四話 指向すぎる嗜好を思考する

「それでいろはさん」

「何だ?」

 汚れた食器を洗いながら、顔を上げることなく言葉を返すいろは。食事が作れなかった代わりにと、洗い物を率先して行ってくれていた。

「さっきの話なんだけどさ、いろはさんの寝る場所をどうしたらいいと思う?」

「寝る場所か。さっきも言ったけど、別にお前の部屋で一緒でも構わないぞ」

 性的機能が無かったことを知り、どこか平然としているいろはだ。

「いや、だからそれは俺が気にするし……」

 そう言いつつも、幸介の視線は目敏くもブラウスの下から透けて見えるブラジャーの線を見つけていた。

 やましい気持ちを抱きつつも見つめる幸介。女が苦手とは言っても所詮は多感な年頃の男子高校生だ。

 女性のそういう部分には興味があった。

 不意に振り返るいろは。反射的に顔を逸らした幸介を不思議に思いつつ、

「俺の背中なんて見つめて何顔を赤らめて――って」

 今さっきまで彼の視線が向いていた先にあったモノに気付く。

「客観的に見ると、お前って結構ムッツリスケベだよな」

「うっ」

 内面がどうあれ、美少女に指摘されるにはグサリとくる言葉だ。

「まぁ、俺も男のままだったら同じように見ていたと思うから何も言わないけど……見られているって感じは伝わってくるから、外では気を付けた方が良いぞ」

「視線を感じたのか?」

「まぁな」

 メイドロイドの身体には五感以上の感覚センサーが備えられていた。

 もっとも、

「でも、何を見ているかまでは解らなかった」

 まだまだ本当の意味でOSと身体とが馴染んでいないためか、いろは自身にはその感覚がよく解っていない。まして、女性歴の短い彼女にしてみれば、背後から見つめる男の視線の先に何があるのかなんて、簡単には気付けなかった。

 もし幸介が顔を背けたり頬を赤らめたりしなければ、単純に自分の後ろ姿を見ていたのだと捉えていただろう。

「それより俺の部屋なんだけど、当てはあるのか?」

「親父達の寝室は? あそこならすぐにでも使えるけど」

「却下」

 即答。

 ある程度成長した子供が立ち入るには、両親のプライベート空間は抵抗のある場所だった。

 いくら血の繋がらない存在となっていても、形成された九十九幸介と言う人格と記憶がそれを拒絶する。

「空き部屋はないのか? これだけの家で家族三人なら、幾つか余っているだろ?」

 家の間取りは頭の中に入っているが、使用状況までは入力されていなかった。

「余っているのは物置と化してるからな。今からじゃ掃除は無理だろ」

「確かにそうだな」

 壁の時計は午後八時を回っており、二階に二つある空き室の内一つを空けようにも、荷物の運び出しで一時間以上の時間が掛かる。

 更には掃除機などを掛ける必要もあり、閑静な住宅街でそこまで大掛かりな掃除はご近所迷惑になりかねない時間帯だ。

「やっぱ、今日のところはお前の部屋だな」

「だから、それは不味いって。間違いがあったら困るだろ?」

「間違いって言っても、この身体じゃSEXは出来ないんだぞ?」

 確かに、女性としての身の危険は無いように思われた。

「別にSEXだけが間違いじゃないだろ。縛るとかの陵辱なら出来るんだしさ。それに、口だって使えるだろ?」

「口って――」

 反射的に口を押さえるいろは。

「お前、そんなマニアックな趣味を持っていたのか!?」

 入力されていない嗜好は、いろはの人格には反映されていない。自分に興味が無いことをオリジナルの幸介が口にしたとなれば、そう考えるのが妥当だった。

「あっ、いや。例えばの話だよ。例えばの。第一、不安じゃないのか? 仮にもいろはさんは女の子なんだぞ。それも、人格が俺じゃなかったら、間違いなく俺でも惚れてしまいそうなほどの美少女だ」

