十四話 葛藤と企み

 朝露煌めく清浄なる空気の中を、白いワンピースの裾を翻しては少女がたおやかに舞っていた。

 目深にかぶられた大きな麦わら帽のつばによって隠された顔。僅かに見える口元には涼しげな笑みが浮かぶ。

 見えるはずのない視線が合えば、少年は頬が熱くなっていくのが解った。そしてそれは少女もまた同じで、頬が赤く染まっていく。

 そしてはにかむような笑みを浮かべ、

「大好き」

 凜とした声音でそう紡げば、耳朶を擽られた少年の心音はドキリと高鳴った。

 緊張に震える彼の身体は心の赴くままに突き動かされ、無意識に伸ばした手は彼女の腕を掴み引き寄せていた。

「きゃ」

 それは小さな悲鳴。ただ、そこに拒絶の色は感じられない。

 そのまま少年の胸へと身を預ける少女。その体温は熱く、逸る鼓動が伝わってくる。

 潤んだ瞳で少女が見上げれば、少年はそっと口を併せようと――

      ・

      ・

      ・

「――って、何恥ずかしい夢を見てるんだよ、俺は!?」

 跳び起き、今さっきまで見ていた夢を思いだしてはベッドの上でのたうち回る幸介だった。

 バクつく心臓を押さえ込み、乱れた動機を整える。

「これもそれも、いろはさんのワンピース姿が可愛すぎるのが悪いんだ」

 難しい顔で低く唸ったかと思うと、深々と息を吐いた。

「でも、ワンピース姿のいろはさんは可愛かったな」

 思いだしてはにへらとにやつく。

「まさか、俺の好みドンピシャだとは思わなかった」

 その姿は正に、幸介が思い浮かべる理想的な女性像そのものであった。

「あれでもう少し性格が女の子っぽかったらな……あれで俺なんだよな」

 言って苦笑する。

 顔でも洗おうと階段を降り洗面所へと向かう、その足が止まった。

 半開き状態の扉の向こうから、焼け焦げた臭いが漂ってきたのだ。

 慌ててキッチンへと立ち入れば、

「いろはさん!?」

 そこには制服にエプロン姿のいろはが、グリルから消し炭と化した鮭の切り身と取り出していた。

「げっ。もう起きてきたのか」

「もうって、何やってるんだよ。すげー煙ってるぞ? 窓開けろよ、窓。あと換気扇も」

 あまりの惨状に夢の出来事は吹き飛び、慌てて部屋の中の空気を換気しようとする幸介だった。

 至る所の窓と扉を開け、換気扇と扇風機で強制的に空気を入れ替えていく。

 臭気が半減するのを待ちつつも、幸介は改めてキッチンを見ては現状を察した。

「いろはさん、料理していたのか?」

 そこには料理と呼ぶには気が咎める産業廃棄物が並んでいたのだ。

「でもどうして? いろはさん、調理スキル持ってないんだろ?」

「まぁ、何て言うかその……お前には帽子と靴を買って貰ったじゃないか。その礼に弁当でも作ってやろうと思ったんだ」

 その結果の惨状であった。

「お前が起きてくる前に完成させて驚かせてやろうと思ったんだが、上手くいかなくてな」

 鮭は消し炭に、唐揚げは真っ黒焦げ、煮物は半生状態。ご飯に至ってはどう電気炊飯器にセットすれば可能なのかと考えさせられるペースト状に化していた。

 唯一まともなのはサラダぐらいだ――形がざっくばらんなことを除けば。

「いろはさんが俺のために?」

 手近にあった唐揚げを一つ指で摘まみ、口へと運ぶ。

「あっ、バカ」

「苦っ」

 口の中で広がるあまりの苦さに顔を顰めた。

「失敗作なんだから無理に食べなくて良いぞ」

「いや、折角いろはさんが作ってくれたんだからさ」

 そんな幸介の前にいろははナフキンに包まれた弁当箱を差し出してきた。

「これは?」

「お前ならそう言ってくれると思っていたから用意しておいたんだ。比較的まともな部位を集めて詰めておいた。昼になったら食ってくれ」

「…………」

 自分と同じ思考の持ち主相手に、その手の優しさなんて意味無いことを理解させられた。

 もっとも、

「でも、ありがとな。失敗作とは言え、そう言ってくれると何か嬉しいぞ」

 いろはの浮かべる満面の笑みが先ほどの夢と重なり、ドキンと心臓が高鳴る幸介でもあった。


      ☆


 期末試験明け最初の授業と言うこともあってかまだ採点が済んでおらず、授業は平常通りに行われていた。

 もっとも試験の終わった今、大半の生徒は近々訪れる夏休みへと意識が向いており、授業風景からは緊張感が消えていた。

 そんな中、幸介は一人前へ後ろへとうつらうつらと舟を漕ぐ。


『大好き』


「うわぁぁぁ!!」

 絶叫して目を覚ませば、教壇からジト目の視線が飛んでくる。

「おい、九十九。試験が終わったからって気を抜くな。内申に響いても知らないぞ」

 そう言われてしまえば、頭を下げるしかない幸介だった。

「どうかしたのか?」

「あっ、いや、別に……」

