第22話 エンプレス

 エンプレス――優美な銀髪を携える俺の娘の一人は言う。

「結論」

 彼女のかそけし声は俺の耳朶にいつまでも残る程美しかった。

「君は直に零の令嬢の前から消えてしまう」

 それが俺、火疋澪が迎える悲運なのだと彼女は予言する。


 まったく、彼女を例に俺の娘達は父親に対して悪戯が過ぎるんじゃないか。

 不心得に俺の胸中を波立たせて、そんなに意識されたいのかこのカマッテチャン。

 なんて嘯いてみたけど、エンプレスは悲哀を表すよう俺に抱き付いていた。

 いつかのヒイロの時と同じく、彼女は『父親』の存在を確かめている。

 だからか、先程の言葉を、彼女は本気で言っていたのだと俺は確信した。

 

「俺は何処にも行きはしない、俺は……何処にも消えたりはしない」

 言わばこれは俺の鼓舞でもあった。

 俺は娘達の許から消えたりしないと。

 俺は娘達の傍から離れたりしないと。


 だが悲痛に充ちた彼女の眼差しは、それが俺の――欺瞞、だと物語っていた。

 彼女は自身の予知能力に余程苦労させられていたようだ。

 娘の苦衷が、俺にどうしようもない未来を叩き付け、今、心は虚ろになっている。


 それでも俺は君達の傍に居たい。

 ただのそれだけなんだ。


 * * *


 ――西暦2013年7月某日。

 はないちもんめに因り、俺達が東から西へと渡ったその後の推移を先ずは語ろう。

 

 現在俺達はスケキヨさんの保護を受け、西日本の首都メガロポリス大阪に滞在している。西日本へやって来て1ヶ月半は経ったが、未だにここの暮らしには戸惑う場面も多い。

 例えば、ここの最先端のファッションセンスには躊躇いを覚えるし。

 例えば、ここの衣食住に関する機能は便利過ぎて逆に不都合な面もある。


 中でも西日本のファッション感覚に懊悩していた俺は、無難な服――制服――を選択することで周囲の目を誤魔化していた、西日本の学校指定の制服を常に身に纏って、表向きは倹約と謳いながら環境に溶け込む、正に知能的チョイスだじぇ


「ダディっていつも制服を着てるよな」

 ――ッドぉグぃリン。

 あぁ俺、マリーから核心を抉られて心臓が珍妙な動悸を起こしてますやん。

「そう言えば、そろそろ西日本でもプール開きの季節になったな」

 部屋は季節感を感じさせない程、気温調整されている。


 折角の夏、露出する季節だと言うのにメガロポリス大阪は春の陽気に包まれていた。俺達は西日本政府から与えられた零の令嬢の住処で納涼もへったくれもあったものじゃない雰囲気を満喫中だ。

 メガロポリス大阪は半球状のドームに包まれて、ドーム内であれば空調も完璧に整っているから、外出しようとも結局は納涼もへったくれもないのだが。


「ダディ、ここに来る前のヤクソク……覚えてないって顔だな」

 約束? って一体何の……っ、分かった、思い出した。

 それはチルルやマリーと交わした約束。

 西日本で有名なプール施設に行きたいと娘達はご所望だ。

「ってな訳で、私は西日本に点在するプール施設を網羅して来たぞ」

 ――だから私を褒めろ、甘やかせ、世辞でもいいから甘辞を言葉にしろ。


 そう言いながらマリーは俺に甘えて来る。

 終いには、彼女を押し倒したい劣情に駆られそうだ。

「おぉ、やるじゃんお前。ボクは出来るだけ……人目のないプールに行きたい。もぅいゃだ西日本……東日本に帰りたっ、ぁぁ、ぃぃあぁ、アァー」

 チルル、俺の娘の一人は環境に馴染めずホームシックから号泣してました。

 チルルが言うには、

「西日本の連中にはココロがないのか、みんなボクを馬鹿にしやがってぇッ」

 それって一種の人種差別、所謂『いじめ』じゃないか。

 

 ここは父親として、西日本政府に零の令嬢の生活実態を調査するよう要請しなければあかんな。

「チルルに限ったことじゃないさ、私も陰湿ないやがらせを受けているが全て力尽くで返り討ちにしてやってる」

 マリーもか、とするとそこで凄然せいぜんとしているヒイロも?

「……――肯定だ、恐らく私も、だ」

 何が『も』、なんだ。


 喋ることが億劫なのか、ヒイロは総じて説明不足なんだよな。

 しかし、彼女の全てを見通す透明な藍色の瞳に、文句も口から喉へと引っ込む。


「……プール、いいかも知れない、けど、俺達はその前に解決すべき問題がありそうだな。けど妙だ、ヒイロ達は嫌がらせを受けているらしいが、俺は特に……――」

 この時俺は隠された事実に気付いてしまった。

 西日本へやって来て、娘達と一緒にメガロポリス大阪の学校に入り早1ヶ月半。

 転校生の俺の自己紹介に、クラスは疎らな拍手を手向けて、それきり音沙汰なし。

 あの時の俺は(新顔がやって来たのに、妙に手応えがない)と思っていたが。

 もしかして俺、知らぬ間にクラスからハブられていたんじゃないか?


