第11限 成斗side: すれ違う眼差し

「音央、大丈夫かな?」

 俺の横をゆっくり歩きながら、香耶が独り言の様に、ポツリと呟いた。

「そうだな」

 俺もそれは気がかりで、そんな相槌を打った後、気落ちした香耶を励ます意味合いで言葉を付け足す。

「でも、叶がついててくれてるし。それに多人数で付き添われても、叶の言うとおり、音央ちゃんも気を遣うだろ」

「そうだけど……」

 香耶は心配を拭いきれないとばかりに、歯切れの悪い言葉を返した。

 俺達のテンションとは裏腹に、お祭りムードで盛り上がる観客達。

「どうせ見るなら、もっと静かなとこで見るか?」

 俺の提案に香耶がコクンと頷いて、俺達は踵を返すと、集まる人の流れに逆らって歩いた。

 海岸から少し離れたところにある高台の公園。そこは花火が少し遠くなる事もあって、ちょっとした穴場だったりする。俺は慣れない浴衣で歩きづらそうな香耶の歩調に合わせ、その横を並んで歩いた。

 不意に、まだ幼かった頃の日々が蘇る。

 昔、俺と香耶の家族みんなで、花火を見に来たことがあった。お互いはしゃいで、気が付いたら、俺と香耶は迷子に。

 ビービーと泣き喚いたのは、香耶じゃなくて……俺。

『男のくせに泣くな!!』

 香耶は口を尖らせつつも、泣き喚く俺の手を引いてくれたっけ――

 そんな事もあったなぁと、俺は口角を下げ気味に、隣を歩く香耶を見た。俺よりも高かった身長は、いつの間にか俺より小さくなって。ショートだった髪は、いつの間にかロングになって。薄化粧した香耶の横顔が、急に大人びた気がして、一瞬ドキリとする。

