十五話 パウリ効果
夏特有のぎらつく日射しが降り注ぐ屋上にて、いろはから逃げるように教室を後にした幸介は、一人黄昏ていた。
手には見事なまでに黒一色で染め上げられた手作り弁当がある。
箸で突っつけばカサッと崩れ、口へと運べばシャゴシャゴとした食感。そして何より、
「苦いな」
ほろ苦さを越えた炭の味が舌の上を転がる。
「すげー、真っ黒な弁当だな」
不意に届いてきた声に振り返れば、一眼レフカメラに装着された望遠レンズで弁当箱の中身を覗き込んでいる男子生徒が居た。
「大友?」
見覚えのある生徒の名は大友雄也。クラスこそは違うが同学年で、同じ小学校出身の顔なじみだった。
「何でお前が屋上に?」
「写真コンテストがあるからな。試験も終わったから応募用の写真を撮ってるところだ」
空や街並みをファインダーに収める雄也。彼が写真部所属なのを思いだした。
「それより、九十九はどうして屋上で飯を食べているんだ?」
基本、生徒による屋上の使用は禁止されているのだが、夏である今、換気目的で屋上へと至る塔屋の扉は開かれたままで、訪れようと思えばいつでも来られた。
もっとも、炎天下の日中に日陰がほとんど無い屋上に、自ら進んで立ち入ろうと考える物好きな生徒はまずいなかった。
「許嫁の……いろはさんだっけ? 彼女とは一緒じゃないのか?」
「少しな。一人で食べたかっただけだ」
別段隠す理由もなく、正直に話す。
「一人ね――って、そいつはもしかして許嫁の手作りか? それにしても、凄い弁当だな」
真っ黒弁当を指差す。
「食えるのか?」
「食べてみるか?」
疑問は別の問いで返された。
「いや、愛妻弁当を奪い取るほど俺は野暮じゃないぞ」
言っては浮かべるニヒルな笑みに、幸介はからかわれていることがよく解っていた。
「愛妻ってな……まぁ、折角作ってくれた以上、男なら食べるしかないだろ」
「そりゃまぁ、そうか」
幸介の男気に肩を竦めてみせる雄也だった。
「保健室で胃薬ぐらい貰ってきた方がいいぞ」
「やっぱ、いるか」
苦み対策として買っておいた珈琲牛乳にストローを挿しては啜りつつ、そのアドバイスを素直に受け入れようかと考える。
それほどまでに、誤魔化しの効かない苦さがそこにはあった。
「しっかし、羨ましい話だな」
屋上からの風景をファインダーに収めながら会話を続ける。
「廊下で見かけたけど、あんな美人の許嫁がいたなんてさ。上手くやりやがって。写真のモデルになって欲しいくらいだ」
「上手くも何も、俺は何もしてないぞ」
どこか不機嫌そうに、それでいてウザったげに返す。
「ふーん。で、キスぐらいはしたのか?」
「ぶっ!? ――ケホ、ゲホ、ゴホ!」
口に含んでいた珈琲牛乳を吹き出した。しかも一部が気管支に入ったためか激しくむせ返る幸介だった。
「汚いな」
吹き出た飛沫がコンクリートを濡らすも、あまりの暑さからかすぐに蒸発していく。
「お前が変なことを言うからだろ。だいたい、いろはさんに手なんて出せるかよ」
「手が出せないって許嫁なんだろ? あっ、もしかして、結婚するまではダメとか言う話か?」
「んなんじゃねーよ。ったく。誰も俺の苦労が解ってないんだから」
不機嫌そうに、半分固まりかけたペースト状のご飯を租借する。
「苦労って何だよ? 許嫁が美人過ぎて気苦労が絶えないってヤツか?」
そう問われしばしの時を逡巡してみせる幸介。深々と息を吐いては、意を決したように口を開ける。
「大友、お前って口は堅いよな?」
「他人の秘密を言い触らすような真似はしないつもりだが?」
元来、口の堅さなど自分では解らないものであった。
「じゃあ言うけどさ。いろはさんって人間じゃないんだよ」
「へっ?」
いきなりのカミングアウトに雄也は覗いていたファインダーから目を離す。
「人間じゃないって何だよ? 幽霊とか化け物とかか?」
「違う違う。いろはさんはメイドロイドなんだ」
「メイドロイド?」
少し考え込む雄也だったが、
「ああ、確かに……転校生の顔立ちが整いすぎているとは思ったんだが、あれはメイドロイドだったからか」