 隣のいろはに問われ、そっぽを向いては適当に言葉を濁らす。まさか、今朝見た夢を見直すとは思いもよらなかった。

「本当に大丈夫か? 心拍数が上がっているみたいだし」

 人とは違ったセンサーが幸介の胸の高鳴りを検知していた。

「いや、夢に驚いただけだから」

「そうか? それならいいんだけど」

 釈然としないまでもその場は引き下がるいろはだった。

 そしてチャイムが鳴り響き、昼休みへと突入する。

「昼はどうするんだ? 俺はプロ研の部室に顔出すつもりだけど、お前はどうする?」

 いろはが幸介に訊ねてきた。食事が取れないこともあり、昼休み中の彼女は教室から出て行っている。

 ちなみに、部活動が禁止されていたテスト週間は、転校による授業の遅れとダイエット中をいい訳にし、図書室へと逃げ隠れしていた。

「俺は……どっかで食べるよ」

「一緒に来ないのか?」

「あっ、ほら、いろはさんの真っ黒弁当は人に見せられないしさ」

 取って付けたような言い訳を口にしては視線を逸らすように伏せ、幸介はナフキンに包まれた弁当箱片手に教室を後にした。

 そんな幸介の背を見送っていると、朔がやってきた。

「いろはさん、プロ研に顔出すんだったら一緒に行っていいかな? 昨日、未里ちゃん先輩にマンガを貸してくれって頼まれたの」

 手には十冊ほどのマンガが詰められた紙の手提げ袋があった。

「マンガ?」

「データ収集したいんだって言ってたよ」

 何のデータ取りに使うのか疑問に思いつつも、いろはは朔と共に部室棟へと向かった。

「未里ちゃん先輩。頼まれていたマンガの本、持ってきたよ」

「朔チャン、あンがと」

 受け取った紙袋からマンガを取り出す未里。一冊一冊タイトルと巻数を確認していく。

「古くてマイナーなヤツだから電子書籍にもなってなイし、近くの古本屋じゃ所々欠けていて、難儀してたンだよ。朔チャンが持っていて助かったヨ」

「正確には、あたしのじゃなくてお父さんのだけどね」

 父親が若い頃に集めていた蔵書の中にそれを見つけ、手に入らなかった分を持ってきたのだ。

「何のマンガなんだ?」

 一冊手に取ってみるが、いろはの知識には該当するデータは存在しなかった。

「あたし達が生まれる前に連載していたラブコメマンガだよ」

「ラブコメ……ね」

 それが何のデータになるのか不思議に思いつつも、マンガの山に戻した。

「じゃあ、廉太郎。後、頼んだヨ」

「了解」

 廉太郎は渡されたマンガをスキャナーに掛けて、一頁ずつ取り込んでいく。

 そんな作業を遠巻きにして、持ってきていた弁当を食べ始める朔。対面では未里もまた菓子パンの封を破っていた。

「そう言えばいろはさん。九十九君ってどうかしたの?」

「ン? 何かあったのかイ?」

 いろはが答えるよりも先に、未里が口を挟んできた。

「何かって言うか何て言うか……いろはさんに対する九十九君の態度が素っ気ないように感じられたの」

 先ほどのやり取り、そして授業中の出来事から、朔はそんな印象を受けていた。

「ふーん。九十九クンが素っ気ないねェ~」

 口一杯に頬張った焼きそばパンを飲み込んでは、片目を眇める未里。一方廉太郎は食事も取らず、スキャン作業を続けていた。

「そいつはアレかい? 昨日のワンピースを見ておかしくなったとかじゃないのかイ?」

「ワンピース姿を見せても普通だったと思うけど?」

 いろはは小首を傾げた。幸介と同じ人格こそ有しているが、それで客観的に自己を把握してることには繋がっておらず、普段との差違に気付くことがなかった。

 まして、夢の出来事など知る由もなかった。

「もしかして、俺が黒焦げ弁当を持たせたことで怒ってるとか?」

「黒焦げって?」

「麦わら帽のお礼に、弁当を作ってやったんだよ。まぁ、出来は散々たる状況だけどさ」

 言っては浮かべる自虐的ないろはの笑みに、朔は今更ながらに廉太郎達の作り上げた人格OSに心底驚いていた。

 現状のメイドロイドではそこまで微細な感情表現は出来ないのだ。

「あっはっは。九十九クンが黒焦げ弁当で怒るようなタマかイ」

 未里は乾いた笑い声を上げる。

「あヤツは女の子に幻想を抱いているタイプだかンね。どンだけ真っ黒でも、女の子が自分のために作ってくれた代物なら残さず平らげるサ」

「確かにそんな感じかも。九十九君って、ムッツリそうだし」

 酷い言われような幸介だった。

「まぁ、何にしろ、幸介君もワンピースに対する思い入れが強いみたいだよ」

 不意に男の声が混じる。

 振り返れば、左手でスキャニング作業を続けつつ、右手でアンケート結果を調べている廉太郎の姿があった。

「いろはさんがかなり執着していたみたいだから、幸介君のアンケート結果を洗い直してみたんだけど、女性の好みに関する設問でワンピースって言葉が出てくるのが異様に多かったんだ」

