第15限 成斗side: 変わらぬ想い
二ヶ月もあると思っていた夏休みも、始まってみればあっと言う間で。あと十日もすれば、また大学に通う日常が、戻って来ようとしていた。
大学に通いながら、ダンススタジオに行き、そして週一のバイト。大学に通う以外は、さほど今と、なんら変わり映えのない日々だったりもするんだけど、俺にとっては、ちょっと不思議な夏休みでもあった。
ずっと幼馴染みだとばかり思っていた香耶が、ほんの一瞬だけ、何故かそれ以上の存在に思えた瞬間があって……でもそれは
香耶が叶を好きだと知った瞬間、俺の中には寂しいとか、切ないとかの感情以上に、安心と嬉しさがあった。
長い香耶との付き合いの中、香耶の恋愛話を一度も聞いた事がなかった俺は、そんな香耶を幼馴染みとして、ずっと心配していた。
香耶は何故か、俺以外の男となると、どこか距離を置く様なところがあって、言い寄って来る男も結構いたのに、誰とも付き合う事をしなかった。
香耶を幼馴染み以上に考えた事は、今まで一度もない。だからこの夏休みが、今思い返してみても、不思議で仕方がなかった。
あまりにも曖昧な感情すぎて、「気のせいだった」というのが、今の俺にとっては、一番しっくりくる表現だった。
香耶に好きな奴が出来て、ましてそれが叶なら、願ってもないくらい嬉しい事だ。叶がいい奴だって事は、俺もよく知っているし。
こんな事を言ったら、「お前は香耶の親父か!」って突っ込まれそうだけど、香耶と叶が付き合ってくれたら、安心っていうか、なんていうか……。
俺がずっと想ってきたのは、香耶に幸せになってほしいって事だったから。それは唯一、今も昔も変わる事のない香耶への想い。
香耶が叶を好きだと知ったのは、本当に偶然だったけど、俺はそれを聞いて、自分の香耶に対する想いを再確認出来た。やっぱり俺にとって香耶は、幼馴染み以上でも以下でもない。今までも、そしてこれからも、きっとそれが、俺と香耶なんだ。
叶と香耶と音央ちゃんと、キャンプに出掛けた夜。
寝返りを打ちながら、浅い眠りから目覚めた俺は、隣に寝ているはずの香耶がいない事に驚いて体を起こした。見れば、香耶の隣に寝ているはずの音央ちゃんの姿もない。
いない二人を心配して、テントから出ようとした時に、外から聞こえた話し声。それは香耶と音央ちゃんで。テントから近い事と、夜の静けさも手伝って、香耶と音央ちゃんの会話は、テントの隙間から俺の耳にもしっかり届いていた。
叶の名前が出た時に、俺は急いで叶を振り返った、けど……そこには何も知らずに眠っている叶がいて、俺は小さく吹き出した。
ほどなくして二人が戻ってくる足音が聞こえ、俺は急いで寝たふりを決め込んだってのが、ことの真相。
話の流れ的に「叶には内緒」ってのはわかるけど、何も俺にまで内緒にすることねーじゃん!?
