十三話 ワンピース
「終わったー」
一人の生徒のそんな言葉を皮切りに、静寂に包まれていた教室がざわめきだした。
期末試験四日目、最終科目のテストが終了した今、生徒の心は一気にゆるみきっていた。
連日続けてきた一夜漬けの反動からか帰ってすぐ寝ようと考える者、一週間以上禁止されていた部活動に勤しもうと思ってる者、疲弊しきった心を休めるためにも街に繰り出そうかと思案する者――等々。赤点による夏休み中の補習を危惧している一部の生徒を除き、概ねの生徒は心と体のリフレッシュを渇望していた。
そして一際激しくハイテンションなのは――
「試験、終わったぞ♪」
声音弾ませて幸介の元にやってきたのはいろはだ。試験中だったこともあり、普段の隣同士の席ではなく、彼女は女子側最後尾で試験を受けていたのだ。
「ああ、終わったな」
大きく欠伸をしては答える幸介。一夜漬け組の彼にしてみれば張り詰めていた緊張感が途切れたことによって、どっと眠気が襲ってきていた。
「いろはさんは買い物か?」
「ああ、決まってる!」
勢い勇んでは肯定する。
「買い物って?」
教室から出るために脇を通り抜けようとしていた園生日向が、二人のやり取りに言葉を挟んできた。
「昨夜、一週間分のバイト代が出たからな。試験も終わったんでこれから買い物だ」
「へー、いろはさんってバイトしていたんだ……って、バイト!?」
言葉の意味が浸透していくにつれ、素っ頓狂な声を上げる日向。
「それってテスト週間中にやってたの?」
「ああ、そうなるな。昨日もテストが終わった後にやっていたしな」
いろははあっさりと頷いてみせた。
「テスト大丈夫なの?」
「委員長。いろはさんなら大丈夫だよ。俺とは頭の作りが違うからな」
気怠そうに答える幸介。彼の言葉は比喩でも何でも無く、文字通りの事実そのものであった。
メイドロイドであるいろはの頭脳はコンピュータであり、一度学習したことを忘れることが無いのだ。上書き保存でもされない限りはデータは永遠に残り、いつでも思い出せたりする。
若干の恨めしさのこもった眼差しを向けては、幸介は大きく息を吐いてみせた。
今度、廉太郎にでも頼んで擬似的に忘れる機能を組み込んで貰おうかと考える。
「それでいろはさんは何を買いに行くの?」
問われ、ちらりと幸介を見ては悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。
「それは秘密だ」
「何だったら、日向ちゃんも行く?」
「きゃっ!?」
背後から忍び寄ってきた朔にいきなり胸を鷲掴みされ、小さな悲鳴を上げる日向。
「あっ、日向ちゃん。胸、成長した?」
「朔さん、怒りますよ!」
強めに言われ、朔は日向の胸をを開放した。
「買い物には朔さんも一緒なの?」
「まぁね。あたしがバイトを勧めたし」
「バイトってへきるりだったの?」
友人同士なだけあってか、朔の家のことを知っていた。
「う~ん。いろはさんの欲しがってる物には興味はあるんだけど、この後クラス委員の会合があるの」
さすがにサボれる内容ではなかった。
「そっか、残念。それで、九十九君はどうする?」
「俺は帰って寝る。さすがに限界だ」
欠伸混じりにそう答える。連日連夜続けた一夜漬けの反動が今まさに頂点に達しようとしていた。
・
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「――で、どうして俺はここに居るんだ?」
半分据わった眼差しで、幸介は対面に居る未里と廉太郎を睨みつけていた。
いろは達と別れ、一人帰宅しようとしていた幸介だったのだが下駄箱で未里に捕まり、へきるりへと連れてこられたのだ。
「まぁまぁ、昼ご飯奢ってあげるンだから、ふてくされないノ。あっ、瑠璃さん。あたしはへきるり印のフレンチトーストを頼むネ。飲物はアイスミルク」
「僕は野菜サンドとコーラを」
注文を取りに来た看板娘ことメイドロイドの瑠璃に注文していく。
「俺はカツサンド。あと、カフェオレ」
憮然と言い放つ幸介。別段サンドイッチが食べたいわけでもなく、目に付いた中で一番高いメニューだったのでそれを頼んだまでだ。
後でデザートも注文してやろうと考える。
「それで、俺に何の用があるんだよ?」
「用事って言うのはさ、いろはさんが活動して一週間以上経つじゃないかい。それで、その感想を聞きたいんだよ」
