第9話:銀行事変
時の流れは速いもので、暑かった夏が終わり、もう秋だ。
茜と神父は最近の仕事の報酬を引き出そうと銀行に向かった。……だが様子がどこかおかしい。
「なんだろ? なんか様子がおかしいね」
「さぁ? 何かあったのか?」
二人が顔を見合わせていると、神父がいきなり倒れた。
「は!? 何やってんの神父?」
茜が神父を起こそうとすると、野太い男の声が上から聞こえた。頭に何か固いモノが当たる感触がして、彼女は異変を悟った。
「動くな」
茜は目をぱちくりさせた。何が起こっているのか理解が追い付かない。ただ、とてつもなくピンチな状況だというコトだけは解る。
「動くなよ? そっちのおっさんもな」
神父の方を見ると、彼は頭を押さえてうずくまっている。どうやら何か固いもので殴られたらしい。頭から血が出ていて、それが痛々しい。
「大丈夫、神父?」
「おい。余計な口を開くな」
覆面をしたその声の主を睨む。
「……別にしゃべるなとは言われてないでしょ」
「そうだったな。じゃあ余計な事は口にするな」
そう言われてしまっては何も言えない。無言で彼を睨む。
「……よく見たらお前、女か。服装だけじゃ男にしか見えないな」
嘲りが込められた口調だ。茜は胸もぺたんこだし、声もあまり甲高くないハスキーボイス。この男の言う通り、見た目で女だと見分けることは難しい。
明でさえ初見では男だと思ったらしい。
「……まぁ、目立つ真似さえしなければ早めに解放してやるよ」
覆面をしている事から男のしている事は見当がつく。……銀行強盗だ。まさか覆面をして防災訓練なんてことはないだろう。茜と神父は無抵抗のまま縄で縛られて銀行の中に引きずり込まれた。
「……傷はどう?」
小さな声で茜は神父に話しかけた。覆面の男は今は二人の傍から離れている。彼女たちの他にも六人、人質らしき人々が縛られている。彼らの中には銀行員もいれば一般人もいる。
「まだ少し痛むが、我慢できないというほどではないよ」
思ったより軽傷らしい。あまり彼の事は心配しなくても大丈夫そうだ。それに対して、他の人質たちは身を縮めている。二人とは違い、『事件』に慣れていないのだから仕方がない。
犯人と思しき人物は三人。鞄の中の茜専用のスタンガンを使えば無効化できそうだが、縛られているため手足が使えない。自力で解決は無理そうだ。
犯人たちは大きなライフルを見せびらかしている。抵抗すれば蜂の巣だろう。しかし、こんな状況にいても茜は落ち着いていた。今までにも恐ろしい『事件』に遭ってきたし、それを解決してきた。
神父はその経験が茜を落ち着かせていると考えた。でなければ銃を前にして落ち着いてなどいられない。
「どうしようか。無理矢理解決しちゃう?」
そんな呑気な口調の茜の発言に、神父は耳を疑った。
「正気か? 相手は銃を持ってるんだぞ?」
神父の言葉に茜はウィンクを返した。
「大丈夫。銃はもちろん偽物だから」
「……何を言っているんだ? どう見ても本物だろう!」
大西と対峙した時に拳銃を持っていた神父には、それがよく解る。彼の驚いた大声に、覆面の男がライフルを構えたまま二人の方に歩いてきた。
「何をこそこそ話していたんだ? 静かにしろと言っただろう!」
そのだみ声に人質の子供が泣きそうな声を上げる。
「騒いでるとお前らから殺すぞ!」
ライフルの銃口を茜に向けそう脅す。
「ほら見ろ。お前がそんな事を言うから!」
「……」
覆面の男は黙ってライフルを窓ガラスに向けた。……嫌な予感がしたがその時は遅かった。ライフルが派手な音を立てて窓ガラスを割った。
「……これのどこが偽物だって?」
男は威圧的に言った。
「すみません、この子が偽物だと言うものですから」
すると男は愉快そうに笑った。
「まあそれも仕方がないだろうな。でもこれで信じただろ?」
「うん」
茜は素直に頷いた。その身体は少し震えていた。
……上手くいった。『彼女』と『彼』は同じくそう思った。我ながら上手くやったと思う。あとはこのまま……バレなければいい。そうすれば予定通りだ。
二人は密かに笑った。
「……どうだった? 例の二人組は?」
細身の男が興味深そうに訊く。覆面の男は笑った。
「狙い通りだ」
そこに席を外していた筋肉質の男が帰ってくる。
「ただいま。俺がいない間に何か進展はあったか?」
「おかえり。お前は銀行強盗の最中だってのに水物を飲み過ぎてトイレって……何やってんだよ!」
細身の男がからかう。筋肉質の男が恥じ入る。……彼がトイレに行くのはこれで三度目だ。計画が上手くいき、調子に乗って持ち込んだビールを三本も飲んでいる。そこを突っ込みたくなるのも無理はない。
「お前がいない間に人質が二人増えた」
覆面の男が話題を変えるため話を振った。彼と筋肉質の男は親友同士で、フォローのためだった。
「へえ、どんな奴? 男? 可愛い女?」
筋肉質の男はこれ幸いとばかりに話に乗った。トイレに行ったことをからかわれるのを避けたかったし、新たな人質に興味があった。
「枯れた中年と男みたいな女。男の格好してるから、最初は男かと思った」
「ふぅん。どいつ?」
「アイツだよ」
覆面の男は茜を指さした。彼女は怯えたように男たちを見つめている。
