六話 ずっこけ

 二時間目後の休み時間は、次が体育の授業と言うこともあり着替えと移動が必要で、いろは達の元にやってくるクラスメイトは居なかった。

 幸介は体操着を持っては着替えるべく、他の男子と共に隣の教室へと移動する。そんな彼の背中を、何も考えずに追い掛けようとするいろはだったが、

「いろはさん。女子はこの教室で着替えるから」

 それに気付いた一人の女子が呼び止めてくれた。

 男子の姿が居なくなり、隣クラスの女子達が入ってくるのを待って扉は閉められ、カーテンも閉ざされる。

 昨夜自分の裸体を確認したいろはだったが、同年代女子の下着姿を相手にすればさすがに動揺が走る。

 なるべく意識しないように俯き加減に着替えを進めるいろは。

「いーろーはー、さん♪」

「うわぁ!?」

 いきなり背後から胸を鷲掴みにされ慌てふためく。

 振り返れば一人の女子――クラスメイトの飯島朔がいた。人懐っこい笑みを浮かべては胸を揉みしだいてくる。

 性感帯は機能していないので感じることはないのだが、くすぐったい。

「ちょ、ちょっと、何するんだよ!?」

「スキンシップだよ、スキンシップ。柔らかくて気持ちよくて、程良く大きいから揉みごたえもあるし……これはCカップかな? Dカップならもっとばいんばいんだし」

「ありゃ? いろはさんも早速、朔の洗礼を浴びてるんだ」

「いろはさん、気を付けた方が良いよ。その娘、揉み魔だから」

 そうは言うが誰も助けようとはせず、遠巻きに笑っているだけだ。

「だぁぁぁ、離れろ!」

 身体を捻り、無理矢理引き剥がす。

「今のは、何の真似だよ」

「スキンシップだよ、スキンシップ♪」

 ワキワキと動かす指使いが妖しい。

「朔はここにいる全ての女子の胸を揉んでいるからね」

「オッパイ揉んで五年。オッパイソムリエとはあたしのことだよ」

 えっへんっと、胸を張る少女――飯島朔。

 そんなクラスメイトの、怪しげな趣味に内心冷や汗を流すいろはだった。

「改めていろはさん。あたしの名前は飯島朔。愛と親しみを込めて、朔ちゃんって呼んでくれて良いよ」

「えぇっと、飯島さんって呼ばせてもらうよ」

「朔ちゃん」

「飯島さん」

「朔ちゃん」

「飯島さん」

「朔ちゃん」

「飯島さん」

「朔ちゃん」

「飯島さん」

「だから、朔ちゃんだってば」

「朔……さん」

 仕方なく折れることにした。このままだと無限ループに囚われ、イベントが進行しそうになかったのだ。

 そんな様子に、クスッとおかしそうに笑っている女子達。

「いろはさん。それに朔も。早くしないと休み時間終わるよ」

 壁の時計を確認すれば、休みに入って既に五分が過ぎていた。

 女子の大半は着替えを終えており、済んでいないのは二人だけだ。しかも、朔は上半身だけ体操着で下はスカートのままなのに対して、いろはは制服すら脱いでもいない。

 慌てて制服を脱ぎ下着姿になるいろは。体操着を着るためメガネを外す。その際、視線を感じて横を向けば、朔がじぃっと自分の顔を覗き込んでいた。

「俺の顔、変だったりするのか?」

「あっ、ううん」

 ぶんぶんと首を横に振る朔。

「いろはさんって、綺麗でスタイルいいなっと思っただけ」

 顔から視線を落としては腹やら尻やらを間近でみていく。

 そんな朔の視線に、いろはは気恥ずかしくなってきていた。

 昨夜は幸介相手にしてもさほど気にならなかったのだが、全く関係無い段三者に凝視されることで、羞恥心が芽生えだしてきていたのだ。

「そ、そうかな?」

 曖昧に返す。

 男の目から見れば美しいとは感じていたが、同性ならば違う感想を抱くものだと考えていたのだが、女性が見ても美しいようだ。

「……イドの身体だからかな?」

 ポツリと呟く。

「いろはさん、何か言った?」

「あっ、いや、別に」

 適当に誤魔化しては、着替えを進めるいろはだった。


 その日の女子の体育は屋外でのテニスだった。テニスコートを囲むフェンスの向こうにあるグラウンドでは、男子がサッカーゴールの設置をしていた。

 隊列に並びつつも横目で遠巻きに居る幸介の姿を追っていると、女子達の準備運動が始まった。

 身体を動かす度に自己主張するように躍動する胸を気にしつつも、一通りの準備体操が終わった。

