第9話 教団の力

 仁徳天皇陵のすぐ西側の堀の側に立つ府立学校の職員室を接収し尾田は『堺市化学工場火災対策室』の前線基地として待機していた。

 予定より早く、一時間ほど前に突然官房長官を通じて『治安出動命令』が出され、それを自衛隊特殊作戦群に伝えた後の尾田には、目前の窓から見える大きく聳える真っ黒な墳丘を眺めることしか出来ることはなかった。

 彼の横では自衛隊と警察および大阪府と堺市の現場責任者が同じように、墳丘の影を見つめていた。

 数分前に円頂部の頂上で閃光が見えたので特殊作戦群がそこへ辿りつき、テロリストに対し音響閃光弾を使用して制圧作戦を開始したことはわかったが、それ以上の情報は作戦群長からまだ入ってこない。

 じりじりとした時間だけが過ぎていく。

 その時、傍らの堺市担当者の専用電話と、大阪府警の専用電話が同時に鳴った。

 連絡官の通話は、スピーカーを通じて職員室内の全員に流れた。

 二つの電話の内容はまったく同じものだった。

 一般住民を避難させた筈の天皇陵付近の街に、あらゆるルートから何千人もの男女がまるで溢れ出すように集結しているという情報だった。

「住民の避難は完了した筈じゃなかったのか。有毒物質の危険がある街にいったい誰が集まってるっていうんだ」

 尾田の叫ぶような声にあの若い警察官僚が弱弱しく答えた。

「はい、あの、住民の避難は確認したので、それは間違いありません。住民以外の何者かがこの周辺に集まっているものと思われます」

 あたりまえの答えにさらに尾田は苛つきながら指示を出した。

「まずそいつらが何者か情報を集めろ。外見の特徴、年齢層、武装の有無、どこからどうやって来たのか、何かを主張しているのか」

 復唱するように連絡官がそれを言うと、受話器の向こうの警官らしき人物からの答えがスピーカーを通して室内に響いた。

「年齢層は子供を除く老若男女で特定できません。どこから来たのかわかりませんが、阪和線三国ヶ丘駅、百舌鳥駅および南海高野線堺東駅、百舌鳥八幡駅から次々と仁徳陵を目指して群衆が集まっています」

「仁徳陵付近は化学工場火災の影響で立ち入り禁止になっていると警官たちが進入を制止している筈だろう」

「彼らは一切の制止を無視しています。数が多すぎて現在の警官数ではまったく制止は不可能です。何千人、もしかしたら何万人かもしれません。とにかく列車が着くたびにまるでラッシュアワーのように人間が溢れ出して来ます」

 現場の警官の報告はまるで悲鳴のようだった。

「すでに治安出動命令は発令されているんだ。どんな手段を講じてもそいつらの侵入を阻止しろ」

 尾田の命令に現場からの答えが返ってきた。

「お言葉ですが、彼らはまったく武器らしいものは持っていません。怒声や抗議の声もありません。ただ静かに天皇陵に向かって歩いているだけです。いくら治安出動命令が出ていても、そんな人間に対して銃を向けることは出来ません」

「何をバカなっ。モニターまわせ」

 吐き捨てるように言った尾田の前に、部下がノート型のパソコンのような携帯モニターを差し出した。

 そこには警察か自衛隊の記録班による映像が中継されていた。

 多分JR百舌鳥駅だと思われる駅舎から大勢の人間が吐き出されている映像だった。確かにラッシュアワーのように、無数の人々が何か一定の秩序を持って無表情のまま駅舎から続々と出てきていた。

ただ彼らがみな私服であることと、若者から老人まで含めた老若男女であることが都会の通勤風景との大きな違いだった。

 通信班のカメラは大きくパンして、背後から群集の向かっている方向を映し出した。

そこには夜の闇に浮かぶ巨大な天皇陵のシルエットが浮かんでいる。群衆は黙々と御陵通りから天皇陵周辺を囲む遊歩道に向かって進んでいく。周辺には数名の警官や、避難した住民に代わって街に入っていた市職員らしき人間が立っていたが、群集とのあまりの数の違いに制止する術もなくただ呆然と彼らを眺めていた。

