一話 起動!

 始まりは三日前に遡る。

 停滞を感じさせる独特な空気が詰まった放課後の教室にて、九十九幸介は山と積まれた用紙と格闘していた。

 一見すれば、出来の悪い生徒が補習の課題を必至に解いているか、はたまたクラス委員が居残りでクラスのための書類をまとめている姿に見えるのだが、

「第三四五問、好きな食べ物は――三日寝かせたカレー。第三四六問、好きな飲み物は――甘さひかえめのコーヒー牛乳」

 彼がこなしていたのはアンケートであった。それも、尋常ならざる量の――だ。

「いったい、何問あるんだ?」

 いまだ折り返し地点にすら到達していないアンケート用紙の山を見ては、幸介の顔は険しくも歪む。

 手付かずの山へと手を伸ばし、最終設問の通し番号を確認すると、

「五二六三問って……」

 それは四桁半ばを越えていた。

「これは早まったかな?」

 軽い気持ちでアンケートを請け負ったことに、少しばかり後悔する。

 そのアンケートは、プログラム研究部に所属する友人から頼まれたものであり、夏休みに行われる高校生対象のロボットコンテスト――そのソフトウェア部門にて本選参加校に課せられた課題を行うための、データ取りであった。

 予備知識が加わるとアンケートの正確性が狂うからと、コンテスト課題が何なのか今は知らされていない。

 ハッキリ言って目的の定まらない作業など、内容を理解していない写経でもしている気分だ。

 しかも、最後まで成したところで徳が得られる訳でも悟りが開かれる訳でもなく、完全無意味な苦行と化していた。

 これで対価が無ければ、とっくに放置して逃げていたところだろう。

「いっそ、適当に埋めるか?」

 右へ左へと視線を動かし、不正行為に手を汚そうかと考える。

 ただし、そんな後ろ暗い行為は早々上手くいくものでもなく、

「九十九クン、止めておいた方がいいわよン」

 独特なイントネーションを含んだ声に、ビクッと心臓が跳ね上がった。

 恐る恐る振り返れば、一人の小柄な女子が仁王立ちしている。

「未里先輩!? いつの間に……」

 彼女の名は宮後未里。一つ上の三年生で、プログラム研究部の部長だ。イントネーションが若干おかしいのは、中学時代を海外で過ごしたのが原因だったりする。

「そーろそろ、キミが不正行為を働くかナって思ってン。忠告に来たのヨ」

 キッパリと言い切られてはぐぅの音も出ない幸介だ。

 完全に行動を読まれていたのだ。

「そのアンケートってば、廉太郎のお手製なンだけどネ。同じ内容を何度も訊いてたりするン。それも、文面とかは色々と変えてあるから、普通にやっていても気付かないわけサ」

「マジ!?」

 慌ててアンケート用紙を見るが、あまりに設問数が多すぎて類似問題を探すのも難しかった。

「それでねン。もし、答えに食い違いが合ったりしタら、いい加減に答えたのがまる解りって寸法よン。そうなってくると、約束の奢りは無しネ」

「…………ぅぐ」

 トラップまで仕込んでいるアンケートに、低く唸るしかない幸介だった。

 アンケート制作者である廉太郎とは、綾瀬廉太郎。幸介の友人にして、アンケートと飯の取引を持ち掛けてきた同級生であり、プログラム研究部に所属するプログラミングの鬼才であった。

 その思考は柔軟にして奇抜。独自理論を用いては画期的なアルゴリズムでプログラミングをしていく。

 プログラム研究部が先に行われたロボコンの予選を通過できたのも、ひとえに彼の活躍があってこそであった。

 そして、その本選を戦い抜くためにも必要である情報収集として、幸介にアンケートを頼んできたのだ。

 今更ながらに安請け合いし過ぎたかなと思いつつ、アンケートを埋めていく。

 そして、全てのアンケートが終わったのは、完全下校時刻ギリギリであった。


      ☆


 そんな苦行アンケートが行われた日から三日が過ぎた放課後。

 幸介は約束の食事を奢って貰うべく、プログラム研究部の部室を訪ねてきていた。

 扉をノックしようと手を上げれば――


「なんじゃこりゃ!?」


 部室の中から、澄んだ声音による絶叫が聞こえてきた。

 何事かと慌てて扉を開けると、そこには一人の髪の長い女子の姿があった。

 幸介自身はプログラム研究部に所属こそしていないのだが、ちょくちょく顔を出すこともあり、下手な幽霊部員よりも内情には詳しいのだがその少女は初見であり、彼女の美麗な顔立ちに思わず頬が赤くなっていた。

