第25限 【side:香耶】

 隣の家の成斗の部屋から、自室に戻ってすぐ、アタシの携帯が着信した。

 ディスプレイに浮かんだ叶の名前に、思わず胸がトクッと跳ねる。アタシは小さく深呼吸をして、通話ボタンをスライドした。

「もしもし?」

『香耶? 生田のLINE見た?』

「うん。見た」

『お前の事だから、もっとテンパってるかと思ったけど、そうでもないみたいだな』

「実はさっきまでテンパってて……LINE見てすぐ成斗の部屋に行ったんだけど。成斗と話して、ちょっと落着いた」

『そっか。成斗、どうしてる?』

「成斗もさっき、叶のこと、そんな風にアタシに訊いてた」

 小さく吹き出して言ったアタシに、鼻を鳴らして笑った後、話を本題へと戻して、叶がポツリと言った。

『生田が大学辞めちまったら、寂しくなるな』

「すごく寂しい。でも、音央が前に言ってくれたんだ。アタシの出した答えを応援するって。だから、アタシもそれが音央の出した答えなら、応援しようって思う」

『そうだな。きっと、生田なりに色々考えての事だろうし』

「うん」

 そして流れるわずかな沈黙――

 穂奈美さんとうまくいっているのかと、訊きたい気持ちは渦巻くけれど、それを言葉にして訊く事が出来ずにいるアタシに、叶が言った。

『明日、香耶のとこに預かってもらってたモン、取りに行っていい?』

「……えっ?明日?」

『祝日だし、なんか用事あんなら、別の日でもいいんだけど……』

「あ、ううん。大丈夫。叶がわざわざ家まで取りに来るのも大変だから、途中までアタシ持ってくよ」

『じゃあ、お言葉に甘えて、そうさせてもらう。俺んちと香耶んちの真ん中っていうと……ヒジリ橋あたり?』

「じゃあ、ヒジリ橋ね。何時?」

『十四時くらいでいい?』

「わかった」

『なんか、休みの日にわりぃな』

「冬休み明けの学食で、定食おごってもらうからいい」

『オッケー』

 そんなアタシの冗談を、やけにあっさり、叶は聞き入れた。

 ――そっか……叶は穂奈美さんと、幸せなんだね。

 叶との電話を切った後、アタシは叶から預かっていた穂奈美さんへのプレゼントを、机の引き出しから取り出した。

 これを叶が取りに来るという事は、穂奈美さんとうまくいっているという一番の証。

 明日これを叶に渡してしまったら、アタシと叶が二人で会う口実は、何もなくなる。

なんだかアタシひとりだけ、ポツンと取り残された様な気分になった。

 穂奈美さんと歩き始めた叶。

 夢の為に歩き出そうとしてる音央。

 前向きに未来を見つめてる成斗。

 アタシだけが、いつまでも、同じ場所に立ち止まったまま……。

 ついこの間まで、四人で並んで歩いていた日々が、随分昔の事の様にさえ思えた。

 アタシも歩き出したい。アタシが歩き出す為には……。

 机の上に置いたカバンについているイルカのストラップを、意味もなく指でもて遊びながら、アタシは新しい明日の事を考え始めていた。


 アタシの心とは裏腹に、街並みはクリスマス一色。そう、明日は、クリスマス・イヴ。

 今あたしの手にあるプレゼントは、明日になれば、穂奈美さんの手に届くのだろう。そんな事を考えたら、やっぱり胸は痛んだけれど、プレゼントを預かった事に、後悔はなかった。

 このプレゼントには、叶の想いがたくさん込められているから。そんな叶の想いが無駄にならずによかったって、強がりを抜きにして、素直にそう思える。

 少し早くついた大きな橋のたもと。

 アタシはまだ姿の見えない叶に、その橋を渡り始めた。吹きっさらしの橋の上を、冷たい冬の風が、容赦なく通り抜けて行く。その澄んだ透明な冷たさに、アタシの荒んだ心が、洗われていく気がした。

 俯きがちの顔を不意にあげた時、アタシの視線が、少し遠くの叶を捕らえる。

 歩み寄ったアタシ達は、ちょうど橋の真ん中で、お互いのその足を止めた。

 久しぶりに顔を合わせたアタシと叶は、合った目と目に、お互いどこかぎこちなく笑い合う。

「はい」

 アタシがまっすぐ差し出した小さな紙の手下げ袋を、叶はゆっくりと受け取った。

「サンキュ」

「それじゃ」

 急に胸がいっぱいになって、アタシは踵を返すと歩き出した。

 でも……今を逃したら、こんな風に叶と二人で話す機会なんて、もうないかもしれない。

 アタシは足を止め、もう歩き出しているだろう叶を振り返った。なのに……何故か叶は、その場に足を止めたまま、アタシの事を見つめている。

「何してんの?」

 歩き出して振り返った自分は棚に上げ、アタシはその場につっ立ったままの叶に訊ねた。

「ちょっとした賭け」

「賭け?」

 半笑いで答えた叶に、アタシはオウム返しで小首を傾げる。

「そう。賭け。で? そっちは、なんで振り返った?」

 咄嗟に話しを振られて、アタシは思わず口ごもり、そんなアタシをまっすぐ見つめる叶に向かって、意を決して口を開いた。

「アタシ、自分でも知らない間に、叶のこと、好きになってた。でも、叶の事困らせるつもりとかなくて。どうしてほしいとかもなくて。その気持ちだけ、伝えたかっただけだから。伝えてもう終わりにするから……これからも友達でいてほしいんだ」

 告白なんてした事がないし、おまけに突然すぎて、支離滅裂。でも、言いたい事は全部言えた。

 好きだって伝えたいだけだって事も、そして、これからも友達でいてほしいって事も。

「ごめん。友達とか……俺、無理だ」

 風の音にまじって、それでもハッキリと聞こえた叶の言葉に、愕然とする。

 ――友達でもいられないんだ……。

 「どうして?」なんて、疑問すら、浮かんでこない。

 言葉をなくして呆然と立ち尽くすアタシの目の前、突然、叶は手にもっていたプレゼントを、紙袋ごと川へと放り投げた。

「これが、俺の答え」

 叶の言動にアタシの思考は追いつかなくて、ただただ呆然とするばかり。

 頭も体もフリーズしているアタシを見て、叶は穏やかな眼差しで笑うと言った。

「友達は無理。俺も、香耶が好きだから」

 そんな叶の一言に、風の音も、車の音も、アタシの耳に届くすべてのノイズが消え、時間さえ止まる――

 気付けば……アタシは、叶の腕の中にいた。

 訊きたい事が、次から次に、アタシの心にあふれたけれど、今、それを訊いたら、この幸せが逃げちゃいそうで……アタシは叶のぬくもりに、ただ身をまかせていた。

「よし。じゃあ、行くぞ?」

 いきなりいつものテンションに戻った叶が、アタシの頭にパフッと手を置いて笑う。

「どこに?」

「どこまでも」

 叶はアタシの手を繋ぐと走り出し、そんな叶の背中を追いかけるアタシにも、無邪気な笑顔がこぼれた。

 そして辿り着いたのは、街角に建てられた大きなクリスマスツリー。

 日の短い冬の夕暮れに、少しだけ気の早いイルミネーションが光り出す。

 繋がれた手はそのまま、アタシ達はそのツリーを見上げる。そしてどちらからともなく合った目と目に、点滅する七色の光の中、アタシは叶と初めて、恋人同士のキスをした。

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