「……まあまあだな。あれでも髪でも伸ばして、スカートを履けばそれなりだと思うぞ?」
「お前の趣味じゃねーか!」
「違いない」
男たちは笑いだした。茜は何か失礼な事を言われている、くらいには気づいていた。それでも今の彼女にはやるべきことがあった。
それにしても銀行強盗がこんなにたやすいとは思わなかった。男たちは改めて思う。
最初は普通の客として銀行に入った。ただ覆面の男は用心深かったし、捕まった時のために覆面を思い付いた。土産にもらったひょっとこの覆面だ。銀行だって客に去られては商売にならない。もし咎められたら何か理由をつければいい。
例えば手術をして顔をさらしたくないと悲痛な声で言えば追及はされない。銀行員は客商売という事をついた作戦だった。結果はあまりにも上手くいった。中に入ってしまえばやる事はあと半分だ。
彼らはライフルを見せ、脅して人質たちを縛る。日本人は銃を見た事のない者が大半だ。たやすく無効化できる。あとは造作もなかった。
最後に茜と神父が入ってきたことは計算外だったが、今は大人しくしている。残りは、現金をカバンに詰めて逃走するだけだ。一生遊んで暮らす……のは無理だが、しばらくは楽をして暮らせる。
犯人たちは頬が緩んだ。しかしそう上手くいかないのも世の常なのだ。
「そこまでだよ!」
その声に犯人たちが振り向くと、そこには先ほど縛り上げたはずの茜と神父が立っていた。茜は専用のスタンガンを構えている。
「好き勝手もそこまでだよ! 今すぐ捕まるなら手加減してあげる!」
銀行にいる人々は彼と彼女に視線を注ぐ。
「茜、恥ずかしくないか?」
神父は痛む頭を押さえた。
「……僕も恥ずかしいけど、一度くらいはこういう事してみたくない?」
「……いや、別に」
神父にあっさりと否定されて茜も恥ずかしくなってきた。それでも後には引けない。
「なんだお前ら?このライフルが見えないのか?」
細身の男はライフルを茜に向けた。
「見えてるよ」
茜は堂々と言い放った。全く恐れている様子はない。
「……!」
「どうしたの? 撃たないの? それとも撃てないの?」
茜の言葉に今度は細身の男が黙った。
「……撃てないんだよね」
男は舌打ちした。
「どういう事なんだ? 私はまだ何も聞いていないぞ?」
神父が人質たちの疑問を代弁した。
「だから、撃ちたくても撃てないの。だってアレ、偽物……というかモデルガンだから」
「なんですって?」
「どういう事だ?」
人質たちが驚きの悲鳴を上げる。その中の大半が喜びのモノ。
「だってそうでしょ。この平和な日本で銃なんて出回るはずもない。持てるとしても許可が必要。だったら、答えは一つしかない」
茜は当然のように言う。
「理詰めで考えれば解る事だよ」
「だったらさっきのはなんなの? ガラスが割れてたよ」
幼い男の子が当然の疑問を口にする。彼に便乗するように質問が出る。そしてその声は音の洪水になった。
「あ~もう、うるさいな! だから子供は苦手なんだよ。だったらあれは本物だった。彼らの構えているもののうち本物は一つで偽物は二つ」
「でも貴女、さっき登録が必要って言ったじゃない」
「だったら登録してあるんでしょ。持ち主はそこの筋肉質だね」
今度は犯人が驚いた。
「なぜ俺だって断定できる? それに、なんでお前は縄が外れてるんだよ! 縄抜けの特技でもあるのか?」
茜はやれやれとでもいうように肩をすくめる。
「銃ってさ、扱うのにかなりの力がいるんだよ。そこのヒョロヒョロは問題外だし、僕たちをここに連れてきた彼も結構細いし。残るはあんたしかいない」
ロジックで考えれれば当たり前の答えだ。
「それから、僕は縄抜けなんてできない。これを使ったんだよ」
そう言って茜は脱出に使ったものをみんなに見せた。
あの時、犯人を刺激したのはわざとだった。そうすることによって本物の銃があるかどうかわかるし、脱出に使える物が手に入ると踏んだ。それはガラス片。
銃を扱った事のない人間には、目標を正確に撃ち抜く事はそう簡単には出来ない。とんでもない力がかかって狙いがずれてしまうからだ。茜はそこを利用した。
銃を扱いなれていない覆面の男ならきっと窓ガラスを狙う。狙い通りそうなった。衝撃の反動で飛ばされたガラス片で、辛抱強く縄を削った。とがったものを使ったので、思ったよりあっさり縄が外れた。
あとは目立たないようにスタンガンを取り出すだけだった。
「これで終わりだよ。覚悟はいい?」
茜はスタンガンを構えると、まず本物を持った男に向かって突進した。スタンガンの威力は相変わらず抜群だった。その間に神父は人質を解放した。その内の一人が警察に通報、犯人たちはお縄についた。
警察の事情聴取を終えると、もう翌日になっていた。
「あ~お腹減った」
色気より食い気、食い気より事件の茜はどこか満足した様子だった。
「……ところで、私を殴った凶器は何だったんだ?」
ああそれ、と茜はつまらなそうに言った。
「棒金だよ。殴った後、崩してしまえば証拠は残らないでしょ」
簡単な事だとばかりの口調だ。茜は相変わらず。外の空気は冷たくなり始めていた。
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