「じゃあ、ペアを組んでストレッチングをしてね」

 体育教師の指示で、二人一組になっていく。

「いろはさん、一緒にやろ」

 独り、組む相手がおらずぽつりとしていたいろはに、朔が声を掛けてきた。

 基本的に見学者が入れ替わり立ち替わりで多い女子では、組む相手が固定で決められている訳でもなく、空いている者同士が適当に組んでいた。

 他に組む相手も居ないいろはは、朔の誘いを受けることに。

「じゃあ、ストレッチングマスターの朔さんがいろはさんの身体を隅々まで弛緩させてあげようじゃないか」

 邪な笑みを浮かべて迫ってくれば、避けたくなるいろはだった。

 互いに背中をくっつけ腕を組み、背筋を伸ばすように朔の身体を背中の上へと載せる。

 十秒ほど伸ばすと、続いていろはの番になるのだが……

「おもっ」

 そんな呟きが聞こえたかと思えば、下になる朔の膝が折れ、地面に付き、そして――

「うわぁ!?」

 彼女の身体はいろはの下敷きになった。

「朔さん、大丈夫!?」

 慌てて上から退いては、手を貸して立ち上がらせる。

「重すぎだよ、いろはさん」

 よろよろと半べそ気味な朔。

「いろはさんって細いのに……まさかその体育着、鉛でも仕込んでいたりする?」

「えぇっと、結構筋肉質だからかな?」

 適当に笑って誤魔化す。

 見た目とは裏腹に重いいろはの身体が信じられないのか、探るようにそれでいてジト目で見つめてくる。

 それは無理もない話であった。

 カタログスペックでは、いろはの宿っている機種は八〇キロを超えている。平均的なスタイルをしている外見から判断すれば、一.五倍以上の重量があることになるのだ。

 朔が潰れたのも至極当然な出来事だった。

 もっとも、重量に関しては技術が進むごとに軽くなり、あと数世代も技術を重ねれば、人間よりも比重の軽い機種が出来るんじゃないかとも言われていた。

 閑話休題。

 朔が潰されるといったハプニングこそあったものの一通りのストレッチングを終えると、体育教師の指示に従いサーブの練習が行われた。

「見て見て、いろはさん」

 名を呼ばれ顔を向ければ、朔が頭上にボールを放っていた。そして勢いよく空中のボールめがけてジャンプしては、

「イナズマサーブ!」

 必殺の掛け声と共に腕を振るう。

 ボールはそのまま真っ直ぐ相手コートに向かう――ことなく、隣で転がるボールを集めていたクラス委員の園生日向を襲った。

「きゃぁ」

 後頭部にテニスボールがヒットし、前のめりに倒れる日向。潤んだ瞳で事の元凶である朔を睨み付けるのだった。

「朔さん! そこから動かないでね。私もサーブの練習するから」

「ちょ、ちょっと日向ちゃん。サーブならコートはあっち。こっちは外野だから狙っちゃダメだよ」

 止める間もなく、朔は撃沈されていた。

 日頃、さほど気にもしていない女子達の日常を間近で触れ、面食らういろはだった。

 気を取り直しては、自らもサーブ練習をしようとボールを手にする。

 左手でボールを上に投げ、落下点目掛けてラケットを振る。

 完璧なフォームだ。

 なのに――


 スカッ。


 ラケットは思いっ切り空を切り、ボールは彼女の頭の上に落ちてきた。

「いて」

 反射的にそんな言葉が零れた。

 失敗したことが納得できないのか、今一度ボールを放るいろは。再度ラケットを振るうのだがやはり、ボールの遥か下をラケットが通っていった。

 あまりに豪快な失敗に周りからは笑い声が上がるも、自分の失敗が信じられなそうないろはにはそれを気にするだけのゆとりが無かった。

「…………」

 キョトンとしてはボールを見つめる。

 彼女の人格の元である九十九幸介は、運動部にこそ所属はしていないが、運動神経はそれなりに良い方であり、大概のスポーツはそつなくこなす。

 そんなデータが彼女にも引き継がれていたものだから、失敗を繰り返す理由が理解できなかったのだ。

「いろはさんって、もしかして運動音痴?」

「そんなつもりは無いんだけど……どうなんだろうな?」

 問われたところで、自分でも解らないいろはだった。

 そして、そんな現状を裏付ける現象が起こることに。

 開け放たれたままの通用口から、男子の蹴っていたサッカーボールがコートに転がってきたのだ。