「何?」

 視線に気付いた香耶が、不思議顔で俺を見た。

「いや……別に」

「嘘。絶対変な事思ってる顔してたもん」

「変な事思ってる顔って、どんな顔だよ?」

「誤魔化さないでよもう。いったい何思ってたの!?」

 ふくれっ面をした香耶が、幼いあの頃と重なって、俺は思わず小さく吹き出す。さっきは大人びて見えたけど、香耶はやっぱり香耶だ。

「ちょっと。人の顔見て笑わないでよ。やっぱり変な事思ってたんじゃん」

「別に変な事じゃねーよ。ガキの頃に一緒に親と花火見に来て、二人で迷子になったこと思い出してただけ」

「ふーん。物忘れが激しい成斗でも、そんな昔のこと覚えてたりするんだ?」

 香耶はからかう様な口調で、俺を見て悪戯に笑う。

「物忘れが激しいって!人を老人みたいに言うなっつの」

 ふくれっ面から一変、コロコロと笑う香耶に、俺もなんだかつられて笑った。

 香耶と笑い合う事は、物心ついた頃から当たり前で。それはどんなに時が経っても、変わらない事だと思ってた。

 実際こうして時が経った現在いまも、俺達二人は変わらない。俺はそれが、とても嬉しく思えた。

 感じた事のない不思議な感情が、俺の心を侵食する。それが何を意味するのか、この時の俺はまだ気付けずにいた。

 突然、背中越しの空が明るく光り、バリバリと音を立てた瞬間、俺も香耶も足を止めて振り返る。

「あ、花火始まっちゃった」

 香耶の呟きに、少しだけ歩調を早めた俺達は、辿り着いた高台の公園内に入った。

「こんなとこあったんだ」

 感心した様な香耶に、俺は得意気に頷いて、更に園内へと足を進めた時だった。香耶の足が、不意に止まる。

「どした?」

 俺の問い掛けは、聞こえているのかいないのか……香耶の視線は、遠く何かを見つめていた。

「……ん?」

 俺もそんな視線の先を辿ってみる。

 薄暗い公園で、重なり合った影。

 打ち上がった花火の光に、照らされたその影は……一瞬、叶と音央ちゃんに見えた。

 ――まさか、んなわけ……。

 心で否定した瞬間、打ち上がった光に、今度はハッキリと叶の横顔を捕らえた。

「叶……?」

 声にならない呟きが、俺の口から思わずこぼれる。

 香耶と俺が遠く見つめる視線の先。

 叶の胸に顔を埋めている音央ちゃんと、そんな音央ちゃんを抱きしめる叶。寄り添った二つの影が、花火の儚い光に、浮かんでは消えた。

 俺も、そして香耶も、しばらくフリーズしたまま――

「……行こっ」

 言うなり踵を返し、先に歩き出したのは、香耶だった。

 俺は香耶の後を追いかけようとして、もう一度確認する様に振り返る。それはやっぱり、叶と音央ちゃんだった。

 既に歩き出していた背中を小走りに追いかけ、心なしか足早になっている香耶の横に並ぶ。

 全く予想外の出来事に、状況が理解出来ずにいたけれど、俺の中に段々と冷静な心が舞い戻る。

 よくよく考えてみれば……だ。別にそんな驚くほどの事じゃない。それは不自然というより、むしろ自然で。二人の友達として、驚く以上に、嬉しい事でもある。

「まったくあいつ等も水臭ぇよなー。言ってくれたら、いくらでも二人きりにしてやったのにさ。な? 香耶」

 俺と同じ事を思っているだろう香耶へと、ハイテンション気味に同意を求めた、んだけど……俺の目に映った香耶の横顔は、何故かとても険しいものだった。

「香耶、何怒ってんだよ?」

「別に。怒ってなんかないし」

 セリフとは裏腹に、誰が聞いても、棘ありまくりな香耶の物言い。

「嘘つかれた事、怒ってんのか? 音央ちゃんだってさ、悪気はなかったんだと思うぞ?」

「別に……音央の事、怒ってるわけじゃない」

「じゃあ、何をそんなに怒ってんだよ?」

「……ホントに叶は、音央を好きなのかって、思っただけ」

「そりゃそうだろ。じゃなきゃあんな事、叶だってしねぇよ」

「ホント!? ホントに叶は、他に好きな子とかいないの!?」

 香耶は興奮気味に語調を荒げると、何か探る様な眼差しで俺を見た。

 確かに叶はパッと見、女関係が激しそうなタイプに見られがちだけど。俺が知る限り、叶はそんな奴じゃない。実際、叶から恋愛話なんて一度も聞いたことがないし、大学でもバイト先でも、そんな光景を目にした事は一度だってない。

 叶が女の運転する車で大学に来た事があったけど、それは音央ちゃんも知っている話だ。

 叶の女関係を誤解している様な香耶に、俺は宥める口調で言った。

「叶は軽っぽく見えるけど、ホントはそんなに軽い奴じゃねぇよ。香耶だって友達として付き合ってたら、ちょっとくらいわかるだろ?」

「それは、そうだけど……」

「わかった。そんなに心配なら、俺が叶の気持ちをうまく聞き出してやるよ」

 香耶はようやく納得したのか、コクンと小さく頷く。

「きっとそのうち音央ちゃんからも、香耶に話してくるんじゃね?」

 漂った重い空気を払いのける様に言ってみても、相変わらず小さく頷くだけの香耶。

 こんな時の香耶は、そっとしておくに限る。付き合いの長さ故にわかってしまう俺は、それ以上口を開くのをやめた。

「じゃあ、またな」

 香耶の家の前、軽く手をあげた俺に、香耶は小さく手を振ると、家の中に入って行った。

 香耶の背中を見送るでもなく見送って、何気なく見上げた空には、少し欠けた丸い月。

 この時の俺は、まだ何ひとつわかっていなかった。叶の気持ちも、音央ちゃんの気持ちも。香耶がどうして、あんなに怒っていたのかも。そして何より、俺自身の気持ちも……。


 それから五日後の金曜日。

 週一のバイト帰りはいつも家には帰らず、俺は叶のアパートに泊まるようになっていた。

 帰り道にあるコンビニに寄り、夜食の他にビールやつまみも調達して、叶のアパートへと向かう。

 俺はどんな風に叶の気持ちを聞き出そうかと、そればかり考えていた。シャイなところがある叶には、冷やかしやおちょくりはNGだ。かと言って、あまりに堅苦しいのも、余計恥ずかしがりそうな気もする。

 香耶には「聞き出してやる」なんて言ったけど、どうやら俺は、こういう事に不向きらしい。

「なんだよ成斗。今日はやけに大人しいじゃん」

 叶に言われ、俺はその流れで本題を切り出そうとして、思いとどまる。

 先に話の伏線を引く為に、まずは何も知らないふりで、さり気なく訊いてみることにした。

「そう言えばさ。花火大会の時、あれから音央ちゃん大丈夫だったのか?」

「ん? あぁ……あれからすぐちゃんと送ってったし、大丈夫。みんなに悪い事したって、その事ばっか気にしてたけどな」

 そんな叶の返答に、思わず疑問を抱く。

 どうしてこの状況で「すぐ送って行った」なんて、嘘をつかなければいけないのだろう? 二人が付き合っているとして、それを俺や香耶に隠す必要なんて、どこにもないはずなのに……。

 叶のアパートに着いてすぐ、俺はひとり話の切り出し方を考えたくて、先にシャワーを借りる事にした。

 勢いよく蛇口をひねり、それを頭から浴びながら、ガシガシと掻く。俺は小さく溜息をついた後、シャンプーを手に取り、気を取り直す意味合いもかねて、それを勢いよく泡立てた。