 隠されたその事実を耳にしたチルル、片腕で目を覆い涙腺崩壊って感じです。

「西日本の畜生共め、ぇ、ボク等を迫害しやがっ、げぷ、ッテェ」

 自分のために泣いてくれる娘を持てて、俺は果報者だ。

 だけど、チルルの相変わらずの「不っ細工な泣き方」につい突っ込んでしまった。

「分かった、西日本に於ける俺達の実状は理解したよ、なら――俺達は徹底的に西日本と闘うぞ。そうだろチルル」


「ぅるさぃぃ、がぷ、ぅ、くぇぁ、ゲ、フ」

 チルルは咽び泣きながらゲップしていた。

 それが俺の愛娘の一人、八枝チルルの泣き方だとして。

「父さん、西日本と闘うとは具体的にどんなことを?」

「無論、暴力に訴え出る真似は逆に敗北を意味する」

 俺が諭し始めるとヒイロは「そうか?」と言いたげに首を傾げた。


 悔しいが、西日本は俺達が羨む環境と、最先端の文化体系を保持している。

 ここは紛れもなく理想郷ユートピアだ。

 だが昔の偉い人、ヘラクレイトスは言った、『万物は流転るてんする』と。

「つまり?」

 マリーはやや呆れた様子で俺の結論に耳を傾けている。

 

「結論から言えば、俺達で西日本ユートピアをディスって、東西のバランスを取るんだよ、題して『ユートピアをディスればディストピア』作戦」

 それが俺こと火疋澪が提起する『いじめ、カッコ悪い』の対策だ。


「なるほど、ヤられたらヤり返すっ。ボクはッ!! 徹底的に西日本をディスるゾッ!」

 俺が打ち出したこととは言え、阿呆な娘チルルの喰い付きようと言ったらなかったです。

「私としても概ねOKだダディ、ただ現状を打開する目算はかなり低いと思うけど」

 ですよね、チルルはそのことに気付かず早速『某掲示板』を荒らしているが。


 だから俺達、この貴重な夏休みを使ってネットの世界に没頭することとなったのです。

 生憎東側からの援護は望めそうにない。

 東と西に隔たれた日本は物理的に遮断され、一切の国交が無いのだから。

「何をしている」

「西日本をディスってるッ! 邪魔しないでくれよエンプレス」

「?」


 エンプレス――見目麗しい銀髪を有している俺の娘の一人。

 彼女は東側で言えば、モモノ先生と同じ立ち位置に居る。

 職業はエッセイスト兼、巫女兼、娘。

 彼女にはモモノ理論の様な先見の明があるらしく、

 先月の『はないちもんめ』でモモノが辞退することも見越していたと言うのだ。


 彼女はモモノと同じく、親から貰った『名』が無く。

 西日本の人間は彼女の卓越された予知能力を称して『エンプレス女帝』と呼ぶ。

「西日本をディスって……その先に待ち受けてるのは単なる自己満足だと言うの」

 エンプレスは自身の予知能力を神託だと謳っている。


 先月のことだったか、彼女はその予知能力を以て、

 火疋澪が零の令嬢の許から消え去る未来の予言を授けてくれた。

 

「自己満足ぅ? おいそれどー言うことだよ」

「君達が誇らしげにプールサイドを闊歩しているイメージが私には視えた、そこにどう辿り着くかは君達自身が確かめる他ない。私の予知能力は結論だけ視えて、途中経過は視えない」

 誇らしげにプールサイドを闊歩しているイメージ……ねぇ。

 それって計略『ディストピア』作戦は大成功を収める、ってことじゃないか。

 

「ウォオオオオぉッ! 死ねおっ死ね! ハハハっ、ザマーみろぉッ! ザマぁ!」

 それを聞いたチルルの荒らし行為は三倍速まで跳ね上がった様子です。

 俺は段々、娘チルルの心が腐敗して行く様に堪え切れなくなってきたと言うのに。

「……エンプレスは、西日本で私達の待遇が改善されるにはどうするべきだと思う」

 ヒイロは積極的に新しい姉妹に声を掛けていた。

 まぁ彼女は長女ですからね、姉が妹を気遣うのは当然のことでしょう。


「そうだな……君達が『零の令嬢』である以上、どんな犠牲を払ってでも、私が守り抜くだろう」

「言うは易く行うは難く、口では何とでも言える」

 優雅に盆栽を手入れするエンプレスにマリーは紅蓮の瞳を向けていた。

 銀髪と赤毛の麗人が戯れるように駆け引きをしている。

 その光景は絵画を切り取ったような、幻想的なもので、俺としては文句の付けようがない。

「君達は言う程苦境に在るのか……?」


 ――ゲェっぷ。

「お、ぉ前には分からなっ、ぃぃ~、ボクが受けたハラスメントの、ぅっぷ」

「とにかく、チルルが泣くほどの嫌がらせを受けたことは確かだから」

 だから、ギャルのパンティオークレ、ぐらいのお目溢しをエンプレスには期待していた。もしも彼女が西日本で高い地位にあると言うのなら、学校の生徒達に圧力を掛けてもらってだな。

「いいだろう、父様とうさまの言う通り私の方から学校によく言っておくよ」


 ヒイロは俺のことを「父さん」と呼び、

 マリーは俺のことを「ダディ」と親しみ、

 チルルは「パパ」と来て、

 そしてエンプレスにお鉢が回って「父様とうさま」と呼ぶ娘キタコレっ!


