four cast side: jump four it !

第21限 【side:香耶】

 そう……わかってたはずだった。いつかきっとこんな日が来るって。すべてわかったうえで、それを選んだのは、誰でもないアタシ自身 。

 「思い出があれば生きて行ける」という、フレーズがあるけれど、恋愛というものをよく知らずにいたアタシは、とんだ思い違いをしていた。

 叶の傍にいて作った沢山の思い出があれば、悲しみや寂しさから、その思い出達が、アタシを包んで守ってくれると思ってたのに、思い出がたくさんあればある程、悲しみや寂しさも比例して、切なさや愛しさの雪を心に積もらせ、瞳に降らせるのは涙雨。

 恋人のフリなんて口先だけで、いつの間にかしてた疑似恋愛。

 してもしきれない深い後悔の海に、アタシの心は沈没して、一筋の光さえ見えなくなっていた。

 公園で叶と別れた帰り道。

 まるで子供みたいに、人目も気にせず、泣きながら家に帰ったアタシは、それでもまだ止まる事を知らない涙を、どうする事も出来ずにいた。

 瞼の裏の滲んだスクリーンには、叶の笑顔ばかりが映し出されて……その笑顔がアタシの胸をギュッと鷲掴みにして、息が出来なくなるくらい苦しくなる。

 こんなに痛くて苦しいのなら、心なんていっそ、なくなってしまえばいい。そしたら、こんな想いも涙も、知らなくてすむのに――

 叶もきっと、こんな気持ちだったんだ……。

 穂奈美さんを失った日の叶が、アタシに語った想いや見せた涙の重さを、アタシは今、身を以って知った気がした。

 口先だけなんかじゃなく、叶の気持ちがわかるから……痛いほどよくわかるから……。

 今更、「本当は好きだった」なんて、涙をみせたりして、アタシが叶を困らせるわけにはいかない。いかないんだ。それが、嘘をついてしまった、アタシへの罰。

 音央のコンクールの日。

 偶然、音央の事を抱きしめる成斗の姿を見て、アタシは呆然とした。それは、成斗が音央を抱きしめていた事じゃなくて、叶と恋人のフリをする理由がなくなってしまったと思ったから――

 そんなアタシの気持ちを知らない叶は、それを見たアタシが、ショックを受けていると思ったのだろう。

 その後の叶は、何かとアタシに気を遣ってくれて、優しくしてくれた。

 そんな叶の優しさが、余計アタシには辛くて、『もう、ほっといてよ!!』なんて、叶に八つ当たりまでしたのに……それでも叶は、その日のアタシに、どこまでも優しかった。

 だけどそれは、アタシへの愛情とかじゃなくて、叶の持ち前の優しさと、アタシへの同情。叶の気持ちは、ずっとずっと、穂奈美さんにある。

 『叶は……今でも穂奈美さんが好き?』と、勇気をふりしぼって訊いたアタシに、叶は答えた。『そんな簡単に、忘れらんねぇだろ』って……。

 それが嘘偽りのない叶の本音。

 アタシにとっては、この上なく悲しい事だけど、叶のそんなところが、アタシは一番好きだったりもする。

 恋愛ってホント、矛盾だらけ……。

 アタシのバッグから、LINEの着信音が、少しこもった音で聞こえた。

 アタシは涙を拭いながら、ベッドの下にあったバッグの中から、スマホを取り出す。

 LINEを開くと、それは音央からで、アタシの事を心配してくれているトーク内容だった。

 あんな形で昨日居酒屋を後にして、今日は大学にも行っていないとなれば、音央が心配しないわけがない。

 音央にはちゃんと、話さなきゃ……そして、昨日の事、ちゃんと謝らなきゃ……。

 「音央のがんばったね会」をやろうと言い出したのはアタシなのに、それを台無しにしてしまったのもアタシだ。

 アタシは考えに考えて、音央にLINEを返した。

 「音央のがんばったね会」を台無しにしてしまったことや、心配をかけてしまった事を一番最初に謝って、そのお詫びに、アタシの奢りで今週中にでも、叶の店にみんなで行こうという内容。

 たとえ恋人のフリをやめたとしても、叶との友人関係を断つ事は、同じ大学である以上、どうしたって出来っこない。だったら、前みたいな関係に、早く戻らなきゃ。四人でふざけて、はしゃいで、笑っていたあの頃に……。

