第5限 香耶side: 見えないキモチ

 雨の日曜日。

 これといってやることもなく、自室でネットサーフィンをしていたアタシは、あまりの激しい雨音に、窓の外を覗いた。雨が叩く窓ガラスの向こうには、十七時という時間にしては薄暗い空とカーテンが閉まったままの成斗の部屋。

 毎週土日にダンススタジオに通っている成斗は、すでに出掛けてしまったのか、どうやら部屋にはいないらしい。

 こんな雨の中、スタジオに向かう成斗を想像して、「風邪でも引かなければいいけど……」なんて、ちょっと心配したりして。

 溜息をこぼしそうになるのを誤魔化す様に、アタシは大きく伸びをすると、カーテンを閉め、部屋の明かりをつけた。

 アタシの溜息が、最近増えた理由。

そう……「余計なお世話男」こと雨城叶が、何故かアタシの気持ちに感付いてる風で、何かにつけひっかかる物言いをする。しかも成斗が大学で一番仲がいいのが、その雨城叶。金曜の夜は雨城と一緒にバイトもしてるし、そのバイトの後は、ひとり暮らしをしている雨城のところに泊まったり、とにかく成斗は雨城と一緒にいる事が多い。

 雨城が何か成斗に余計な事を言ったりするんじゃないかと、気が気じゃないアタシがいた。

 口止めをしたくても、それが出来なくて、考えれば考える程溜息が出る。雨城の前で白を切り通しているアタシが口止めなんてしたら、それこそ「成斗を好きだ」と、言っている様なものだ。

 数日前も『恋愛相談に乗る』なんて言われて、『口は堅い』なんて言ってたけど、自分でそんな事を言う奴ほど、逆に信用なんて出来ない。

 バレるのが怖くて、ずっと誰にも言えずにいる恋は、時が経てば経つほど、どこか息苦しくて、誰かに話す事が出来るなら、少しは楽になるのかもしれないと、自分でも度々思う。

 雨城の事はよく知らないながら、悪い奴とは思わないけど、安易に相談なんてして、それが成斗の耳にでも入ったら……と思うと、やっぱり怖い気持ちが先に立った。

 好きな人に自分の気持ちを他人に伝えられる程、嫌なものはない。それならいっそ、知られずに終わる方がマシだ。もちろん一番いいのは、自分から気持ちをちゃんと伝える事だけれど……それが出来るくらいなら、とっくにしてる。

 成斗に告白するチャンスなんて、正直いくらでもあった。だけどそれをしなかったのは、成斗との関係を「変えたい」のに、どこか「変えたくない」と思う自分もいて、そんな矛盾に自分自身、どうしていいのかわからなかったから……。

 「成斗を好き」という気持ちの先に、アタシ自身が何を求めているのか、これだけの時が流れても、正直よくわからずにいた。成斗を強く求めなくても、いつだって成斗は、アタシの傍にいたから……。

