第7話 金色の鳶作戦

堺市役所二十一階の『堺市化学工場火災対策室』で、大阪府警からの報告を聞きながら、尾田はあの若いキャリア組警視が意外に有能だったことに感心していた。

午後七時、既に日は沈み、あたりはかなり暗い。しかし天皇陵を囲む街の光と道路を行きかう車のライトは日常のそれとまったく変わらない。

これなら仁徳天皇陵周囲の住民がごっそり大阪府警と堺市役所の人間に入れ替わっているとは誰も気がつかないだろう。

「化学工場の事故で有毒物質が下水に混入し、その水が仁徳天皇陵付近に流入した可能性がある。その下水が気化すると猛毒が発生し、それが洗面所やトイレなどの下水管を通じて屋内に入り込む可能性がある、との名目で避難を命じたところ、かなり速やかに対象住民の退避を完了することが出来ました」

 得意そうな府警からの報告を受けながら、尾田は傍らの特殊作戦群群長に尋ねた。

「住民がいなくなった今、作戦指導の前線基地を天皇陵の側まで移動したほうがいいと思うのですが、自衛隊としての見解はどうでしょうか」

 こんな場合でも顔をバラクラバと呼ばれるフェイスマスクで覆っていて彼の表情は読めない。ただ左胸に付けられた、日の丸、剣、鳶、桜星、そして榊が意匠された徽章が特殊作戦群長であることを証明しているのみだった。

 もちろん彼の本名も尾田は知らない。

彼は机上の地図に描かれた仁徳天皇陵北西部の堀がいびつな形で盛り上がっている部分を指しながら言った。

「この茶山古墳にベースキャンプを張り、ここからテロリストのいる円頂部に侵入しようと考えています」

 そこは多くの陪塚の中でも最も仁徳陵円頂部に近い中堤上にある直径五十五メートルの円墳で、かつて豊臣秀吉が、仁徳陵で狩をする際の居宅を建てたことから茶山古墳と呼ばれている。この小さな古墳もまた宮内庁の陵墓指定のために学術調査はされていない。

「この古墳は高さが八メートルありますから、円頂部から逆側をキャンプにすればテロリストからは死角になります。円頂部までの距離は中堀を挟んで直線で二百メートル弱しかありませんから、我々としては臨機応変に作戦を遂行することが出来ます」

「しかし、そこではいくらなんでも相手に近すぎて通信機器など持ち込めないし、下手をすればこちらの声さえ相手に聞こえてしまう距離ではありませんか」

 尾田は前線の指揮官として自分もそこに駐在するつもりで危惧することを語った。

「いえ、ここには我々陸上自衛隊特殊作戦群の精鋭のみがキャンプを張ります。あなた方はそうですね、少し西側にある府立学校の教室でもお借りしてそこで政府のお偉いさんとの意思疎通でも図っていてください。後日我々現場の人間だけが悪者扱いされないように」

 まるで役立たずは引っ込んでいろ、とばかりの言い方に尾田はかなり気分を害したが、ここで妙な意地の張り合いをしても仕方ないので怒りをこらえた。

「そうですか、では私たちは府立学校に駐在するとして、あなた方自衛隊との連携はどうやって行ないましょうか」

 その言葉に作戦群長はマスクの奥から心外そうに答えた。

「尾田さん、申し訳ないが我々があなたの指揮下にいるのは、あなたが総理からの治安出動命令を我々に伝えるまでの間です。いったん治安出動命令が出れば、陸上自衛隊特殊作戦群は当該部隊指揮官である私の判断で動く。これは自衛隊法で決められていることです」

 確かに治安出動に関する自衛隊法では、治安出動命令発令後の部隊の行動に関しての判断は部隊長に委ねられている、しかしそれは戦後いまだ一度も発令されたことのない命令であるために、具体的事例に乏しくそういった表現にせざるを得なかった面が大きい。

「そうは言っても、私にもあなた方の行動を逐一官房長官を通じて官邸に報告する義務がある。何もわからない状態で総理に治安出動命令を要請することは出来ません」

 静かではあったが、強い口調の尾田の言葉に群長も、ここで争うことの愚を悟ったのか少し柔らかい口調になった。

「それでは、とりあえず現時点の仁徳天皇陵奪回作戦の概要をお教えします。作戦名は『金色の鳶』」

 金色の鳶とは神武天皇東征で長脛彦との戦いの際、天皇の弓の先にとまり、金色に輝いて敵を幻惑させ、勝利を導いたとされる鳥で、特殊作戦群の徽章のデザインにも取り入れられている。そのいささか大げさな作戦名からも、彼らが今回の治安出動の成功にかける意気込みが伺える。

