一九九五年十月九日夜半 サラエヴォ空港・貨物用駐機場

「遅かったな……随分と待ちくたびれたぞ」


 チェネレントラ・パッヘルベルら、四人の騎士がサラエヴォ空港に到着する頃、辺りはとっくに死臭に塗れ、戦痕はそこかしこに刻まれていた。壁にめり込んだ跳弾、両断された遺骸、壁に叩きつけられ、原型を留めぬほどに潰れきった……かつてヒトだった・・・・・もの。――全ては自らを擬似的な機動兵器と化す事で、先んじて到着したロサ・カニーナの仕業だった。

 

「あら、立派な御御足ドルンを六本も持った、貴女と一緒にしないでくれる? カイーナ」

 

 すると一人、この戦場に似つかわしくない雪渓フィルンの髪をかきあげながら、チェネレントラ・パッヘルベルが前に出る。彼女の羽織る白いケープは、相変わらず積もったばかりの雪のように純白だった。


「生憎と。我儘なお姫様・・・・・・をお迎えする為の、相応の準備が必要だったんでな」 

 

 肩をすくめるロサ・カニーナは、積み上げられたコンテナから飛び降りると、嫌味に嫌味で返しながらドルンをしまう。――ここへ来るまでは六本の脚、来てからは六振りの剣と化していたソレは、瞬時に背嚢に収納されると、傍目には小学生の背負うランドセルのようにしか映らない。


「ふふ……それはご苦労さま。では皆さん、カボチャの馬車が到着するまで、優雅にティーパーティーとでも参りましょうか」


 茶会。すなわち戦闘の終焉。絶対空感アプサリュートナを有するチェネレントラが告げるからには、間違いなくこの戦域での戦闘は終わりを迎えたのだ。一部の者は安堵の息を漏らし、また一部の者は退屈そうに背伸びをし――、いずれにせよ、五人の少女の表情には年相応の幼さが戻る。


「お茶。お茶か〜、ボクはジュースがいいな!」

「コー……ヒー……ないかな……ミルクは……なくて、いいから」

「――はいはい、では私が探して来ましょうね」


 めいめいに希望を述べるブランチェットとベルシネット、そしてそれを宥めるヒンメル。こうして二人の幼児を保母が取りまとめるのを他所に、ロサ・カニーナは無言のまま一点を指差す。そこには幾つかの紙袋と小瓶が置いてあった。


「あら、荊のお姫様は気も利くのね?」

「我儘なお姫様を待ってる間、如何せん暇だったんでな」

「ほうほうこれは……ボスニア・コーヒーに、お茶のほうはなんでしょうね……」


 チェネレントラとロサ・カニーナの会話に割り込むように、眼鏡をいじりながら分析を試みるヒンメル。簡易のX線照射機能を持つ彼女のそれは、密閉された空間の先に何があるのか、おおまかではあるが把握する事ができる。


「粉の細かさで分かったか……茶のほうはお姫様のお口に合えばいいがな」

「まあ、私のはインチキ透視術じゃあないですからね、お茶……どうでしょうね? 隊長」

「ふふ……ちゃんとルーマニア式を用意してくれてますわ。ありがとうカイーナ。なにせわたくし一部始終を・・・・・見ておりましたから」


 ロサ・カニーナの元につかつかと歩み、背後から肩に手を置くチェネレントラは、耳元でそう囁く。寸時に赤くなるロサ・カニーナの頬だが、それは正面に回らなければ見えなかったろう……最も、ヒンメルのサーモグラフィーは別だろうが。


「ふん……下らん趣味だな。のぞき見する暇があれば、もう少し急いでくればいいものを」

「ふふ……カイーナが甲斐甲斐しくお茶の葉を探しているのが面白かったものですから」


 こうなればもう二人の世界である。微笑ましく見守るヒンメルと、そんな事は気にもとめずパクパクと菓子を頬張るブランチェットとベルシネット。それらもまた、このロサ・カニーナが用意したものだった。彼女は早々に空港を制圧すると、いそいそと茶会の準備をしていたのだ。


