三話 欠けてる存在意義
二人は駅前の繁華街を抜け、住宅街にある一軒の民家の前に辿り着いた。
「ここが俺ん家だから」
「いや、知ってるし」
そんなやり取りを交わし、玄関の扉を開け中へと入っていった。
廊下とリビングの電灯を点け、そのまま二階の自室へと向かう幸介。部屋に入ると制服から私服へと着替えようとするのだが、その手が止まった。
隣を見てはギョッとしたのだ。
そこには、一緒に着いてきていたいろはが同じように着替えようとネクタイを外そうとしていた。
「ちょ、ちょっと、いろはさん!」
慌てて止める。
「どうして俺の部屋に居るんだよ!?」
「どうしてって、ここは俺の部屋だろ?」
平然と聞き返すいろは。
「それはいろはさんの人格の元になっている俺の話であって、いろはさんの部屋じゃないだろ」
「ああ、そう言う見方もあるのか」
「あるも何もそれしかないだろ!」
無理矢理部屋から押し出す幸介。人間では無いとは言え姿形は女子だ。さすがに近くにいられた状態での着替えは無理だった。
しかも、相手も着替えようとしているとなれば、意識せざるおえない。
自分以外誰も居なくなった自室で私服へと着替えていく。
「そう言えば、いろはさんの着替えってどうなってるんだ?」
そんな疑問を抱きつつ、幸介は汗で汚れたシャツ片手に部屋を出た。途中、脱衣所にある洗濯機にシャツを放り込み洗濯機をセットしてから、リビングへと向かった。
一方、部屋を追い出されたいろははリビングのソファーに腰掛け、未里から受け取った紙袋を見分していた。
ブラジャーをつまみ出しては顔を赤くするいろは。デザイン自体はティーンエイジャー向けのシンプルな代物なのだが、人格が男である以上、それを見ていること自体恥ずかしかったのだ。
「これを俺が身に付けるのか? って言うか、もう付けているんだよな……」
部室では気が動転していてよく解っていなかったが、改めて半袖のブラウスの上から指をなぞれば、胸を包み込む下着の形がよく解った。
不思議な気分であった。
女であることを割り切ったとは言え男の人格を模している以上、女の胸は気になることこの上ない。
キョロキョロと辺りを見渡し誰も居ないことを確認すると、再び制服のネクタイを外そうと手を首元へと持っていく。
ネクタイを外し、ボタンを上から外していけばブラジャーに包まれた胸の谷間が現れた。
その衝撃の物体を呆然と見入っていると、
ガチャ――
背後で扉が開かれた。
反射的にいろはの身体が小さく跳ねる。恐る恐る振り返れば、着替えを終えた幸介がリビングへと入ってきていた。
「なぁ、いろはさん。いろはさんの着替えって――どうかしたのか? 顔が赤いけど」
「あっ、いや。別に……」
口ごもりながらも胸を押さえては適当に誤魔化そうとするいろはだったが、テーブルの上に放置されたままの下着と、外されたネクタイ、更には抱きしめる腕の隙間から見える胸元に気付き、慌てて踵を返す幸介。
「あのさ、そういうことに興味を持つのは解るけど、なるべくそういうことは俺の居ない場所でやってくれないか」
オリジナルに諭され、いろはは全身真っ赤に染め上げてはそそくさと制服を直す。
「えぇっと、悪かったな。少し、身に付けているブラジャーがどんなのか気になったんだよ」
本当かどうか微妙な言い訳だが、幸介は追求するような野暮な真似はしなかった。
「それでいろはさん。未里先輩から受け取った紙袋に、着替えとかって入ってない?」
「いや。あるのは下着の替えと靴の空箱と――取扱説明書だな」
袋の一番下にあったのは分厚いメイドロイドのマニュアルだった。
「取扱説明書と靴は解るけど、どうして替えの下着なんだ?」
「未里先輩の考えなんて俺に解るかよ」
憮然と答える。
「あっ、でも。あの人のことだから、俺達が困るのを楽しんでいるんだろうな」
「やっぱ、そうなるか」
その点に関しては、幸介もまた同じ思考を持つだけあって同感だった。