「在日米軍からの情報によると現在仁徳天皇陵内での生命反応は七体。そのうち三体は前方部でほぼ静止。米軍の衛星からの解析によると三体とも負傷した男性らしい。つまりオタクの『グリーンペペ』と宮内庁の衛視が戦闘の結果倒したテロリストと思われます」

 それは尾田もまったく知らない情報だった。

 政府が掴んでいる今回の事件に関するあらゆる情報は間髪おかず尾田のもとへ送られている筈だった。アメリカ政府からも衛星の解析画像などはすべて直接尾田の目前のモニターにも映し出されていた。すべての情報は自分の下に集約されていると考えていた。にもかかわらず尾田以上の情報を自衛隊が掴んでいることが驚きであった。

『米政府はともかくとして、在日米軍とその諜報機関は日本政府よりも自衛隊を信頼している』うすうすは感じていた懸念が事実であり、現場の指揮官としての尾田の立場が完全に虚構であることがわかった瞬間だった。

 彼に残されたのは単に総理からの治安出動命令を彼らに伝え、もし万一失敗の場合は責任を取らねばならないという立場だけだった。

 群長はさらに米軍からの情報を続けた。

「あとの生命反応は四体、うち二体は『グリーンペペ』と宮内庁の衛視ですから、残るテロリストはたった二名です。つまり彼らの行動を担保している『ファットボーイ』なる核物質を奪取あるいは無力化してしまえば、あとは彼らの戦力自体はほとんど皆無だと考えます」

 続いて群長が語った作戦の内容に、尾田はただ頷くことしかできなかった。

 彼らはまず夜陰に紛れ茶山古墳から、内堀を隔てた後円部にアンカーを打ち込みロープを渡す。当然それは敵に気付かれないよう無音の高圧空気式救命索発射銃を使用し、数名の選抜隊員がロープ伝いにゴムボートで天皇陵に上陸潜入する。そこからはテロリストに感知されることを覚悟の上で一気に墳頂まで駆け上がる。敵はこれまでの行動解析から暗視スコープを持ち、古墳内にあらゆるセンサーを張り巡らしていることが予測されるため、とにかく短時間で墳頂に到達することを優先する。到着後、核物質が装填されている可能性のあるランチャーを視認すると同時に、隊員は新型音響閃光弾を破裂させ、強烈なフラッシュバンで相手を無力化させ、その間に他の隊員がランチャーに到達しこれを占領、可能であれば核物質が装填されていると予測される弾頭を確保する。

 つまり、神武天皇が熊野に上陸した後、大和を目前にしてナガスネヒコと戦う際に金色の鳶が現れて眩いばかりに輝き敵をかく乱し、神武天皇を勝利に導いたという記紀の故事を二十一世紀の仁徳天皇陵で再現しようとしているのだ。

「核物質さえこちらが確保すればあとはたった二人のテロリストなど何も恐れるに足りずです」

 バラクラバの奥の表情は不明だが、声には傲慢とも思える不遜な態度が見えるようだった。

「以上が我々の作戦ですが、現場の責任者として何かあればどうぞ」

 尾田は込み上げる怒りを抑えながら言い放った。

「今回の場所は、日本人にとって特別な場所です。可能な限り流血を避け、出来ればテロリストを無傷のまま確保できるよう努力お願いします」

「一応、ご希望は留意します。しかし我々にとってもっとも大切なのは国民の生命、次が隊員の生命です。この二つを守るためには、たとえそこが天皇陵であろうと必要であれば犯人の殺害も有り得ます。またあなたの部下である『グリーンぺぺ』や宮内庁の衛視殿も第一の目的である国民の生命を守るためなら犠牲になっていただく場合があるかもしれません。その判断に関しては現場の状況をみながら私が決断いたします。特に宮内庁の衛視に関しては正直我々もまったく情報を持っていません。名前はおろか年齢、経歴、外観など一切不明なので、テロリストと区別がつかない可能性は大です。」

 尾田は、さすがの自衛隊や米軍でさえ自分たちと同じように宮内庁衛視の情報をまったく掴んでいないことに少しほっとしながらも、これ以上群長と議論することは逆に今後のコミュニケーションの維持にとって悪影響を及ぼすのではないかと感じ、怒りをこらえながら静かに頷いた。

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