「ん〜、おいしいねえ。身体を動かした後はやっぱり甘い物だよね!」

「ヒンメル……コーヒー……のみたいな……」

「――はいはい、今淹れますからね〜」


 交わされる呑気な会話は、ここがとても戦場の成れの果てだとは思わせもしないが……しかしてヒンメルの持ってきたカップには平然と血糊が付いており、このティーパーティーの狂気を物語って憚らない。


「ヒンメル。わたくしは血のついたカップなんて御免ですわよ」

「……はいはい」




 ――サラエヴォ空港。一九九二年からセルビア……もといスルプスカの砲撃に晒された交通の要衝は、滑走路下に掘られたトンネルによって市街と繋がっている。紛争中、物資の輸送に使われたここは、文字通りボスニアの命脈と言って差し支えなかった。その要衝の一部を駐屯地としていたイギリス軍は今や壊滅し、代わりに五人の少女が和やかにお茶会を楽しんでいる。


「どうぞ。上手く淹れられているかは分かりませんが」

「頂きますわ……いい香り。ロクムもまあ……カイーナバラの」

 

 と、ヒンメルに差し出されたカップを受け取り、優雅にティーを楽しむチェネレントラ。ルーマニア式のティーにはフルーツが煎じられていて、血の鉄の臭いに混じり、場違いな芳香が辺りに漂う。


「たまたまあっただけだ……というか、それを選んだのはヒンメルだろう」

 

 コンテナに座り、チェネレントラに背を向けたままコーヒーを啜るロサ・カニーナ。彼女の名――、ロサ・カニーナとは犬薔薇を意味し、だからチェネレントラは、バラ味のロクムをカイーナと評したのだ。


「皆さん気が利いていらっしゃるのですわ。わたくしが貴女の事を大好きだと、理解してくれているのですから……この食感、初心うぶで柔らかで可愛らしくて、まるでカイーナの身体のよう」


 3つあったバラ味のロクムを一つずつ頬張り、舌なめずりをしてチェネレントラは言う。ロクム――すなわちターキッシュ・ディライト。澱粉にナッツと果実を加えたそれは、やわらかい独特の食感の後に、繊細な甘さが余韻を残す、トルコの伝統菓子だ。


「抜かせ……ふざけた事を」


 それきり黙りこくったまま、コーヒーを飲み干したロサ・カニーナは、忌々しげにカップを壁に投げつけると、仏頂面で立ち上がる。一角にはボスニア・コーヒーの粉が四散し、黒い染みを作る。


「あら……もったないない」

「誰かさんに似て、腹黒で後味の悪いコーヒーだったんでな。――だからボスニア・コーヒーは嫌いなんだ。上澄みだけ啜るなんて器用な真似、この私にできるものか」


 ボスニア・コーヒーとは、とどのつまりトルコ式のコーヒーである。細かく挽いたコーヒーの粉末を、フィルタに通さず直接淹れる。そうして粉が沈みきった後に、上澄みだけを頂く。――ロクムもトルコ・コーヒーも、遠い昔にボスニアの一帯がオスマン・トルコ軍に支配された折に齎されたもので――、皮肉にも、紛争で噴出した他民族という憎悪は、多様な文化の裏返しでもあった。


「ふふ……わたくしは上澄みが大好きですけれど。誰も彼も、わざわざ残された灰を被ろうなんて思わないでしょ? わたくしは嫌ですわ。綺麗な上澄みで、ガラスの上履きを履いて踊っていたい。――たとえばそう、貴女のようなバラ味のロクムと」


 チェネレントラもまた、そう言うとロサ・カニーナを追うように立ち上がる。その後姿をニコニコと見つめるヒンメル。意にも介さず黙々と飲み食らうブランチェットとベルシネット。邪魔する者の誰もいない狂った茶会は、お迎えの馬車ヴィータが訪れるまで、半刻ほど続いた。

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