「服が無いとすると着替えはどうする?」
「無いなら、しばらくはこの姿で良いだろ。どうせこの身体は、汗はかかないし新陳代謝も起こらないから、老廃物で汚れることはないだろうしさ」
言って自虐的な笑みを浮かべるいろはだった。
そのあまりに人間らしい心情表現に、今更ながらに幸介は親友の技術力の高さに舌を巻いてみせた。
「ただ、さすがにこのままで寝たらスカートが皺くちゃになりそうだな」
新品なだけあってか、いろはの穿いているプリーツスカートには、綺麗なヒダが揃っていた。それを乱すのは勿体なく思えた。
「寝間着か……さすがに裸じゃ寝られないよな?」
「まぁな」
頷くいろは。自分の身体とはいえ、それは避けたかった。
「だぶつくけど、お前のTシャツで良いだろ。あと、下はスウェットの予備でもないか?」
今、幸介が穿いているスウェットを指さす。
「予備って言うか、洗濯してある替えなら一本あるのは知ってるだろ?」
二つのスウェットを数日おきにローテーションして使い分けていた。
「部室で廉太郎達が言っていただろ。俺は入力されたデータでしかお前自身を知らないって。タンスの中身までは入力されていないみたいだな」
「そう言うことか」
幸介も納得した。
「でも、ウエストは合わないんじゃないか?」
視線をいろはの腰へと落とす。
制服越しでいまいち解りにくいが、人の手によってデザインされたメイドロイドの身体だけあって、綺麗なくびれがそこにはあった
「腰紐をきつめに縛ればいいだろ」
「いろはさんがそれでいいなら貸すけど……ちゃんとした服も必要だよな」
「それに関しては、明日廉太郎か未里先輩に聞くしかないだろうな。さすがに、お前じゃ用意できないだろ?」
「まぁな」
服自体は、サイズが解っているのだから通販で買えば済むのだが、あいにくと予定外の出費を賄えるほどの蓄えが無かった。
「ひとまず、着替えの話はおいといて、部屋はどうする?」
「お前の部屋で一緒にってのはダメか?」
おずおずといろはが訊ねれば、幸介は首を横に振る。
「いくら中身が俺と同じとは言え、美少女と一緒の部屋で寝るなんて、緊張で眠れないだけだ」
「俺は気にしないけどな」
「俺は気にするって。第一、間違いでもあったら困るだろ?」
憮然と言い放つ。
気楽ないろはに対して心労気味な幸介だ。
「間違い……」
その言葉に食い付くいろは。
「なぁ」
幸介に呼び掛ける。
「何だ?」
「メイドロイドって、SEX出来るのか?」
率直な疑問だった。
「な、な、な、何聞いてるんだよ!?」
「仕方ないだろ。気になってしまったんだからさ」
慌てふためく幸介に対し、いろはもまた顔を真っ赤にして叫び返す。
いくらメイドロイドとは言え、その人格は思春期真っ盛りな男子高校生そのものともなれば、そこに興味が向くのは避けられないことであった。
「んなの知るか! 取扱説明書読め、取扱説明書」
テーブルに置かれた取扱説明書を手に取り押し付けてくる。
受け取った説明書をぱらぱらと捲るも、そんな分厚いモノから望む情報が早々得られるものではない。
「ネットで調べた方が早いんじゃないか?」
リビングに設置されているテレビを顎で指す幸介。拒絶を見せたものの、彼自身興味がない訳ではなかった。
テレビの閲覧からネット使用にモードを切り替え、検索ワードを入力していく。
「メイドロイドとSEXでいいか?」
「いいんじゃない?」
直球ど真ん中な単語だが、幾つかの情報は得られた。
基本的に、メイドロイドには性行為用の機能は付けられていなかった。ただ、それ用のメイドロイドも存在するらしいが、いろはの製造元である大江戸電機では取り扱っていない。
それでも、体の作り自体はそれなりに模した形はしているらしい。
思わずギョッとして視線を下半身へと落とすいろは。そして幸介もだった。
また、一般的なメイドロイドには、性感帯は存在しないともあった。