「凄い叫び声だったけど、どうかしたのか?」

 今も唖然呆然と立ち竦んでいる少女に、おずおずと声を掛ける。

「どうかも何も、俺の胸が膨らんでいて、しかもスカートを穿いていて――」

 要領を得ない言葉を口走ったかと思えば、幸介へと向けた少女の顔が強張る。

 まるでお化けにでも遭遇したかの如く、驚愕に端麗だった顔を歪めていく美少女。

「な、な、な、何で!?」

 激しくもわなないたかと思うと、

「何でそこに俺がいるんだよ!!」

 今一度大きな絶叫が狭い部室内に響き渡るのだった。

 訳が解らないとばかりに迫り来る美少女。対して幸介は突然のことに戸惑っていた。

「ちょ、ちょっと待て! 言っていることが全然解らないんだけどさ」

 前後に激しく身体を揺すられ、現状把握をしようにも思考がまとまらない。

 彼女のいない歴=年齢の幸介にしてみれば、ここまで強く少女に迫られた経験など皆無であり、そんなのは狼狽ものだった。

 そんな二人のやり取りを見て、ニヤニヤしている人影があった。当プログラム研究部部室のヌシである部長の未里だ。

「絶妙なタイミングで九十九クンもやってきたネ♪」

 楽しげに見守る未里。彼女とは別の位置では、癖毛の激しいぼさぼさ頭の優男部員がディスプレイに表示されているデータを興味深げに検分していた。

「おい、廉太郎! この娘は何なんだよ?」

 そんな彼に助けを求める幸介。

 名を呼ばれた廉太郎はのっそりと顔を上げた。

「やー、幸介君。楽しそうだね」

「楽しいってお前!?」

 あまりに場違いな言葉が逆にに、少しだけ幸介に心の平静さを取り戻してくれた。

「この状況を楽しんでいるように見えるなら、メガネにしろ、メガネ」

「僕の視力が二・〇なのは知ってるだろ」

「だったら、その鬱陶しい前髪切れ」

 廉太郎の無精なままに伸ばされた前髪は、彼の目を完全に覆い隠していた。

 二人の脱線気味なやりとりに、少女が口を挟んできた。

「そんなことよりも、どうして俺がそこにもう一人居るんだよ!! それに、どうして俺は女子の制服を着てるんだ!?」

 目の前で声を荒らげられ顔を顰める幸介。綺麗で澄んだ声音だが、こうも近いと鼓膜につんざく。

「女子のって、お前、女だろ? 胸だってあるんだし」

 確固たる存在感を示すように、推定Cカップの自己主張激しい胸がそこにはあった。

「何言ってるんだよ! こんな胸、詰め物に決まって――!?」

 反射的に自らの胸を掴んでは絶句する少女。

「む、む、む、胸がある!?」

 フニフニと揉めば、確固たる感触が胸の方からも伝わってくるのだ。

「ど、ど、ど、どう言うことだよ、これ? 俺は――」

 戸惑い慌てふためく少女へと幸介が心配そうに覗き込めば、何かを察したのか今一度大きな声を上げる。

「これってあれか? あれなんだよな!?」

「あれ?」

「だからあれだろ? この身体って実はお前ので、俺とお前の心と身体が入れ替わったってヤツ」

「へっ?」

 支離滅裂な少女の言葉に、今度は幸介が混乱していく。

 そんな二人のやり取りに、

「ぷっ」

 思わず未里が吹き出した。

「入れ替わったってン……こりゃまた、オっもろい具合に思考を飛躍させてくれるじゃナいか」

 ケタケタと笑っては斜に位置する廉太郎へと呼び掛けた。

「ねぇ。これって、第一ステップはクリアでいいんじゃネ?」

「うーん。幸介君に対して自己の同一性を認識できているみたいだし、一応は成功かな」

 プロ研の二人に幸介は訝しげな視線を向ける。状況が全く飲み込めないのだ。

「何言ってるんだ? この女子はプロ研の新入部員じゃないのか?」

「ちょっと待てよ! だから、どうしてここに俺が居て、俺が女子になってるんだよ?」

 二人の疑問は今も平行線を進み続けていた。

 そんなかみ合わない会話に、未里が割って入ってくる。