それは、自然物人工物問わず端的に今を写真として撮り続けてきた彼だからこそ抱けた第一印象であった。それほどまでに、いろはの表情仕草は自然なのだ。
「でもどうしてそんなメイドロイドが学校に転校できるんだ? それに許嫁ってのは?」
雄也の中で幾つかの疑問が沸き上がる。そんな旧友に、幸介はプロ研とロボコンのことそして学校の全面協力を得ていることを話した。ただし、いろはの人格が自分の人格を模倣していることは伝えないでおく。
「転校生がロボコンの課題とはな。面白いことしてるんだな」
「面白いってな……」
他人事ならば幸介も楽しめただろうが、そいつに自分が大きく関わっているとなると笑えなかった。
「ちなみに許嫁設定は、未里先輩が俺の居ない場所で勝手に決めたんだよ」
昨日のことを思いだしては渋い顔をする。
「あのおかしなイントネーションの先輩か?」
プロ研の部室と写真部の部室は同じ階にあるため、大友にしてみても特徴のある先輩のことは頭に残っていた。
「でも、九十九ってプロ研じゃないんだろ?」
「飯に釣られて協力」
端折って説明すれば、
「あー、九十九ン家は今一人だったか。プロ研にしてみても、メイドロイドの実地テストにはちょうど良いとでも考えたのかな?」
勝手に推測していく雄也。カメラの向きを変えながら、
「それでお前は何に悩んでいるんだ?」
何気なく問い掛ける。
「悩んでいるって、何言ってるんだよ!?」
「何って、悩んでいるんだろ? じゃなきゃ、こんな炎天下の誰も来ないような屋上に逃げてこないだろ」
「うぐぅ」
図星を突かれ、幸介は低く唸ってみせた。
「大方、その押し付けられた転校生――いろはさんへの対応に困ってるってとこくらいか? でもさ、もう一週間以上一緒に暮らしてるんだろ? 何で今更?」
「仕方ないだろ。いろはさんのワンピース姿があまりにも俺の好みにドンピシャだったんだからさ!!」
思わず語気を強めてしまった。
「好みにドンピシャって、つまり九十九はメイドロイドに惚れてしまったと」
「……惚れたんじゃない。魅入ってしまっただけだ」
絞り出すようにそう口にする。第三者にしてみれば魅入ってしまうのも一目惚れと大差ないのだが、幸介にしてみれば違っていた。
いろはは自分と同じ人格を持っているのだ。惚れたと認めてしまえば、ナルシストってことになりかねない。
「別にいいんじゃね?」
「え?」
てっきり揶揄されるかと身構えていただけに、拍子抜けだった。
「いいのか? 相手はメイドロイドだぞ? ロボットだぞ? 人間じゃないんだぞ?」
「九十九は難しく考えすぎだと思うぞ」
幸介の言葉を一蹴する雄也。
「魅入ったってことは内面じゃなくて外見に惚れたってことだろ? 好みのタイプの容姿がたまたまメイドロイドだった。それだけだ。そんなの、グラビア写真のモデルに惚れるのと大差ないじゃないか。男としては健全な方だと思うぞ」
「そう……なのかな?」
極論ではあるが納得できる部分もあった。
「いろはさんと恋人同士になりたいかは別として、彼女の姿が好きなら好きでいいじゃないか。それを踏まえた上でどうしたいかを考えるんだな」
「好きなら好き……」
雄也の言葉を反芻し深く考えようとした矢先、
『二年三組の九十九幸介君。谷川先生がお呼びです。至急、プログラム研究部部室まで来て下さい』
校内放送にて、彼を呼び出すアナウンスが流れるのだった。
☆
勿体ぶるように間を置き、未里は自分達の企てている裏計画を口にした。
「メイドロイドと人間の恋愛は成り立つかってヤツだネ」
「恋愛っていろはさんが!?」
反射的にアップデート中のいろはを見るも、機能停止している彼女は身動ぎもしていない。その姿はまるで人形のようだ。
「乙女モジュールはもう少し後で組み込む予定だったんだけどネ。予想以上にいろはさんにはちゃんとした自意識が芽生えていたからサ、計画を早めたんだヨ」
「おかげで僕は徹夜だけどね」
前髪で隠れているため解らないが、廉太郎の目の下には隈ができていたりする。
「メイドロイドが恋愛感情を……」
言葉にしては、聞かされた内容を反芻する朔。その口元が悪戯っぽくつり上がる。奇しくもそれは彼女の企みとも合致していた。