一応、オーナーなどに撫でられる抱きつかれるなどの行為において、触感センサーが喜びを感じる設定には施されているが、それ以上の快楽は得られないようにリミッターが設置されていたのだ。
「胸を揉んでも感じないってことか」
自らの胸を鷲掴みにし揉んでみるが、くすぐったいだけで気持ち良い訳じゃない。
そんないろはの行為を、幸介は物欲しそうな眼差しで見つめていた。
「ん? 揉んでみたいのか?」
「なっ!?」
言われ、ハッとする幸介。
「なに、馬鹿なことを言ってるんだよ」
「でも、他人に揉んで貰えば、別の感じ方をするかも知れないだろ」
「じゃあ、少しだけ……いいか?」
あっさりと折れてしまう幸介だった。
そっと触れれば柔らかい感触が手の平に伝わってくる。そんな、初めて触れた異性の胸にどぎまぎな幸介だ。
一方のいろはは、自分で揉んだ時と大差ない感触に、拍子抜け気味だった。
それでも、胸を揉まれるといった普通の男では感じられない感覚に、気分がおかしくなっていく。
胸を揉み続ける少年と揉まれ続ける少女。教育上宜しくない状況が展開されているそこへ、
ピンポーン――
来客を示すチャイムの音が鳴り響いた。
ハッとして手を放す幸介。いろはもいろはで気が動転していたのか、反射的にその場から逃げるように玄関へと向かってしまった。
「あっ、ちょっと、いろはさん!」
これでもし、知人でも訊ねてきていたりすれば、出迎えに現れたいろはの説明に苦慮する羽目になりそうだ。
慌てて追い掛けるも、幸いにして来客は宅配便の配達員だった。
判子を押し、受領する。
その荷物は、一つは発泡スチロール製の箱で、残り二つが段ボール箱。もっとも、形が全然違っていた。
普通の段ボール箱に対し、もう一つの方はやけに細長かったのだ。
「誰からなんだ?」
送り主を確かめれば、見覚えの無い名前だった。
「備考欄に未里先輩の名前があるけど、食材じゃないのか?」
ずっしりと重い箱の中身は、発泡スチロールの箱が冷凍された魚介類で、普通の段ボール箱の方は野菜の詰め合わせであった。
「こっちの細長いのは何だ?」
「送り主は廉太郎の名前になっているな」
開けてみれば、抱き枕が出てきた。
「何でこんなモノを送ってきたんだ?」
「説明書があるぞ」
箱の奥から一枚の説明書を発掘する。
それにはメイドロイド用抱き枕型充電器と記されており、枕を使って寝ている間に、内蔵されているバッテリーに充電する仕組みのようだ。
「メイドロイドって食事は摂れないってことか?」
繋げたままでいたネット検索で確認してみれば、味見程度には可能だが、エネルギー供給目的は現在発売されている機種では不可能とあった。
ただし、開発中の技術には摂取した有機物からエネルギーを取り出す技術があり、数年もすれば食事で活動できるメイドロイドが出てくるかも知れなかった。
「食事を作るだけで、俺は食べられないのかよ」
生きる上での楽しみの一つである食事が出来ないことに、少し残念気味ないろはだった。
「とにかく、送られてきた食材は冷蔵庫に入れるか」
「そうだな」
二人で手分けして、冷蔵庫の中へと収めていく。
「何とか収まったけど、無茶苦茶多いな」
「これが一ヶ月分の食材ってことなんだろうな」
一人分とは言え、一ヶ月分ともなればかなりの量となる。冷蔵庫は日頃の閑散としている姿とは全く別物と化していた。
ぐぅ……
食材を見た影響か、それとも普段ならとっくに食事の終わっている時間帯なためか、幸介の腹の虫が騒ぎ出した。
「じゃあ、いろはさん。食材も届いたことだし料理の方は頼むよ。メイドロイドは色んな料理が出来るって言うし、楽しみだな」
「自分が食べるんでもない料理を作るのは、何か嫌だな」
そうは口にするものの、そう言う取引でこの場にいる以上、作るしかなかった。
「作るのは良いけど、エプロンとかあるか? さすがに制服を汚したくはないんだけど」
「エプロンか……使っていないのがどっかにあったはず」
衣装ダンスの一つを漁れば、それは簡単に見つかった。
「はい、いろはさん」
