第2話 日向綾音
猫耳ちゃんに絡んできた犬頭の連中を一気に蹴散らした
そして俺と目が合うと、ニコッと人懐っこい少年のような笑みを浮かべた。
「だから言っただろ。お前の出る幕じゃなかったんだよ」
確かに彼女の言う通りであった。
魔族の中でも屈指の身体能力を誇る獣族を三体も相手取るなんて普通の人間ではない。軍人並かそれ以上の実力だと言えるだろう。
「何であんなに強いんですか。それに、請負屋というのは一体どんな仕事なんですか?」
俺は日向さんに問いかける。やはり彼女が何者であるかは聞かずにはいられなかった。
質問を受けた日向さんは、よくぞ聞いてくれたとばかりに貧相な……ではなくスレンダーな胸を張る。
「そうか、私のことがそんなに知りたいか。ならば教えてやろう。さっきの喧嘩を見てたなら名前は知ってるよな。請負屋というのは、いわば何でも屋に近い仕事だ。人探しから争いごとの仲裁まであらゆる依頼を請け負うんだ」
説明を終えた後も、えへんとドヤ顔をかましている。そんなに自分の素性を明かすのが誇らしいのだろうか。
どうやら請負屋というのは奉仕活動を行う自営業のようだ。確かにこのご時世は何かとトラブルが多い。そうしたトラブルの解決を代理して行ってくれる存在というのはありがたいものだ。
「へぇ〜。世の中には変わった職種の方もいるんですね。それじゃ、俺は家に帰らせていただきます……」
「まぁ待てよ。ここで会ったのも何かの縁だ。近くの喫茶店にでも入って、私の話を聞いていってくれよ」
捕まってしまった。
猫耳ちゃんを助けてもらって用が済んだから早く家に帰って『ニャンニャンアイドル メグミちゃん』を見たかったというのに!この人は俺に一体何の用があるというのだろう。
というか、先ほどから肩を掴まれているところから尋常ではない痛みが生じている。
なるほど、この握力ならあの犬男達を容易に撃退することもできる──────
「───痛い痛い痛い!!!アンタ俺の肩を潰すつもりか!!」
すると日向さんは力加減を誤ったことに気がついて、俺の肩から手を離してくれた。
「悪い悪い。どうしても君と話がしたかったから、つい焦ってしまったよ」
ハハハ、と笑う日向さん。
いくらなんでもアプローチが強引すぎるわ。ナンパとしては不合格である。
とはいえ、このまま家に帰ろうとすると今度はスープレックスされかねない。
この人は意外に人と話すのが好きなのかもしれないし、それを無碍にするのは申し訳ない。
「わ、分かりましたよ。もうしばらく付き合いますよ。で、その喫茶店はどこにあるんですか?」
誘いに乗ってくれたことが嬉しかったのか日向さんの表情が、パァと明るくなる。どうやら彼女は感情表現が豊かな人のようだ。
「路地を出て右側の方に馴染みの店があるんだ。案内するよ」
そう言って、日向さんは路地の出口に向かって歩き出す。
と、不意にこちらへ振り返った。
「そういや、まだ名前を聞いてなかったな。君の名前は?」
今更すぎる。しかし、聞かれたからには名乗らなければなるまい。
「俺の名前は
「ふーん、変わった苗字だな。ところで、第一高校は魔法教育に熱心な学校だったよな。じゃあ君も何か魔法が使えるのか?」
「う、それは……」
日向さんの質問に言葉を濁してしまう。
俺は魔法が全然使えない。しかし魔法教育に力を注いでいる一高で魔法がからっきしというのは、世間的に恥晒しと言える。だから、人にはそのことは言いたくはないのだ。
「どうしたんだ?何か言えない事情でもあるのか?」
日向さんは澄んだ瞳で俺を見つめてくる。
うぅ。そんな綺麗な目で見られると、悪いことをしていないのに罪悪感を感じてしまうじゃないか。
「……実は魔法は全く使えないんです。いつも実技試験は赤点で毎回追試を受けてます」
意を決して告白する。これ以上見つめられたら胸が張り裂けるところだった。危ない危ない。
それに対して日向さんは、
「あ、そうなんだ。そんなの気にすることないぞ。私だって魔法は全然だからさ」
何でもないことかのように自分の短所を口に出した。
「え……?」
