十六話 ずれたモジュール

 軽い音を発てては煙を吹き出すPCがそこにあった。

 居合わせた部員全員の血の気が引いていく。特に、

「あひゃ! あひゃひゃひゃひゃ――」

 謎の笑い声を出してはカタカタと震える廉太郎だった。

「廉太郎?」

「プログラムが、データが、ハードが、全てが吹き飛んだ……」

 テスト勉強そっちのけで組んでいた乙女モジュールのプログラムがPC諸共吹き飛んだのだ。廉太郎が壊れるのも無理ない話だった。

「えぇっと、綾瀬君? ダメだよ、機械はちゃんと整備しておかないと。簡単に壊れちゃうんだからね。じゃあ、先生用事を思いだしたからもう行くわね」

 常軌を逸した廉太郎の姿に気圧されつつも、そそくさと立ち去る顧問だ。

「千尋チャン、逃げたネ。修理代、後で請求してやろうかしらン」

 毒々しい笑みでそう言う未里に、朔が慌てて声を掛ける。

「そんなことより、いろはさんは大丈夫なの? アップデートってそのPCからやっていたよね?」

「アっ、いろはさん!」

 アップデート中のいろはを見れば、依然椅子に座って固まったままだ。

「廉太郎! いつまでも壊れてないでシャンとしロ!!」

 いまだグラグラと揺れている廉太郎を蹴っ飛ばしては直す未里。

「いろはさんは大丈夫なン?」

「インストールの進捗率が七五%辺りで爆発したからね。さすがに大丈夫とは言い難いかな」

 廉太郎は難しい顔で言う。そこには何の希望的観測もなかった。

「なぁ、アップデートに失敗しただけならもう一度始めから入れ直すだけじゃないのか?」

 普通のOSならばそれで済む話だ。

「それがちょっと違うんだよね」

 幸介の言葉に対し廉太郎は困ったようにセットされていない髪の毛を掻きむしる。

「いろはシステムは僕が組んだOSだって話しただろ? 今回のアップデートにはいろはシステムの学習機能を使ってる部分があってさ。その部分だけは中途半端ながらも既に組み込まれてしまって、どうなってるか僕にも解らないんだよ。それ以外の部分は、幸介君の言うようにもう一度入れ直せば済む話なんだけどさ」

「なんでそんな面倒臭いシステムにしてるんだよ?」

 苛立たしげに問えば、

「それが人間だからだよ」

 率直な返答が返ってきた。

「人生ってやつは時間が許す限りやり直すことは出来ても、過去の出来事を始めから無かったことには出来ないからね。いろはシステムも同じさ。一度学習してしまったことを消し去ることは出来ないんだ。出来ることと言えば新しい経験によって過去の出来事を思い出に変えることくらいかな」

 それがいろはシステムこと人格OSに組み込まれたコンセプトの一つであった。

「ハードトラブルによるアップデート中断がどのような影響をいろはさんに与えるか、本格的に調べてみないとちょっと解らないかな」

 廉太郎は自前のタブレットといろはが装着しているヘッドセットとを繋ぎ、詳しく検分していく。

「どれくらい掛かりそうだイ?」

「んー、インストールされた分のデータ確認とそこから生じるであろう不具合の予想にそれらの整合性を取るとして、午後の授業をサボってやって何とか放課後ってとこかな?」

 少し考え込み、そうあたりを付けてみせる廉太郎だった。

「放課後にはいろはさんも目を覚ますってことなんだね」

 朔はホッと胸を撫で下ろした。そんな彼女の隣で、幸介は息づかい一つ無いいろはをじっと見つめていた。

 彼の頭の中には屋上で交わした雄也の話が残っていた。

『いろはさんと恋人同士になりたいかは別として、彼女の姿が好きなら好きでいいじゃないか』

「……好きなら好き」

 そう呟くも、今のいろはの姿は何かが違ってるように見えた。

 好みのはずのいろはの容姿は確かに綺麗なのだが、今の幸介の心には響かないのだ。

「九十九君、何か言った?」

「あっ、いや、何も」

 咄嗟にそう返す。幸いなことに、言葉としては聞かれていなかったようだ。

「それより、廉太郎。ちゃんといろはさんを元に戻しておけよ」

「元通りとは言えないけど、ちゃんとしたいろはさんにはしておくよ」

 その言い回しから感じる若干の不安を拭えないのだが、廉太郎のプログラミング技能を知っているだけあって、信用することにした。

「じゃあ、あたしは千尋チャンから廉太郎の担任に話を付けておくヨ」

 そう残し、職員室へと向かう未里。幸介と朔もまた午後の授業を受けるべく、部室を後にした。


      ☆


 機械的に黒板の文字をノートへと写しながらも、幸介は隣の空いた席へと意識を向けていた。

 いろは不在のまま進行していく午後の授業。それは、幸介の中のモヤモヤとした感情を整理するには最適の時間であった。

 クラスメイト達には体調不良で保健室で休んでいることになっているいろはは、今も授業をサボった廉太郎の手によってアップデートの再構築が成されているはずだ。

 そんないろはを心配しつつも、自分の感情を考える。

 いろはという存在を好きか嫌いかで捉えれば、好きとなる。

 ワンピース姿を見たことで彼は自覚することになったのだ。いろはの容姿は彼の好みそのものだと。

 それを踏まえた上で思考は更に深く潜っていき、教師の語る数式は意味を成さないノイズへと変貌していった。

 ならば内面はどうなのか?