「まず九十九クン。この娘は新入部員じゃないのよン。まァ、現時点では我がプログラム研究部の備品なんだけどねン」

「備品?」

 人を指すにはあり得ぬ装飾語に、状況認識が更なる混乱に巻き込まれていく。

 そんな後輩の悩みなど知ってか知らずか、未里は少女の方へと顔を向ける。

「そして、女の子なキミ。あンた自身の自己認識は九十九幸介で問題ないのよネ?」

「あっ、うん……そうだけど」

 よく解らないままも、素直に頷く少女。

「自己認識が俺? どう言うことなんだ?」

「前に、ロボコンの協力を頼んだじゃないか」

 廉太郎も会話に混ざってきた。

「あれの本選開催日である八月までに、貸し出されたメイドロイドを如何に人間らしくするかって言うのが、ソフトウェア部門に与えられた課題なんだよ」

「じゃあ、こいつはメイドロイドなのか?」

「ロボコンの協賛スポンサーである大江戸電機製のメイドロイド。ただ、最新型じゃなくて二世代前の機種になるかな」

 メイドロイド――女性型の支援用ロボットのことであり、家事や育児、介護などに用いられている。なお、男性型の支援用ロボ執事タイプのバトロイドも存在した。

「へー、メイドロイドだったのか」

 素直に感心する幸介。そこそこ普及はしているものの価格が高級車並みなので、なかなかお目に掛かる機会が無い。

 こうして間近で見るのは初めてだった。

「人間と全く変わらないよな……」

「顔をよく見てごらん。左右対称で調和が取れてるだろ」

 言われてみれば確かに、人間ではあり得ない完全なるシンメトリカルの顔立ちをしていた。

 一方の少女は、そんな自分を見つめる視線など気にするゆとりもなく、

「俺は人間じゃない……?」

 その真実に驚愕していた。

 気が付けば女の身体になっていると思いきや、人間ですらなかったのだ。

「じゃあ、九十九幸介だって認識しているこの俺は何なんだよ……」

「ああ、それかい」

 少女の呟きが聞こえたのか、廉太郎がその疑問に答えた。

「キミは、僕が組んだオリジナルの人格OSに九十九幸介のデータを入力して作り上げた、幸介君の仮想人格だよ」

「俺のデータって――あのアンケートか!」

 すぐに気が付いた。

「九十九クンのアンケートだけじゃないんだけどネ。あたしヤ廉太郎、他に何人かの客観的なデータも入力されてるんだヨ」

「そうなんだ」

 どちらにしろ、それだけで自分と同じ人格を作り上げていることに驚きを禁じ得ない。

「どうして俺なんだ?」

「幸介君だったら頼みやすいんじゃないかって、未里姉が言うんだよ」

「未里先輩が?」

 不思議そうに未里へと視線を向けた。

 未里と廉太郎は物心付く前からの幼なじみの関係にあり、幸介にとっては廉太郎を介して高校に入ってから知り合った間柄だ。それ故に、自分以上に頼みやすい相手はいたはずだと考える。

 それこそ、プログラム研究部の部員とか――と考えた幸介だが、すぐにそれを否定した。

 未里が部長になってからと言うもの、彼女の傍若無人な振る舞いが災いしてか、現在プログラム研究部でまともに活動しているのは未里と廉太郎の二人だけなのだ。

 残りの部員は退部したり幽霊部員と化したりして、この場にはいない。

「ああ、それネ。九十九クンならさァ、ご飯奢るって言えば、大概の無茶は聞いてくれそうだったからねン」

「…………」

 その当を得た分析に、返す言葉に詰まる幸介だった。

 二年に進級してすぐ、両親が長期出張で家を留守にしており、半ば独り暮らし状態の彼は基本的に食事に困っている。

 仕送り自体はちゃんとした額が振り込まれているのだが、多感な年頃の若者である幸介の金の使い方は下手そのもの。仕送りを得た最初の週に散財しまくり、仕送り目前になれば食費にすら事欠く赤貧生活が余儀なくされるのだ。