 音央へのLINEトークは、そんなアタシの焦った気持ちが、打たせたものだった。


 朝起きて、鏡に映った自分の顔に、ゾッとした。

 昨日泣き過ぎた目は、二重が一重になるくらい腫れている。伊達眼鏡でもかけ、誤魔化そうとも思ったけれど、逆に突っ込まれそうな気がしてやめた。

 こうなったら、午前の講義はサボって、午後から大学に行こう。

 朝よりだいぶマシになった目の腫れを、鏡で何度も確認し、アタシは昼休みの時間に合わせて、大学へと向かった。

 昼休みの大学で、アタシは音央を探して、学食を覗く。不意に後ろから肩を叩かれ、驚いて振り返ると、

「昨日はサボりで、今日は重役通りすぎて、社長出勤か?」

 呆れた様にからかって笑う叶がいた。

 あまりの不意打ちに、アタシの心臓が、一瞬、大きく脈を打つ。

「自分だって、昨日さぼったじゃん」

「香耶にそそのかされた」

「自分が勝手に付いて来たくせに、人のせいにす・ん・な!!」

 アタシは叶の後頭部に、パシッと軽い突っ込みを入れながら、悪戯に笑って学食の中へ逃げた。

大丈夫だよね……? アタシ、ちゃんと笑えてるよね……? 心の中、まるで自己暗示をかけるみたいに繰り返す。

「香耶?」

 音央の声がして、キョロキョロするアタシに、音央が小さくあげた手を振った。

 アタシが音央の隣に座り、叶がその相向かいに座って、三人で食べる昼食。

「成斗、いつから大学復帰するって?」

 叶に訊かれて、知らないアタシは「さぁ?」と、首を傾げる。

「早くても冬休み明けになるみたい」

 答えた音央に、アタシは成斗と音央が、それなりに連絡を取り合っている事を知って、音央を冷やかす様に肘を小突いて笑った。

 音央もそれに、照れながら笑う。

 これからは隣に住んでるアタシより、成斗の近況は、音央の方が先に知る事になるんだろうなぁ……なんて思ったら、正直、ほんのちょっとだけ、寂しくもなったけど。音央と成斗の距離が縮まっていくのは、アタシにとってやっぱり、嬉しい事に変わりはなかった。

 それから会話は、アタシの奢りで叶のバイト先に行くという話になり、その場で音央が成斗ともLINEをやり取りして、金曜日の大学が終わってから行くという事でまとまった。

 そこで、ちょっとした大事件?が起こるなんて――


 嵐の金曜日がやってくる予兆の様な出来事が、突然アタシを襲ったのは、木曜日の午後。

 「謎が謎を呼ぶ」というけれど、「事件が事件を呼ぶ」なんて――まさに嵐の前の木曜日。

 アタシは、ちょうど同限で講義が終わった音央を誘い、ウインドウショッピングに出掛けた。

 気分転換したいのもあったし、音央にはちゃんと叶との事を話しておきたかったから。

 音央と二人で、雑貨屋に行ったり、洋服や靴やバッグを見たり、あっと言う間に時間は過ぎて、気付けばお腹が減る時間に。

 アタシ達は夕ご飯を食べてから帰る事にして、音央一押しのアジアンな雰囲気が漂う多国籍料理のお店に入った。

 まずはメニューとにらめっこして、オーダーが済んだと同時に始まるガールズトーク。

「成斗とは、付き合ったりとか、そういう話しないの?」

 変化球もカーブもなく、ストレートに訊いたアタシに、音央が焦った様に否定する。

「そんな話ない。ない。ない」

「てっきり、そんな話しになってて、もしかしたら付き合ったりしてんのかなーとか思ってたのに」

「もしもそんな事になってたら、香耶に一番に話してるよ」

「それもそっか。でも音央と成斗、なんかすっごくいい感じじゃん?」

「そうかな? でも。ゆっくりでいいから、もっと仲よくなれたらいいなーって、思ってる」

 照れながらも、なんだか嬉しそうな音央に、アタシは「頑張れ」って意味を込めて、「うんうん」と笑顔で頷いた。

「そういう香耶は、叶くんと何かあった?」

 さっきまでの笑顔とは一転、アタシを心配そうに見て、音央が遠慮がちに訊いた。

「叶がずっと好きな人いるでしょ? その人、穂奈美さんって言うんだけど……その穂奈美さんが、叶のとこ帰って来たんだ」

 敢えて明るめに話して、小さく笑ったアタシに、「え?」と、音央が怪訝な顔をする。

「だからアタシと叶は、もうお終い。お終いって言っても、前の友達関係に戻るだけだから。うん。アタシは大丈夫」

 音央はまるで自分の事みたいに、切なそうな顔をして、アタシを見つめた。何か言葉をかけたとしても、どんな言葉も今のアタシに無意味な事を、きっと音央のことだから、ちゃんとわかっていたんだと思う。

