第6限 音央side:ハートの消しゴム

 明日は待ちに待った日曜日。

 自室にある姿見の前で、アタシは何度も服をコーディネートしていた。

 成斗くんのおごりで、香耶も叶くんも一緒に、みんなで焼肉を食べに行く事になっているんだけど、着て行く洋服がなかなか決まらない。

 デートでもないのに、バカみたいって自分でも思うけど、成斗くんと休日に出掛ける事なんて初めてで、それだけであたしは、心が浮足立っていた。そんな心とは裏腹に、いつも成斗くんには、どこか冷たい態度ばかり取ってしまいがちなあたしだったりする。だから明日は少しでも、そんな自分を変えるきっかけになれば……なんて、思ったりしていた。

 洋服選びに二時間半も費やした後、早々と潜り込んだベッドの中。まるで修学旅行を明日に控えた小学生みたいに、ワクワクソワソワ眠れない。

 成斗くんとの会話を頭の中、シュミレーションしてみたり……絶対楽しいはずの明日を想像してみたり……。

 十八歳という年齢にして、あたしは恋愛経験がほとんどなかったりする。

 中学の頃は、恋愛にあんまり興味がなかったし、高校は女子高なのもあって、出会うきっかけが少な目だった。

 高校三年生の時に、友達が紹介の話を持って来て、その時に出会った男の子とほんの何カ月か付き合ったくらい。

 成斗くんがバイトを辞めた事で、告白しないまま終わってしまった恋の代わりにと、なんとなく付き合い始めたんだけれど……。

 結局「好き」って気持ちにはなれなくて、あたしの方から別れてしまった。

 振り返って考えてみると、成斗くんはあたしの初恋だ。

 だからなのかな? 成斗くんに対して「好きだからこそ虐める」みたいな、幼稚的感覚になっちゃうのは……。

 うーん……考えてみても正直、自分でもよくわからない。

 成斗くんを前にすると、何故かツンケンしてしまう。近いところで比べたら、叶くんにはそんなことないのに。

 はたから見たら、あたしが成斗くんを好きなんて、誰ひとり思わないだろうな……。

 下手をすれば、叶くんを好きなんじゃないかと勘違いされる確率100%。

 そうだと頭でわかっていても、心でする恋愛は、どうする事も出来ない。いつだって裏腹な態度を取っては、後悔の繰り返し……。

 そんな事を思いながらいたあたしの小さな溜息は、いつの間にか微かな寝息に変わっていた。


 十八時に待ち合わせた駅の改札口。十分前に着いてしまったあたしは、みんなをひとり待つ事に。

 行く事になっている焼肉店は、あたしの住む街にある。

 あたし以外の三人は電車で来るというので、待ち合わせを駅の改札にした。

 そわそわしながら待っていたあたしの目に、成斗くんの姿が映る。その隣には香耶がいて、二人は何を話しているのか、楽しそうに笑っていた。家が隣同士の幼馴染みなんだから、一緒に来たっておかしくない。そう思う心の反対側、胸がチクンと微かに痛んで、二人に向けて手を振ろうとした右手は、あたしの胸元で止まった。

「あ、音央」

 あたしに気付いた香耶が、手を振りながら駆けて来る。咄嗟に作った笑顔で手を振り返し、アタシは香耶と成斗くんを見た。

「ちぃーっす。音央ちゃん」

 いつもの無邪気な笑顔で「よぉ」と、片手をあげる成斗くん。あたしはそれに小さく笑っただけで、すぐに香耶へと視線を移した。

「雨城は? まだ?」

「うん。まだ来てないよ」

 香耶の問い掛けに応えながら、香耶と一緒に改札の方を見る。

 噂をすればなんとやら。そこに叶くんがやって来て、合流したあたし達は、早速お店に向かった。

 日曜日の夕食時なのもあって、混雑しているお店には、空席待ちの列が出来ている。叶くんの提案で既に席を予約していたあたし達は、個室っぽく仕切られた四人がけの座敷へと案内された。