 シャワーを浴び終わりリビングに行くと、吸っていた煙草を揉み消して叶が言う。

「俺もシャワー浴びてから飯食うわ。成斗、先に食ってていいぞ」

「ひとりで食うのもなんだし、待ってるよ」

「おぅ。じゃあ、速攻で浴びてくるわ」

 叶が浴室へと消えた事で、俺はまたリビングでひとり、結局まとまらずじまいだった話の切り出し方をもう一度考えてみた。

 ここまできたら、回りくどい言い方は、もうしない方がいい。俺がそんな結論に達したのと同時に、シャワーを浴びた叶がリビングへと戻って来た。

 叶の手には冷蔵庫から取り出してきた缶ビールとお茶があり、そのお茶を俺に渡す。

「待たせてわりぃ。飯、食おうぜ?」

 叶は普段となんら変わりない様子で、缶ビールのプルタブを開けると、グビグビと喉を鳴らした。

「あ~。やっぱ風呂上りのビールは最高だな」

 言いながらテーブルの前に座り、俺の視線に気付いた叶が、「ん?」と俺を見る。

「あのさ……なんでさっき、俺に嘘ついた?」

「嘘?」

 ちょっぴり怪訝な顔つきで、叶は「なんの事だ?」と言わんばかりに俺を見る。

「花火大会の時、すぐ音央ちゃん送って行ったなんて嘘だろ?」

 真顔の俺に叶は苦い顔をして、口を閉ざした。

「あれから、俺と香耶で高台の公園行ったんだ。それで偶然、お前と音央ちゃんが抱き合ってるの見たっつか……随分、水臭ぇじゃん? 別に俺等に隠す事ねぇじゃん?」

 俺は責めてるつもりはないと言う様に、軽めに言って笑う。そんな俺を恨めしそうに見て、叶は大きな溜息を吐いた。

「隠すも何も、俺と生田は、別にそんなんじゃねぇし」

「そんなんじゃなくて、じゃあ、どんなんだよ?」

「お前さ、そんな人の事より、自分の事でも考えろっつの」

「何でそうなるんだよ。今してんのは、俺の話じゃねぇだろ」

「わりぃ。お前と喧嘩とか、したくねぇや」

 お互い軽く喧嘩腰になったところで、すんなりと先に折れた叶が、苦笑いを浮かべ言葉を続けた。

「生田、ちょっと恋愛の事で悩んでて。それで、俺がその相談に乗っててさ、泣き出した生田に、友達として胸をかしたってだけ。それがお前等の見た光景の真相」

「そっか。そうだったんだ……」

「俺が生田に遊びで手を出してるとでも思った?」

 からかいの眼差しと口調で俺を見て、叶が見透かした様な笑いを浮かべる。

「そうは思ってなかったけど、お前がなんで嘘をつくんだろうとは思った」

「俺は別にいいけど。そういうの、生田にしてみたら、あんま知られたくねぇだろ」

 サラッとそんなセリフを言って、煙草に火をつけた叶の横顔に、俺は小さく笑った。

 そうだよな。叶はそういう奴だ。何にも考えていないフリは、まったくのポーズで。四人の中じゃ、実は一番の気配り屋だったりする。

「生田には……」

「何も言わねぇよ。言うわけねぇだろ」

 先読みをした俺に、叶は鼻を鳴らして笑うと、小さく何度か頷いた。

 それから二人で食べ始めた夜食。

「成斗もたまには、飲めばいいじゃん」

 ひとり缶ビールを飲みながら、叶が俺を誘う。

「そだな。たまには飲むか」

 俺の相槌に、叶は嬉しそうな顔をして、冷蔵庫へと缶ビールを取りに行った。

 叶から渡されたキンキンに冷えた缶のプルタブを開けると、

「お疲れ~」

 叶が自分の缶ビールを俺の缶にカツンと当てて笑う。こんな風に男同士、二人で飲むのも悪くない。

 まったりと流れる時間の中、俺と叶は他愛もない話をしながら、缶ビールを飲んでいた。

 あまり飲み慣れない酒を飲んだせいで、少し酔ったのかもしれない。俺は普段なら絶対口にしない様な事を口走っていた。

「なぁ。ずっと変わらないモノってこの世にあると思うか?」

 叶は少し驚いた顔をしながらも、口端をあげて笑いながら俺を見る。

「ある奴には、あるんじゃね? でさ、お前の変わらないでほしいと思ってるモノって何?」

 そう叶に訊かれ、俺の頭の中に浮かんだのは……香耶。

「別に何がってわけじゃなくて。ただ訊いてみただけだよ」

「ふーん……そっか」

 咄嗟に誤魔化した俺を叶がそれ以上深追いする事はなかったけど、沈黙を気まずく感じた俺は、話の矛先を一気に叶へ向けた。

「叶の好きなタイプってどんな女?」

「なんだよ。いきなり」

「そういう話、叶から聞いた事なかったからさ」

「好きになった女がタイプ」

「アバウトすぎて、答えになってねーよ」

「ま、強いて言うなら、年上がいいかな」

「年上かー。でも叶には、年下とか同い年より、年上のが合いそうだな」

「それどんな見解だよ」

 鼻で笑って突っ込む叶に、俺も笑って誤魔化す。

 俺と叶はそれからいつものくだらない話に戻って、時々笑いながら、ビールを飲み干した。

 少しずつズレ始めていた何かに、俺も叶も今はまだ何も気付かずに ――

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