十二話 錯綜し始める日常
遠巻きに、瑠璃から仕事内容のレクチャーを受けているいろはを見守りながら、
「判子を持って来いって言ったのは、バイトの書類のためなのか?」
幸介は目の前に置かれた書類に自分の名前を署名しながら訊ねた。
「でも、どうして俺の署名がいるんだ? いろはさんが契約を結べば済むだけだろ? そりゃ、九十九って苗字は珍しいから判子が必要なのは解るけどさ」
「それなんだけどね。いろはさんの場合、バイト契約が結べないの」
ポリポリと頬を掻く朔。
「結べないって?」
「いろはさんはアレだろ、アレ。人間じゃないから雇用契約が結べないんだヨ」
未里に言われ、メイドロイドだったことを思いだす。
あまりにも人間っぽい立ち振る舞いで、ついつい忘れがちだった。
また、同じメイドロイドである瑠璃と並んだことで、その人間らしさが際立って感じられたのだ。
『本当の意味でいろはさんと付き合ってみたら?』
不意に浮かんだ廉太郎の言葉が幸介の心に障る。
彼もまた多感な年頃の男の子だ。恋人は欲しいに決まっている。まして、自分と同じ趣味嗜好を持っている相手なんて最適すぎた……
瑠璃からレクチャーを受けているいろはの横顔を見ては、どきっとした。改めて見るいろはの顔は幸介のタイプに限りなく近いのだ。
あれならば確かに恋人にしたくなるかも。
「それでね、雇用契約の代わりにオーナーである九十九君とへきるりとの間でレンタル契約を結ぶ必要があったの――って、九十九君、聞いてる?」
朔の言葉にハッとする。
「ああ、悪い。少し聞いてなかった」
素直に謝罪すれば、朔が口を尖らせた。
「もう。いくらいろはさんが可愛いからって、じぃっと見惚れていないでよね」
「なっ!? べ、べつにそんなつもりはないぞ」
胸の内を見透かしたかのような指摘に、幸介は必至に弁解した。
「ただ、いろはさんがちゃんとウエイトレスをやれるのか気になっただけだ」
「九十九君がそう言うならそれでいいけど、とにかくキミとうちの間でいろはさんのレンタル契約が必要だって話よ」
「レンタルね……」
物扱いすることに幸介は若干のいらつきを抱いた。
「まぁ、俺は反対じゃないからいいけど、未里先輩達はいいのか? 部の備品を金儲けに使うようなものだしさ」
「別にいいよ。仮登録と言っても、オーナーは幸介君だからね。それに、色々な体験をした方がいろはさんの成長にも繋がると思うんだ」
「そう言うことだヨ、九十九クン。あっ、でも、キミがどうしてもいろはさんを独り占めにしたいから働かせるのは反対って言うなら、それはそれでかまわないけどネ」
「いろはさんを俺の所有物みたいに扱えるかよ!!」
反射的に声を荒げてしまうえば、遠くで瑠璃から仕事内容のレクチャーを受けていたいろはが彼の方へと顔を向けてきた。
キョトンとしたいろはと視線が合って、慌ててそっぽを向く幸介。そんな彼に、未里は薄くほくそ笑む。
もっともそれは一瞬で、
「いろはさんを尊重してくれるなら、こっちはこっちで有り難いかナ」
笑顔は豪快なものへと変じていた。
「そう言えば、未里姉もここの制服姿だけど、一緒にバイトするのかい?」
「あたしがかイ? まさか」
廉太郎の言葉を一笑に伏す。
「でも、制服を着てるじゃないか」
「これは興味本位。好奇心だネ。あたしとしても、袴姿に興味があったから、余ってる制服を借りてみただけだヨ」
好奇心の赴くままに。それが、未里の行動原理だった。
「ふーん、そうなんだ。結構似合ってるのに残念だね」
「はイ、ハい。褒めてくれてあンがと」
二度目なだけ合ってか、平然と返す未里。ただし、耳の辺りが真っ赤に染まっていることを、朔は見逃さなかった。
「邪魔するよ」
そう言って来店してきたのは、シックでモダンなスーツと帽子を被った初老の男性だった。長く伸びた白ひげがダンディさを醸し出す。
「あっ、ご老公。いらっしゃいませ」
「おう、朔嬢ちゃん。いつもの頼むよ」
ご老公と呼ばれた男性は、慣れた足取りで窓際の角の席へと腰を下ろす。彼が帽子を脱ぐのに併せたかのように、瑠璃が麦茶とおしぼりを差し出した。
「ご苦労さん、瑠璃嬢。調子はどうだい?」
「はい、瑠璃、は、今日、も、元気です」
「善哉、善哉。息災なことは良いことだ。これからも仕事に励むが良かろうて」
「はい、ご老公様」
恭しくもぺこりと頭を下げる瑠璃だった。
「飯島さん。あのご老公って、常連さんなのかい?」
「亡くなったお祖父ちゃんの親友なんだって。名前は――忘れたけど、この店ではご老公で通じるかな。お父さんもそう呼んでるし」
愛称で通るほどの常連だった。