 そんな彼だからこそ、食事を奢るとでも言えば大概の無茶は聞き入れてくれると踏んだのだ。

「それに、僕としても持論の検証に幸介君なら適していたしさ」

「持論って何だよ?」

「持論かい?」

 勿体ぶるように間を置いては、

「意識とは、思考の上に成り立ち、認識のズレによって生じる」

 廉太郎はそれを口にした。

「思考の上ってのは何となく解るけど、認識のズレってのは何だ?」

「何て言うかさ、想い描いた通りに物事が進行するならば、その活動において自意識は必要ないじゃないか。それこそ、与えられたルーチンワークをこなしている工業用ロボットみたいでさ」

 言わんとすることは何となく解るが、天才の考えなど全て理解するには難しかった。

 だからこそ、幸介は話を進めることにする。

「その持論と俺が適していたって言う関連性は何なんだ?」

「男だから」

 返ってきたのは単純明快なものだった。

「メイドロイドは女性型をしてるからね。男性の仮想人格を宿らせた方が、違和感を覚えやすいんじゃないかなと思ったんだよ」

 確かに、女性の人格を植え付けるよりは、認識のズレは起こりやすかった。ただし、その対象が自分である者には堪ったものじゃない。

「そんな理由で俺は女の身体になっているのかよ……」

 九十九幸介の仮想人格を有す美少女は、がっくりと項垂れた。

 どこまでプログラムされた行動なのかは解らないが、あまりに人間らしい反応を見せるメイドロイドに、幸介は廉太郎の思惑が成功してきているんだなと感じつつも、

「さすがは魔術師。悪趣味だな」

 そんな感想を抱くのだった。

 ひょろっとした体型に両目を覆うぼさぼさの髪と言った見てくれから、他の生徒達からは魔術師などと揶揄されることが多かった。

 もっとも、ウィザード級のハッキングの腕を持っているので、その二つ名はあながち間違ったものでもなかったりする。

「それで――」

 いまだ落胆したままの少女を指さすも、その呼び名をどうしようかと言葉に詰まる。

 これで自分の人格が宿っていなければ、普通にそいつの名前を呼ぶので済むのだが、さすがに九十九幸介と呼ぶには抵抗があった。

「名前、どうなってるんだ?」

「その娘の名前ならいろはさんだよン」

 ことも容易げに言い切ってみせる未里。既に名称は付けられていたようだ。

「いろは?」

 えらく古風な響きの言葉に、幸介は眉を顰めた。

「昔、世界初のブラウン管テレビで最初に表示されたのがイロハの『イ』の文字だったからネ。偉大なる発明品にあやかって、世界初の自立意識を持ったメイドロイドだから『いろは』だよン」

「……家電製品かよ」

 拍子抜けのようにポツリとこぼす。

「てっきり、Intelligence Robot Highly Advanced operating system ver.3――みたいな感じに並べた横文字の頭文字かと思った」

「じゃあ、それでいいヨ」

 あっさりと前言を撤回する未里だ。

「ちょっと未里先輩! 適当に単語を並べただけだぞ?」

「もっともらしく聞こえるンだから、別に良いんじゃなイ? いろはシステム。ウンウン、いい呼び名じゃないカ」

 単語の整合性など気にもしない。

「んな名前なんてどうだって良いよ。それより、俺が女である方が問題だろ」

 立ち直ったのか、それとも開き直ったのか、顔を上げるいろは。じろりと鋭い眼差しで廉太郎を睨み付けた。

「どうして女なんだよ!? 男性タイプだって、本来の身体と違えば認識のズレは生じるだろ?」

「でも、異性体の方が有るべくモノが無くて、無いはずのモノが有るって具合に違いがハッキリしてるし、周りの対応も変わってくるからズレが生じやすいんだよ。だから、女性体なら男性の人格を、男性体なら女性の人格を植え付けてみようと考えていたんだ」

 あくまでそこに拘る廉太郎だ。

 研究者としては褒められるところだが、実験対象のモルモットとされるいろはには堪ったものじゃなく憮然としていた。

 そんないろはの姿に廉太郎は少し考え込み、そして問い掛けた。

「ねぇ、いろはさん。キミはどうしてもその身体は嫌かな?」

「当たり前だろ」

 短く返す。

 彼女のオリジナル人格である九十九幸介は、女子と接するのをあまり得意とはしない奥手なタイプだ。

 それなりに親しい間柄ならまだしも、基本的に女子と会話するだけで緊張してしまう。そんな彼の人格を模倣している以上、女の身体でいることだけで落ち着かないことこの上ない。

