第17限 香耶side: 悲しいキス

 アタシの唇に、叶の唇が重なる。

 アタシの唇が優しく柔らかな叶のぬくもりを感じた瞬間、すぐにそれは離れた。

「お前、どうして避けないんだよ……」

 ドアに置いていた両手を力なく下ろし、眉根を寄せ、困った様な、それでいてどこか切なげな顔をして、叶がアタシを見つめる。アタシはそんな叶の顔と言葉が悲しくて、その問い掛けに応える代わりに、立ち尽くしていた叶を、今度はアタシがドアに押し付ける様にして、そのまま口づけた。

 閉じた瞼の向こう、叶の顔は見えない。でも。叶の微かな抵抗をアタシの体が感じ取り、それを強く打ち消す様に、アタシはもっと激しく叶へと口づけた。

 どこか自分じゃない様な気がしながら、これがアタシ自身も知らないアタシなのかもしれないとも思う。そんなアタシのおぼろげな思考は、いつの間にか抱きしめられた腕の中、優しく溶けてしまいそうな叶のキスに、一瞬にして掻き消された。

 どちらからともなくゆっくりと離した唇に、我に返った様な、焦りの表情で叶が言う。

「ごめん……」

 叶の良心の呵責から出た言葉だったんだろうけど、今のアタシにとってそれは、逆に一番言ってほしくない言葉だった。

 アタシは首を強く横に振り、叶をまっすぐな瞳で捉えて訊く。

「これでアタシが本気だってこと、認めてくれた?」

「後悔して、泣いても、俺は知らねぇぞ?それでもいいのか?」

「いい」

「最後にもう一回だけ訊くけど、本当にいいんだな?」

 叶の強い言葉に、アタシも強く頷いた。どこまでも強情なアタシに、叶は小さな深い溜息をつく。

「きっと……後悔するぞ?」

「さっきの言葉が、もう最後って言ったじゃん」

 どうにかしてアタシを改心させようとする叶に、更々取り合う気はもうないと言うように言ってのけた。

「って事で、お邪魔しまーす」

 突っ立ったままの叶を置き去りにして、アタシは先に部屋へと上がり込んだ。

『きっと……後悔するぞ?』

 そんな叶の問い掛けに、本当はこう言いたかった。「後悔ならもうしてる」――

 こんなふざけた言葉でしか、叶に想いを伝えられない自分自身に、アタシはとっくに後悔をしていた。

 怖かったんだ。ちゃんと自分の気持ちを素直に告げて、叶に振られる事が、アタシは怖かった。

 叶の心に今、誰が住んでいるのか、アタシが一番よく知っているから……それでも叶の近くにいたいと思うアタシがいて……ぽっかり空いた叶の心の穴を、少しでも埋められたらと願うアタシがいて……それを言い出せなくて、成斗と音央の事を口実にしたりして、アタシはズルイ。とんでもなくズルイって、わかってる。わかってるけど……それが今のアタシに出来る、精一杯の告白だった。

