロはどこか天然で、どこか脆い所があるから、後のことはマリーに一任してきた。それは俺を父親として慕い、俺の胸に抱き付いてきた彼女の情動から見れば分かることだ。


 精神的に弱いことは悪なのか、と言われればそれは絶対にないと思う。

 何て言えばいいのか分からないけど、俺はそんな弱い彼女が好きだから。

 

 俺は娘を愛しているから。


 

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