第3話 灰色の男
何が起こったのかは分からない。
中央の男を取り囲むように二、三十人の若い男が倒れている。
だが中央に立っているソイツが、かなり危険な男だということは戦闘経験の無い俺でも分かった。
「お前、一体何者だ。そこら辺に転がっている野郎どもをボコったのはお前か?」
日向さんは強気な物言いで、男に話しかけた。男を睨む彼女の目は刃物のように鋭い。
男はこちらを振り向く。彼の顔には心が無い。何を考えているのか分からないほど無表情だ。また、よく見ると両方の拳から液体がポタポタと垂れている。それは二、三十人の男達の返り血だろうか。
男から漂う重苦しい存在感に、俺は気圧される。
「俺は
コイツが今回の標的であるLevel'sの元締めということか。しかし、どうしてリーダーであるコイツが自身のグループを潰したのだろうか。
「ここのリーダーだっていうんなら、なぜ自分で潰してしまったんだ?そんなことしなければ、憎き魔族の一部を消すことができたんじゃないのか」
日向さんはさらに問いかけた。
「そうかもしれないな。だが、その程度のことなら俺一人でも達成できるさ。そもそもLevel'sという組織は、ほとんど存在価値の無いモノなんだよ」
灰田は冷めた口調で答えた。まるで、かつて自分が率いていた組織などどうでもいいかのように。
「何……?」
日向さんから疑問の声が漏れる。やはり灰田の言動が気がかりなのだろう。
「そうだな、ここで会ったのも何かの縁だ。せっかくだから俺の昔話でも聞いていってくれないか。そうすればお前達の疑問はすっきりと解消できるだろう」
すると、灰田は唐突にそんな提案を出してきた。未だに無表情のままだ。
「いいぞ。お前の話に付き合ってやろうじゃないか。お前自身に少し興味が湧いてきた」
日向さんは二つ返事で了承した。
「え、本当に言うことを聞くんですか!?何を仕掛けているか分かりませんよ!」
俺は動揺する。
あれだけ危険極まりないオーラを醸し出していて、尚且つ仲間を全滅させるような奴が急に過去を語り出すなんて怪しすぎる。どう考えても罠ではないのか。それを何の疑いもなく受け入れるだなんて、この人は何を考えているのか?
「いいんだ。コイツの過去を知れば奴の人となりが分かるだろうし、気に食わない野郎だって分かったら心置き無くぶん殴れるしな」
俺の心配を他所に、日向さんは男の話に付き合う気でいるようだ。まぁ、そういうことなら仕方ないのかもしれない。それでもまだ不安ではあるが。
「そう警戒するなよ。ただ話をするだけで、お前達には何もしないさ。ちょうど俺の想いを誰かに聞いてほしいと思ってたところなんだ」
灰田は俺を諭すように話しかけてきた。ただ話しかけてきただけなのに重厚な雰囲気に圧倒されてしまう。どう見てもチンピラじゃないだろコイツ。ヤから始まる危ない人間の方がしっくりとくる。
そんなことは臆面にも出さず、俺は渋々灰田の提案に承諾する。
「分かりましたよ。あなたの話を聞きましょう」
「そうか、助かるよ。とりあえず、手の返り血を拭ってからにしてもいいかな」
そう言うと、灰田は側で倒れていた男の服で拳を拭う。いや、確かに血が気になるのは分かるが、止めてやれよ……。我が儘なところもリーダーとして必要な素質とでもいうのか。
一通り拭い終わると(拭われた男の服は血でベトベトだ)、灰田は改めて俺達と向かい合う。
「さて、俺がこれから話すのは昔に起こった悲劇とそれから始まった復讐の物語だ。少々退屈かもしれないが聞いてくれると俺も嬉しい。