 少し先の未来で待ちかまえてるサヨナラより、今すぐに叶を失う事の方が、ずっとずっと辛い事だと、この時のアタシはそう思っていた。

「走ったら、喉乾いた」

 部屋に入って来た叶を振り返り、お茶の催促をしたアタシに、一瞬、呆気にとられた顔をした叶は、小さく吹き出すと苦笑いをした。

「ったく……お前の意地っ張りには負けるよ」

「筋金入りだからね~」

「って。俺、褒めたわけじゃねーぞ?」

「あ~もう。いいから、お茶! 喉乾いた!!」

「泊めてもらう人様ん家来て、威張るなっつの」

 アタシの額を指で小突いて、冷蔵庫を覗きこむ叶の背中に、アタシは額を押さえながらも小さく笑む。

「あ、お茶ねーや」

「近くに自販機とかないの?」

「あるけどさ」

「じゃあ、自販機まで買いに行こ。レッツゴー」

 アタシは、はしゃぎながら叶の手を引っ張って、玄関へと向かった。

 これからは、こんな風に、叶の傍にいられるって思ったら嬉しくて。たとえそれが、恋人同士のフリだとしても――

「お前、何飲む?」

 自販機にコインを入れて、叶が訊く。

「ウーロン茶」

 アタシがそう答えたにも関わらず、叶はその隣にあったコーヒーのボタンを押した。

「ちょっと! アタシ、ウーロン茶って言ったのに!」

 思いっきり口を尖らせ抗議したアタシに、

「これは、俺の」

 悪戯に笑って、叶がからかう。

 叶がまたコインを入れたのを見計らって、アタシは叶が押す前に、ウーロン茶のボタンを横から押した。

「自販機は早押しクイズか」

 自販機からウーロン茶を取り出して、アタシに渡しながら叶が笑う。そんなやりとりと叶の笑顔に、アタシの胸はキュンと小さな音を立てた。

「明日ね、音央と会う約束してるんだ」

 叶のアパートに向かって歩きながら、アタシはそんな口火を切る。

「明日、音央に会った時、叶と付き合う事になったって言うからね?」

「言ってもいい?」とは敢えて訊かずに、強行突破を決め込んだアタシに、

「お前が本当にそれでいいと思うなら、俺はかまわねぇよ」

 叶はどこまでも叶らしい言葉で答えてくれてた。それが叶の優しさだとわかる分だけ、嘘つきなアタシの心が、またひとつ軋んだ。


 シャワーを浴び、パジャマ代わりに叶から借りたТシャツと短パンで部屋に戻ると、

「布団敷いといたから。先、寝ていーぞ」

 叶は吸っていた煙草を揉み消しながら言い、部屋を出て浴室へと消えた。

 2DKの叶のアパートは、学生の独り暮らしにしては間取りが広い。二つの部屋を居間と寝室にわけて使っていて、寝室を開けると、叶のベッドの下にちゃんと布団が敷かれていた。

 金曜日のバイト帰りに、成斗が毎週泊まるから、布団を買ったとかなんとか、学食で話してたことがあったっけ……。

 気持ち良さそうな布団の誘惑に、アタシは深く眠る気もなく、コロンと横になった。

 何気なく写した視線の先には、叶のベッドがあって。

 ――ここで叶は穂奈美さんと……。

 その先を想像しかけて、アタシは強く目を瞑り、必死で思考を止める。

 閉じた瞼に、今度は叶と自分のキスシーンが蘇った。叶の唇の感触を思い出し、胸はキュンとなり、体がジンと熱くなる。もっと叶がほしくなる感情を抱えながら、アタシは知らず知らず深い眠りにおちていた。

 アタシの寝顔に、呆れながらも穏やかな笑みを叶がこぼしたのも知らずに――


 翌日。

 十三時に音央と待ち合わせしていたアタシは、叶のアパートからそのまま待ち合わせの駅に向かう電車に乗った。

 アタシが改札を出ると、時間に正確な音央は既に着いていて、いつもの様にアタシを見つけて手をあげる。

「今日の音央お薦めの店はどこ?」

 ギリギリまで眠っていて、何も食べていないアタシは、「早くご飯を食べに行こう」と言わんばかりに、音央の腕を引っ張った。

 今日行くお店は、ハンバーグが特においしいというイタリアンレストラン。

 窓際の二人掛けの席が丁度空いていて、アタシと音央はそこに案内され、イタリアンハンバーグと和風ハンバーグを注文した。

「昨日のLINEで、今日ランチしようなんて、急でごめんね。体調はもういいの?」

 音央の気遣いに、体調が悪いと言って、一日大学を休んだ事を思い出す。本当はなんとなく、叶と顔を合わせずらかっただけなんだけど……ね。

「全然、平気。アタシも音央に報告したい事あったし。今日のランチに音央が誘ってくれてなかったら、アタシが音央を呼び出してるとこだから、気にしないで」

「報告?」

 アタシの言葉をオウム返しして、小首を傾げた音央が、不思議顔をした。

「アタシね、叶と付き合う事になった」

 いきなりすぎるアタシの報告に、音央が目を見開いて驚く。

「昨日、アタシから告白して、オッケーしてもらったんだ」

 照れ笑いをしながら言うアタシを、音央は何か訊きたそうに見つめて、ゆっくり口を開いた。

「あたしね、香耶はずっと成斗くんの事が好きなんだと思ってた……あたしが成斗くんの事を好きだって知って、それで叶くんの事を好きだって、香耶は言ってるのかと思ってた」