 一緒にいる事が当たり前すぎて、感覚が麻痺してしまったアタシの恋心は、いつまで経っても最初の一歩を踏み出す勇気を持てそうになかった。


「香耶ぁ~」

 学食へと向かっていたアタシを呼び止める声に足を止めて振り返ると、駆けて来た音央がアタシの隣に並んだ。

「香耶、今度の日曜日、暇?」

 音央からこんな風に誘われるのは初めてで、アタシは笑顔で訊き返す。

「どっか付き合ってほしいとこでもあるの?」

「成斗くんが焼肉おごってくれるって言うから、香耶も一緒に行こうよ」

「成斗が焼肉おごるって?」

「成斗くんとちょとした賭けしてて、あたしが勝ったんだぁ。負けた方は勝った方の言う事なんでも聞くって事だったから『あたしと香耶に焼肉おごって』って言ったの」

「行く行く。で? どんな賭けしてたの?」

「俺に彼女がいるか? いないか?」

 音央が答える前に、いつの間に後ろにいたのか、雨城の声がして、アタシも音央も振り返った。

 見れば雨城に、ヘッドロックなんか掛けられてる成斗が、足をバタつかせながら、ギブアップを叫んでいる。

「じゃあ、俺にも焼肉な」

「なんで俺が三人分も焼肉おごんなきゃなんねぇんだよぉ」

「くだらない賭けに俺を利用した罰」

 そんな雨城と成斗のやり取りに、アタシと音央は目配せをして笑った。

「ところで、音央はどっちに賭けたわけ?」

 小声で訊いたアタシに、「」と音央が口パクで応え、「ふ~ん」と含み笑いをして頷いたアタシの後頭部に、雨城の突っ込みが入る。

「痛っ」

「聞こえてるっつの」

 言いながら雨城は、アタシ達を追い越し、先にひとり歩き出す。

「叶、待てって。まだ話終わってねーぞ」

 成斗がそんな雨城を追いかけ、その後にアタシと音央も続いた。

 四人で昼食を取りながら、話はすっかり焼肉の話題に。

「わかったよ。おごりゃ~いいんだろ。おごりゃ~」

 笑顔でみんなが盛り上がる中、奢らされるハメになった成斗だけが、ひとり泣きそうな顔をしていた。

 四限の講義が成斗と同じだったアタシは、帰宅するのにそのままの流れで、久しぶりに成斗と二人、正門へと向かう。

 成斗が自転車置き場に止めてあるクロスバイクを取りに行ったのを待って、戻ってきた成斗と一緒にまた歩き出した。

「なんか、こんな風に香耶と帰るの久しぶりだな」

「だね。学校帰りなのに制服も着てないし、なんか変な感じ」

 大学に通い始めてもうすぐ一ヶ月になるというのに、高校生気分がまだどこか抜けないアタシは、見飽きるくらい見ていた成斗のブレザー姿さえ、なんだか懐かしく思う。

「そうだ。香耶、お前と時々同じ講義選択してる高桑たかくわってやつ知ってるか?」

「高桑? 知らない」

 即答したアタシを成斗が呆れた様に笑った。

「香耶ってさ、ホント昔から、人の顔とか名前とか覚えないよな」

「顔と名前なんて、仲いい子だけ覚えてたら、それでいいもん」

「今はいいけどさ。会社入った時とか困るぞ?」

「そうなった時は、そうなった時で、ちゃんと覚えるから大丈夫」

 お気楽全開返したアタシに、これ以上何を言っても無駄と悟った成斗は「へいへい」なんて、軽く流す様な相槌で返す。

「それで? その高桑が何?」

 話を戻したアタシに、「あぁ」と成斗が思い出した様に言った。

「今度、俺と香耶と三人で昼飯でも食おうってさ」

「なんで?」

 アタシは思いっきり面倒くさいと言わんばかりに、顰めた顔を成斗に向ける。

「『なんで?』って……。香耶と話がしたいんだってさ」

「そういうの安請け合いして、勝手に決めないでよ。アタシ、嫌だからね」

「香耶ならそう言うと思ったけど、俺があからさまに断れないだろ」

 眉根を寄せて口を尖らす成斗に、

「アイツはそういうの嫌がるとか言って、適当に断ってくれたらいいじゃん」

 アタシも負けじと口を尖らせた。

「そんな事、俺が即答したら、間違いなく変な誤解されるぞ?」

「変な誤解って、何?」

「俺が香耶の事好きとかって思われるかもしんねぇだろ?」

 核心に触れられた気がして、アタシの心臓がトクンと鳴る。

「いいじゃん。そう思われたなら、そう思わせておけば」

「いいわけねぇだろ。そんな噂でも広まったら、お互い困んだろ」

 何気ない成斗のそんな言葉と笑顔は、アタシの心のど真ん中をグッサリと突き刺した。

 ふ~ん……そうなんだ。アタシと噂になったら、成斗は困るんだ……。

 思わず心の声があふれそうになって、アタシは唇を強く結ぶ。

 「アタシは別に、困ったりしないけどね」なんて言ったら……成斗はどう思うんだろう。

 いくら鈍感な成斗でも、アタシの気持ちに、少しくらい気付くかな……?