 少しでも考えを改めて貰おうと、一方的に捲し立てる。

 なのに、

「ならば、大丈夫だ」

 全く気にも止めないいろはだった。

「九十九幸介と言うヤツは、寝ている女性を手込めにするようなゲス野郎じゃないからな。その点に関しては、俺が一番良く知っている」

「良く知っているってな……」

 確かに、幸介が寝ている女性に手を出せるような甲斐性はない。

 だがそれはあくまで、身近に魅力的な女性が居なかったからであって、幸介自身がそこまで聖人君子であるはずもなく、閉ざされた空間で女子と二人きりともなれば、何かの拍子で熱いパトスが暴走しないとも言い切れなかった。

 だがしかし、

「俺は、俺のオリジナルであるお前を信じている」

 全幅の信頼を込めた眼差しで見つめられてしまえば、頷くしかない。

 結局、寝る場所は幸介の部屋と相成った。

「明日の放課後は速攻で帰って、部屋の掃除だな」

 いろは用の部屋を用意することを、心に決める幸介だった。

「寝る場所はそれでいいとして、風呂はどうするんだ?」

 時刻は既に九時近くを指していた。普段の幸介ならば、大体九時前後に風呂に入っている。

 今からお湯を入れればちょうど良い時間帯になる。

「入るに決まっているだろ」

 微塵の迷いも見せないいろはだ。

 彼女の人格である九十九幸介は、基本的に風呂好きであり、湯船に使ってはぼぉーとすることに至福の喜びを見出している。

 もし、金と時間があれば、日本全国温泉巡りをしたいほどの入浴好きなのだ。

 そんな事実は、アンケートは元より、客観的に集められた九十九幸介のデータにも記録されており、見事なまでに彼の人格を模しているいろはにも反映されていた。

「入るって、本当に良いのか? 風呂に入るってことは、全裸の身体を見ることになるんだぞ」

「確かに目を背けたいことだけど、遅かれ早かれ確かめる必要はあるんだしさ。ちょうど良いだろ」

 本人がそう決めた以上、外野が騒いでも仕方のないことだった。

 そんな幸介に出来ることと言えば、洗濯の済んでいる服から、着替えとしてのスウェットとTシャツを用意するくらいだ。


      ☆


 脱衣所で着ていた制服を脱いだいろはは、洗面台の鏡に映り込む自分の裸体をマジマジと眺めていた。

「本当に女の身体なんだな」

 一糸纏わぬ姿は、学校帰りに公衆トイレで確認したのとは違った衝撃を与えてくれた。

 鏡の前で身体を捻ったり前屈みになったりと、色々とポーズを取ってみるいろは。

「綺麗かも……」

 筋肉質だった男の身体と違い、柔らかそうでそれでいて無駄な贅肉の無い曲線美に、思わず見惚れてしまう。

 ナルシストではないのだが、プログラムによって構築エミュレートされた九十九幸介の感性が、その美麗さに息を飲ませてくれた。

「って、いつまでも脱衣所にいても仕方ないか」

 後に幸介が控えていることを思いだし、場所を風呂場へと移した。

 椅子に腰掛け、肩からお湯を掛ける。

 伝うお湯の触感が肌から伝わり、男の時とは違った輪郭を想い描かせてくれた。

 なるべく意識しないように、泡立てたボディソープで全身を洗っていく。むだ毛一つ生えていない身体はすべすべで、手を滑らせるだけでも心地良い。

 そして、その手は下半身へと向けられる。

「……生えてるんだ」

 なるべく見ないようにしていた秘部にまで手が伸び、その造詣の深さに舌を巻いた。

 いつしか身体を洗うことよりも、知的好奇心からか男としての本能からか、女体の神秘を研鑽することに時間を費やしだすことに。

「まさか、あそこまでリアルだなんて……この身体をデザインしたヤツって変態か?」

 湯船に使ってはそんなことを呟く。その頬は火照って赤い。

 オリジナルである幸介よりも先に、少しだけ大人の階段を上ってしまったかも知れないいろはだった。

 とろけるようにくったりとするいろは。湯船から腕を伸ばしては、その染み一つ無いすべすべの肌を見ては、うっとりする。

 初めの内は女であることに抵抗もあったが、ここまで美しい身体を見せつけられると、考えも改まってくる。

「女もいいかも」

 満更じゃないいろはだった。

 ただ、

「これからどっすかな……」

 人ならざる身である限り、未来への不安が拭えない。

「ぶっちゃけ、今の俺って洗濯機とかと同じなんだよな」

 扉の向こう側に設置してる洗濯機へと意識を向けてぼやく。メイドロイドである限り人権は存在しない。ただの電化製品でしかないのだ。

 持ち主が不要と感じたら、いつだって捨てられた。

「それに第一、俺ってロボコンの大会が終わった後はどうなるんだ?」

 今更ながらにそんな不安が脳裏を過ぎった。

「確かこの身体って、ロボコン参加校に貸し与えられているんだったよな? だったら、ロボコンが終わったら回収される!? それって、俺の存在が消されるってことじゃ――」