「彼らは我々の制止も聞きませんが、信号や道路標識などにはまったく逆らわず、騒ぐことも、何かを主張することもありません。特にリーダーがいるようにも見えませんが、秩序は完全に保たれており、治安出動の武器使用の要件に当てはまるような騒乱はまったくみられません」

 カメラを回す通信班の隊員のナレーションが入った。

 多分、群集の進行を止められない現場を擁護するための言葉なのかもしれないが、武器使用要件にまで言及したことに尾田は少し怒りを覚えて言った。

「とにかく、駅の出口を封鎖しろ。それからJRおよび南海電鉄に連絡して、緊急事態として天皇陵周辺の駅での停車を中止させろ。

もちろん理由は化学工場の事故だ。マスコミは騒ぎ出すかもしれんが、これ以上謎の群集が増えるのを防ぐためだ。仕方ない」

 そして、再びモニターを見ながら叫んだ。

「あの群集が全員首に掛けている丸いものは何だ?メダルのように見えるが」

 現場からの声が室内のスピーカーに響いた。

「メダルというより、金属製の小さな鏡のようです。少し黄色を帯びた銀色で、片面が鏡面で反面には何か細かい文様が刻まれているようです。円の縁は三角に盛り上がっています」

 尾田にはそれが三角縁神獣鏡だということはわからなかった。ただ何かの呪術的な道具であることは直感的に感じていた。

「天皇陵内に立て籠もるテロリストと何か関係があるに違いない。すぐに公安に問い合わせて、調べさせろ」

 天皇陵内では、一度閃光が光っただけで自衛隊は、作戦の成否も途中経過すら知らせてこない。外では何千人もの謎の集団が天皇陵を目指して集結している。状況はモニターを通じて同時に東京の内閣官房に直接伝わっている筈なのに中央からの具体的な指示は一切来ない。

(みんなしらんぷりしやがって。結局何があっても最後に責任を取るのは俺かよ)

 尾田は心の中で毒づいていた。

 その時、傍らにいた連絡官が言った。

「尾田室長、宮内庁掌典長からお電話が入っています」

「掌典長?」

 とっさには尾田もその職称に覚えが無く、どんな部局かまったくわからなかったが、少し考えて思い出した。戦前の宮内省時代に存在した、宮中祭祀を司るのが掌典職であり、その長が掌典長だ。ただし戦後、日本国憲法の発布とともに、公務員の部局としては廃止され、現在は皇室内廷費をもって人件費に充てられる、天皇家の私的部署となっているため、厳密には宮内庁職員ではない。このため、国家公務員である尾田が直接関わることは無かった。つまり彼らは天皇家の私的使用人であるため、公務員の尾田に対し直接指示命令系統は無い。

 ただし掌典長は歴代、元皇族、旧華族が就任することが慣例となっているため、あまりむげに扱うことは出来ない。

(こんなときにどうせ現場の状況を聞きたいとか、のんびりしたことを言うんだろうな)

 いまいましい思いを隠して尾田は受話器を取った。



 天皇陵の中では自衛隊特殊作戦群と、グリーンペペこと瀬掘洋子、そして樹上のアヤタチを含む三者のじりじりとした時間が続いていた。

 その均衡を破ったのは盛り土の背後からふらつきながら出てきたナシメだった。

 石室から出てきたナシメはランチャーの脇に立つと叫んだ。

「自衛隊の諸君、このランチャーには放射性物質が詰まった弾が装填されている。いますぐ武装解除しないと、ボタンひとつでUSJに向かって発射されることになります」

 群長は一瞬その言葉にたじろいだ。すかさずナシメは頭上に携帯によく似た発射ボタンらしき金属製品をかざしながら言った。

「これは嘘ではありません。私が外交官時代にロシアから手に入れた数ミリグラムのポロニウムのカプセルが装填されています。軍事の専門家の皆さんならその意味がおわかりでしょう」

(そうか、ファットボーイの正体はポロニウムか)