「たとえどんな答えでも、香耶が出した答えなら、あたしはいつだって、香耶が決めた事を応援するから」

 音央に言われた一言は、どんな慰めの言葉より、今のアタシの心に沁みた。

「アタシと叶がこんな風になっても、音央と成斗には関係ない事なんだから、アタシに遠慮とかしちゃ、絶対駄目だからね」

 気を遣いすぎるところがある音央が心配になって、そんな言葉を付け足したアタシに、音央は小さく頷いて、やっぱりどこか、遠慮がちに笑った。

 音央と二人、会計を済ませて、店を出ようとした時だった。ちょうど店に入って来たカップルに、アタシは何気なく視線を移す。

 ――どう……いう事!?

「香耶?どうかした?」

 音央に訊かれて、アタシは取り敢えず、それに首を振った。だけど、アタシの頭の中は、今、何が起こっているのか、わからないくらいグチャグチャになっている。

 音央の後に続いて店を出て、アタシはすぐに歩みを止めた。

 アタシの目に、さっき映ったカップルの姿が、フラッシュバックする。

 男の人の腕に、女の人が腕を絡めて……それはまさに、誰が見たって、恋人同士の光景。そして、その女の人の顔を、アタシはよく知っていた。

 ――穂奈美さん。だけど、その穂奈美さんの隣にいた男の人は、叶ではなく……。

「香耶? 大丈夫!? 顔色悪いけど、具合でも悪い?」

 突然足を止めたアタシを、音央が心配顔で覗き込む。

「音央、ごめん。ちょっとここで待ってて……」

 アタシはそういうと、今出たばかりの店の中に入って、穂奈美さんの姿を探した。

 男の人と楽しそうに笑い合う、穂奈美さんを見つけて、アタシはそのテーブルにゆっくりと近付く。

「あの、ちょっといいですか?」

 テーブルの前に立ち、穂奈美さんに向かって言ったアタシに、ちょっと驚いた様な顔をしながら、穂奈美さんは咄嗟に取り繕った笑顔で頷いた。

 アタシがそのまま店の外へと出ると、穂奈美さんもアタシの後を追って、店の外に出る。

 その場で待っていた音央は、何が起こったのかわからない様な顔をしながらも、口を出す事もせず見守ってくれていた。

「あのっ、どういう事ですか!?」

 勢い余って、主語なく訊いたアタシに、穂奈美さんは、余裕の笑みで訊き返す。

「どういう事って?」

「叶と付き合ってるんじゃないんですか!?」

 アタシの中から、どうしたって抑えようのない怒りのマグマが込み上げて、思わず声を荒げた。

「それをアナタに、私が答える必要ある?」

 言われて、咄嗟に返す言葉が見つからない。押し黙ったアタシに、穂奈美さんが含み笑いをして言った。

「あ、そっか。アナタ、叶が好きなんだ?」

 穂奈美さんの挑発にも似た言葉に、アタシの怒りの血管が、ブチッという音とともにキレた。

「アンタ、いったい何様のつもり!? 叶の事、いったいなんだと思ってんの!? 叶を馬鹿にすんのもいい加減にしてっ!!」

「ふーん。やっぱり。アナタ、叶の事が好きなのね。でも残念だけど、叶の心はアナタにない」

 怒りの色を濃くした眼差しで、穂奈美さんはアタシを見ると、意地悪く笑った。そんな事アンタに言われなくたって、よく知ってる。そう言いたかったけど、何故か声にならなかった。

 穂奈美さんが、どんな人だとしても、叶が好きな人に、変わりはない。たとえ穂奈美さんが、叶以外の人を好きだとしても。それをアタシがどうのこうのなんて言える義理じゃないんだ。

 アタシだって同じ。アタシ以外の人を好きな、叶の事が好きなんだから。

「好きとか嫌いとか、関係ないです。あたし達は、叶くんの大学の友達で、友達としてアナタの事が許せないって思ってるだけです。香耶、もう行こう」

 ずっと黙っていた音央が、突然そんな啖呵をきって、穂奈美さんを強い眼差しで一瞥すると、アタシの手を引き、足早に歩き出す。アタシはそんな音央に引きずられる様にしながら、その場を後にした。