 自分と同じとされる人格。普通ならば避けたいところの話だが、一緒に居て不思議と嫌な感じはしなかった。

 見た目が美少女だからというのも大きいのかも知れないが、人格構築に用いられたアンケートの精度が微妙に悪かったのかも知れない。

 何より、二週間近く一緒に居ていろはから感じたのは、同一人格と言うよりも同じ価値観をした男勝りな性格の少女――なのだ。

 客観的に自分を見られる人がいたとしても、それはあくまで内面から見た自分であり、外面から自分を見ることは出来無い。あたかもレコーダーで録音した自分の声が違って感じられるように、メイドロイド上に模倣された『九十九幸介』は自分と同一とは思えなかった。

 そんな違和感による乖離が少しずつ激しくなっていき、いろはを自分と同じとは捉えにくかった。

 そこまで想い考えていくうちに、彼の心は決まるのだった。

 ああ、そうなんだ。

 やっぱり、自分はいろはに惹かれ始めているんだ――と。


 六時間目の授業が終わるや否や、幸介は教室を飛び出していた。

「ちょ、ちょっと、九十九君。あたしも行くから」

 いろはのことが気懸かりだった朔もまた彼の後を追いかける。

 まだ誰一人出ていない廊下を全力で走っていく幸介と朔。途中、教師の叱責を買うが、その場だけの謝罪と速度低下でやり過ごし、部室棟へと急いだ。

「廉太郎! いろはさんは!?」

「おや、お早いね、お二人さん」

 携帯していた板チョコをバリッと噛んでは、挨拶する廉太郎。既に作業は済んでいるのか、パイプ椅子の上で休憩していた。

 ただ、相当な集中力を必要としていたのか、その顔色は疲労困憊気味だ。

「無事済んだのか?」

「無事って言うには微妙かな? 一通り調べてみたんだけど、アップデートの情報が何故かシステムの根幹部分にまで入り込んだ痕跡があったしさ。一応、整合性の取れるように応急処置は施したんだけど、正常かどうかは目覚めてみないと解らないかな――っと、あと十秒ほどで再起動するよ」

 言って廉太郎は背後にあるディスプレイを指し示す。そこには、再起動開始時刻が残り十秒を切ろうとしていた。

 カウントがゼロになると同時に、椅子の上で佇んでいたいろはの身体が小さく身動ぎを始めた。そして、閉ざされていた瞼が見開かれていく。

「う……ん……」

「いろはさん! 気が付いたんだな!!」

「身体は大丈夫!?」

「ん? 何だ、うるさいな。目の前で騒ぐなよ」

 眼前で幸介と朔にがなり立てられ、不平を口にするいろは。一見、正常な感じだ。

「大丈夫って、アップデートをしただけなんだろ? 別段、おかしな感じはしないけど?」

 身体の様子を探っては、小首を傾げる。二人の慌てぶりがよく解っていない。

 朔は昼休みに起こったことを説明した。PCの故障によってアップデートが中断されたことを告げれば、いろはは顔色を青くした。

「だ、だ、だ、大丈夫なのか、俺!?」

「起動データを診る限り、問題は無さそうかな」

 装着したままの猫耳ヘッドセットからフィードバックされてくるデータを見て、廉太郎はそう結論づけた。ヘッドセットをいろはの頭から外すと、ディスプレイに映し出されていたデータが消える。スタンドアローンへと移行されたのだ。

「おや、いろはさんは目を覚ましたんだネ」

 掃除当番を終えた未里が遅れて部室に訪れた。

「データとかは大丈夫だったン?」

「一部、おかしな所に収まったりもしたけど、大丈夫っぽいね。まぁ、何かおかしなことになっても、それがいろはさんの個性だってことで問題無しだよ」

「いい加減だな……」

 二人のやり取りに幸介は渋い顔をした。

「でも、ちゃんと目が覚めて良かったじゃない。あたしも、心配したんだよ」

「ありがと、朔さん」

 いろははどう答えれば良いのか解らず、ひとまず礼だけを述べておいた。

 その後、口頭によるもう少し踏み込んだチェックをし、その日の部活動は終了するのだった。


      ☆


「いろはさん」

 先に靴を履き替え、昇降口から外へと出て行ったいろはを幸介が呼び止める。

 既に陽は沈みかけ、振り返ったいろはの姿が緋色に染まっている中、

「俺、いろはさんのことが好きだわ」

 それは唐突で率直な想いだった。

 周りでは、朔が大きく開かれた口を両手で覆うように驚きを隠し、前髪で表情の読めない廉太郎は肩を竦めてみせ、未里はしたり顔でニンマリと微笑んでいた、

「まぁ、いろはさんにしてみればきもいヤツだと思うだろうけどさ。これ以上、うだうだと悩むのもバカらしいからさ」

 自虐的に苦笑してみせる幸介の顔は、言いたいことを言えたのか随分とすっきりしていた。

「きもいって俺がお前を? そこに何か問題でもあるのか?」

「いろはさん?」

 一瞬、いろはの返事が理解できなかった一同。

「問題って、大ありだろ!? いろはさんはロボットだし、俺の人格が宿ってるんだしさ」

 幸介が言うも、いろははキョトンと小首を傾げるのみだ。さも、それのどこがおかしいのか解っていないと言った顔だ。

「宇宙人や妖怪とのカップルだってあるし、最近じゃ異世界の魔王と付き合ってるヤツもいるみたいだし、別にロボットだからっておかしくないだろ? それに、恋人と心の入れ替わったり平行世界にいる異性の自分に恋したって話もあるしさ。レアなケースだって言えばレアだけど、問題無いだろ?」

 そこで彼らは気付くのだった。アップデート失敗による超弩級な不具合が生じていることに。

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