 群長はなぜ放射性物質を簡単に日本国内に持ち込み、さらに何の施設も無いこの天皇陵で管理出来るのか理解した。

 ポロニウムとは原子番号84の元素でウランの百億倍もの放射能を持つ史上最強の毒薬と呼ばれる物質だ。体内被曝した場合の致死量は一千万分一gと言われる。ただしその放射線はほぼ透過力の弱いα線のみであるために、紙一枚で遮ることが出来る。このため体外被曝の心配も無くカプセルなどに詰めることで容易に携行できるほか、通常のγ線の計測器では感知不可能であるため、航空機などによる持ち込みも可能だ。この特性を利用して近年ではロシアの元情報部員アレクサンドル・リトビネンコやPLOのアラファト議長の遺体からポロニウムが検出されたために暗殺の手段としても注目を浴びている。

 しかしながらポロニウムは自然界にはほとんど存在せず、その精製には大規模な原子力施設が必要である。現段階でその能力があるのはロシアや米国など原子力大国と言われる数カ国のみとされている。

 同時に群長はテロリストの正体が、元外務省アジア局長の羽田米次郎であることにも気付き愕然とした。彼の経歴から考えてファットボーイの正体がポロニウムであることがはったりとは判断できない。

(うかつには手は出せない)

 仮にポロニウムの量が僅か1ミリグラムであったとしてもそれは一万人の致死量に相当する。それだけのポロニウムが閉園前のUSJに降りそそげば、どうなるのか。

 体内に入らなければほぼ無害なこの物質の眼に見えない埃を完全に除去することは不可能だ。何万人もの入園者のある者は死の埃を吸い、体内被曝のため命を落とし、ある者は幸運にも死の埃から免れ生き延びる。

 家族や恋人同士であっても、死と生は、その埃が体内に入るか否かで運命は別れてしまう。

 また、体内に取り込まれなかったポロニウムの埃は、来園者の衣服やあるいはスタッフの靴、納入業者の車のボンネットなどあらゆる場所に付着し園外に拡散される。

 ある時、突然大阪とはまったく離れた場所で、偶然死の埃を吸ってしまった人が体内被曝による多臓器不全で亡くなってしまう。

 ポロニウムの存在など念頭に無い医師によって「生活習慣病に由来する多臓器不全」と診断されれば、その核種は社会と隔離されることなく再び拡散される。患者の便や、体を診察した医師、看護士に付着して。さらには彼らの遺体が荼毘に付されたあともポロニウムは再び煙や灰とともに社会に拡散し、新たな宿主を探す可能性すらある。もしそのポロニウムがPO209であれば、その半減期は百年以上だ。

 眼に見えない死の埃の恐怖は半永久的に続くと言っても過言ではない。

 躊躇する群長の姿にナシメはさらに追い討ちをかけるように言った。

「総理から治安出動命令が出たことは知っています。それと同時に私も全国数十万人の『日御子の光教団』信者に対し、日御子さまを守るためにこの仁徳天皇陵に集結するよう直接メールとネットを通じて指示を出しました。多分今頃は既に近隣から数千人の信者がこの天皇陵に詰め掛けている頃でしょう。その数は時を経るほど数万人にまで増えてくるはずです。いまここであなたが我々に対し危害を加えれば、教団信者たち全員を敵に回すことになります。我々の信者はオウム事件のような特殊な集団ではありません。ごく平凡な日本国民です。そんな彼らに対してもあなた方は銃を向けることが出来ますか?」

 まるで勝ち誇ったようなナシメの態度に怒りを覚えながら群長は判断を迫られていた。  前方には国民の命を人質に核物質を持ったナシメ、頭上には異常な戦闘能力を持つ宮内庁衛視といわれる男。その両方を敵に回し流石の陸上自衛隊特殊作戦群長もなす術がなかった。