 音央に手を引かれながら暫く歩いて、アタシはポツリ言った。

「音央、ありがと」

 音央はアタシを振り返って、「ううん」と小さく首を横に振り、いつもの様に優しく笑う。

 あんな風に鋭い目をして、音央が怒ったのを、アタシは初めて見た。

 音央がいなかったら、きっとアタシは何も言い返せずに、あのまま立ち尽くして、もしかしたら、死んでも見せたくないと思う涙まで、流していたかもしれない。

「音央、アタシ……どうしたらいい?」

 叶に話すべきなのか否か、アタシの頭の中はグチャグチャのまま、わからなくなっていた。

「さっきも言ったけど……あたしは香耶の答えを応援する。でも、もしあたしがこうした方がいいって思った時は、さっきみたいな突発的な行動とっちゃうかも?」

 ちょっぴりおどけて笑った音央に、肯定も否定もせず、アタシも小さく笑う。

「これはあくまで、あたしの考えなんだけど……叶くんに話すとしても、もう少し様子見た方がいい様な気がする」

 音央と同じ事を思い始めていたアタシも、それに同意した。

 そう、何より一番大切なのは、叶の気持ち。そしてこれは、誰の問題でもない。

 誰が何を言ったところで、最終的には、叶と穂奈美さん、二人の問題なんだ。そんな二人の問題に、早合点したアタシが、首を突っ込む方がよっぽど、叶を傷つけてしまう気がした。

 そう考えたら、穂奈美さんに向かって吐いた暴言も、今更ながら悔やまれる。

 人を好きになる事は、どうしてこんなに、切ないんだろう……。

 こんなに切ないなら、人なんて、好きにならなければいいのに……。

 恋愛にまたひとつみつけた……大きな矛盾。

 それでも人は人を好きになる――


 そしてやってきた金曜日。

 昨日の穂奈美さんとの出来事が、アタシの気をめいっぱい重くしていたけど、言い出しっぺのアタシが、この夕食会を台無しにするわけにはいかない。なんとか気持ちを奮い立たせて、学食で会った叶とも、いつも通り笑顔で話して乗り切った。