渋々ながらもそれを身に付け、システムキッチンへと入っていく。
そんな彼女の姿を幸介は、カウンターテーブルから遠巻きに眺めていた。
「制服姿の女子がエプロン姿でキッチンに立つってのは、男子高校生としては感涙ものかも」
女が苦手と言いつつも人並みの感性を持っていたのか、あり得ないシチュエーションに感動し、テンションが高くなっていく幸介だった。
一方、男子高校生憧れの的とされたいろはは、
「その気持ち、解らないでもないけど、その対象が自分自身だとなると微妙だぞ」
憮然と言い放ち、冷静に作業を開始する。
まな板をセットし、先ほど詰め込んだ冷蔵庫から適当な食材を並べ、包丁を手にする。
その動きがぱたりと止んだ。
食材を前にしてしきりに唸り出す。
「どうかしたのか?」
不審に思い幸介が声を掛ければ、
「なぁ、料理ってどうやって作るんだ?」
あり得ない言葉が返ってくるのだった。
「え?」
「いや。包丁とかで切り刻んで、煮るなり焼くなりすればいいのは解っているんだけどさ。その手順とかが解らないんだよ」
「どう言うことだよ、それ?」
「どうにも、俺の知識には調理の手順が存在しないみたいなんだ」
包丁を握ったまま、それをどうすればいいのか見当が付かないいろはだった。
「調理の手順って、アンケートには週の半分以上は自炊しているって書いたはずだぞ」
「ああ。確かにそうらしいな。自炊していたって言う記憶はある。でも、それだけなんだよ」
結果としてのデータはあるが、経過としてのデータは存在しないのだ。
「俺のデータとしての記録が無くても、メイドロイドなら調理の知識はあるだろ?」
炊事洗濯、掃除などの基本的な家事に関してのデータは初期設定として入っているのがメイドロイドであった。
なのに、しきりに小首を傾げるいろは。頭の中――データベースを思いだそうとしてみるが、かような情報はどこにも無かった。
幸介は携帯端末へと手を伸ばし、おもむろに電話をかける。
待つこと暫し。
『幸介君? 何か用かい?』
通話の相手は廉太郎だった。
「用も何も、いろはさんのことだよ。料理した経験が全く無いって言うし、その手のデータも存在しないみたいなんだけど、メイドロイドなら標準装備として調理データぐらい備わっているんじゃないのか?」
『ああ、それかい。それなら無いよ』
「へっ?」
一瞬、己の耳を疑い掛ける幸介。
「無いってどう言うことだよ?」
『彼女の仮想人格は、僕の組んだ人格OSが元になっているのは話したよね?』
「ああ」
頷く。
それを使ってロボコン本選を勝つ予定なのは重々承知だ。
『実はあれ、一つの欠点があってね』
「欠点だって?」
声のトーンを落とす幸介。ちらりと横目でいろはを伺えば、それでも何か料理を作ろうと試み、フライパンの上で卵を割ろうとするのだが、普通に砕いていた。
それも、二個、三個と。
「それはやばい内容なのか?」
『ううん。いろはさんの運用においてなら大した問題じゃないよ』
「じゃあ、何なんだよ?」
『あの人格OSって、入力したデータ量が多ければ多いほど、より人間らしくなるんだよ。それで、いろはさんの場合はかなりの量のデータをインプットしてるんだけど、それがちょっとばっかし多すぎてね』
怪訝そうに眉を顰める幸介。
『メイドロイドとしての基礎データの大半を削除して、空いたメモリをOSに振り分けているんだよ』
「…………」
廉太郎の言っていることを頭の中で反芻しては考える。
「それってつまり、いろはさんにはメイドとしての能力は無いと?」
『平たく言えばそうなるね。ただ、普通のメイドロイドと同じように学習機能はあるから、練習していけばそれなりには身に付くと思うよ』
どちらにしろ、今日の食事に間に合うような話ではなかった。
結局、その日の夕飯は幸介が作ることとなった。
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