 いち早くそれに気付いたのは、コートから離れて他の女子達のプレイを見ていたいろはだ。

 蹴ることならば問題無いと思い、蹴り返そうと足早に駆け込む。

 ダイナミックなまでに振り上げた右脚。そのまま振り下ろすもその足はボールに僅かばかり届かず、掠めるように通り過ぎては反動で背中から地面へと激しく倒れてしまった。

 いろははそのまま、空を仰いだまま動こうとしない。

 彼女の頭の中では、何故思い通りにボールを蹴れなかったのかで一杯だった。

 ただ、その姿から内心を理解出来る者はおらず、何かあったのかと捉え慌てだす周囲の女子達。そして、彼女達の監督責任を持っている先生もだ。

 もっとも、いろはの正体を知らされている彼女は、生徒達とは違った心配をしていた。

「大丈夫、九十九さん?」

「少し背中打っただけですから、平――」

 言いきる前にいろはの意識はブラックアウトした。


      ☆


「システムエラーチェック終了、再起動を果たします」

 いきなりそんな言葉が囁かれたかと思えば、背中に背負っていたいろはの身体が身動ぎ始めた。

「ん……俺は一体?」

「おっ、気が付いたか」

「ほぇ? どうして俺はお前におんぶされてるんだ!?」

「おい、こら、動くな! いろはさんの身体は重すぎるんだから、バランスが崩れるだろ」

 八十キロの重量を背負いつつも平然を装っていた幸介だったが、重心が崩されては満足に支えること適わず、蹌踉けてしまう。

「倒れたらどうするんだよ! 保健室に連れて行くところなんだから、じっとしてろよな」

 怒られ、幸介の背中にじっと抱きつく。

 背中に感じる胸の感触を出来るだけ意識しないように、前だけを向いて歩く幸介。

「それで、俺に何があったんだ?」

「サッカーボールを蹴り損なって倒れたんだよ。それでそのまま気を失った――って言うか機能停止だな、いろはさんの場合は。原因は廉太郎にでも診てもらわないと解らないが」

 いろはの事情を知っているが故に、気絶したと思われるいろはをどうしようかと考え倦ねていた体育教師の元に、サッカーボールを取りに来た幸介が現れ、これ幸いと保健室に運ぶように命じたのだ。

 許嫁効果も相俟ってか、女子達からは黄色い歓声で見送られ、現在に至る。

 ただ、頼まれた幸介にしてみれば、八十キロの重量を一人で背負うのは罰ゲームにしか思えなかったりした。

「おい、重たいなら降りるぞ?」

 脂汗流してまで自分を運ぶ幸介に、いろはは降りようとする。

「いいから黙ってろ。動かれると余計に体力を消耗するんだから」

 歯を食いしばり前へと進む。

 降ろそうとしないのは、いろはを女生と扱っている現れでもあった。いわゆる、男としての意地が最後まで運ばせたのだ。

 そんな幸介に釈然としないまでも、黙って運ばれることを選ぶいろはだった。


 保健室のベッドへといろはを運びきった幸介は養護教諭に頼んで、校内放送で廉太郎を呼びだしてもらうことに。

「それでいろはさんはどうなんだ?」

 いろはを診ている廉太郎に訊ねた。

「何があったんだ?」

「うーん、いろはさんって起動させてからまだ丸一日も経っていないじゃないか。慣らし運転をしてない状態で運動をしたからね。しかも、強めの衝撃を受けたからシステムが一時的に落ちただけだよ」

「大丈夫ってことか?」

「うん。本来、転んだくらいの衝撃で壊れるようなやわな作りはしてないからね。車と正面衝突したとかなら問題だけど、世間一般の人間が生身で耐えられる規模なら問題無いはずだよ」

 廉太郎の診断を黙って聞いていたいろはが、口を挟んできた。

「なぁ、廉太郎。この身体はどれくらいの運動能力があるんだ? テニスじゃまともにサーブも出来なかったし、サッカーボールも蹴られなかったんだけどさ」

「運動能力ね」

 少し考え込むように、カタログスペックを思いだす。

「確か敏捷性は、重量があるからそんなに高くはないはずだよ。まぁ、それでも外見年齢である十七歳女子の平均よりも少し劣るくらいかな?」

「劣るんだ」

 少し残念がるいろはだったが、

「逆にパワーは、介護や家具の運搬などを考慮しているらしく、二百キロぐらいまでなら軽々持ち上げられるんじゃないかな? まぁ、強く意識しない限り、ストッパーが働いているはずだから、そこまでの力は出せないと思うけどね」