 もちろんそれはアタシだけじゃなく、音央だって気持ちは同じ。アタシと音央は、二人でお互いの気持ちを察し合いながら、叶の前で笑顔を絶やす事をしなかった。

 今日の最終講義が終わり、成斗と待ち合わせをした正門前に、三人で向かう。

「今思ったけどさ。成斗って、ここまでどうやって来るんだ?」

「家の人に車で送ってもらうとかって言ってた」

 叶の質問に答えたのは、もちろんアタシじゃなくて音央。

 そんな会話をしながら、辿り着いた大学の正門には、松葉杖なんて必要ないんじゃないかってくらい元気な成斗が、アタシ達を見つけて大きく両手を振った。

叶は成斗に向かってひとり駆け出し、わざと体当たりなんかしたりして、相変わらず男同士、仲よくじゃれ合う。

 アタシと音央がそこに合流したのと同時に、

「じゃあ俺、車取って来る」

 今日は車で来てくれていた叶が、言った時だった。

 アタシ達の横に車が止まって、人を呼ぶように、軽く鳴らされたクラクション。

 アタシ達四人の視線は、一斉にその車へと向けられ、アタシと音央の表情がフリーズする中、とても驚いた顔をして、叶が呟く様にその名前を呼んだ。

「穂奈美さん!?」

 アタシや音央に気付いているはずの穂奈美さんは、助手席のウインドウを開け、叶の顔だけを見て笑いながら言った。

「会社早く終わったから、迎えに来ちゃった。これからバイト行くんでしょ?送ってく」

「あ……ごめん。今日はこれから友達と……」

 叶の言葉を遮って、穂奈美さんが言う。

「わかった。私の方こそ、急に来ちゃったりしてごめんね。じゃあ、バイト終わったら連絡して?」

「わかった……」

 頷いた叶に、穂奈美さんは笑顔で小さく手を振ると、車を走らせて行ってしまった。

思わず流れた重たい空気を、それ以上に変えてしまったのは……何も知らない成斗だった。

「叶、今の誰だよ!?」

 成斗の目は、思いっきり叶を睨む様に見て、いかにも喧嘩をふっかける様な勢いだ。

 罰が悪そうに黙り込んだ叶に、成斗は松葉杖で歩み寄ると、更に強い口調で言う。

「誰だって訊いてんだよ!! 答えろよ。お前、香耶と付き合ってたんじゃねぇーのか!? それとも、香耶と付き合いながら、二股かよ!?」

 今にも叶に殴りかかりそうな成斗を、アタシは思わず止めた。

「ちょっと。成斗。落着いてよ」

「いいから。お前は黙ってろっ」

 アタシの手は思いっきり振り払われ、その強い語調はアタシにまでも向けられた。

「叶、何黙ってんだよ!? 今の女とどういう関係なのか、俺にちゃんと説明しろ!!」

「なんで俺が、お前にそんな事、いちいち説明しなくちゃなんねぇんだよ?」

 悪びれもせず、開き直った様な叶の態度に、

「テメー!! ふざけんのも、いい加減にしろっ!!」

 成斗はおぼつかない体で、勢いよく叶に殴りかかる。

 無意識に松葉杖を放した成斗を、叶はわざと自分が下敷きになる様に、そのまま後ろへ倒れ込んだ。叶の上に馬乗りになった成斗が、叶の胸ぐらを掴んで拳を高く振りあげる。

「だから、もう止めてってば!!」

 アタシは振りあげられた拳を止めようとして、また成斗に勢いよく振り払われた。

 なかなか拳を振り下ろさない成斗を、叶が挑発する。

「殴りたきゃ、好きなだけ殴れよ」

 叶の胸ぐらを掴んでいた成斗の手と、振りあげられた拳は、激しい怒りに震えていた。そしてもう一度、叶の胸ぐらを強く掴み直すと、その手を離し、拳をゆっくりと下ろした。

「お前がそんなヤツだったとわな。見損なったよ」

 成斗はそう言うと、馬乗りになっていた叶の上から下り、近くにあった松葉杖を自分で引きよせて立ち上がると、何も言わずにそのまま歩き出した。

 どうしていいのかわからず、動揺しまくりのアタシに、音央が言う。

「香耶、成斗くん、お願い。こっからひとりじゃ帰れないと思うから……」

 音央の言葉に、アタシは頷いて、叶とは言葉を交わさないまま、成斗のあとを追いかけた。

「成斗、待って」

 追いついた成斗の腕を掴んで、アタシが引きとめると、歩みを止めた成斗が、怒りがまだ収まらない眼差しのまま、真っ直ぐにアタシを見た。

「お前はいいのかよ!? 叶にあんな事されて、それでもまだ叶の事庇うのか!?」

「知ってたんだアタシ……叶に他に好きな人がいる事。最初から知ってた。知ってて叶に、付き合ってって言ったの。それが嫌なら、付き合うフリでもいいからって……」

 アタシは正直に、本当の事を話した。

「んな事言うなんて、お前正気かよ?」

「正気も正気だよ」

「そんな事言って、何になるんだよ? 言葉でだけ、彼氏彼女になって、何が嬉しいんだ!? そこにいったい、どんな意味があるっていうんだよ!? 無意味だろ!!」

 どこまでもアタシを否定する成斗に、アタシも自分が思っている事をぶつけた。

「叶にとって、アタシは無意味な存在だったかもしれない。だけど。アタシにとって、叶は無意味なんかじゃなかった。叶を好きになって、アタシが今まで知らずにいた気持ち、たくさん知る事が出来た」

 アタシの強い言葉に、成斗が黙り込む。

「彼氏とか彼女とか、本当はそんなのどうだってよかった。それはアタシが叶の近くにいたくて、使ったような言葉だから」

 次から次へと溢れる叶への気持ちを口にしながら、アタシの瞳からは、不可抗力の涙がぽろぽろとこぼれていた。

 必死に涙を止めようと、俯いて頬を拭うアタシの頭を、成斗の手が「泣くな」と、優しいリズムを刻む。

「わかった……お前の気持ち、よくわかったから」

 いつもの穏やかな声のトーンに戻った成斗に、止まりかけていた涙が、また溢れだした。

 アタシは目の前にいる成斗の胸を借りて、大泣きしたい衝動にかられる。だけど、そんなアタシを、音央の存在が思いとどまらせた。

 本当はアタシ以上に、成斗の事が心配だったはずなのに、敢えてアタシに、成斗を追いかけさせた音央の気持ちを、無にするわけにはいかない。

 そんなアタシの想いとは裏腹に、音央の中に、思いもよらない大きな決意が固められていたなんて……。

 四人で過ごして来た季節、そしてこれからも四人で過ごすと思っていた月日は、アタシの知らないところで、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。

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