 思い浮かんだ考えを確認すべく、いろはは風呂から飛び出すのだった。


「おい、おい、おーい!」

 風呂が空くまでの時間を、リビングで麦茶を飲みながらいろはの取扱説明書を読んでいた幸介は、慌てふためいた呼び掛けに振り返り、

「ぶっへら!?」

 含んでいた麦茶で激しく咽せる。

 そこには、タオル一枚巻いただけのいろはが居たのだ。

 それも、

「いろはさん! タオル巻け、タオル!!」

「タオルならちゃんと巻いてるぞ」

「腰じゃなくて、胸を隠せって言ってるんだよ!」

 見ないように顔を手で隠し、叫ぶ。生まれてこの方、同じ年頃の少女の胸を目の当たりにしたのはこれが初めてだった。

 幸介が何に狼狽しているのか気付き、腰に巻いていたバスタオルを胸の位置で巻き直す。

「これでいいのか?」

 いいかと言われても、網膜に焼き付いたピンクの突起が脳裏から剥がれない幸介は、まともに彼女の姿を見ることが出来なかった。

「それで、何の用なんだ?」

 視線を向けず、訊ねる。

「ロボコンのことだよ」

「ロボコン? それがどうかしたのか?」

 上半身裸で飛び出してくるような内容ではないことに、顔を覆った手の下で眉を顰めた。

「ロボコンが終わった後! 俺の身の上がどうなるか知りたいんだよ!!」

「いろはさんの身の上……」

 何を危惧しているのか解らない幸介。

「だから、俺の身体って主催者からの貸し与えられているんだろ?」

「あっ」

 言わんとしていることがやっと理解出来た。

「コンテストが終わったら、俺は回収されて消されるのか?」

「ちょっと待て。今、廉太郎に確認するから」

 いろはには着替えを済ませてくるように指示し、幸介は携帯端末で廉太郎に連絡を取った。

 Tシャツとスウェットを着込んできたいろはを前に、幸介は廉太郎から告げられた内容を伝える。

「廉太郎が言うには、いろはさんの考えているように貸し与えられたメイドロイドは、大会終了後返却することになっている」

「それじゃ、俺の命は一ヶ月間だけなのか!?」

 テーブルに腕を付き、身を乗り出してくるいろは。着ているのが寝間着と言うこともあり、ブラジャーは着けておらず、その胸がプルンと揺れた。

 思わず先ほど目の当たりにした生乳を思いだしては顔を赤らめつつも、幸介は首を横に振った。

「このコンテストには賞品が出るんだ」

「賞品だって? それがどうしたって言うんだ?」

 それが自分の身の上に、どう関わってくるのか解らない。

「賞品って言うのが、貸し与えられたメイドロイドそのものなんだよ」

「それって、俺自身が賞品ってことなのか!?」

 更に身を乗り出せば、視線をずらす幸介。口ごもるように言葉を続ける。

「あくまで優勝賞品だけどな」

「二位以下だと、俺はメーカーに返されるってことかよ」

 なかなか大変な状況に、いろはの気分は複雑だった。

「まぁ、今のいろはさんなら優勝間違いないとは思うけど」

 それほどまでに、いろはは完全なる人格を築いていたのだ。

「廉太郎もその点に関しては自信ありげだったな」

「で、でも! 事故とかで大会参加が出来無かったりしたらどうするんだよ?」