あの場は取り敢えず寝たふりを決め込んだけど、俺の正直な気持ちは、今まさにその言葉をおいて他にはない。言ってくれれば俺だって、いくらでも協力してやんのにさ。
今一番叶とつるんでるのは俺だったりするのに、香耶の奴もホント、水臭いったらない。
もしかしたら、香耶の方から俺に相談があるかもと、ここ何日か様子をみてたけど、そんな気配は一向にないし。どうしたものかと、俺もない頭で考える。ここはやっぱり俺流に、ストレートにいくしかないか。
俺は香耶を呼び出す必殺アイテムを手にとり、部屋の窓を開けた。電気がついている香耶の部屋の窓に、伸ばした釣竿の先をカツカツと当てて、香耶を呼ぶ。
すると、香耶がひょっこり顔を覗かせた。
「よっ!」
片手をあげて、いつもの挨拶をした俺に、香耶も同じポーズで返す。ついつい含み笑いをしてしまっている俺の顔を見て、
「何?」
と、香耶が半笑いで訊き返した。
「お前、俺との付き合い何年になる?」
「かれこれ十九年?」
「その俺に、報告する事とか、相談する事とか、あるだろ?」
「成斗に相談すること?別にないけど」
香耶の即答に、こけそうになったけど、そこまで言われたら、もう俺から言うしかない。
「お前、好きな奴出来ただろ?」
「何? 突然……」
「言っとくけど。俺にはバレバレだかんな。隠しても無駄」
俺はそんな前置をして、香耶の確信に触れた。
「香耶の好きな奴って、叶だろ?」
俺に図星を指された香耶は、驚きと困惑と呆気が入り混じった様な顔で、一瞬フリーズして、
「な、な、なんで成斗がそんなことっ」
最後に、思いっきり墓穴を掘った。
言った後、「やばっ」と言う顔をして、香耶が口元に手を当てたけど、もう遅い。勝ち誇った様な笑みを浮かべる俺に、とうとう諦めたのか、不貞腐れ気味に香耶が訊いた。
「なんで成斗が、そんな事知ってんの?」
「お前見てりゃ、そんなのスグわかるっつの。幼馴染みをなめんなよ」
ここは敢えて、偶然話を聞いてしまったとは言わず、あくまでも俺が見抜いていたかの様に言った。
香耶のことだ。ここで本当の事を言ったりしたら、「叶が好き」という本題より、「成斗が盗み聞きした」とか、話が逸れまくって、その事だけを騒ぎ立てるに違いない。まぁ俺も、伊達に十九年、香耶と幼馴染みをやってきたわけじゃないってことだ。
「アタシって、そんなにわかりやすい?」
俺がそれに大きく頷いてみせると、香耶は自分の頭を抱え込む。
「どうしよう……もしかして叶にもバレてるかな!?」
「さぁな。あいつは結構、勘いいとこあるからなー」
「そんな事言って、成斗まさか、叶になんか言ってないでしょーね!?」
「なんにも言ってねーよ。まだ」
「『まだ』って!! まるでこれから言うつもりみたいに、言わないでよっ」
「だって。お前がなかなか言い出しそうにないから。俺がちょちょっと恋のキューピッドになってやろうかと思ってさ」
「そんなのいらないから!! 言うなら、アタシがちゃんと自分で言うから!!」
香耶は興奮気味に大声をあげ、夜の静けさに響いた自分の声に気付き、声のトーンを下げて続けた。
「だから絶対余計な事、しないでよ!?」
「わかった。じゃあ、自分でちゃんと、叶に気持ち伝えろよ?」
穏やかに言って笑った俺の顔を、香耶がまじまじと見つめる。
「俺は幼馴染みとして、ずっとお前の味方でいるからさ。頑張れよ」
「成斗……」
「これから先、お前に彼氏が出来て、俺に彼女が出来ても、俺達が幼馴染みなのは変わらない。もしも当たって砕けた時は、やけ酒でもやけ食いでも、いくらでも付き合ってやっから」
最後は俺らしくおどけたのに、香耶は揺れる瞳で、見つめているだけだった。
「あ、今、俺の言葉に感動して泣きそうになってるだろ?」
「なるか! バカッ!!」
俺の挑発にまんまと乗った香耶は、やっといつもの調子を取り戻す。
「とにかく、俺はお前の健闘を祈る」
俺はラジャーのポーズで、
「じゃあな」
と、俺の方から、今日はその窓を閉めた。
自室のカーテンを閉めた後、俺はフッと思い出し笑いをして笑う。俺が叶の名前を出した時の香耶の顔といったらなかった。鳩が豆鉄砲をくらった様な顔って、実際のところ、初めて見た気がする。
香耶が俺の前で、叶を好きだと認めた事で、俺の中では勝手に色んな辻褄が合っていった。