「感想ね……」
そう問われたところでどう答えて良いのか考え倦ねる。
「いろはさんと生活してみて、いろはさんことは人間として感じられたかい?」
「人間らしいかと言われれば、人間そのものだと思うけど?」
近くで給仕をしている瑠璃と比べてみても、圧倒的に人間臭いのだ。事実、へきるりでバイトしていても、いろはの正体を見破れたのはご老公ただ一人だ。
「じゃあ、逆に聞くけどサ」
未里が言葉を挟んできた。
「いろはさんが人間ぽくないと感じられたことはあるン?」
「人間ぽくない……」
少し考えてみれば、一つの出来事が思いだされた。
「それならあれだな。いろはさんの記憶力。試験勉強なんて教科書を読んだだけで十分だって言って、期末試験の勉強なんて何もしてないんだよ」
「あー、メイドロイドだと繰り返して学習して記憶の定着を行う必要がないからね」
幸介の言いたいことを理解する廉太郎。対して未里はキョトンとしていた。
「それのどこが人間ぽくないン? 普通でショ」
「へっ?」
未里の言葉に幸介の目が点になった。
「教科書なんて配られた時に一度目を通せば十分じゃなイ」
「…………」
その天才ぶりに言葉を失う。
「未里姉は天才だからね。繰り返さなければ学習できないって感覚がよく解ってないんだよ」
廉太郎が補足してくれた。
「お前はどうなんだ?」
「僕かい? 僕は興味無いことまで覚えることはしないからね。今回のテストもヤマの当たり方からして平均ギリギリかな」
電脳工学以外興味を持たない廉太郎。その唯一無二な電脳工学すら独自理論の追求ばかりで学業としての成績はよろしくなかった。
「でも、忘れさせるってのは難しいかな。人の記憶だって、思いだせなくなるだけで消え去るわけじゃないからね」
そうは言いつつも、廉太郎は自らが進めているより人間らしい人工知能作りの懸案事項の一つとして心の片隅に留めておくことにした。
「他は何かないかい?」
「別に――あっ、そうだった」
言い掛けた言葉を飲み込む。一つ言ってやりたいことを思いだしたのだ。
「未里先輩の仕業だと思うんだけど、いろはさんの知識所々おかしくないか?」
「おかしいっテ?」
眉を潜めて聞き返す。
「いろはさん、俺の下着が褌だと思ってたんだよ」
それは洗濯での出来事だった。
本来調理目的で九十九家に居座っているいろはだったのだが、満足な調理スキルを持たない彼女は調理の代わりに洗濯や掃除を買って出ていた。
その際、幸介の下着が褌じゃないことを指摘されたのだ。
「それにあれは何だよ、あれは!?」
「あれっテ?」
再度小首を傾げる未里。
「水曜日の深夜二時、俺が上半身裸で邪神を崇め奉る儀式を行ってるってさ!!」
「ああ、あれカ♪」
幸介の言いたいことが解り、プッと小さく吹いてみせた。
「真夜中にいきなり上半身裸でいろはさんが部屋にやってきて、儀式の仕方を教えてくれって真顔で聞いてきた時には絶句したぞ!
「ゴメンゴメン。あたしとしても、いろはさんがどこまで入力されたデータに忠実なのかを知りたかったんだわサ」
悪気を微塵も感じさせない謝罪であった。
「そう言えば、いろはさんを起動させる前にいくつかの追加データを入力していたみたいだけど、そんなモノを仕込んでいたのか」
知らされていなかったのか、微妙に引きつった笑みを浮かべる廉太郎だった。
「でも、その程度なら学習で修正できる範囲だから問題無いと思うよ」
「まぁな」
事実、幸介がその点を指摘すればあっさりとデータは改善されたりしている。
「そんなことよりも、いろはさんは変わってきたりしてないかナ? 一週間もすれば新しい刺激によって色々と学習してくる頃合いだと思うンだ」
「別に最初と同じだと思うけど?」
誤魔化されたと思いつつも答える幸介。存在が身近すぎて彼にしてみれば、いろはの些細な変化などよく解っていなかった。
「だいたい、家でいろはさんと一緒に居る時間帯なんてたかが知れてるしな」
「いつも一緒に居ないノ?」
意外そうな顔をする未里に対し、幸介は嘆息してみせた。
「俺もいろはさんも、家に帰れば自分の部屋に居るのが普通だからな。俺自身、食事と風呂とトイレくらいしか部屋から出ないんだよ。掃除なんかは休日にまとめてやるし、洗濯は風呂入ってる間に済ますしさ」
それはもっともな話であった。