「ちなみにへきるりにメイドロイドを薦めた人なんだよ。ご老公って、ああ見えても色々と顔が利いてね。瑠理さんもご老公の伝手でわりかし安く購入出来たんだよ」
「ご老公ね」
横目で眇める廉太郎だった。
「いろはさん、初仕事だよ。これ、ご老公にお出ししてくれるかな?」
作り終えたストロベリーパフェをカウンターの脇に置く。
「パフェを?」
「ご老公、大の甘党なのよね。うちに来るとまずはストロベリーパフェで、食後に珈琲を嗜むのが定番かな」
ご老公の好物は解ったが、そんなことよりも、
「いきなりお客対応の仕事を回すのか?」
最低限のレクチャーしか受けていないいろはには、配膳すらも躊躇われた。
「習うより慣れろよ、いろはさん」
「そう、ですよ、いろはさん。ご老公様、が、お待ち、してます」
朔と瑠璃に言われ、いろははパフェを運ぶことにした。
落とさないようにと怖々とした足取りで店内を進む。
「なぁ、廉太郎」
幸介が隣の席の廉太郎に呼び掛ける。
「いろはさんって配膳ぐらい、普通に出来ないのか?」
「トレーに物を載せて運ぶなんてデータは入れてないけど、あれくらいならジャイロの基本的な処理で普通にこなせるはずなんだけど……」
廉太郎もまた不思議そうにそれを見ていた。
「二人とも見る目が無いナ」
男性陣二人の会話に未里が混ざってきた。
「今のいろはさんはここの制服を着てるだロ?」
自分の着ている袴を指差す。
「これには厚底ブーツも含まれてるんだヨ。普通の乙女だって始めて履けばバランスを取るのが大変な代物ダ。いろはさんには歩くだけでも大変だと思うヨ」
言われてみれば、五センチほど底が分厚く、慣れない者にとっては歩くだけでも酷だ。
何とかテーブルまで辿り着くといろはは、
「どうぞ。ストロベリーパフェです」
そっとパフェを置く。
「ありがとう――新人さんかい?」
「あっ、はい。今日からバイトする九十九いろはです」
努めて冷静に対応するいろは。そんな彼女に労いと励ましの言葉を掛けるご老公だったが、
「ほう。いろは嬢か。雅で良い名前だ。大変だろうが精進す――」
不意に、その語尾が急激に途切れる。
ふさふさの眉毛で隠れている眼からは鋭い眼光が見え隠れした。
「何か粗相でも?」
失敗でもしたのかと不安がるいろはだったが、一連の動作にミスがあったとは考えられない。
「あっ、いや。何でも無い。無駄に気に掛けたようで済まなかった」
そう謝罪すると、ご老公はストロベリーパフェにスプーンを付けるのだった。
・
・
・
「うわぁ!? 何するんだよ!」
ゆったりとしたBGMが流れていた店内に、いろはの叫び声が響いた。カウンターで廉太郎達と話をしていた幸介がそちらを向けば、注文を訊きに行ったいろはの手を掴む男性客がいた。
年の頃は幸介達よりも上の大学生くらいだ。
「キミ、可愛いね。バイト終わったら俺達とカラオケ行かない? あっ、その袴姿のままで良いからさ」
三人連れの彼らは、いろは相手にナンパを試みようとしてるようだ。
「あいつら――」
反射的にスツールから立ち上がろうとする幸介だったが、朔が制した。彼女はそのままカウンターから出ると、男達の元へと向かう。
男といろはの間に割り込んでは、
「お客様。当店はナンパ会場ではありませんので、店員にそのような真似はおやめ下さい」
毅然とした言葉で注意してみせる。
ただし、それが通じるほど、
「え? なになに? 可愛い娘がいればお誘いするのは当たり前だろ? あっ、もしかしてキミもナンパされたいの?」
相手は賢くは無かったようだ。
「そこのメイドロイドちゃんも連れてさ、一緒に遊ばない?」
「おいおい、型落ちメイドロイドなんて誘ったって面白くないだろ?」
「でも、乳だけはでかいぞ? ありゃ、絶対に揉みがいがあるぜ」
自分には関係ないはずの誹謗中傷に、何故か腹が立ってくる幸介。
「おま――」
「それくらいにしとけや、小童ども」
低く、そしてずっしりと重たい声音が店内に響き渡った。
声の主はストロベリーパフェの最後の一口を平らげたばかりのご老公だ。
「ナンパはお天道様の下でさわやかに行うか、薄暗いクラブで退廃的に行うもんだ。こんな憩いの場でやるものじゃないぞ」
「何だよ、じい――」
鋭いまでの一瞥に飲まれ、男達は押し黙ってしまう。
「お、おい。こんな店やめて、他のとこ行こうぜ」
「ああ、そうだな」
注文すること無く、男達は逃げるように店を後にした。
「助かりました、ご老公」
「なぁに、ナンパ一つ満足にこなせん小僧共にご教示してやっただけだ」
楽しげに笑っては、ご老公は食後の珈琲を楽しんだ。
「九十九クン。良いトコロはご老公に取られたようだネ」
未里に言われれば、苦笑するしかない幸介だった。