「確かに、音央の言うとおり、叶の事好きになる前は、ずっと成斗の事が好きだった。だけど、音央が成斗を好きだって知って、叶を好きになったわけじゃない。アタシが音央の気持ちに気付いたのは、成斗の事故の時で……その時アタシはもう、叶の事が好きだった。それにアタシは、音央みたいに、お人好しじゃないよ」

 最後にちょっぴり茶化して笑うと、アタシは続ける。

「音央は、アタシが好きだって知ってて、成斗の事諦めようとしてたんでしょ?」

 音央は遠慮がちに、小さくコクンと頷いた。

「アタシに遠慮なんて、もうしなくていいんだから。音央は音央の気持ちだけ大事にして。ごめんね……近くにいたのにアタシ、音央の気持ち、ちっとも気付けなくて」

「ううん。香耶が謝る事ない。あたしこそごめんね……香耶が好きなのわかってたのに、諦めようって思っても、諦めきれなくて……」

 アタシと音央は合った目と目に、どちらからともなく小さく吹き出す。

「もう、『ごめんね』ごっこはやめよ」

 と、アタシ。

「そうだね。やめよっか」

 と、音央。

 そこへ注文したハンバーグがそれぞれ運ばれて来て、シリアスモードは一転、完全な食い気モードに。

 おいしいイタリアンハンバーグに下鼓を打ちながら、アタシは何気なく音央に訊いた。

「音央は成斗のこと、いつから好きだったの?」

「高校の時に同じファミレスでバイトしてた時から」

 てっきり大学に入ってからだとばかり思っていたアタシは、意外な事実に少し驚く。

「成斗くんがバイト辞めちゃってから大学に入るまで、一度も会った事なかったから、同じ大学だってわかった時は、本当にびっくりした。おまけに香耶と幼馴染みって訊いて、もっとびっくりだったけど」

「そんな事あったね。たった半年前の事なのに、随分前の事みたいに思える」

「ホント。でも、それだけあたし達が、楽しい時間をいっぱい過ごして来たって事なんだよね」

「音央は楽しかった?」

 アタシの為に成斗を諦めようとして、辛い思いばかりしてきたんじゃないかと思う音央に、そう訊ねてみた。

「もちろん。楽しかったよ。すっごーく楽しかった。今もね」

「これからは女同士、お互い好きな人の話もしよーね」

 音央は嬉しそうに笑ってコクンと頷き、悪戯な眼差しを向けてアタシを見た。

「じゃあ、香耶に質問。叶くんのどんなとこが好き?」

 そんな風に音央に訊かれて、改めて考えてみる。アタシは叶のどこを好きになったんだろう? そして今、どこがそんなに好きなんだろう?

 「恋は理屈じゃない」って言うけど、本当にそうだと思う。だって……気付いたら、もう好きになってた。あんなにずっと好きだった成斗の事も、すっかり忘れちゃうくらい……。

「強いて言えば、ギャップかな。チャラそうに見えて、実は一途なとことか?まぁ、それはアタシに対してじゃないんだけど」

 アタシはちょっと苦笑いをしながら、正直にそんな言葉を口にした。

「それって……叶くんが高校の時からずっと片想いしてたって、女の人のこと?」

 驚きながら遠慮がちに音央が訊き、アタシはその音央の言葉に、驚きで目を見開く。

「音央も、知ってたんだ?」

「あたしを励ます為に、叶くんがその話をしてくれたってだけで、詳しい事はよく知らないんだけど……相手の女の人がどんな立場の人だったかってとこまでは聞いた」

「お兄さんの恋人ってこと?」

 アタシの言葉に頷いた音央に、アタシは小さく笑って続けた。

「これは叶にも言ってないアタシの気持ちなんだけどね、アタシは叶になるの」

 音央がよくわからないと言った顔で、「ん?」と、小首を傾げる。

「叶は自分の好きな人が誰を好きかわかりながらも、ずっとそばにいて、支えてあげてたんだよね。だから、アタシが今度は叶の立場になって、叶を支えてあげたいんだ……そんな事言ったら、叶が重苦しく感じちゃうだろうから、叶には言ってないんだけどね」