花火大会の時、音央ちゃんを抱きしめる叶を見て、香耶が怒っていたのも……。
一緒に行くはずだった友達が、急に行けなくなったライブに叶を誘ったのも……。
「終電に乗り遅れた」と言って、叶と一緒にいたことも……。
結構、
叶を好きになるまでの香耶の気持ちも、叶が今、どんな心境でいるのかも、何ひとつ知らないこの時の俺は、能天気に香耶の恋を応援していた。自分の気持ちにさえ気付けずにいる鈍感な俺が、二人の複雑な状況なんて、感じ取れるはずもなく……そんな俺達の夏が、もうすぐ終わろうとしていた。
今日は金曜日。
夏休み中のバイトも、今日が最後だ。来週の金曜日には、しっかり大学も始まっている事を想像して、楽しかった夏休みの分だけ、ちょっぴり憂鬱になる。
俺がクロスバイクを止め、店へと入ろうとした時だった。
「あの……」
突然後ろから呼び止められて、俺は急いで振り返る、と……そこには年上らしき綺麗な女の人が立っていた。
「叶くんて、まだこの店でバイトしてるのかな?」
叶の事を知っているのか、いないのか、俺にそんな事を訊く。
「叶なら多分、もう店にいると思いますけど……呼んできましょうか?」
俺の言葉に、女の人は「ううん」と首を振り、足早に歩いて行ってしまった。
小首を傾げながら店の扉を開け、カウンター越しの叶に言う。
「今、店の前でさ、女の人に叶のこと訊かれた」
「女の人?」
「見るからに年上の綺麗な人」
言った瞬間、叶の顔つきが曇り、まるでそれを誤魔化す様に笑って、叶は洗いものを始めた。
「で? 訊かれたって何を?」
「叶くんはまだこの店でバイトしてるのかって」
「ふーん。で?どんな感じの女だった?」
「髪はすっげー綺麗なストレートでさ……」
「あ、やっぱいいや」
「自分で訊いたくせになんだよ。お前目当てのしつこい客とか?」
「そうかも。俺、お前と違ってモテるから」
俺をからかって、叶が悪戯に笑った。
「確かに」
不意に、香耶が叶を好きだというのを思い出し、真顔で肯定した俺に、叶が吹き出す。
「バーカ。冗談だっつの。いいから、早く着替えて来いよ」
俺は叶に急かされ、着替えをしにバックヤードへと向かった。
バイトの帰り道。
恒例のごとくコンビニに寄り、当たり前の様に叶のアパートへと向かう。
いつもよりどことなく無口な叶に、俺から話を振った。
「なぁ、叶」
「ん?」
「彼女とか作る気ねぇの?」
「なんだよ。突然」
「いや……別に。特に深い意味はねぇけど、なんとなく訊いてみただけ」
「ほしくないとは思わねぇけど、めちゃくちゃほしいってわけでもねぇし……そもそも、誰でもいいってわけじゃねぇからな。そういうお前はどうなんだよ?」
珍しく叶は素直に応えたと思ったら、俺へと速攻で切り返す。
「俺は……どっちかっつったら、作る気ねーかも。ずっと出てみたいって思ってる大きなダンスコンテストがあってさ。今回はそのコンテストにスタジオから推薦してもらえるかもしれないんだ」
「すげーじゃん。成斗、なんでそう言う事さっさと教えてくれねーんだよ」
「ちゃんと決定もしてないうちから話して、やっぱ推薦もらえなかったなんて言ったら、ちょっと恥ずかしいじゃん?」
「推薦してもらえるといいな」
「うん。でももし推薦もらえたら、今以上にダンス漬けになるし。そうなると、今彼女作っても寂しい思いさせるだけだからさ」
俺は話を本題に戻すと、おどけて笑った。
「そういうお前の夢を一緒に応援してくれる奴、選べばいいんじゃねーの?」
「そんな子、簡単に見つかるかよ」
「そういう思い込みは捨てて、よく周り見てみろよ。案外、お前の近くにいるのに、お前が見落としてるかもしんねぇぞ?」
「俺の周りねぇ……音央ちゃんは俺なんてまったく眼中にない感じだし。香耶は好きな奴がいるしなぁ……」
無意識についこぼしてしまって、「やべっ」と思った瞬間。やけに焦った様子の叶が、俺に訊き返した。
「誰が他に好きな奴がいるって!?」
「香耶が」
「それいったい、誰情報だよ」
「香耶本人。さすがに相手の名前までは知らねぇけど」
食い付きのいい叶に脈を感じながらも、『絶対、余計な事しないでよ!?』と言った香耶を思い出し、俺は敢えて誤魔化した。
叶はそれ以上の深追いはしなかったけど、香耶の事をまんざらでもないと思っているんじゃないのかと、俺は心の中で含み笑いをする。