「今から十五年前のことだ。その時の俺は誰かを強く恨むような陰湿な性格ではなく、将来に希望を持った少年だった。そんな俺はある日、学校から帰る途中で隣町のショッピングモールへ寄ったんだ。今は無くなったが、その当時はたくさんの人で賑わっていた所だったよ。そこで何気なく散策して回っていた時に、アイツらが現れたんだ。アイツらは二メートルほどの大きい鬼人だった。ソイツらは中央の広場に集まったかと思うと、何の躊躇いも無く周囲の人間、魔族を嬲り殺していったんだ。それはまさに地獄絵図のようだった。それを見た俺は恐怖心をなんとか押さえつけて、すぐさま近くの店に入って棚の陰へ身を隠した。鬼人が三階に上がった時に隠れてやり過ごそうと思ったんだ。しばらくして、鬼人どもは俺のいる三階にまで上がってきた。その間も叫び声は聞こえていたから、終始体が震えていたよ。そうして、鬼人どもが俺のいる店の前まで来た。このまま見つからずに奴らが上の階へ上がれば、俺は全速力で一階まで降りて逃げるつもりだった。奴らが店の前を過ぎたのを確認した時、俺は油断してしまった。手を棚にぶつけてしまったんだ。ガタッ、という音が響いて俺が肝を冷やした時にはもう遅かった。通り過ぎた鬼人どもが俺のいる店まで戻ってきたんだ。
「その時、俺はもうお終いだと思った。数分の後、俺は間違いなく殺されると思ったよ。鬼人の一体が俺の隠れている棚のところまでやってきた。もうすぐ殺される、と死ぬ覚悟を決めた時、『ギャアアア』という野太い叫び声が聞こえたんだ。それは鬼人の声だった。その後も数回に渡って鬼人の叫び声が聞こえて、俺の近くにいた鬼人も叫び声を上げて倒れた。俺は何が起こったのか分からなかった。すると、人影が俺の元へやってきて、『大丈夫か?』と尋ねる声が聞こえた。俺が顔を上げてみると、そこには一人の男が立っていた。
「その男に助けられた俺はショッピングモールを出て、そのまま病院へと運ばれた。助けてくれた男は、後になって“
「その時に俺はLevel'sという組織に出会ったんだ。当時の俺は、異端狩りを目指していてかなり鍛えていた。それをどこから嗅ぎつけたのか、奴らが俺をスカウトしに来たんだ。最初は警戒して、その誘いを断ったよ。けれども奴らは単なる自警団で、悪事を働く魔族を取り締まるために活動していると言ってきた。当時の俺は鍛錬にかまけてばかりで、Level'sのことは何も知らなかった。そのせいで簡単に騙されてしまったんだ。そうして俺は奴らの仲間になった。それから血生臭い生活が始まった。最初は正義感の元に様々な人外どもとドンパチやってきた。強力な獣人の組織を壊滅させたこともあった。その当時は、あの志々楽さんに追いつけていると本気で思っていたさ。だが、それが思い違いだと気づくのはまだ先のことだった。
「今から半年前。俺はいつの間にかLevel'sのリーダーとして担ぎ上げられていた。先代は自分よりも俺の方が適任だといって俺を推薦したようだが、俺はそれを喜んでしまっていた。今思うと本当に馬鹿馬鹿しいよ。そんなもの、何の価値も無かったというのに。ある日のことだ。部下の一人が魚人の一族に負傷させられたという知らせを受けた。それで俺は組織を率いて、魚人どもの元へと報復しに向かった。苦戦はしたが、どうにか始末することができた。しかし、そこで俺はあるものを目にしてしまったんだ。そこには魚人の子供や母親らしき人魚、さらには老いた魚人達がいた。俺の部下がソイツらに斬りかかっていくのを見て、不意にショッピングモールの事件を思い出していた。それで俺は気づいてしまったんだ。俺達は一体何をしていたんだろう、と。これではあの鬼人どもとやってることが同じじゃないか。そう思って俺は足を止めた。しかし俺の気持ちを知るはずもなく、怒り狂った魚人が俺に襲いかかってきた。俺はそれを返り討ちにした。でも、本当はそんなことはしたくなかった。けれども、そうしなければ俺が殺されてしまう。そうして、俺は心中でもがき苦しみながら魚人達を全滅させた。
「その一件から俺は考えを改めた。もうこんなことはしたくない。これではどっちが悪か分からない。しかし、他のメンバーは魔族を恨んで集まった連中だ。その恨みは根深いものだった。そんな奴らを説得するのは至難の業だった。そこで俺は考えた。考えに考えた。そして、ある結論に至った。説得することが出来ないのなら、反論出来ないようにしてやればいいのではないか、と。そうしてタイミングを見計らいながら、連中の隙を窺ってきた。そして今日、それを決行したというわけだ。
「どうだったかな俺の話は。こんな俺でも苦悩してきたということは分かってもらえたかな」