 その時、洋子の頭上を大きな黒い影が横切った。

 巨大なムササビのようなその影は、数回葉擦れの音を残してナシメの背後に降り立った。

 アヤタチだった。

 ナシメが振り返ろうとした時には、すでに彼の右手にあったファットボーイの発射ボタンはアヤタチに奪われていた。

「ナシメはん、いろいろご馳走になったのに邪魔して悪いな。せやけど、ワイがここへ来たんは、この物騒なもんを陵から運びだすんと、あんたらにも出て行ってもらうためや」

 そう言ってアヤタチは発射装置を手にひらひらさせながらナシメから離れた。

 その様子を見ていた群長は、アヤタチが発射ボタンを押すことは無いと判断したのか、

命令を下した。

「トキ、カモメ、ライチョウ、ランチャーを確保!」

 コードネームを呼ばれた三人の隊員は円陣から飛び出すと呆然と立ち尽くすナシメを無視するかのように、隣に設置されたランチャーに駆け寄ると、専門知識があるらしく、瞬く間にそれを組み立て前の携行用の形にまで分解し、ポロニウムのカプセルが入っていると思われるロケット弾を慎重に取り出し、金属製の携帯バッグの中に仕舞い込むと、何かの番号を打ち込んでロックを掛けた。

 そして群長が次にナシメの身柄確保の号令をかけようとした時に、アヤタチが群長に向かって言った。

「ちょっと待ってや」

 一時は戦闘相手ではあったものの、宮内庁衛視であるという洋子の言葉と、ナシメからランチャーの発射装置を奪った行動から、『味方ではないが、敵でもないだろう』と判断していた男からの言葉に彼は一瞬戸惑った。

「そこにいるナシメはんは、もうこいつがなければ何も出来へんよ」

 そして手の中にあった発射装置を群長に向かって放った。

 反射的にそれをキャッチした群長にアヤタチは続けた。

「ワイはあんたらの邪魔するつもりはあらへん。せやけど事情があってこのナシメはんと一緒にいる女の人を守りたいんや。あんたらどんな命令を受けてここへきたんか知らへんけど、ワイに免じてナシメはんと女性の二人を助けてくれへんか」

 群長はナシメと一緒にいる女と聞いて、すぐ眼前にいる洋子を見た。

「ちがう、ちがう。その人は内閣調査室のグリーンぺぺはんや。あんたらのお仲間や。ワイが言うてるんは、あの石室の中にいる日御子はんという女性や」

 事情がわからず説明を求めるようにこちらを見る群長と洋子の視線が合った。

 ようやく聴力が戻りかけてきた洋子は、しかし日御子のことをどう説明していいかわからなかった。

 この状況で日御子があの邪馬台国の卑弥呼やその後継者トヨの血を引き継ぐ家船の一族で、天皇家とも深い関わりがあることを合理的に説明する自信は無かった。

「中にいる方は、日御子さんと言って、日御子の光教団の代表というか教祖で、えっと、かつては皇室とも深いつながりがある一族の末裔で、それで・・・」

 しどろもどろの洋子に対ししびれを切らした群長が叫んだ。

「君たちは一体、我々日本国政府側の人間なのか、それともテロリストの味方なのか、はっきりしてくれ」

「ワイはどちらでもないで」

 アヤタチが群長に向かって堂々と答えた。

「ワイは日本国籍すら持ってない、影の人間や。日本国政府なんぞ何とも思うてへん。せやけど日御子はんやナシメはんの味方でもあらへん。ワイの目的はただ、この天皇陵からみんなに静かに出て行ってもらえばそれでえんや」

「君はいったい何を言っているんだ。これ以上の説明は無用だ。我々は君を含めて我々に反抗する人間はとりあえず制圧する」

 群長はきっぱり言い切って右手を挙げて部下たちに総攻撃の合図を出そうとした。

 アヤタチが反撃の態勢を取った。

 洋子はなぜか反射的にアヤタチの方に逃げようとしていた。自分でも自分の行動に理由が付けられない。

 ナシメは放心したように立ち尽くしているだけだった。

「少しお待ちください」

 石室への出入り口から女性の声が響いた。

「私は何の抵抗もするつもりはありません。

このとおり何も危険なものは持っていません」

 そう言いながら姿を現したのは日御子だった。

 彼女は両手を広げて何の害意も無いことを証明しながら、まっすぐ群長の前まで歩いた。

 何かに気圧されたかのように、その場の全員が群長に近づく日御子を呆然と見ていただけだった。

 当の群長自身も、まさかテロリストの正体がこんな若く美しくそして気高い女性とは想像もしていなかったのか、命令のために振り上げた右手を降ろすことも忘れて日御子を見つめていた。