 続けられたスペック情報に唖然とする。

 一見して女の細腕にしか見えないそれに、そこまでの力があるとは俄には信じられなかった。

「運動能力が全く無いって訳でもないんだな」

「完全に無かったら、メイドとして働けないじゃないか。あれって結構な重労働だって言うし」

 確かにそうであった。

「でも、どうしてサーブミスや蹴りミスが起こったんだ?」

「それなら単純だよ」

 軽い口調で答える廉太郎。

「いろはさんには幸介君の身体データを入力してあるからね。無意識の動きは問題無いけど、意識して体を動かそうとすると、どうしても頭の中で思い描いている理想像とズレるんだよ」

 オリジナルとの身体的な違いを解消できず、失敗を繰り返したのであった。

「どうしてそんなことをしたんだよ?」

「それなら、昨日言ったはずだけど?」

 怪訝そうに微笑む廉太郎。彼は始めから言っていた。

『意識とは、思考の上に成り立ち、認識のズレによって生じる』

 その持論に基づき、わざとデータと現実に狂いが生じるようにし向けていたのだ。

「何度か失敗を繰り返していけば、身体情報は勝手に修正されていくと思うよ?」

「それならいいけど」

 運動する度にミスを連発していたらさすがに堪ったものじゃない。

「じゃあ、僕は授業に戻るよ」

 まだ二十分ほど、三時間目の授業時間は残っていた。

「あっ、廉太郎」

 保健室から出ていこうとする廉太郎を幸介が呼び止める。

「昼休みは部室にいるのか? いろはさんのことで相談したいことがあるんだけどさ」

「二人が来るなら、未里姉も呼んでおくよ。じゃあ、昼に」

 今度こそ本当に出ていった。

「俺のことで相談って?」

「服とかの日常生活用品。飯代浮かすために協力しているのに、いろはさんの私物を一式揃えるとなると、逆に大損になりかねないからな。特に、服なんて何着か必要だろ? いろはさんは女の子なんだし」

「ああ、そう言うことか」

 制服以外の服がないのは確かに困りものだった。

 ふと、自分の着ている体操着を見ては、

「体育の授業はどうする?」

「このまま休めばいい――って言うか、ベッドがあるんだから少し眠らせて欲しいかも」

 大きな欠伸をする幸介。寝不足な上での体育授業。しかも、重量80キロのいろはをここまで運んできたともなれば、彼の体力は限界にきていた。

「悪い。少し寝るから、チャイムが鳴ったら起こしてくれ」

 そのままいろはのベッドに上半身を預けては寝入ってしまった。


      ☆


 四時限目の終わりと昼休みの開始を示すチャイムが鳴り響いた。

 授業が終わりざわめきだす教室で、いろはの元に朔がやってきた。

「いろはさんはお昼どうするの? もし良かったら一緒に食べない?」

 どうやら、昼食の誘いに来たようだ。

「悪い、昼からちょっと用事があるんだ」

「用事って?」

「プログラム研究部に顔出しに行ってくるんだよ」

 いろはの代わりに、幸介が答える。

「いろはさん、あそこの未里部長と昔からの知り合いでさ。昼に顔を出すように呼ばれているんだ」

「そうなんだ。残念。お昼はまた今度一緒に食べようね」

「了解」

 いろはと幸介は、幸介分の弁当箱を持って教室を後にした。

 一人残された朔は、学食にでも行って誰と食べようかと考える。そんな彼女は視界の片隅に見えた、放置されたままの二人のノートと教科書に気付いた。

 そこまでは問題無い。

 昼休みなら珍しくない風景だ。ただ、一緒に置かれた授業中に配られたプリントの、氏名欄に書き込まれた名前に目が止まる。

「これって……」

 二枚のプリントを交互に見やる。

「全く同じ文字に見えるけど……コピーじゃないよね?」

 下の名前は違うが苗字が全く同じ筆跡だったのだ。

 訝しげに眉を顰め、二人の出ていった扉へと顔を向ける。

 暫しの間をおいて、朔は扉から廊下へと出ていった。そして遠くの方で渡り廊下に向かう幸介達の姿を見つけ、その後を追い掛けた。

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