 そこまで言って、なんだか恥ずかしくなったアタシは、アイスコーヒーのストローを意味もなくクルクルと回した。グラスに氷があたって、カラカラと涼しい音を立てる。

「香耶は強いね」

「強くなんかないよ。強がってるだけ」

「本当に強くなかったら、強がってるふりだって出来ないよ」

「そんなもんかなー?」

「そんなもんなの。でもそれで、もし辛い事とかあったら、いつでもなんでも話してね。あたしじゃ頼りにならないかもしれないけど……」

「すっごく頼りにしてる。だから、音央も何かあったら、アタシに話してね」

 そんな会話をしながら、アタシは音央と、言葉だけじゃない本当の親友になれた気がしていた。

 「叶と付き合う事になった」という音央についた嘘は、すでにアタシの中で、嘘が嘘でなくなっていた。

 というのも、音央がアタシに遠慮せず成斗のところに行ける様にとだけ思って、アタシがついた嘘ではないから。

 叶に素直な気持ちを伝えられない結果が、こうなってしまったってだけ……。

 そこに音央に対する恩着せがましい気持ちもなければ、ひとかけらの犠牲心もない。この先、いつか叶と別れる事があっても、「実は嘘でした」なんて、音央に言う必要もない。だから音央には、ずっと叶に言えるはずもないアタシの本当の気持ちを話しておきたかった。

「あっそーだ! 香耶にいいものあげる」

 音央は急に何かを思い出した様に言って、バッグを開けると、財布の中からチケットの様なものを二枚取り出してアタシに「はい」と差し出した。

 音央からそのチケットを受け取って見ると、それは有名なレジャーランドの特別優待券。

「お父さんが仕事関係の人から貰ったって言って、あたしにくれたんだけど、あたしあんまり絶叫系とか得意じゃないし。香耶と叶くんで行って来て」

「でも、そんなの悪いよ」

 音央にチケットを返そうとしたアタシの手を、音央が思いっきり止める。

「これは、二人が付き合ったお祝いに、あたしからの細やかなプレゼントってことで。ね?」

「ホントに貰っちゃってもいいの?」

「いいの。二人で楽しんできてね」

 音央からの思わぬ嬉しいプレゼントに、アタシは「ありがとう」を言いながら、こぼれんばかりの笑顔で頷いた。


 帰宅したアタシは、さっきからずっと、スマホとにらめっこ。

音央に「楽しんで来るね」なんて言っちゃったけど、肝心の叶は、一緒に行ってくれるだろうか……? そんな不安が胸いっぱい押し寄せて、なかなか叶に電話をかけれずにいた。

 いい加減、ウジウジ悩むのにも疲れて、「よし」っとアタシは自分自身に気合いを入れる。もしも、「なんで俺とお前が」とか、「めんどくせぇよ」とか言われたら、「音央に貰ったんだから」と強気で行こう。そう心に決めて、アタシはディスプレイの通話ボタンを勢いよくタップした。