「いろはさん、大丈夫?」
「え、あ、ああ……まぁ、なんとか」
まさか自分が女としてナンパされるとは思いもよらず、また客相手にどう対応して良いのか解らず、行動出来なかったのだ。
「飯島さん、ここでのバイトって大丈夫なのか?」
いろはを送り出す幸介にとって、職場環境に不安が生じた。
「えぇっと、あんな客滅多に来ないから大丈夫だと思うかな? それに、お父さんがいる時だったら多分、間髪入れずに叩き出されていたと思うよ」
「私、の、マスター、は、強い、ですから」
どこか誇らしげな瑠璃だった。
そんな二人のフォローに釈然とはしないまでも、幸介は納得してみせた。
「じゃあな、朔嬢ちゃん。代金はここに置いておくぞ」
「ありがとうございました、ご老公。またのお越しを」
テーブルにパフェと珈琲代を置いて店から出て行こうとするご老公。扉を開けたところでその足が一度止まり、
「そうそう、朔嬢ちゃん。最近、ここいらにメイドロイドを狙う窃盗グループが来ていると聞く。瑠璃嬢達を気を付けることだな」
それだけを告げると、確かな足取りでご老公は店を出て行った。
「しっかし、何者なんだイ、あの爺様は? いろはさんがメイドロイドだってことに気付いていたゾ。あの眼光に犯罪グループに精通している辺り、警察関係者かやくざの親分辺りカ?」
「あたしが知っているのは、お祖父ちゃんの小学校時代からの幼なじみで、お祖母ちゃんを取り合った仲とかくらいかな」
逆に人物像が解らなくなる情報だった。
☆
陽の落ちた夜の街道をいろは達は歩いていた。
「別にお前まで待っていてくれなくてよかったんだぞ? バイトを始めることにしたのは俺の意思なんだからな」
研修を兼ねた初日だというのに、いろははへきるりの閉店時間である午後九時まで働いていたのだ。それに付き合う形で、幸介達もまた店に居座っていたりした。
「いろはさん。九十九クンはいろはさんのコトが心配なンだよ」
「だけど俺は――人間じゃないんだぞ?」
心配される所以が解らない。
「あっ、もしかしてご老公の言ったことが気になったからか?」
「それもあるんだろうけど、いろはさんは可愛いからナ。またナンパでもされて変な男に連れて行かれると困るンだろうサ」
「なっ!?」
未里の言葉に絶句する幸介。
「そうなのか?」
「あっ、いや、まぁ。たまたま晩飯を済ませただけだよ」
いろはに顔を覗かれ、しどろもどろに誤魔化す。
彼にしてみれば、周りが暗いから顔色までばれていないつもりでいるのだが、いろはの人間離れしたセンサーは、薄暗い中に見える赤く染まった幸介の頬をしっかりと視認させていた。
だからこそ、
「お前は良いヤツだな」
そんな感想が紡がれるのだった。
「そんなことより、いろはさん」
これ以上追求されるのを嫌ってか、話題を変える。
「今日はどんな服を買ってきたんだ?」
「んー、格好いいのから可愛いのまで揃えてきたぞ。家に帰ったらお前にも見せてやるよ」
楽しげに語るいろは。
「可愛いのまで?」
幸介は意外そうな顔をした。
「格好いいのは解るけど、可愛いのまで買ったのか? いろはさんの容姿だと、可愛いのは買ってこないかと思ってた」
「それか。俺も場違いだと思っていたんだけどな。勧められていざ試着してみたら、これが結構似合うんだよな。幸い、俺とお前の趣味は似通っているから、お前も気に入ると思うぞ」
どこか嬉しそうないろはだった。
「あっ、いろはさんに幸介君。僕達はこっちだから。また明日、学校で」
「じゃあネ。あっ、九十九クン。いろはさんが可愛いからって、激しく襲っちゃダメだよン。女のコなんだから優しくしないと嫌われるゾ」
「襲うか!」
反射的に叫び返す。
「じゃあな! いろはさん、帰るぞ!!」
憮然としてはいろはの手を引き帰って行く幸介だった。
そんな二人の背中が闇の中へと消え去るのを待って、
「ねぇ、廉太郎。あんた、もしかして九十九クンに何かした?」
囁くように弟分の幼なじみに呼び掛ける。その発音は普段と違い流暢そのものだ。
「少しね。いろはさんを異性として意識するように仕向けただけだよ」
しれっと答える廉太郎。
「ってことは、やっぱり例の計画を進めるン?」
「んー、あそこまで見事に人格が宿ってくれるとなると、その先を見てみたいじゃないか。未里姉は反対する?」
「まさか」
廉太郎の言葉を笑い飛ばす未里。
【メイドロイドと人間の恋愛】
それが彼ら二人の最終目標であり、ロボットコンテストはそれを達成するための手段でしかなかった。
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