第14限 音央side:切なさの行方
横断歩道の信号が赤に変わり、あたしは足を止めた。
「ランチを食べに行こう」と、あたしから香耶を誘って、ついさっきまで香耶と一緒にいたのだけれど、今日の香耶はどことなく、様子がおかしかった様に思う。
食事をしながら、時々物思いにふけってみたり、笑っていても、それはいつもの香耶じゃなく、空元気の様な感じで……。
何より一番ひっかかったのは、成斗くんの名前も、叶くんの名前も、今日は香耶の口から一度も出なかったこと。あたしと香耶の間で、いつもその二人の話をしているわけではないけれど、あちこち話が飛ぶ中で、一度や二度は二人の名前は必ずと言っていいほど、会話にでてくるのに……。
――もしかして香耶は、何か気付いてる?
あたしの中にある後ろめたさが、ふと、そんな思いを連れて来た。
その何かは、ひとつしかない。そう、あたしが成斗くんを好きだということ。
今日香耶に会う前から、あたしの中でずっと思っていた事がある。
――成斗くんを今度こそ諦める
あの花火大会以来、あたしはひとりずっと考えて、そう決めた。成斗くんから逃げるんじゃなく、これからは友達として、ちゃんと成斗くんを見ていこうって。
せっかく四人で楽しく過ごす為に集まった花火大会をあたしは台無しにしてしまったから、そのお詫びも兼ねてキャンプに行く計画を香耶に持ちかけようと思っていたあたしだった。
でも今日の香耶には、その事を言い出すことが出来ずに、別れてしまった。
横断歩道の信号が青に変わり、歩き出そうとして、ふと思う。夏休みボケで、曜日感覚がなくなってしまっているけど、今日は確か日曜日。叶くんはバイトが休みなはず……。
あたしはそのまま道の端に避けると、バッグから取り出したスマホに、叶くんの名前を探した。
『もしも~し?』
流れてきたのは、雑踏にまじった叶くんの声。
「叶くん?」
『生田が俺に電話とか、めずらしいじゃん?どした?』
「大した事じゃないんだけど……叶くん、今、外だよね? だったらまたあとでかけるよ」
『確かに出先たけど、もう用事済んだし。ってか、そういう生田も、出先だろ?』
「香耶と一緒にランチ食べに行ってて、さっき別れたとこ」
『生田、今どこにいる?』
叶くんに訊かれて、その場所を答えると、偶然叶くんも近くにいたらしく、急遽近くのオープンカフェで、あたし達は落ち合う事にした。
あたしがカフェに着くと、もうすでに叶くんはカフェにいて、あたしを見つけると、片手をあげて笑った。
「元気そうじゃん」
「うん。おかげさまで」
軽い口調の中にも、叶くんらしい気遣いがみえて、あたしもおどけた様に言いながら、ペコリと頭を下げた。
ちょうどそこにウエイトレスがやって来て、アタシはアイスティー、叶くんはアイスコーヒーを注文すると、煙草に火をつけながら、叶くんが訊いた。
「で? 生田の話って何?」
「あたしのせいで花火大会台無しにしちゃったから、この夏休み中に、みんなでキャンプでもどうかなって思って……」
「別に、そんな無理して、生田が気を回すことねぇよ」
「無理してとかじゃないんだ。あたし決めたの。成斗くんと、ちゃんと友達として向き合うって。それでみんなとの夏の楽しい思い出、あたしが作りたいって思ったの」
「そっか」
「それで叶くんにお願いなんだけど、キャンプ場の場所とか手配とか、あたしよくわからないから、手伝ってもらってもいい?」
「それは全然かまわねぇけど、芹沢と成斗はこのこともう知ってんの?」
訊かれてあたしは、小さく首を横に振った。
「さっき香耶と一緒だった時、話そうと思ったんだけど……香耶、なんだか元気なくて」
「芹沢が?」
「うん。時々物思いにふけってたり、笑ってるんだけど空元気ぽかったり」
「芹沢の奴、そういうとこ、結構わかりやすいからな」
「香耶、キャンプ来てくれるかな……?」
ポツリとこぼしたあたしに、
「よし。四人でキャンプ行くぞ」
叶くんはそう言って笑うと、早速スマホのネットを使って、色々と調べ出した。
切なく悲しい思いはきっと、ゆっくり流れる時間が連れ去ってくれると、この時のあたしはそう信じていた。
五時半にかけた目覚ましが、鳴る前に目が覚めた。ベッドから飛び起きて、遮光カーテンを開ける。
「うん。いい天気」
あたしは眩しい太陽の光に目を細めて、思いっきり伸びをした。