「へー、そうなンだ」

「美少女のワンピース姿に多大な憧れを抱いてる感じだね」

「でもさ、昨日俺が着た時でも普通だったぞ?」

 へきるりでの初披露を思いだす。

「思い入れがあるなら、もう少しリアクションがあってもいいんじゃ?」

「十分あったと思うよ。九十九君、いろはさんとは視線を合わせないようにしてたし」

「きょどっていたしネ」

「普通だったと思うけど……」

 そこまで言われてもいろはは釈然としない。

「あいつは俺のワンピース姿を意識してしまい、恥ずかしいからぶっきらぼうな態度を取っていると言うのか?」

 コクコクと頷く未里と朔の二人。

「あいつが俺をね……やっぱ、あいつも美少女のワンピース姿が大好きなんだな」

 周りの意見を参考に、ずれた結論に辿り着くいろは。そんな彼女に不満気味な朔がいた。

「ねぇ、未里ちゃん先輩」

「なんだイ?」

 近くに居る未里に小声で呼び掛ける。

「いろはさんって照れたりしないの? 普通、男の子が自分の姿に意識していると思ったら、恥ずかしくなったり照れたりすると思うんだけど」

「あー、今のところいろはさんの思考形態は九十九クンと同じだからネ。自分が女として九十九クンに見られていることを意識出来ないんだワ。せいぜい、同好の士とでも捉えてるンじゃないかナ?」

 いろはの内情を理解しているからこその状況把握だった。

「何て言うか、それって面白みが無い――かも」

「う~ん、あたしもそう思うヨ。だからこそ、廉太郎にも頑張って貰ってるンだわサ」

「綾瀬君に?」

 そこにどうして廉太郎の名前が出てくるのかが不思議だった。ちらりと廉太郎の方を横目で見れば、

「よし、最終データの入力完了!」

 珍しくも声高らかに叫ぶ彼の姿があった。

「完成したン!?」

「かなりの突貫工事だったけどね。これで上手くいくと思うよ」

「でかしたゾ、廉太郎! さすがはあたしの廉太郎だヨ。褒めてやろゥ」

 そう言っては頭を撫でてくる未里。子供扱いされていると言うのに、別段嫌な素振りを見せない廉太郎だった。

「何が完成したの?」

「人格OS――Irohaシステムの追加モジュールだよ」

「OSの?」

 マンガの取り込みをしていた廉太郎が、いつの間にそんなものを準備していたのか不思議に思う。

「テスト期間中から組み上げていてさ。今さっき、欠けていた最後のデータ入力が済んだところなんだ。これをいろはさんに組み込めば、キミの能力は飛躍するはずさ」

「能力って、危なくないか?」

「大丈夫、大丈夫。この僕が組んだんだから、何の問題も無いはずだよ」

 自信満々と言い切ってみせる廉太郎。

「まぁ、この更新が終われば、世界の感じ方が一変するかも知れないけど、そんなの些細なことだよ」

「そーいうことだかラ、いろはさん。さくさくっと椅子に座ってくんロ」

 有無を言わせずパイプ椅子に腰を下ろさせられるいろは。そのまま手早く頭には猫耳型ヘッドセットが取り付けられれば、

「ちょ、ちょっと、待て! 一変するってどう――」

 問い詰める間もなく意識はブラックアウトするのだった。

「オペレーティングシステムの更新を開始します。本機は待機モードへと移行します。主電源を切らないでお待ち下さい」

 機械的な抑揚でそう述べると、いろはの身体は完全に機能を停止した。

「ねぇ、システムの更新にはどれくらいかかるの?」

「この感じだと昼休み中には済むと思うよ」

 PCの方のモニターに表示されている更新状況を見ては言う。

「その追加モジュールってのをあてるといろはさんはどうなるの?」

「さぁネ?」

 首を横に振る未里。

「正直、あたしらにもどーなるかは解ンないんだヨ」

「解らないって、いったい何なの?」

 朔はなおさらそれが気になってきた。

「乙女モジュール」

 バランス栄養食である飲むゼリーの封を開けながら、廉太郎が言う。

「それが今、いろはさんにインストールしている追加モジュールの名称だよ」

「乙女モジュール? 何よ、それ?」

 名称からしてずいぶんファンシーな印象を受ける朔だった。

「未里姉、飯島さんにも話しておいたらどうだい?」

「んー、そだネ。協力者は居た方が有り難いカ」

 プロ研二人で言葉を交わし、朔にロボコンの裏に隠された計画を教えることになった。

「実は、いろはさん運用における本当の目的はロボコン優勝じゃないんだヨ」

「優勝じゃないって?」

 じゃあ何と、目で問う朔。対して未里は不適な笑みを浮かべ口を開けた。

「そいつはネェ――」

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