 叶お気に入りソングのメロディーコールが流れてくる。アタシは、妙に緊張して、スマホを持つ手に変な汗が滲んだ。

『おぅ。どした?』

 メロディーコールが途切れ、アタシの緊張とは対照的に、叶の呑気な声が流れた。

「今度の日曜日って、叶なんか用事ある?」

『日曜? 別になんもねーけど?』

「じゃあさ。音央に遊園地の優待券二枚もらったんだけど、一緒に遊園地行こ?」

『日曜日に遊園地?』

 案の定、あまり気乗りしない様な叶の返答。

『明後日の火曜日にしねぇ?』

 思いがけない叶の言葉に、アタシの思考が追いつかない。

「え?」

『だから。遊園地行くの日曜じゃなくて、火曜にしようって言ってんの』

「なんで? 大学は? バイトは?」

『質問するなら、一個ずつにしろよ』

 あまりに忙しないアタシを、叶が呆れながら笑い、丁寧にも一個ずつ、アタシの質問に答えてくれた。

『せっかく遊園地行くのに、日曜なんてメチャクチャ混む日に、わざわざ行くことねーじゃん? で、大学はサボリ。バイトは行かなきゃなんねぇけど、月曜日よりは入りが遅くても大丈夫だから』

「……いいの?」

 遠慮がちに訊いたアタシに、

『らしくもねー遠慮とかすんな。気持ちわりぃ』

 叶はあっけらかんと言って、ケラケラと声をあげて笑う。

「『気持ちわりぃ』は余計!」

 口を尖らせて抗議しながら、アタシの顔からは、嬉しさの笑顔があふれていた。


 火曜日の早朝。

 いつもより念入りに巻いた髪をルーズな感じにアップして、一目惚れして買ったまま、まだ一度も袖を通した事がないお気に入りの洋服を着た。

 いつも通りのナチュラルメイクにプラスして、普段はあまりつけないマスカラをつける。

 姿見に映る自分を念入りにチェックして、アタシは叶と待ち合わせた駅へと向かった。

 さほど乗り気じゃないのかと思いきや、「開園前から並ぼうぜ」なんて、叶が言い出して。おまけに通勤、通学ラッシュを避ける為、六時半なんて普段はまだ寝てる時間に待ち合わせをした。

 昨日の夜もバイトだった叶は、ちゃんと起きれたのかな……? ちょっぴり心配しながら辿り着いた駅に、叶はアタシより先に着いていた。

「叶、早っ」

「バイトから帰って寝たら起きれねぇと思って、ずっと起きてた」

「え!? 寝てなくて平気なの?」

「一日くらい寝なくたって平気だし。ほら、行くぞ」

 歩き出した叶の背中を、アタシは笑顔で追いかけた。

 早朝の電車に乗る人は疎らで。アタシと叶は空いていた座席に並んで座った。

「今日は何時までに帰ってくれば、バイト間に合うの?」

 行く前から帰りの時間の話なんてしたくなかったけど、ちゃんとタイムリミットを知っておきたくて叶に訊いた。

「何時でも」

 真面目に訊いた分だけ、ふざけた様な叶のセリフに、思わずプチギレ。

「真面目に訊いてんのっ」

「バイト休みになったから。何時でもいいってこと」

「へ?」

 思わず呆けたアタシの顔を見て、小さく叶が吹き出す。

「お前、その顔、自分で鏡見た事あるか?」

「煩いっ。なんでバイト休みになったの?」

「芹沢と遊園地行くから、ちょっとバイト入るの遅くなるかもって金井さんに言ったら、金井さんが休んでもいいって言うからさ」

「ふ~ん。そっか」

 なんでもない様な相槌を返しながら、アタシの心の中は、「金井さん、ありがとー!!」と、嬉し涙の大絶叫。

 タイムリミットがなくなった事で、アタシの心のテンションは、まだ遊園地にも着いていないのに、一気にMAXまで急上昇した。

 ジェットコースターにバイキングetc。開園待ちした遊園地で、ありとあらゆる絶叫系に、叶と二人で乗りまくった。

「次、あれ乗ろうよ、あれ」

 横を歩く叶の袖をひっぱって、アトラクションを指差す。

「わかったから、それより先に昼飯にしねぇ? 腹減った」

「言われてみれば、アタシもお腹減ってる気がしてきた」

「ったく……腹減るのも忘れるって、どんだけはしゃいでんだよ」

「そういう自分だって、はしゃぎまくってるじゃん」

 叶が肘で小突くから、アタシも小突き返して、きりがない子供みたいなふざけ合い。そんな些細な出来事さえも、アタシの胸に「好き」という積み木をまたひとつ積み上げていく。