「こんな格好をさせられて、落ち着いてなんていられるかよ」

 スカートの裾から伸びる足に感じる空気の感触や、自らの胸を包み込むブラジャーの圧迫感に、いろはの精神的負担は今も溜まっていく一方だ。

「仕方ないな」

 廉太郎の雰囲気が変わった。

「じゃあ、消してやりなおすか」

「え?」

 キョトンと、廉太郎の口にした言葉が理解出来ないでいるいろは。

「今、消すって言ったよな」

「うん。だって、ロボコン本選までには時間的制限があるしさ。あまりに非協力的だと邪魔になるだけじゃないか」

 まるで、計算ミスをおかした途中式を消しゴムで消すかの如く、合理的に物事を進めようとする。

「こらこら、廉太郎。あンたは何でもかんでもすぐに割り切ってしまい、行動に移ろうとするンだからね」

 珍しくも未里が窘めてくる。

「それは美点でもあるけど欠点でもあるンだヨ。物事は、反発心豊かなのを相手にした方が面白いんだからネ」

 逆境を楽しむタイプである未里にとっては、安易に今のいろはの存在を消すのは勿体なく思えた。

 未里にしてみれば、反抗的な相手ほど対峙して楽しく、従順なヤツなど相手にするだけ無駄で暇潰しにすらならないのだ。

「それに、消すっテ言うのは、いろはさんにしてみれば殺されるのと同義語なんだよン。簡単に殺しちゃダメでショ」

「殺す……!?」

 その真実に気付いたいろはの顔色が青ざめていく。

「俺が殺される!?」

 途端、いろはの中では廉太郎が恐怖の対象に思えてきた。

「そ、そ、そんなの嫌だぞ!!」

 恐怖に耐えきれず、その場から駆け出す――も、

「うわぁ!?」

 慣れないスカートの裾から舞い込む空気に気を取られた瞬間、

「危ない!!」

 床に散乱しているケーブルに足を取られ、思いっ切り転んでしまった。

「――って、痛くない?」

 硬い床に叩きつけられたはずの尻餅は、クッションか何かの上に乗っていた。

 ただ、クッションほど柔らかくはないそれは、

「いつつつつぅ……大丈夫ならどいてくれ」

 オリジナル人格保持者の幸介だった。

「凄く重いんだけど……」

「こらこら、九十九クン。女の子に重いは禁句だヨ」

 未里に叱られるも、それは無茶な話だった。

 外見年齢に沿った平均的なスタイルをしているメイドロイドだが、その体重だけは平均値に併せようがないのだ。

 機械仕掛けである以上、どうしても人よりも重くなってしまう。

 最新鋭の技術と素材で可能な限り軽減してはいるものの、それでも平均体重の一・五倍程度に押さえるのが現時点での限界であった。

 十七歳女子の平均体重である五十キロ前半に対し、メイドロイドの重量は八〇キロほど。見た目に反して重いはずである。

「あっ、悪い」

 慌てて退くいろは。

「でも、どうして俺を助けてくれたんだ?」

「どうしてってそりゃ、いろはさん。目の前で女の子が転んだら、助けるのは当たり前だろ」

 さも当然とばかりに言い切ってみせる幸介。そんなオリジナルの言葉にいろはは、基本的に九十九幸介と言う存在は、女性には優しいことを思いだした。

 そして目の前の九十九幸介が、自分のことを女の子として見ていることに微妙な表情を浮かべる。

 もっとも、今はそんなことを気にしているだけのゆとりがなかった。

「俺は殺されるのも消えるのも嫌だぞ」

 廉太郎の消去案を強く拒絶する。

 身体がどうあれ、確固たる自我がある以上、死ぬなんて容認できなかった。

「なぁ、どうしても消すしかないのか? 何か無いのか? 自分と同じ人格とは言え、さすがに女の子の心を消すって言うのは、見ていて偲びないぞ」

 不憫に思ったのか、幸介も助け船を出してきた。

「う~ん、僕としてはメイドロイドの仮想人格としてコンテストに協力してくれるなら問題ないけどね」

 パートナーである未里に叱られたのが効いたのか、廉太郎は消去案の取り下げを口にする。

「解った、解ったよ。やればいいんだろ?」

 深々と息を吐くいろは。

「俺がそこの九十九幸介の人格を模したプログラムで、メイドロイドのいろはだと言うことを認識した上で、お前の言うようにコンテストに出てやるよ」

 生きるためにも妥協するしかなかった。

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