 我が身のこと故に、いろははありとあらゆる可能性を演算していた。

「ああ、それに関しては俺も考えて聞いたんだけどさ。最悪、負けてもどうにかするとは言っていた」

「どうにかって?」

 一抹の不安を抱いたまま、訊く。

「いろはさん用に新しいボディを用意するとか」

「それって、人型以外の身体を用意しそうだな」

 入力されている幸介のデータ越しに浮かぶ廉太郎と未里の人物像はそんな感じだった。

「あと、いろはさんの人格データをネットワーク上に展開させ、電脳生命体に進化させるとか、色々言っていたな」

「電脳生命体って、大丈夫なのか?」

 どこまで本気なのか、不安の残る未来には違いなかった。

「結局、勝ち抜くしかないってことかよ」

 天井を仰ぎ、ソファーに身を委ねるように座り込めば、ノーブラな胸が揺れる。そんないろはの胸をマジマジと見つめてしまう幸介。

 その視線に、いろはが気付いた。

「もしかして見たいのか?」

「なっ」

 絶句する。

「見たいなら、見たって良いんだぞ? お前になら見られても困らない」

 Tシャツを捲り上げようとするいろはだったが、その手を反射的に幸介が止める。

「違うだろ、いろはさん!」

「えっ?」

 いきなり怒鳴られ、固まるいろは。

「あんたはロボコンに勝ち抜く必要があるんだろ!」

「ああ、うん」

 眼前で強く叫ばれ、呆然と頷く。

「だったら、そんなビッチな真似はするなよな。もっと、普通の女子でいろよな!」

 半分固まった状態のいろはに幸介は一方的に捲し立てる。

「ロボコンの課題は、ソフトウェアの力でメイドロイドをより人間らしくすることだろ? そんなビッチなメイドロイド、審査員の受けが良いと思うか?」

「確かに……そうだな」

 素直に訊く。真面目な大会、それも未成年である高校生の大会ともなれば、そんな人格キャラクターでは審査員の心証が悪くなるはずだった。

 健全でなければならないのだ。

「大体、そう言うのは俺のタイプじゃないことくらい、いろはさんが一番良く知ってるだろ!?」

「ああ、そうだった」

 同意しつつも、一方的にやり込められていくことに腹が立ついろは。口元に薄い邪笑を浮かべては反撃に出た。

「九十九幸介ってヤツは、単純な女体の裸体よりも服飾を身に付けていることに、フェチシズムが刺激されるムッツリスケベだったな。それも、着崩したエロい格好よりもきっちり着込んだ格好の方が好きだって、良く知ってるぞ」

「あぐぅ」

 図星な指摘が、幸介の心に突き刺さる。

「お前が望むなら、どんな格好だってしてやるぞ? 幸い、俺とお前ではひどく嗜好が似ているからな」

「い、いろはさんのバカやろー! 俺は風呂入ってくる!!」

 脱兎の如くの早足で、風呂へと逃げていった。

 そして誰も居なくなったリビングにて、

「少し、からかい過ぎたかな?」

 ポリポリと頬を掻いては反省するいろは。

「しかし、俺としてもノーブラよりもブラジャー付けてる胸の方が好きなんだよな」

 妖しげな感想を口にしていた。

 そんなこんなで、同棲一日目の夜は更けていくのだった。

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