俺は呆然とする。
魔法が常識と化しているこの世界で、魔法が使えないことを当然のことのように告げた日向さんに驚愕していた。
周りの生徒は自分の魔法を確立し、どんどん上達させている中で俺だけが魔法を使えずに悔しい思いをしてきた、この十六年。
日向さんの言葉は、そんな俺の人生を肯定してくれたように感じた。
「お、おい!何で急に泣いてるんだよ!何かマズイことを言ったか私!?」
どうやら俺は涙を流していたようだ。慌てる日向さんの顔が歪んでよく見えない。
「い、いえ……。何でもないです。気にしないでください」
袖で涙を拭い、平静を装う。
日向さんは未だに動揺している。
「まぁ君がそう言うならこれ以上は追及しないが。けど、魔法が使えないことはあまり気にしなくていいんだぞ。それは個性の一つだろう」
「……ありがとうございます。そう言ってもらってとても嬉しいです」
そうして湿っぽい空気が流れる。お互いに黙ったまま立ち尽くしている。
「ゴホン。なんか、変な空気になってしまったな。気を取り直して、喫茶店に向かおうか。相談ならそこで聞いてあげられるぞ」
日向さんは気を遣ってくれたのか、明るい口調で語りかけてくれた。
それとともに、俺の中で日向さんに対する警戒心が一気に解消された。
この人は、きっといい人なんだ。明るくて頼もしくて、そして優しい。
確かにこの人なら頼み事をしようという気にさせてくれる。請負屋というのは、この人にとって天職なのかもしれない。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて相談してみようかな」
自然と口元が緩む。
日向さんも、温かい笑みを浮かべている。
「それじゃあ、行くか」
日向さんは路地を出て歩き出す。俺はその後を追う。
その道中、俺の心は満たされたような心地を感じていた。
あ。
そういや、今日の『ニャンニャンアイドル メグミちゃん』はもう見られないな。
まぁ録画してあるからいいんだけど。
日向さんの後を追うこと十分と少々。
気がつけば俺の知らない通りまで来ていた。生まれも育ちもここ奏内市なのだが、この通りは全く見覚えが無かった。穴場スポット、というやつだろうか。
その中に一軒の喫茶店があった。
こじんまりとしているが外観は綺麗で、店の入り口近くにはたくさんの花が植えられた花壇がある。
そして、看板には“箱の庭”と書かれている。この店の名前だろう。
「ここが私がよく通っている喫茶店だ。殺風景な所だが、ここのメニューはどれも美味いんだ」
「こんな所に喫茶店があったなんて知りませんでしたよ。というか、この辺りに来たことすらありませんでした」
「まぁここら辺は人通りが少ないしあまり有名でもないしな。前にこの店のマスターが依頼に来たことがあってな。それから長い付き合いなんだ。じゃあ、入るぞ」
そう言うと、日向さんは入口のドアノブを引いて中に入る。俺も彼女に続く。
店内には客はいないようだった。
だが掃除は行き届いているようで、床には埃は落ちていない。照明の光が床に反射して輝いている。
そしてカウンターには強面で貫禄のある男性が立っていた。おそらく彼がこの店のマスターだろう。
「いらっしゃい……て、何だ日向か。お前の顔は見飽きてきたよ。暇なのか?」
マスターは抑揚の無い声で、さらっと皮肉めいた言葉を言う。
「うるせぇよ。常連客がいるだけで感謝してほしいぐらいだぞ。と、そうだ。竜二はコーヒー飲めるか?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「そうか。じゃあコーヒー二人分頼むわ、マスター」
はいはい、と面倒そうにしつつもマスターは丁寧にコーヒーの準備を始める。
そういえば、いつの間にか日向さんの俺の呼び方が竜二になっている。
路地でのやり取りがあってから、一気に距離が近くなった。
「そういや、ここはいつ来ても客が入ってねぇよな。そんなんで経営は大丈夫なのか?」
席に着くや否や、日向さんは唐突に失礼なことを言い出した。
しかしマスターは微動だにしない。