今日は、叶くんの運転する車で、四人でキャンプに出掛ける日。
家族がまだ誰も起きていない中、あたしは出掛ける準備を始めた。
「あれ? 音央、もう出掛けるの?」
玄関で靴を履いていたあたしの後ろで、まだ眠そうなお姉ちゃんの声した。
「うん。今日友達とキャンプ行くの」
靴を履き終えて振り返りながら、お姉ちゃんに言う。
「キャンプかぁー。楽しんでおいで」
パジャマ姿のお姉ちゃんに見送られて家を出ると、ちょうど叶くんの運転する車が、あたしの家の前で止まった。
助手席のウインドウ越しにちょっとした挨拶を交わして、乗り込もうとした車の前で考える。こういう場合、あたしはどこに座ったらいいんだろう……? これから迎えに行く香耶と成斗くんの事を考えた。
「生田、何してんだ?」
なかなか乗ろうとしないあたしに、助手席のウインドウを開けて、叶くんが訊く。
「どこに乗ったらいいかな?」
自分で決断出来ないあたしは、それを叶くんに委ねた。
「生田が好きなとこ乗ったらいいよ。ま、取り敢えず助手席にでも乗れば?」
あたしは助手席のドアから乗り込み、真新しい匂いのする車を見渡して、叶くんに訊く。
「この車って、誰の?」
「俺の」
「叶くん、車なんて持ってたっけ?」
「バイトして貯まった金で、悩みに悩んで買った」
「叶くん毎日バイトよく頑張るなーって思ってたけど、これ買う為だったんだ?」
「ま、そんなとこ」
興奮するあたしとは対照的に、横顔で薄く笑った叶くんは、やけに曖昧な言葉で交わすと、アクセルを踏んだ。
叶くんと他愛ない話をしながら向かう、香耶と成斗くんの家。
二人の家が並ぶ道の前、まだ出てこない香耶と成斗くんを待ちながら、何を思ったのか叶くんがポツリ言う。
「家が隣同士って、どんな感覚なんだろうな」
「わかんないけど……でも、幼馴染みって憧れるよね?」
そんな会話をしていると、香耶と成斗くんがほとんど同時に、それぞれの家から出て来た。
「おはー」
朝からハイテンションの成斗くんが、後部座席のドアを開けて乗り込み、その後に続いて香耶も車に乗り込む。
「おっはよー」
「おはよう!」
元気そうな香耶の声を聞き、あたしは後部座席を振り返りながら、こぼれんばかりの笑顔で返した。
香耶と成斗くんを乗せた後、車の中はお祭り騒ぎ。カーステから流れる歌をみんなで大声で歌って。それがきっかけで始まった歌しりとり。
くだらない事で騒いで笑って。傍からみたら、何がそんなにおかしいんだろうって、馬鹿みたいに思われちゃうかもしれない。でも、それでいい。
香耶がいて、叶くんがいて、そして成斗くんがいる。きっと三人とだから、あたしはこんな風に笑えるんだ。
香耶も叶くんも、そして成斗くんも、あたしの本当に大切な友達。いつかみんながバラバラの道を歩いて、離れ離れになったとしても、きっとまた友達なら笑って会える。
みんなとはしゃぎながら、あたしは自分の心に、そう語りかけていた。
キャンプ場に着いて、まずはテント張り。テント張りなんてやった事がないあたしと香耶は、成斗くんと叶くんの足手まといに。
「テントは俺と成斗でやるから、お前等二人どいてろ」
なんて、叶くんに言われる始末。
ひとつの大きなテントが完成して、拍手をしながら思わず訊いた。
「テントって……もしかして、ひとつ?」
あたしの質問に、一瞬、シンと静まり返り、香耶が吹き出して言う。
「ひとつに決まってるじゃん」
「えっ!? 叶くんも成斗くんも、一緒に寝るのっ!?」
てっきり男女別かと勝手に思っていたあたしは、思わず大声をあげた。
「みんなでひとつのテントに寝る。これがキャンプの醍醐味っしょ?」
と、成斗くん。
「大丈夫。成斗と芹沢の前では、さすがに俺も襲ったりしないから」
って、叶くん。
誰もそんな意味で言ったんじゃないもんっ!! 心で叶くんに突っ込みを入れながら、あたしは恥ずかしさで火照る顔を、パタパタと手で仰いだ。
お昼にはカレーを作って、夕食はバーベキュー。
カレーに関しては、あたしも香耶も手伝ったけど、ほぼ叶くんが作ったようなもので。ご飯に関しては成斗くんが、元ボーイスカウトの腕前を披露。
バーベキューは、叶くんと成斗くんで焼いてくれて、あたしと香耶は食べる専門。「ここに女子はいないのか!?」が、叶くんの口癖みたいになってた。