 日御子は気のせいか微笑みのような表情を湛えたまま群長に両手を差し出した。

 隣にいた隊員の一人が慌てて彼女の両手を後ろ手に捕縛しようとしたが群長はそれを制し、持っていたフレックスカフと呼ばれる、電気コードを束ねるケーブルタイのような樹脂製の手錠を引き取ると、日御子の差し出す両手を気遣うようにそっと拘束した。

「なんでや、日御子はん」

 背後でアヤタチが叫んだが日御子は振り向かない。

「君たちも一応拘束させてもらう。手向かう場合は攻撃の対象とする」

 その群長の言葉を合図に他の隊員がアヤタチと洋子とナシメの周囲を取り囲むと、同じようにフレックスカフで拘束しようとした。

 一瞬アヤタチが反抗する素振りを見せたが、日御子が捕捉された今となっては無駄なことと観念したのか大人しく両手を差し出した。

 洋子に近づいた隊員は、彼女が自分と同じ政府側の人間であるために少し躊躇し、群長を振り返ったが、目で合図され

「少し我慢してください」と小声で言うと、痛みが伴わないようにそっと両手を拘束した。

 ナシメもまったく無抵抗だった。

 (とりあえず、任務は終わった)

 少し安心したのか、群長は穏やかな声で言った。

「それでは、全員我々と一緒にこの天皇陵から撤収していただきます」

「すみません。最後にもう一度ここで祈りをあげさせてください。もちろんこのままで結構です」

日御子が捕縛されたまでよいというジェスチャをしながら言った。

少しためらったのち、群長は黙って頷いた。

「ありがとうございます」

 そして日御子は背筋を伸ばすと天に向かって、「かけまくもいともかしこきあまつちの・・・」と祝詞のような祈りを唱え始めた。

 その声はまるで空に吸い込まれるように響き渡った。

 日御子の柔らかく美しい声で唱えられる祈りの言葉はクラシックの名曲のようにその場にいる全員の心を揺さぶった。

 言葉の意味は不明だったが、誰もがいつまでもその声を聞きていたいと思った。

 洋子も心を揺さぶられる思いで日御子の祈りを聴いていたが、ふと以前に同じ祈りを聞いたことがあるような感覚にとらわれた。

(デジャブかな) そう思いながらも、既視感が離れず、まだ完全には回復していない聴力で懸命に日御子の祈りを聴いた。

衰えた聴力のために余計な雑音が排除され洋子はその旋律のみに集中した。リズムやテンポこそ違え、そのメロディはまさしく日本人なら誰でも知っているものだった。

「これってかごめかごめのメロディじゃない」

思わず洋子は隣にいたアヤタチに訴えた。

既にそれを知っていたかのように彼は頷いた。

「どういうことなの ?」と尋ねた洋子にアヤタチが答えようとした時、遠くから日御子の祈りに同調するように同じメロディが聞こえてきた。

それは一人や二人の声ではない。何千人、何万人もの声で歌われる『かごめかごめ』の歌だった。

日御子が祈りを止めた。

それでも天皇陵の周りから聞こえる『かごめかごめ』の大合唱は続いていた。

これには明らかに自衛隊の作戦群隊員たちも動揺していた。

たった今テロリストを確保したと思い、ほっとしていたところが、逆に天皇陵ごと何千何万人もの敵に取り囲まれている可能性があるのだ。

「どういうことだ。この歌は誰が何の目的で歌っているんだ」

 動揺を隠せない群長に向かって日御子が静かに答えた。

「これはナシメが呼び寄せた私達教団のメンバーが歌っているのです。大丈夫、彼らは私と祈りを共にするだけで、あなたたちに危害を加えることはありません」

 それにしてもなぜ『かごめかごめ』なのだろう、という洋子の疑問を見透かしたようにアヤタチが教えてくれた。

「かごめかごめの歌はな、本来、日御子はんのようなトヨの一族の再来を願う歌なんや」

「どういうこと?だって日御子の光教団とは関係なく日本全国どこでも、子供たちが歌っているわらべ歌じゃない。それがなぜトヨの一族の再来を願う歌なの?」

「よう歌の内容を考えてみたらわかるやろ」

 