思春期真っ盛りな十代半ばの少年少女が家族と一緒に居る時間となれば、せいぜい食事くらいなのだ。
四六時中一緒に居るなど、恋人同士でもなければ難しかった。
その後もいろはの現状を話し、幸介はトイレへと席を立った。
「ねぇ、廉太郎。九十九クンの感想、あんたはどう見るン?」
「うーん、二人の関係が完全に安定してるってとこかな」
問われ、自分の見解を口にする。
「幸介君はいろはさんのことを異性の同棲相手と言うよりも、家族みたいな同居人ぐらいにしか感じてないんじゃないかな?」
「やっパ、そうなるカ」
その点に関しては、未里もまた同じ考えだった。
「もう少しドキドキな関係を期待したんだけどネ。二人の親和性が高すぎたってことかネ?」
「それもあるとは思うけど、いろはさんが思ってたよりもアグレッシブじゃなかったんだよね」
「九十九クンもあれで結構ヘタレだし、二人して安易で安寧な日常を選んでしまったカ」
未里は腕を組んでは低く唸ってみせた。
「廉太郎、例のアレはどこまで進んでるノ?」
「八割方かな? 見つからないデータは諦めることになるけど」
「それでいいから、明日の昼までに間に合わせてネ」
好い感じの笑顔で命じられれば、請け負うしかない廉太郎。試験疲れも残っているのか、がっくりと項垂れるのだった。
「でも、未里姉。あれを組み込んだところで二人の関係が変わるとは思えないけど?」
「そこなんだよネ。二人の安定した関係に一石を投じるような切っ掛けでもあれば良いんだけど……」
「何の切っ掛けが必要なんだ?」
未里がこぼせば、頭上から声が返ってきた。見上げれば、トイレから戻ってきた幸介の姿があった。
「やー、お帰り、幸介君。ちょっとね。キミといろはさんの関係が安定しすぎて面白くないって話していたんだよ」
一切の隠し立てになく廉太郎は話してしまう。そんな幼なじみの弟分に渋い顔をする未里だったのだが、
「俺はお前等を楽しませるためにいろはさんを預かったんじゃないぞ」
幸介自身は気にする風でもなかった。
「安定してるってことは安定運用できてるってことだろ? だったら良いじゃないか」
それのどこに問題があるんだと目で続ける。
「俺としては神経すり減るような状況にだけはなりたくないんだからな。いろはさんは今のままで十分だろ」
廉太郎達の事情に付き合う気は無かった。
「ご注文、の、品、お持ち、し、まし、た」
「あっ、瑠理さん。ありがと」
そして幸介は、運ばれてきたカツサンドへと手を伸ばす。
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「あー、居た居た。ちゃんと九十九君を連れてきてくれたんだね」
食後のコーヒーならぬカフェオレを飲んでいたら、店内に朔の声が届いてきた。
おもむろにかぶりを振れば、バックヤードから朔が顔を覗かせていた。いろはとの買い物から帰ってきたばかりなのか、その姿は学校の制服のままだ。
「朔チャン、買い物は済んだのかイ?」
「なんとかね。今、更衣室で着替えているとこ」
「着替えるって、やっぱりいろはさんが欲しがっていたのは――」
幸介が言い終える前にその言葉は尻窄み的に消えていく。バックヤードから現れたいろはを見ては息を飲んだのだ。
静かな足取りで歩み寄ってくるいろは。アシンメトリーになるように結わえていた髪は解かれ、伊達メガネも外されている。澄ました笑みを浮かべているも、どこかしらに照れがあるのか頬がほんのりと赤い。
白を基調としワンポイント的なアクセントとして胸の下に走る黒のリボンをあしらえたワンピース。その縫製がしっかりしているのか、清楚で可憐そして高級そうなイメージを与えてくれる。
「へー、ワンピースを買ってきたんだ。に――ふご」
「アンタは黙ってなさイ」
廉太郎が感想を口にするよりも先に、未里が彼の口を塞いだ。初めての感想を幸介に譲れと言うのだ。
「どうだ、どうだ? 似合うだろ?」
幸介の前にまでやってくると、嬉しそうに見せびらかすいろは。その身体をクルリと返せば、ワンテンポ遅れてスカートの裾が翻る。
裾の下から見える太ももにハッとしては思わず視線を逸らす幸介。なるべく視線を合わせないようにし、
「ぃ、ろはさんは美人だから何着ても似合うと思うよ」
努めて冷静に感想を口にした。
「まぁな♪」
満足げにはにかむいろは。幸介の世辞に満更でもなかった。