でも、
「それは面白そうな実験だけど、プログラムでって洗脳するみたいで何か嫌かも。あたしとしてはいろはさん自身が成長して、自然な形で恋愛感情を抱いて欲しいんだけどな」
納得できない部分もあった。
「あたしラもそこまで強引にやらせるつもりは無いさネ」
朔の言葉に対し気軽そうに返す未里。
「でも、プログラムで恋愛するようにするんですよね?」
「正しくは、追加モジュールに組み込まれているデータによって、いろはさんの無意識下で行われる行動選択に若干の方向性を持たせるだけだよ」
「方向性を?」
キョトンと小首を傾げる朔。詳しく説明して貰わないことには、天才の考えなど解りようがなかった。
「人は何らかの選択を迫られた時、無意識にも経験則に従って最適解を選ぼうとするじゃないか。いろはさんの場合は幸介君のデータを元にそれを行うことになるんだけどさ、圧倒的にデータが足りなくてね。その代用として――」
「恋愛物のマンガからデータを取ったんだヨ」
廉太郎の言葉を奪い取る形で未里が続けた。
「それってあたしが持ってきた?」
「そっ。もっとも、他にも多数のマンガとか小説とかも取り込んでるんだけどネ」
未里が指差す先には朔が持ってきたマンガとは違う本の山があった。
「漫研の友達に頼んでサ。てきとーに見繕って貰ったンだ」
「てきとーにって……」
その山は確かに適当だった。
純愛物の少女マンガからラブコメ物の少年マンガ、果ては 略奪愛を扱うレディースコミックスと各種愛に関するマンガが集まっていた。また対象に関しては、人外の種族を扱った物を含めても基本は男女のカップルなのだが、何故かレズ物BL物の本まで混ざっていたりする。
試しに数冊目を通しては、さすがの朔も内心引きつってみせるのであった。
「いろはさんにこんなデータを組み込んだりして、本当に大丈夫なのかな?」
「まァ、いろはさんにしてみれば、ソイツらを読んだ程度にしか影響はないと思うヨ」
「一応、データを元にしたアルゴリズムも乙女モジュールには組み込んであるけど、いろはシステムにおいての優先順位は低い方だから大丈夫。それこそ、変なバグでもない限りは悪影響なんて生じないはずだし、僕が組んだシステムなんだから、バグなんてあるはずもないから、問題無しだよ」
キッパリ言い切る廉太郎ではあったが、そのデータに混じっている怪しげなノイズが気になる朔でもあった。
「何て言うか色々と苦労しそうだね、いろはさんも九十九君も」
「ん? 俺がどうかしたのか?」
背後からの言葉に、びくっと跳ね上がる朔。振り返れば、扉のところには幸介が突っ立っていた。
「つ、つ、九十九君!? どうしてここに?」
「放送で谷川先生に部室に来るように呼び出されたんだよ」
「千尋チャンに? そんな放送、アったっけ?」
部室に備え付けられたスピーカーを見上げて言う。
「スピーカーなら、この間未里姉が壊したじゃないか。昼寝していた時に放送が流れてきて、うるさいって言ってさ」
よくよく見れば、スピーカーの外装は大きく凹んでいた。たっはっはと笑って誤魔化す未里。
「先生もすぐに来ると思うけど……それより、俺がどうかしたのか?」
幸介が話題を戻せば、微妙に視線を逸らす朔。
「えぇっと、その……あれだよ、あれ。ほらさ、ほら。九十九君が……じゃなくて、九十九君のいろはさんに対する態度が素っ気なくないかと話していたのよ」
口からの出任せで朔は誤魔化しを始めることに。面と向かっていろはと幸介の恋愛計画があるなんて言えるはずがないのだ。
「俺の様子――って、いろはさんは何してるんだ?」
先ほどから一切合切の反応を見せないいろはに、不審がる。
「いろはさんならシステムのアップデート中だよ。一週間以上の動作経過を考慮して、いくつかの不具合を修正したからね」
朔と違い廉太郎は、嘘偽りを感じさせない流暢な言葉遣いで煙に巻いてみせた。
「アップデート中……ね」
微妙な表情で眺め眇める幸介だった。
息づかい無く静かに佇むいろはの姿は、まるで石膏像の如く凜としていた。
屋上で言われた雄也の言い分にも納得できるだけの美しさがそこにはあった。