「は、お前のとこよりは繁盛してるさ。俺のことより自分の心配をしたらどうなんだ。」
「うぅ。わ、私の方だって繁盛してるわ!週に二、三人は依頼に来てくれるし!」
マスターの指摘に明らかに動揺する日向さん。
その様子だと、あまり業績は芳しくないようだ。
……路地での考えは撤回する必要があるようだ。この人の天職は請負屋じゃない。
日向さんは悔しそうに唸っていたが、やがて
俺の方に向き直す。
「さて。君の相談に乗ってやりたいのは山々だが、実はこの後も予定があるんだ。それを優先させたい。……ところで、君は“Level's”という組織を知っているか」
「ええ、知ってますよ。彼らの悪評はよく耳にしますからね」
“Level's”。
その単語を聞いて、俺は固唾を飲み込んだ。
それは人間と魔族が共存しているこの世界において、魔族を敵視する人間が集まって構成されたチンピラ集団の名前である。
基本的に人魔間は仲が良く、互いに助け合って生きているが、例外もある。
各々の事情から、魔族を敵視する人間もいれば人間を敵視する魔族もいる。
そういった者達は、互いに憎む相手を暴力によって私怨を晴らそうとする。
“Level's”というのはその中の一つのグループである。
「オーク数体と揉め事を起こしたりピクシーを虐めたり妖狐に嫌がらせを行ったり、と挙げればキリがありませんね」
「そうだ。しかも最近の奴らはより過激になってきている。それを問題視するとある人物から依頼を受けて、私は連中の動向を探っていたんだ。そして、遂に奴らのアジトを発見した。私はこれからそこへ向かうつもりだ」
そうだったのか。確かに日向さんの力があれば、チンピラ集団なんて簡単に蹴ちらすことができるだろう。そうなれば、この街も安全になる。
だが──────
「コーヒー二人分です。どうぞ」
マスターが淹れたてのコーヒーを持ってきた。机の上に置かれたコーヒーからは湯気が立ちのぼっている。
いただきます、と言ってそれを飲む。うん、美味い。
「ところで、日向さん。一つ聞いてもいいですか」
「何だ。言ってみな」
「何でその話を俺にするんですか?」
「何でって君にその仕事を手伝ってほしいからだけど?」
日向さんの口調は軽かった。だから俺も、ああそうかと納得しそうになった。
「……て、ハァ!!!?どうして俺が手伝うことになるんですか!」
話が唐突過ぎて理解できない。
一方で日向さんはまぁまぁ、と俺を嗜める。
「本当は一人で向かうつもりだったんだ。けど、相手は二、三十人のチンピラだ。たった一人で乗り込むのは少し心許ないなぁ、と思い始めたところに君と出会ったんだ。だからこれはチャンスかな、と」
「いや、だとしても素人の俺が同行したところで何の役にも立ちませんよ!?」
路地裏で他校のヤンキーと喧嘩をするような性分ではない俺では、あっという間にボコボコにされてしまうだろう。
「あぁ、それは大丈夫。君はただ私の側で仕事を見てくれればいい。要は仕事を遂行しましたという保証人になってほしいんだよ」
それは本当に必要な役目なのか?むしろ邪魔にしかなってないような気がするが。
「……いざって時は日向さんが守ってくれますか?」
「ああ、君には傷一つ負わせはしないさ。任せときな」
日向さんは断言した。
正直それでもかなり不安ではある。何の力も無い俺がチンピラとの抗争に巻き込まれれば生き残れる自信なんて持てない。
しかし──────
「分かりました。俺が出来る範囲内であなたに協力します。その代わりにちゃんと守ってくださいよ」
この人のことをもっと知りたいと思える気持ちの方が強かった。
強くて優しい彼女に惹かれたのかもしれない。
彼女の後を追えば、何の力も無い俺でも何かを得られるような気がした。
「それじゃ、契約は成立したな。とりあえず今日のところはよろしく頼むよ」
日向さんは右手を差し出す。
俺は右手でその手を握り、握手する。
どんなに困難な状況でも、彼女と一緒にいれば必ず乗り越えられる。そんな気がしていた。
「ところで、自分の分のコーヒー代は払ってくれよ?」