「ほら、やっぱ予約して、正解だっただろ?」

 席に座りながら、得意気に叶くんが言う。日曜日だから絶対予約した方がいいという叶くんに、他三人は結構安易に考えていて、この店の予約は叶くんが取ってくれていた。

「雨城、いい仕事するじゃん」

「さっすが、叶くん」

 叶くんを持ち上げる香耶とあたし。

「そこらへんのまーったく気の利かない奴とは違うってことで」

「そんな事言ってると、叶、お前だけ自腹にするからな」

 言いながら、隣に座ろうとした成斗くんに、すかさず叶くんが言う。

「なんでこんなとこまで来て、お前が俺の隣に座るんだよ。お前向こう行けよ。って事で、生田、俺の隣な」

 叶くんに手招きされて、あたしもついついそれに乗っかってしまった。

「叶くんの隣はあたしが座るんだから、成斗くん、どいてどいて」

「何も音央ちゃんまで言わなくても……」

 大袈裟にいじけたフリをする成斗くんに、

「はい。ハウス」

 香耶が自分の隣の席をトントンと叩きながら言い、成斗くんは大人しく香耶の隣へ。

「お前は、犬か」

 叶くんの突っ込みに、みんなで笑った。

 あたしは隣に座る叶くんと楽しく喋りながら、テーブルを挟んで座る成斗くんと香耶を視線の端で気にしていた。

「あっ、香耶、それ俺の肉だぞ!」

「食べたもん勝ちぃー」

「俺がずっと丹精込めて育ててたのに。返せこら」

「煩いなー。また丹精込めて最初から育てたらいいじゃん」

「そう言って、また俺の肉を奪うつもりだろ?」

「ばれた!?」

「お前のその薄汚れた心を俺が知らないとでも思ってんのか!? いったいどれだけ一緒に居ると思ってんだよ」

「ちょっと。薄汚れたって、どういう意味!?」

 そんな言い合いをしながらも、最後は二人とも笑っている。本当に成斗くんと香耶は仲がいい。

「ホントに、あいつ等仲いいよな」

 まるであたしの心を読んだみたいに、隣の叶くんがポツリ言う。

「ホント、仲いいよね」

「友達っていうより、キョウダイみたいだよな。幼馴染みって、やっぱそうなるもんなんかな?」

「小さい頃からずっと一緒だと、どうしてもそんな感覚になるんじゃない? 香耶はひとりっ子だって言ってたから、余計かもね」

「へぇ。芹沢ってひとりっ子なんだ。そういう生田は?」

「あたしはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいる」

「なんかそれわかるかも」

 小さく吹き出した叶くんに、あたしは「ん?」と小首を傾げた。

「芹沢と生田って、どっか対照的なとこがあるから。家族構成聞いて納得した」

「ひとりで納得してないで、あたしにも教えてよ」

「芹沢はなんでもすぐ顔に出すし、相手の気持ちとか深く考えないで言いたい事は言う様なところがあるけど、生田は周りを気にしたりして、言いたい事とかあんまり言えないだろ? そんな反面、実はとても甘えただったりしねぇ?」

 あたしの性格をズバリ言い当てた叶くんに、思わず目が点になる。

「すごい……なんでそんな事わかるの?」

「バイトで色んな人と話すうちに、なんとなくわかる様になった。今はちょっと話したりすれば、だいたいわかる」

 そんな話を叶くんとしていたら、香耶に思いっきり腕を引っ張られた。

「音央、ちょっと場所変わって」

って……!?

「そこにいる成斗ポチの面倒みてやって。バトンタッチ」

 香耶があたしの手にタッチして、あたしはそのまま成斗くんの隣に座らせられた。

「ポチ言うな!」

 成斗くんの可愛いとしかいいようのない叫びは、みんなの笑いを誘うだけ。

 香耶も叶くんも受け流す様に笑い終えると、何やら二人で話し始める。成斗くんと二人取り残された様な感覚に、妙な緊張が背中を走った。

「音央ちゃん、食べてる? 俺にしてみれば今日のメインは音央ちゃんなんだから、遠慮しないでどんどん食べな」

 成斗くんはそう言ってくれたけれど、その笑顔があたしの胸をいっぱいにして、余計に食べられないんだってばっ!! なんて事は言えるわけもなく、あたしは成斗くんに手渡されたメニューを開いた。

 焼肉店のメニューと言えば、もちろんメインはお肉なんだけど、あたしの目は最終ページのデザートで止まる。その中でも大好物のアイスに釘付けになっていると、成斗くんもメニューを覗き見て言った。