でも、何かが違う。
何かが物足りなく感じる幸介だった。そんな彼に朔が呼び掛けた。
「それより九十九君」
「ん?」
名を呼ばれ顔を向ける。
「九十九君ってば白のワンピースに思い入れでもあったりするの?」
予想外の追求に誤魔化そうかとも思った幸介だったが、いろはが停止中なこともあってか素直に話すことにした。
「俺の初恋の相手がワンピースの似合う女の子だったんだよ。それからワンピースには変な思い入れを抱くようになってしまったみたいだな」
「ふーん。九十九君の初恋相手ね」
幸介の抱いている強い思い入れには合点がいった。
「それで、その女の子はどうしたの? 告白はしたの?」
「小三の時にあいつが転校することになってさ。引っ越す前に告白みたいなことはしたけど、振られた」
ざっくばらんに言いのける。そんな悲恋がトラウマとなってか、それ以降女子とは微妙な距離を取るようになってしまっていたのだ。
「俺の話はそれくらいでいいだろ? それより、俺はどうして呼び出されたんだ?」
「九十九幸介君もいろはプロジェクトの関係者だからよ」
答えは背後の扉から届いてきた。
振り返れば二十代前半の若い女性教諭が立っている。
「千尋チャン、どーしたン? 部室に顔出すなんて珍しいジャン」
「先生にちゃん付けは止めなさい、宮後さん」
一言目にそう咎めれば、
「へいへい。谷川センセー」
若干気になるイントネーションでの言い直しが成された。
「私が来たのは、プログラム研究部の顧問としての様子見よ。一度くらい、ちゃんと見ておきたかったからなんだけど……そっちの娘は? 新入部員?」
朔を見て訊ねる。
「こちらは飯島朔チャン。九十九クンといろはさんのクラスメイトで現地協力員ダよ」
「二年三組の飯島朔です」
ぺこりと頭を下げる朔。
「飯島さんね。もし良かったら、プロ研に入部しない? あっ、九十九君も。ここって今、部員数割れ起こしていて、このままだと同好会落ちすることになりそうなのよ」
「谷川センセー、部員数は足りていたと思うゾ」
「ロボコン本戦出場が決まった後、生徒会による部員の素行調査が行われたのよ。それで、幽霊部員は軒並み首切り。今正規の部員として登録しているのは宮後さんと綾瀬君の二人だけ。今日、私がここに来たのは様子見と部員についての話し合いよ」
全国大会出場のクラブともなれば、いい加減な対応は出来ないと考える生徒会だった。
「部の規定って確か五人でしたよね? あたしと九十九君が入っても一人足りないんじゃ?」
「その点なら大丈夫」
ちらりと横目で千尋はいろはを見やった。
「生徒会には彼女を生徒として伝えてあるから、部員としてカウントしてしまえばいいだけなんだから」
結構いい加減な学校側だった。
「そう言うことなら、俺は入部しても良いけど?」
「あたしもいいよ。いろはさんを使った計画の顛末が気になるからね」
幸介と違い、若干おかしなニュアンスを含めては同意する朔だった。
「じゃあ、この入部届に署名してね。あっ、そっちのいろはさんにも欲しいんだけど……あの娘、何してるの?」
「OSのアップデート中。終わったらサインして貰っておくヨ」
いろはの代わりに入部届を受け取る未里だった。
「でも、メイドロイドって間近で見るのは初めてなんだけど、人間そのものなのね」
いろはの頬に触れようと手を伸ばす千尋だったが、
「センセーストップ! ストップ!!」
未里が慌ててそれを止める。
二人の間に割り込むと、千尋を遠くへと追いやった。
「ダメだヨ、谷川センセー。センセーはパウリ効果発現者なんだからサ。いろはさんが壊れてしまうヨ」
触れた電子機器を壊すと言われる千尋を危惧してのことだった。そんな部長に、むすっと頬を膨らませる顧問。
「もう。またそんな迷信じみたことを言うんだから。私は何も壊したりはしないわよ。たまたま偶然、私が触れたら故障しているのが解るだけなの」
自分は何もしていないのを証明するように、千尋は近くにあったPCに触れてみせた――途端、
ボンッ!
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