「そう言えば君達が通っている学校だが、どうやら『Diamond‐DD』と言うゲームが流行っているそうだ。そこで君達にはそのゲームで友好を深めることを提案する、何も生徒達と敵対しなくてもいいではないか」


 俺は知っている、俺達が現在居住している西日本は世界的にも顕著な先進国だが、それでも廃れない古き良き伝統があることを知っている。例えば今エンプレスが何気なく弄っている盆栽、その値段は何と時価数千万円は下らないことを、俺は知っている。ボソリ。

「え、え、えぇ、こ、これが時価数千万……円? 嘘だろオイ」

 その値段を知るや否や、チルルはエンプレスの手元をよくよく覗っていた。

「諸君は金など端ものだろ……? 金目当てに私の愛娘にちょっかい出さないでくれるか」

「ボクは知ってるぞ、ここでは大金を積めばそれなりの地位を得られるってことをなッ」

「だから何だ」


 危うく一触即発になりそうだった。今の話しの流れを汲めば、だから俺達にその盆栽を寄越せと言いたくもなるのが人情だ。だが物事の真意を見誤ってはいけない、俺達は困窮しているから様々な嫌がらせを受けているのではないのだから。とすると、俺達に嫌がらせを働く生徒達は何を以て行動に打って出ると言うのか。


 とりあえず高額な盆栽に興奮するチルルを羽交い締めにして宥める。

「……先に言っておく、私の娘達に手出しすれば、君達を地獄に叩き落としてくれるぞ」

 そう言うエンプレスの表情は冷然として、彼女の高貴な品格を一層浮き立たせる。

 彼女は姉妹にも冷血な対応を取っているが、

 ――こんな娘が居てもいいと、俺は思う。


「おいコイツどうするパパ? 自己防衛の一環として売り払うのがベストだよな?」

 エンプレスの忠告を意に介さず、チルルは金に目が眩んでいる。

 しょうがない、ならば――

「っヒヒ、ヒハハハハっ、ィヒッヒッヒヒッハハハッ」

 チルルを大人しくさせるため、俺は脇を猛然とくすぐった。


「ダディがチルルをヒイヒイ言わせてるな」

「問題ないだろ、あれは親子のスキンシップだ」

 その様子をマリーやヒイロが怪訝な眼差しで覗っている。


「ヤめ、これ以上は死ひハハハハ、ハッ、ハッ、ハッ、ッ、ッ、死ぬゥ」

 人をくすぐった経験は少ないが「チルルは敏感だな」と言ってて妄想がもたげる。

 過度に笑わされたチルルは脂汗を掻き、地面に伏して悶絶していた。

「殺す気かッ、はぁ、はぁ」

「どれどれ、ここは一つ私もチルルをくすぐってみるか」

「ヤメっ――らヒフ、ィ……ッアハハハハッ!!」

 極悪令嬢と名高いマリーがこの機を逃すはずもないか、ですよね。

「ヒイロもやってみれば?」

 俺の誘いにヒイロは「……」無言でチルルの足裏を取り、くすぐり始めた。


 チルルからしてみれば今は地獄。

 さっきエンプレスが口にした「地獄」とはこの事だったのか?

「君達は夏季休暇に入ったのだろ? ならお茶にしようじゃないか」

「オーケイ。ダディ、お茶だとさ」

「あぁ、香り良し、舌触り良し、かつ飲み心地も良い茶葉を買ってあるんだ」

「さすがで御座いますダディ、そんなダディには後でご褒美あげないとな」

 傍らでは笑い過ぎて苦悶しているチルルが「いっそ……一思いに殺セ」と呻いていた。 


 結論から言おう、西暦2013年7月某日。

 西日本にやって来た俺は相も変わらず、娘達と幸福な一時を過ごせている。

 その幸せを活力源にして、行く行くは東西の国交正常化を俺が担い。

 いずれは娘達、零の令嬢全員と共に暮らせる日を願いつつ。

「いっそ、一思ぃに……ころ、せ」

「チルル、お茶だ……要らないのか?」

「お前らぁ!」

 あそこでじゃれ合っているヒイロとチルルの二人を今はただ見守りたいだけだ。


 俺は娘達の許から消えたりしないと。

 俺は娘達の傍から離れたりしないと。

 自分を強く持ち、何度も、何度でも、この願いを思い返して。


「遂にボクは辿り着いたぞ! こここそが西日本の桃源郷だッ!」

 次回はプールってことで、一先ず語り終えよう。

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