 園内にある海沿いのレストラン。

「芹沢、何食うか決まった?」

 向かい合って座って、メニューを見ていたアタシに叶が訊く。

「あのさ……その『芹沢』って、やめない? 付き合ってるって公言してるのに、叶だけアタシを苗字で呼ぶとかおかしいじゃん? だから今から『香耶』って呼んでね」

「そりゃそうだけど……何も今から言わなくてもよくね?」

 アタシの半強制に、らしくもなく叶が、照れた様な苦笑いを浮かべた。

「ダーメ。呼び方なんて、咄嗟に変えられないんだから、今から練習すんの。わかった?」

「はいはい…」

 やる気なさ丸出しの叶を、ちょっとからかってみた。

「はい。じゃあ、呼んでみて?」

「『じゃあ、呼んでみて』って言われて、んなの、恥ずかしくて呼べるかよ!そういうのは、さり気ないのがいーんだよ」

「照れちゃって、カ・ワ・イ・イー」

 カワイイのイントネーションをわざとらしくつけて、不貞腐れ気味に照れている叶をからかって虐める。

「お前なー。馬鹿にしてんのか?」

「うん。思いっきり」

 アタシの即答に、テーブルについていた肘を思いっきりガクンとさせ、叶にしては珍しいオーバーリアクション。思わず大うけするアタシ。

「あとで覚えとけよ?」

 叶が応戦して意地悪く笑ったけど、アタシは敢えてスルーして、メニューに視線を落とす。

 こんなアタシ達は、周りから見たら、いったいどんな風に見えるのかな? 仲のいいカップルに見えてたりするかな? そんな事がふと頭を過って、少しだけ悲しくなった。

 夏より遥かに短くなった日暮れに、アタシと叶は、お土産を見て回る事にして、ショップのハシゴをする事に。

 音央と成斗にそれぞれお菓子と、お揃いで色違いのストラップを買った。金井さんにも何かお土産を買う事にして、散々なやんだ挙句、結局無難なお菓子に落ち着いた。

「香耶は何も買わねぇの?」

 聞き慣れない言葉の響きに、思わず呆ける。

 今……「香耶」って……呼んだ!? どうやらアタシの顔には、思いっきりそう書いてあったらしい。

「『呼べ』って強制したお前が、そういう顔してんじゃねぇよ」

 叶は独り言みたいに言って、さっさと歩き出したと思ったら、

「せっかく来たんだからさ、お前にも俺がなんか買ってやるよ」

 アタシを小さく振り返って言う。

「香耶」がまた「お前」になったけど、まぁ、いっか。アタシは笑顔でコクンと頷いて、叶の背中に駆け寄った。

「これがいい」

 アタシが手に取ったのは、シルバーで出来たイルカにアルファベットチャームが付いている綺麗で可愛いストラップ。

「叶のはアタシが買ってあげるから、一緒に買おう」

 アタシ達はそれぞれ「K」のアルファベットチャームが付いているストラップを購入して交換した。

 アタシのストラップの紐の部分はピンクで、叶のは黒。

 帰り道の電車の中、さっそくバッグに付けて、隣の叶を見る。と……。

 昨日一睡もしていない上に、はしゃぎ疲れたのか、叶は小さな寝息を立てて眠っていた。アタシはそんな叶を起こさない様に、眠っている叶の肩に、そっと自分の頭を預けてみた。叶から伝わる体温が心地よくて、思わずアタシも眠くなる。

 不意に、叶の手がアタシの手を求めて、優しく握りしめるから、アタシはドキッとして、思わず叶の顔を覗き込んだけど、小さな寝息はそのまま、叶は眠っていた。

 眠りの中、無意識に繋がれた手を、アタシもそっと握り返して、もう一度叶の肩に頭を預ける。

 どこまでもこの線路が続けばいいと思いながら、アタシはゆっくり目を閉じた。

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