かごめ、かごめ

 かごの中の鳥はいついつ出やる

 夜明けの晩に

 鶴と亀がすべった

 後ろの正面だあれ


 心の中で洋子はこの奇妙な歌詞を歌いながら考えた。

 確かに全体では何かが解放されることを待ち望んでいるような感じも無くはないが、それにしても言葉が不可解すぎて日御子と結びつかない。

 それを察したようにアヤタチが説明してくれた。

「かごめは文字通りかごの中の女、あるいはかごの姫っていう意味や。このかご姫がトヨや。天武天皇によって無理やり伊勢神宮に祀られる前に本来トヨ一族の始祖、豊受大神を祀っていたのが、籠と書いてこの神社。今でも『元伊勢』と呼ばれ丹後一宮として鎮座している神社や。つまり『かごめ』はまさしく日御子はんのようなトヨ一族の女性を指すんや」

「かごの中の鳥もやはりトヨのこと?」

「そうや。自由に空を飛ぶ能力を持つ鳥は神の使いとされていたんや。神武天皇の東征にヤタ鴉や黄金の鳶が出てきたり、ヤマトタケルが死んで白鳥になったりと、かつての日本では鳥は神の化身やったんや。せやから今でも神社には神域との境には必ず鳥が下りてくる場所として鳥居があるやろ」

「そういえば、この仁徳天皇陵があるエリアも百舌鳥って言う地名ね」

 黙って頷くアヤタチに尚も洋子は尋ねる。

「その後の夜明けの晩にって何?鶴と亀がすべるって何、後ろの正面って、なんだか矛盾している言葉が多いわね」

「まあ夜明けの晩を、満月の夜と言う人もいれば、曙時ゆう人もいる。鶴と亀がすべる、これも、トヨ一族の復活により、鶴と亀のように長期間続いた統治、つまり天皇制が崩れるとも考えられるし、逆にすべったを統べた、として鶴を象徴としたトヨ一族と亀が暗示する現皇室による新たな長く幸福な時代がやってくる、とも考えられるんや。そしてその時後ろの正面、つまりトヨ一族と皇室の背後にいるのはワイらスサノオを始祖とする影の一族やということや」

「ちょっと出来すぎな話ね」

 得意そうなアヤタチの表情になぜか少し反抗したくなって洋子は素っ気無く言った。

するとそばで聞いていた日御子が諭すように洋子に話した。

「由緒ある神社の神職者なら誰でも、男系の天皇家と、そして女系のトヨ一族、そしてこの二つを守るアヤタチさんのような影の一族の存在は知っているのが当たり前なの。事実江戸時代以前に成立したほとんどの神社の祭神は、アマテラスの皇室系、豊受大神系、スサノオ系の三系統のいずれかなの。ただ天武天皇による歴史改ざんによりすべてが皇室系の中に隠されてしまっただけ」

「全国の心ある神職者が、そのことを密かに後世に伝えるために、わらべ歌として境内で遊ぶ子供たちに教えたんが『かごめかごめ』の歌や。せやから、この歌は今でも発祥の地も時代も不明確ながら、日本中ほとんど同じ歌詞で伝わっているんや」

 洋子の脳裏には、全国津々浦々の古びた神社の境内で遊ぶ無垢の幼子たちに、悲しみと慈しみとそして歴史を改ざんしたものへの怒りをを込めて「かごめうた」を教える神職の姿が想い描かれた。

 アヤタチ達の話を聞いていた群長が厳しい声で突き放した。

「あなた方の話はにわかには信じられない。しかしとりあえず現状において、あの大合唱の連中が、我々に対する反意がないとは思えない。もしこのまま『かごめかごめ』の大合唱が続くようなら陵外の部隊に連絡して武力を行使してでも彼らを排除せざるを得ない」

 日御子は悲しい眼をして群長を見た。

 彼はその視線を正面から受けることが出来ず、明らかに眼をそらした。

 自衛隊の誇る最新鋭の機密部隊を率いる群長でさえ、その厳しい言葉とうらはらに日御子の魅力に囚われつつあるのが見えた。

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