そうして灰田は全てを語り終えた。その暗く重い過去に、俺は何も言えないでいる。そりゃそうだ。悲劇を乗り越えて正義を志していたのに、知らず知らずの内に悪の道へと堕落して、さらなる悲劇を引き起こしてしまった男。彼がどれほど苦しんできたのか想像することができない。俺とは住む世界が全く違う。
同じく彼の話を聴いていた日向さんは険しい表情で正面の灰田を睨んでいる。きっと彼女も今の話に衝撃を受けているのだろう。と、彼女がおもむろに口を開く。
「はぁ、お前の話は長かったなぁ。いつになったら終わるのかずっと気になってたぜ。胸糞悪い話を聞かせてくれて、どうもありがとうよ」
その場の空気をぶち壊すような台詞を言った彼女は、気だるそうな態度を見せる。だが、その眼は獲物を狙う獣のようだった。
一方で、灰田は右手を顎に添えて下の方を見る。
「ふむ、どうやら俺の話はお気に召さなかったようだな。といっても、今のが俺が実際に体験してきたことなのだから工夫のしようが無い」
「確かにお前の過去は辛いものだったかもしれないが、そんなのは関係ないんだよ。お前が辛い思いをしてきたのはお前自身にも責任があるんじゃないのか?なのにお前は、その責任を周りの奴らに押し付けようとしてる。」
日向さんの口調は穏やかなようでいて荒々しい。日向さんは灰田の過去を聞いて、なお彼に食ってかかろうとしている。
「そんな話で私が同情すると思ったら大間違いだぞ。私はお前以上にいろんなモンを見てきた。お前みたいに魔族への恨みと魔族にも家族がいることへの迷いに悩んだ人間も大勢いた。でも、お前がしていることは単なる逃げでしかない。自分だけが特別辛い経験をしているだなんて思ってんじゃねぇぞボケ」
そう吐き捨てた日向さんは拳を握り締める。未だに灰田を睨んでいた眼がより鋭くなっていく。もはや彼と対話をするつもりはないという意思表示だ。
「おい、竜二。しっかりと見ておけよ。これがお前が生きてきた世界とは違う、私の生きる世界だ」
日向さんは前方を睨みながら、俺に話しかけてきた。何気に下の名前を呼び捨てにしたことはさておき、俺は「は、はい……」と狼狽えながら返事をする。今、俺の隣にいる彼女は喫茶店で見た時以上に殺気をまとっている。邪魔になってはいけないかと思い、俺は数歩後ろに下がる。
その途端、一気に日向さんが灰田の元へ走り出す。倒れた男たちを器用に避けつつ、走っていく。二人の距離はあっという間に近くなる。日向さんは灰田の目の前で立ち止まり、左拳を上げてそのまま彼の頬を狙って──────
頬に当たる寸前で止まった。
「何……!?」
日向さんは驚きの声を漏らす。一方、灰田は微動だにしていない。
「どうした?拳を止めていては俺を殴り飛ばすことはできないぞ。お前の力はその程度か?」
日向さんは左手を戻して体勢を整えようとする。だが、灰田の方が一瞬早かった。日向さんが体勢を整える前に彼女の足を蹴り払い、彼女の腹の前で右手を軽くかざす。すると、触れてもいない日向さんの体は何かで叩きつけられたように落下する。
「グフッ……!」
日向さんの顔が強張る。起き上がろうとしても一向に立ち上がれないようだ。アレはもしかして──────
「サイコキネシスか!」
それは魔法が普及したこの世界において、ポピュラーかつ強力な技である。対象物に魔力を送り込むことで自分の思い通りに操る、いわゆる念動力の一種だ。しかし、サイコキネシスはかなり繊細な魔力の操作技術が必要で、全く動かない無機物ですら操るのは容易ではない。ましてや、人一人をあそこまで押さえつけられるのは至難の業だ。
「そうだ。俺は幼い頃からサイコキネシスが得意だった。その巧みな技術に誰もが感嘆の声を上げたものだ。そして、この力があったからこそ俺はLevel'sの前線で戦ってこれた」
そう言った灰田は、かざした右手を握りしめる。すると、日向さんの顔はさらに強張り、苦痛の声を上げ出す。地面に押さえつけるとともに体を締め上げているのか。日向さんの服に握り締められているかのように皺が寄っていく。
「抵抗しても無駄だ。俺の力は人並み以上でな。無理に抗おうとすると体が壊れるぞ」