「バーベキュー終わったら、花火しよ。昨日、アタシと成斗で買ってきたんだ」
「そうそう。だから、早く食ってやろーぜ」
香耶と成斗くんが花火を用意してくれていて、あたし達はバーベキューの後、花火をすることになった。
――そっか……昨日、香耶と成斗くんは一緒に花火を買いに行ったんだ。
何気なく香耶が言った一言に、ちょっぴり胸がチクッってしたけれど、そんな事を気にしていたら、この先なんてやってられない。
――大丈夫。きっと時間が解決してくれる
打ち上げ花火や手持ち花火を散々満喫したあと、残った線香花火を手に、香耶が言い出した。
「締めはこれで勝負しよ?」
「よし。じゃあ、一番負けは罰ゲームな」
ノリノリで賛成した成斗くんに、叶くんが訊く。
「罰ゲームって何すんだよ?」
「例えば、一発芸とか?」
「芸なんかもってねーし」
「アタシだってそんなのないもん」
成斗くんの案に、香耶と叶くんがブーイング。
「芸とかじゃなくても、負けた人が歌でもものまねでもなんでもアリで、みんなの前で披露するとか?」
あたしのそんなフォローに、「そうそう」と、相変わらずノリノリの成斗くん。
「それってすっごく恥ずかしいよね?」
「かなりな」
香耶と叶くんの相槌に、
「そうじゃなきゃ罰ゲームになんねぇーじゃん」
という成斗くんの一言で、「確かに」と、みんなが納得。
絶対負けられないというみんなの意気込みで始まった線香花火対決は、成斗くんの罰ゲーム決定で終了した。
「言い出しっぺが負ける様になってるんだね」
あたしのからかいに、成斗くんが満面の笑みで言った。
「俺の芸見て、惚れんなよ?」
「間違っても惚れないから大丈夫」
「間違ってもは余計じゃね?」
成斗くんと冗談を言い合って笑う。これからもずっと、こんな関係でいられたら、それでいい。
「小日向成斗、アクロバティックダンスを披露しまーす」
右手を大きくあげて宣言した成斗くんは、コホンと照れ隠しの咳払いをひとつ。一瞬にして顔つきを変えた成斗くんは、まずバク宙をすると、キレのいいダンスを踊り出した。曲なんてかかっていないのに、リズミカルでありながら、指の先までしなやかな動き。あたしはそんな成斗くんのダンスに魅了されていた。
成斗くんがダンスをやっている事は、前々から知っていたけれど、成斗くんが踊っているのを見るのはこれが初めて。
言葉にすると、随分ありきたりで、軽くなってしまうけれど、あたしは成斗くんのダンスにとても感動した。成斗くんのダンスセンスももちろんだけれど、好きな事をずっと頑張って続けている成斗くんを改めて尊敬して、そして羨ましく思った。
あたしは大好きなピアノを、途中で諦めてしまったから……。
「成斗すげーよ」
拍手しながら言う叶くんの声で、ふと我に返る。
「あれ? 音央ちゃんボーッとして、まさか俺に惚れちゃった?」
無邪気な成斗くんのからかいに、
「惚れないけど、感動したー」
あたしも負けじと応戦した。
散々はしゃいだ後の就寝タイム。体はすごく疲れてるのに、頭だけは何故か起きていて眠れない。
「音央、眠れないの?」
何度も寝返りを打つあたしの隣に寝ていた香耶が、小さな声で訊く。
叶くんと成斗くんはすでに眠ってしまっていて、二人とも小さな寝息を立てていた。
「うん、なんか頭だけ冴えちゃって……」
「アタシも眠れない。ねぇ、音央。ちょっと夜風に当たらない?」
あたしはそんな香耶と二人、寝ている叶くんと成斗くんを起こさない様に、そっとテントを抜け出した。
少し蒸し暑いテントの中とは違って、外は夜風が気持ちいい。
テント近くにちょうど設置されていた丸太の椅子に、香耶とあたしは、それぞれちょこんと腰かけた。
「風、気持ちいいね」
香耶の言葉に、「うん」と頷いて、BGMの様に聞こえる虫の声に言う。
「夜はすっかり、いつの間にか秋だね」
「ほんとだね」
いつもと違うシチュエーションに、あたしも香耶も、どことなく感傷モードで、ゆったりと進む会話。
こんな時に流れる沈黙は、何故か心地よくて、あたしも香耶も秋の夜に浸っていた。
「音央に、訊いてもいい?」
沈黙を破った香耶が、遠慮がちな前置をして、あたしの心に緊張が走る。
「ん? 何?」
穏やかに訊き返したけれど、あたしの心臓は、今にも飛び出してしまいそうだった。
――成斗くんの事を訊かれるのかも!