叶の真意がどこにあるのかもわからず、俺だけがひとり浮足立っていた。もうすぐ俺に課せられる大きな試練にも気付かずに――
夏休み明けの初登校にも関わらず、俺の顔は朝から緩みっぱなしだった。正確に言えば、それは一昨日の水曜日から。
ずっと出たいと夢見てきたダンスコンテストの推薦が、俺に決定した。推薦枠はたったひとつしかなくて、スタジオの推薦がなければ、そのコンテストに出場する事は出来ない。ずっとスタジオに通いつづけて、夢がひとつ、ようやく叶ったのだ。まだ夢の途中ではあるけれど、俺はまるでコンテストで優勝したくらいの喜びを感じていた。
大学へと向かって走らせるクロスバイクも、鼻歌まじりで。夏休みが終わる憂鬱なんて、いつの間にか吹き飛んでいた。
「オッス、音央ちゃん」
大学の正門近くで見つけた音央ちゃんの後ろ姿に、朝から超ハイテンションで声をかけた。
「成斗くん、朝から元気だね? 何かいい事でもあった!?」
「あった。あった。あったんだよねーこれが」
嬉しさ余って壊れ気味の俺に、珍しく音央ちゃんが興味津々、話に乗っかってくる。
「知りたい?」
「知りたい」
俺はちょっともったいぶった含み笑いをすると、クロスバイクを引きずりながら、先にひとり歩き出した。
「ちょっ、成斗くん待ってよ。もったいぶらずに教えて」
追いかけて来た音央ちゃんが、俺の隣に並ぶ。
「ダンス」
「ダンス?」
緩む横顔で単語だけ言うと、語尾にクエッションマークをつけて、音央ちゃんがオウム返しした。
「俺、ずっと出たいと思ってたダンスコンテストがあって、そのダンスコンテストに出れる事になったんだ」
「す…ごい…。凄いよ!! 成斗くん!! やったねー!!」
音央ちゃんが大興奮して、俺のシャツを掴んで揺する。あまりの興奮ぶりに、周りの視線が集中して、それに気付いた音央ちゃんは、申し訳なさそうに俯いた。
「あっ……ごめん」
「なんで謝んの? そんなに喜んでもらえるなんて思ってなかったからさ。俺、すげー嬉しいよ。ありがと!!」
素直な気持ちを言葉にして笑った俺に、ゆっくり顔をあげた音央ちゃんも、すごく嬉しそうに笑ってくれた。
「もしよかったらさ、コンテスト観に来てよ」
「うん。絶対観に行くから、頑張ってね」
俺のダンスコンテスト出場を、心から素直に応援してくれてる音央ちゃんに思う。こんな風に、俺の夢を応援してくれる子もいるんだ……って。
『そういうお前の夢を一緒に応援してくれる奴、選べばいいんじゃねーの?』
『案外、お前の近くにいるのに、お前が見落としてるかもしんねぇぞ?』
思わず、そんな叶の言葉を思い出す。でもその一方で、それは彼女じゃなくて、あくまで友達だからだと、否定する俺がいた。音央ちゃんがこんな風に喜んでくれるのは、俺と音央ちゃんが友達だからだ。きっと女の子は、彼女という立場になれば、感じ方、見方、すべてが変わってくる。
――ダンス中心の生活を続けてる以上、やっぱり彼女なんて作れないよな。
「香耶と叶くんはもう知ってるの?」
「まだどっちにも言ってない」
「きっと二人も凄く喜んでくれるよ」
まるで自分の事みたく喜んでくれる音央ちゃんに、俺の心はくすぐったい様な温かさを感じていた。
講義が二限で終わった俺は、バイトまで空いた時間をいつもの公園で過ごしていた。
コンテストに向け、少しでも時間があれば、それをダンスに充てたい。
ダンスをしていると、ついつい時間を忘れてしまうのが俺で。「早くバイトに来い!!」と、叶から電話をもらうまで、ひたすら踊っていた。
汗をかいたままでバイトには行けない。時間がないと思いながらも、一度家に帰ってシャワーを浴び、俺は勢いよくクロスバイクを走らせて、バイト先へと向かった。
時間を気にして、ふと覗きこんだ腕時計。
瞬間、耳に鳴り響いたのは、大きなクラクション。その音に弾かれた様に、こっちに向かってくる眩しい光を、俺がとらえたのと同時に、衝撃が俺の体に稲妻のごとく駆け巡る。
体が宙に浮いたのが、おぼろげにもわかった。そして叩きつけられたアスファルトに、まるで他人事の様な鈍い音を聞いた。
何が起こったのか……わからない……。
人の悲鳴、ざわめきが、どんどん遠くなっていく……。
そこで俺の意識はぷつりと途切れ、瞳からの光も失った――
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