「すっごくすっごく困る。だから、そういう誤解させない程度に、上手に断ってよね」

 アタシは駅が見えたのをいい事に、そう成斗に告げると、「じゃあね」も言わないまま、駅へと向かって駆け出した。

 ――成斗のバカ!! バカ!! バカ!! バカッ!!

 心の中で成斗をなじりながら、無性に悲しくなる。きっともっと大バカなのは、素直になれないアタシだ……。

『女は素直な方が、かわいいぞ?』

 乗り込んだ電車に揺られ、流れて行く景色を見るでもなく見ながら、思い出したのは雨城の言葉。

 ――そんなの、言われなくたってわかってる……わかってるけど……わかってるのに……素直になれない。だから余計に、もどかしくて、悔しくて、情けなくて、苦しい。

 ひとりじゃどうにも抱えきれない自分への思いに、押し潰されそうになる。

 ぐちゃぐちゃに入り乱れた気持ちすべて、誰かに打ち明ける事が出来たなら……。

 アタシは思い立った様に途中下車をして、自分の家とは反対方向の電車に飛び乗った。

 気付けばアタシは、雨城がバイトをしているカフェバーの前に来ていた。

 時間は十八時前。まだ明るい夕空の下、店の看板どころか、店内も真っ暗。

 開店時間も考えずここに来てしまった事で、ふと我に返る。

 ――何やってんだろ……アタシ。

 自分の頭の中でそう呟いた瞬間、背中越しに声がした。

「何やってんだ? 芹沢」

 急いで振り返る、と……両手いっぱいにスーパーの袋を持った雨城が、不思議顔でアタシを見ていた。

 「たまたま通りかかった」なんて言い訳は、不自然すぎて、余計に恥ずかしい。

「開店待ち?」

 わざと疑問形で言い、小さくおどけてみせた。

「ここはパチンコ屋じゃねっつの」

 雨城もノリよく突っ込んで、鼻を鳴らして笑う。

 雨城はジーンズのポケットから鍵を出し、手慣れた様子で店を開けると、アタシを小さく振り返って言った。

「入れよ」

「開店前だけどいいの?」

「開店前だからいいんだよ。俺になんか話したくて来たんだろ?」

 相変わらず何もかも見透かした様な眼差しを向け、口端を下げて笑う。

 店の中へ入っていく雨城の後ろ姿を追って、アタシはゆっくりと店内に入った。

 カウンターの上に買い物袋を置き、雨城が入れたスイッチに、ダウンライトが点灯して、暗闇だった店内を照らす。

「ちょっと色々やる事あるから、テキトーに座ってて」

 アタシは小さく頷きながら一番端のカウンター席に腰かけると、物珍しさに店内を見渡した。ウッド調で統一された内装は、シンプルでありながら、温かさを感じさせる雰囲気で。そう広くはない店内に、カウンターが六席と、テーブル移動で大きさを変えられるよう配置された四つのボックス席。カウンターの奥にあるガラス張りのシックで大きなサイドボードには、沢山のボトルやグラスが綺麗に並べられている。