「音央ちゃん、アイス好きなんだ?」

「デザートの中で一番好き」

「マジで!? 俺も俺も」

 成斗くんがノリノリで、あたしに同意する。

「アイス食おうぜー。音央ちゃん、どれにする?」

 一緒にメニューを見るのに、あたしへと前屈みに近付いた成斗くんの肩が、あたしの腕に触れ……心臓がドキドキと音を立てて鳴り出して、正直、アイスどころじゃない。

「音央ちゃん?」

 無意識にフリーズしていたあたしを、成斗くんが不思議顔で覗き込んだ。

「アイス、チョコとバニラで悩んでた」

 咄嗟の言い訳をすんなり信じて、成斗くんはケラケラ笑う。

「すげぇ眉間にシワ寄せながら悩んでると思ったら、アイスって」

「バニラかチョコか、これは今のあたしにとって究極の選択だよ?」

 半分ホントで半分ウソだったりするあたしの真顔の力説に、成斗くんは何がそんなに可笑しいのか、大笑いしながら言った。

「そんなの簡単。いっこずつ頼んで、半分こしよ」

「そっか。そうしよう」

 成斗くんのナイスアイディアに賛成してすぐ、はたと気付く。成斗くんとアイスを半分こって事は……。

 恋愛初心者マーク同然のあたしは、そんな事を考えるだけで、顔も耳までも赤くなってしまった。

「バニラアイスとチョコアイスひとつずつ」

 やって来たホールスタッフに、アイスを注文した後、赤くなったあたしの顔に気付いた成斗くんが訊く。

「あれ? 音央ちゃん、なんか顔赤くない? 暑い?」

「あ、うん。ちょっと暑い……かな」

 あたしは手に持っていたメニューを団扇代わりに、パタパタと扇いだ。

「音央ちゃん、それってウーロンハイじゃなくてウーロン茶だよね?」

 あたしの前に置かれたグラスを成斗くんが指差す。

「ちょっともらっていい? やっぱ俺、酒苦手」

 チューハイレモンを飲んでいた成斗くんが、あたしの返事も聞かずに、あたしのグラスを手にすると、何の躊躇いもなく口をつけた。

「いいなんて言ってないのに……」

 恥ずかしさマックスで、ついぶすくれてしまう。

「ん?」

 呟きが聞こえなかったのか訊き返した成斗くんに、あたしは「何でもない」と、首を横に振った。

「音央ちゃんは、酒ってあんま飲まないの?」

 運ばれてきたアイスを食べながら、成斗くんがあたしに訊いて、あたしもアイスを食べながら答える。

「あんまりっていうより、ぜんぜん飲めない」

「俺もあんま好きじゃない。それだったら、アイスとかチョコレートパフェとかのが好き」

 それはいかにも成斗くんらしくて、あたしは小さく吹き出して笑った。

「あ~っ何? 何? 二人して、アイスなんか食べちゃって、じゅるーいっ!!」

 呂律のまわっていない香耶の声に驚いて、あたしも成斗くんも香耶を見る。いつの間にそんなに酔ったのか、目をトロンとさせた香耶と、その横には困り顔の叶くんが、あたしと成斗くんを見て、お手上げのポーズをした。


 酔っ払った香耶を真ん中にして、あたしと成斗くんとで支えながら歩く帰り道。叶くんはこの後予定があるとかで、一足先に帰って行った。

「お水……飲みたい」

 香耶の言葉に、成斗くんがあたしに訊く。

「この辺どっか座れるとこない?」

「あ、この先ちょっと行ったら、小さい公園ある」

「音央ちゃん、まだ時間大丈夫?」

「うん。大丈夫。帰るにしても、香耶をもうちょっと休ませた方がいいよね」

 あたしと成斗くんは、そのまま公園へと歩いて、香耶をベンチに座らせた。

「香耶、大丈夫?」

 あたしの問い掛けに、ゆっくりコクンと香耶が頷く。

「音央ちゃん、香耶とちょっとここにいて。俺、コンビニでミネラルウォーター買って来る」

 あたしは駆けて行く成斗くんの背中を見送りながら、ベンチに凭れかかる香耶の隣に座った。

「成斗……は?」

 まだ酔いが醒めない口調で、香耶があたしに訊く。

「ミネラルウォーター買って来るって。すぐ戻って来るよ」

「そっか……」

 弱々しい相槌を打ちながら、香耶はあたしの肩に頭を預けると、そっと目を閉じる。

 あたしは少しでも寝かせた方がいいのかもしれないと、凭れかかった香耶をそのままにした。

「成……斗」

 香耶の口から成斗くんの名前が、まるで寝言みたいにこぼれて。香耶の顔をゆっくりと覗きみたあたしは、小さく目を見開いた。

 香耶が……泣いてる!?

 閉じたままの瞳からこぼれた小さな滴は、香耶の頬に薄く細い線を静かに描いていた。

 この時あたしは、香耶の本当の気持ちをハッキリと知ってしまった。そう、もしかしたら……と思う事は、正直何度もあったけれど。ただの幼馴染みを強調する香耶に、あたしも自分に都合よく、そう思い込もうとしていた。

 だけど今、香耶の呟きが、香耶の涙が、その先の言葉なんてなくても、成斗くんを好きだという気持ちを証明している。香耶も成斗くんを……好き……だったんだね。

 湿り気を纏った春の夜風が、あたしの髪や頬を撫でながら、通り過ぎていく。

 忘れよう……ううん、忘れなきゃ……。

 そもそも、成斗くんと香耶の間に、あたしが入り込む隙間なんてなくて。成斗くんを好きになったのだって、きっとあたしより香耶の方が先。出会いに順番なんてないって言う人もいるけど、やっぱり先に出会っている人には敵わないって思う。だから……諦めなければいけないのは、あたしなんだ。

 きっと成斗くんも、香耶の事を好きに決まってる。そんな二人の為にも、あたしの気持ちは、心から消さなくちゃいけない。

 あたしは、香耶の呟きも、涙も、胸の内にそっとしまう事に決めた。それはきっと、誰にも知られたくない、香耶の本当の気持ちだと思うから……。

 香耶が正気で話してくれた事ならともかく、酔っ払って意識も曖昧で、香耶自身も覚えてはいないはずだから……。

 まだ戻らない成斗くんを待ちながら思う。気持ちを一瞬にして掻き消す事の出来る心の消しゴムがあったらいいのにって……。

 そしたら、あっと言う間に忘れて、心から二人を祝福できるはず。

 気を紛らわす様に見上げた夜空に星はなく、あたしは今にもこぼれそうな涙を、上を向く事で必死にこらえていた。

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