「でも、いろはさん。靴はローファーのままなんだな」
逸らしていた視線が足下に違和感を覚える。ヒールの高いパンプスかミュール辺りが似合いそうな服装なだけあって、通学用のローファーは不自然そのものだ。
幸介が指摘した途端、いろはの端整に整った眉尻が吊り上がる。
「それだよ、それ、聞いてくれ!」
テーブルに手を付き、身を乗り出すように幸介に迫ってくる。
ノースリーブだがハイネックな作りのため胸元が見えることはないのだが、アクセントの黒のリボンと立体裁断で胸の形が制服以上に際立っていた。
そんな膨らみに迫られ、幸介の頭の中はぐちゃぐちゃになっていく。
「な、な、何を聞くんだよ!?」
なるべく近づけないようと、椅子の上を後ずさる。
「本当は靴と帽子もセットで買うつもりだったんだ」
「帽子って麦わら帽か?」
「ああ、さすがはよく解ってるな」
ぎゅっと胸の前で握り拳を作っては語るいろは。
「白のワンピースと言えば麦わら帽。麦わら帽が無いなんて、源泉掛け流しの無い温泉みたいなものだ」
そんなの価値が半減されると言う。
「源泉掛け流しって?」
「苺の無いショートケーキとかって言いたかったんだろうネ」
あり得ない例えが理解できず、困惑気味な朔に未里が教えてくれた。
「九十九クンってば、大の風呂好きだかンね」
「それで掛け流し……」
釈然としないまでも納得した。
「バイト代もちゃんと買えるだけあったはずなんだよ!」
涙流さんばかりに悔しがるいろは。
「なのに、セールが終わっていたんだ!!」
勢い勇んで買いに行ってみれば、前回見に行った時には催されていた割引セールは終了しており、手持ちのバイト代ではワンピースを買うのがやっとだったのだ。
「ちなみに全部身に付けるとこんな感じね」
横から朔が差し出したスマホには、試着で着込んだフル装備状態のいろはの写真があった。
幅広の麦わら帽を被り、木調でナチュラルなミュールを履いたいろはの姿に、幸介の胸はドキッと高鳴った。
清楚で可憐な姿は正にお嬢様然り。惜しむらくは背景が店内なことだけだ。
「ミュールに関してはこの前一足買っておいたからそれで我慢するとして、麦わら帽まで買えなかったのは悔やまれる」
目の前でコロコロと表情を変えては動き回るいろはのワンピース姿もいいのだけれど、写真と対比してみればやはり何かが欠けているのがよく解った。
だからこそ、
「そんなに欲しいなら俺が買おうか?」
ついそんな言葉が口を衝いて出ていた。
「あっ、でも、自力で買うとか前に言って――」
「買ってくれるのか!?」
意外にもいろはは速攻で飛びついてきた。
「いろはさん?」
「あっ、いや……まぁ、その……無茶苦茶欲しいんだよ……麦わら帽がさ」
激しくも真っ赤に顔を染めてはそっぽを向き、口籠もるように言う。一度試着したことで歯止めの利かなくなっていたのだ。
「それでいくら必要なんだ?」
いろはは手の平を広げて見せてきた。
「ミュールと込みで八千円なんだよ」
折角ならばミュールも揃えたいと考える。
「三千円なら持ってるからさ」
「足りない分は五千円ってことか」
幸い、先日七月分の仕送りが振り込まれていたから財布の中身もある方だったが、五千円の出費は痛かった。
「無理ならいいぞ。またバイト代貯めるだけだし」
「いや、払うと言ったんだから払う」
財布から五千円札を取り出すと、いろはに押し付けた。
一瞬、キョトンとするも満面の笑顔でそれを受け取るいろは。
「朔さん、もう一度、買い物に行くぞ!」
「ちょ、ちょっと、いろはさん! 買いに行くなら制服に着替え直してって! さすがにその靴じゃ恥ずかしいよ」
朔に言われ、店の入り口へと向かっていた足を止める。立ち止まり下を見ては、ワンピースとはまったく合っていない通学用の革靴なのを思いだした。
そしていろはは慌ててバックヤードの奥へと消えていった。
「あら? 名残惜しそうに見つめチャって、もしかしていろはさんのワンピース、もっと見ていたかったのかしらン?」
「べ、べ、べ、別にそんなことはないぞ! ただ、麦わら帽って高いんだなって思っただけだ」
その狼狽ぶりを誤魔化すように、幸介はグラスに残っていたカフェオレを飲み干すのだった。
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