灰田は感情の無い目で足元の日向さんを見つめる。目に見えない念動力に締めつけられている彼女は、苦痛で顔を歪ませる。抵抗しようと手足を動かそうとしているが、指先ほどしか動かない。
「このまま殺してもいいが、俺は殺生を好まない性格なんだ。せめてお前の意識を奪っておこう。短い間だったが、なかなか面白かったぞ」
そう言って、灰田は掲げた拳を下に叩きつけるように腕を振った──────
「ちょ、ちょっと待った!それ以上その人に手を出すようなら、この俺が相手になってやる!」
自然と、俺の口がそう告げた。
灰田は拳を止めて、俺の方を向く。初めて灰田の驚く表情を見た瞬間だった。
「ほぅ、お前が相手になるというのか。それは結構なことだが、お前は大方付き添いに来ただけの素人なのだろう?一目見てすぐに分かったぞ。己の手を血で汚したことの無い、真っさらな人間だ」
灰田の口ぶりは、俺を馬鹿にしたような言い方だった。確かに俺の言葉は馬鹿なものだったと思う。無力な俺が、正義と悪の狭間でもがいてきた強者の彼にどうやって戦うというのか。獣人を相手取った日向さんすら敵わない相手に何ができるというのか。
「そんなものは実際にやってみなきゃ分からないだろ。こちとら、体は人並み以上に丈夫なんだ。少しはアンタを手こずらせられるかもしれないだろう?」
また、俺の口が勝手に動いた。内心ではビビりまくっているのに、口だけは達者なことを言い出す。俺の悪い癖が今になって現れてしまった。
「その心意気に免じて、この女は見逃してやろう。その代わり、あっけなくやられるんじゃないぞ」
灰田は拳を下ろした。その途端、締めつけていた力が解けたように日向さんはすぐさま飛び起きた。そしてその勢いで灰田に掴みかかろうとする。
「テメェ!!ふざけたことをほざいてんじゃねぇぞ!!」
その直前に、灰田は日向さんの顔の前に左手をかざしていた。すると、日向さんの体はノーバウンドで吹き飛ばされた。
向こうの壁に叩きつけられて、再び立ち上がることはなかった。
「日向さん!!」
「おい、余所見する暇なんてお前にはないはずだぞ。ちゃんと前を見ろ」
俺が日向さんに意識を向けていた最中、灰田は俺のすぐ手前まで走り寄っていた。
灰田の繰り出す拳をかろうじて避ける。それだけで奇跡に近い。しかし、それは続けて起こってはくれなかった。
気がつくと、体が宙を舞っていた。
正確に言うと、灰田が俺の足を払い上げたのだ。俺が避けた際、右足に重心が傾いていたために見事に足払いが決まってしまった。
「ガハッ……!」
背中から落ちた。体育の授業で習った受け身でダメージは軽減されたものの、やはり痛い。
俺が痛みを堪えて体勢を変えようとする。そんな俺に、灰田は俺に右手を向ける。体が何かに引き上げられたように空中に浮かんでいく。抵抗しようにも、手足は空気を切るばかりで何の効果も無かった。
「結局、一分もかからなかったな。残念だ」
ハァ、と灰田はこれ見よがしにため息をつく。
「それはそれとして、お前の勇姿はしっかりと見届けておいたぞ。せめて三日ぐらいは記憶に留めておこう」
そう言って、灰田は右手をゆっくりと握りしめる。じわじわと嬲るように。
“クソッ、俺はなんて無力なんだ!”
先刻、日向さんは気にするなと言ってくれた。けれども、力が無くては満足に戦うこともできないのが真実だ。
だからあの人だって救うことができなかったんだ!
意識が少しずつ遠のいていく。見えない力で締め上げられるというのは、こんなにも怖いものなのか。
“ごめんなさい、日向さん……!ごめんなさい、
激しい銃声が聞こえたかと思うと、俺は地面に倒れていた。一体何が起こったのか。
誰かの声が聞こえてくる。
薄れゆく意識の中で聞こえたのは、女性が俺に話しかける声だった。
「間一髪、てところですね。間に合って良かった。さぁ、後のことは私に任せてください──────」
そこで、俺の意識は完全に無くなった。
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