 その前に立つ成斗の姿を想像して、辿りついた思考の先に、無意識にも小さな溜息をこぼした。

「取り敢えずこれでも飲んで、悪りぃけど、ちょっと待ってて」

 アタシの前にウーロン茶の入ったグラスを置き、雨城は仕切りで見えない様にされた厨房の方で、買い出ししてきたものの片付けなんかをしている。

 忙しそうな雨城に、アタシだけひとり座っているのは悪い気がして、手伝える事なんてそうそうないと思いながらも訊いてみた。

「アタシもなんか手伝える事ある?」

 社交辞令で訊いたつもりだったのに……。

 雨城に満面の笑みで箒とちりとりを渡され、店内の掃き掃除を頼まれた。ま、いいんだけど、ね……。

 掃除を終えて再び座ったカウンター越しには、白のワイシャツと黒のスラックスに着替えた雨城が立っていた。

「サンキュー」

「どういたしまして」

 軽々しいお礼に、わざと恩着せがましく返して。アタシは置かれていたウーロン茶を飲みながら、忙しそうに開店準備をしている雨城を見た。

「いっつもこんなに早くから、店に来てんの?」

「いや。今日は買い出し頼まれてたから。普段はもっと遅い」

「ふ~ん……。その格好でいっつもバイトしてんだ?」

 見慣れないワイシャツ姿に、深い意味もなく訊いたアタシへと、雨城が悪戯な含み笑いを向ける。

「成斗の仕事ぶりでも、今度見にくれば?」

 雨城の口から出た名前に、アタシはもう動揺を隠しきれなかった。

「お願いだから成斗の前で、そういう事言うのだけは、止めてよね」

「俺が一度でも、成斗の前で、なんか言った事あるかよ?」

「それは……ないけど。これからもってこと」

「やけに今日は素直じゃん? 俺の前で成斗への気持ち、スンナリ認めたりしてさ。成斗となんかあった?」

 冷やかすでもからかうでもなく、雨城は薄く笑いながらアタシを見た。

「別に何にもない。ただ誰にも言わないで、ひとりで色々考えたり、モヤモヤしたりするのに耐えられなくなっただけ……」

「誰かに話すだけで、楽になるって事あるからな。前にも言ったけどさ、恋愛相談ならいくらでも聞くよ。恋のアシストまでは出来ねぇけど」

 そんな雨城の言葉に、パンパンに張り詰めていたアタシの心が、少しずつ緩む。自分の心に積もりに積もったものを言葉にしようと、口を開きかけた時だった。

 突然開いた店のドア。

「叶ちゃん」

 親しそうに雨城の名前を呼ぶ声に、アタシは思わず振り返る。そこに立っていたのは、見るからに年上の綺麗な女の人。

「あ……ごめん。もうお客さん居たんだ?」

 申し訳なさそうに言った後、小さく会釈され、アタシも同じ様に返した。

「あ、違う。コイツは客じゃない。俺の大学の友達」

 少し慌てた様子で、雨城が言う。

 微妙に顔つきが変わった雨城を察知して、アタシは席を立った。

「じゃあ、アタシもう行くね」

「お、おぅ。悪りぃな……。またいつでも聞くからさ」

「うん。ありがと」

 引き止めるでもなく見送る雨城に、それが錯覚じゃなかった事を確信する。

 ドアの前に立っていた女の人に、アタシはもう一度小さく会釈をすると店を出た。

 二、三歩歩いて、何気なく店を振り返る。

 親しそうに呼ぶ女の人といい、見た事もない雨城の焦った顔といい、二人の間に「何か」があると直感した。「彼女はいない」とか言ってたくせに、ちゃっかりそれらしい人いるんじゃん。

 今までは雨城にアタシが弱みを握られていただけだったけど、アタシも雨城の弱みを握った気がして、ちょっと嬉しくなった。

 雨城がどんな恋をしているのかなんて知らないアタシは、今までの仕返しに、ちょっぴりからかってみようなんて思ったりもしながら。

 いつの間にかすっかり暗くなった空の下、家路に向かう駅へと足早に歩いた。

ラッシュを過ぎた電車の空席に座り、気付けば成斗の事を考えているアタシがいた。

 ――今頃はいつもの場所で、ダンスの練習でもしてるのかな……?

 家から自転車で十分弱の野外公園にはステージがあって、そこが成斗の練習場。成斗が家にいない時は、ほとんどの確率で、そこに行けば会える。

 自宅の最寄り駅に降り立ったアタシは、野外公園に向き掛けたその足を止めた。

『そんな噂でも広まったら、お互い困んだろ』

 成斗の言葉が、アタシの耳に心に、何度もリフレインする。

 踵を返して歩き出し、見上げた夜空には、明るく輝くひとつの星があった。アタシはその遠い遠い光に、成斗の存在を重ねた。

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