「奢りじゃなかったのかよ!ケチくさいな!」
これから先が一気に思いやられてしまう一言だった。
喫茶店を出て、目的地であるLevel'sのアジトへ向かっていた。
日向さんは事前に場所を暗記しているようで、そこまでは問題なく行けるそうだ。
「いよいよ敵地に突入するんですね。今になって不安で胸がいっぱいになってますよ……」
目的地へと向かう道中。
俺は不安を吐き出すように、溜め息混じりに呟いた。
隣で歩く日向さんの表情は涼しげで、全く不安を感じていない様子だ。
「まだ目的地に着いてすらいないのにその調子かよ。お前って意外に小心者なんだなぁ。安心しろ、私の傍にいれば心配することなんてないからな」
なんて男前な台詞なんだ。俺じゃとても言えそうにない台詞だ。男として自分に自信が持てなくなりそうだ。
アジトまではまだ時間がかかるようなので、俺は適当な話題を提示することにした。
「そういえば、日向さんってどうして請負屋なんて仕事を始めたんですか。そんなに魅力のある仕事なんですか?」
この人は只者じゃないことはよく分かった。獣人を相手取れるような人が、どうして何でも屋を営むことになったのか。
用心棒とか似合うと思うのだけれど。
質問を受けた日向さんはそうだなぁ、と斜め上を見つめて言葉を紡ぎだす。
「私は昔、用心棒みたいなことをしてたんだが、その時に色々な人間や魔族と対峙してきたんだ。そういう仕事をしていると、様々なトラブルに巻き込まれることも多くてな。おかげで、見たくもない悲劇を数々見てきた。だから、私の手でそうした悲劇を未然に防ごうと思ったんだ。その方法として思いついたのが、何でも屋である請負屋だったというわけさ」
そう語る日向さんの目は遠くを見つめている。平静を装っているようだが、どことなく儚いようにも見える。
興味本位で聞いたはいいものの、なかなか壮絶な過去で少し戸惑ってしまう。気軽に聞いてはいけなかったかな。
「おいおい、そんな辛気臭い顔するなよ。昔のことは割り切ってるし、今は楽しくやってるんだから気にしないでくれ」
日向さんは俺を励ますように笑いかける。
日向さんがそう言うのなら、これ以上俺が気に病んでも仕方が無い。
人魔間のいざこざというのは昔から起こっていることだ。
互いに共存してきたとはいえ、やはり生活や文化の違いというのはどうしても現れてしまう。人間社会では許されることでも、魔族の中では受け入れられないこともあるし、その逆も然りだ。
その後も他愛のない話をしながら歩いていった。
すると、いつの間にか目的地であるLevel'sのアジトへと辿り着いていた。
辺りは夕方になっていたので、少し薄暗くなっている。
そこはいわゆる廃屋だった。前までは工場の倉庫だったらしいが、その工場が倒産したために倉庫はもぬけの殻となっていた。何故か取り壊されることも無く放置されていたところに、チンピラ共が自らの根城としたのだ。
重苦しい静寂を漂わせる廃屋を目の前にして、俺は少なからず緊張してしまう。
「この中にLevel'sのメンバーが集まっているわけですね。いよいよ覚悟を決める時が来たようです……」
「あぁ、しっかりと私の後についてこいよ。ここからは戦場だからな」
そうして、俺たちは廃屋の中へと入っていく。するとすぐに大きく開けた空間が現れる。薄暗いながらもその空間の中央で、誰かが立っているのが視認できた。
その人影に向かって日向さんは話しかける。
「お前はLevel'sの一員か?悪いが、お前達の計画はここで潰させてもらうぜ」
その声を聞いた人影は、ゆっくりとこちらの方に向く。人影の方から、低く無感情な声が聞こえてくる。
「あぁ、そうか。だが申し訳ないことに、お前達の出番はもう無くなってしまったようだ」
と。
俺は気がついた。
倉庫の中央には二、三十人ほどの若者が一様に倒れていた。
そして。
その有象無象をひれ伏せているかのように、一人の男が立っていた。
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