浮かんだ予感に、あたしの背筋が硬直する。
香耶が次に口を開く瞬間まで、とても長い時間を心で感じていた。
「音央は……叶が好き?」
「え?」
予期せぬ香耶の問い掛けに、思わず訊き返してしまった。でも香耶は繰り返す事なく、アタシを静かに見つめている。
香耶の質問を自分の中で、もう一度繰り返してみた。香耶はあたしに「成斗くんを好きか?」ではなく、「叶くんを好きか?」と、訊いている。
あたしは少しほっとして、小さく笑うと香耶に言った。
「好きだよ。でも、『好き』っていうのは、ラブじゃなくてライク。あくまでも、友達として」
「本当に?」
真顔で念を押す香耶に、小さく吹き出す。
「本当だよ。香耶、どうしたの?」
おどけた様に訊き返したあたしから、何故か香耶は、ゆっくりと視線を逸らした。
暗闇に浮かぶ香耶の横顔は、何故かとても切なそうで、流れる沈黙に、あたしはただ、次の香耶の言葉を待つしか出来なかった。
「あたしも……叶が好き」
遠慮がちに言う香耶の真意がわからなくて、あたしは小首を傾げる。
「でもそれは、音央と同じライクじゃない」
はっきりと結論を言った香耶にさえ、あたしの思考はまだ追いつけずにいた。
――どういうこと?
あたしは香耶の無意識の涙と、『成斗』と呼んだ声を思い出していた。
言葉なく呆然としているあたしに、香耶が訊く。
「びっくり……した?」
「びっくりした……」
「アタシも自分で、びっくりしてる……」
香耶は横顔で薄く笑うと、小さな溜息を吐いた。
本当に叶くんが好きなの? 成斗くんが好きだったんじゃないの? もう成斗くんを好きじゃないの? 香耶に訊きたい事は、たくさんある。でも、それを言葉にする事は出来なかった。
もしかして……香耶はあたしの気持ちに気付いて、そんなあたしの為に、「叶くんを好き」だなんて、言っているの? あたしの気持ちは、そんなところにまで辿り着く。だって……。
香耶の横顔が、あまりに切なく、あたしの目に映るから。無理して言ってるんじゃないのかって、思わせるから。それに、身を引こうと考えたのは、あたしだって同じ。香耶があたしと同じ事を考えたって、なんの不思議もない。
「音央は、好きな人いないの?」
香耶に訊かれて、戸惑うあたし。本当の事を言うべきなのか……否か。
香耶に、嘘はつきたくない。
「好きな人はいたんだけど、もう諦めるって決めたんだ」
「そっか。ごめん。変な事訊いて」
謝る香耶に、「ううん」と、首を横に小さく振って応えた。
香耶が「誰?」って訊いてくれたなら、きっと成斗くんの名前を出していた。でも、それ以上、訊こうとしなかった香耶に、あたしは成斗くんの名前を、自分から出す事はどうしても出来なかった。
「もう一度だけ訊くけど……音央が諦めようとしてる人は、叶じゃないんだよね?」
「叶くんじゃないよ。誓って、叶くんじゃない」
「そっか。あ、音央。このこと絶対、叶にも成斗にも内緒ね」
「もちろん、わかってる」
「あー。なんか、音央に言ったら、スッキリした。そろそろ、戻ろっか?ちょっと肌寒くなってきたし」
半袖のTシャツから出ている白い腕をさすりながら、香耶が立ち上がる。あたしもそれに頷いて立ち上がり、二人でテントに戻った。
叶くんと成斗くんは、相変わらず寝入っていて、あたしと香耶は、なるべく物音を立てない様に、そっと横になった。
「おやすみ」
言った香耶に、
「おやすみ」
あたしも同じ様に返して、ゆっくりと目を閉じた。
さっきよりも一層冴えてしまった頭の中、訊けずにいた香耶への疑問を心の中で繰り返す。
――香耶は本当に、叶くんが好きなの?
この時のあたしは、知らずにいた。香耶とあたしの会話を、聞いていた人物がいた事を……。
少しずつ変わっていく未来の岐路に、あたし達四人は立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます