第3限 成斗side:封印された恋心
将来ダンサーになることが、俺の密かで大きな夢だったりする。
四つ年上の兄貴の影響で、ガキの頃からなんとなく始めたダンス。
今年大学を卒業した兄貴は、もうとっくにダンスなんて辞めていて、大手企業にこの春就職した。
兄貴と違って俺は、年を重ねれば重ねるほど、ダンスに魅了されて、大学に通いながら週三回、今でもダンススタジオに通っている。スタジオに行かない日は、野外公園に設置されたステージで、ひとり練習をする日々。
一日でも休んだら、なんだか体がなまりそうで、練習を欠かしたことはほとんどない。なんとなく始めたダンスは、十五年以上の時を経て、俺にとっては日々欠かせないものになってしまっていた。
そんな俺は、幼馴染みの香耶に、「ダンスバカ」なんて呼ばれてたり……まぁ、三度の飯以上に、とにかくダンスが好きってこと。
大学の帰り道、クロスバイクを引きずる俺の横を歩くのは、大学で友達になった叶。講義室の席がたまたま隣になった事がきっかけで話すようになった。
大学には来てみたものの、真面目で堅実な将来なんて、俺にはまったく興味がない。ただダンスを続ける為の交換条件に、大学へ行く事を親父に約束させられたってだけ。
叶の大学受験の理由も、そんな俺とさほど変わりがなく、大学に行けば親がひとり暮らしを許してくれるって事だったらしい。
叶はひとり暮らしがしたい為に、大学に来たんだと言い、同じ匂いを感じ合った俺達は、大学に通い始めて一週間も経たないうちに、めちゃくちゃ仲よくなった。
俺が毎日ダンスをかかさないのと同じく、叶はバイトを欠かさない。
「なんの為に叶は、そんな毎日バイトしてんだ?」
電車通学の叶と駅までの道のりを歩きながら、俺は何気なく訊いてみた。
「なんの為って……そりゃ金の為だろ」
叶は「わかりきったことを訊くなよ」と言わんばかりに、小さく鼻をならして笑いながら言う。
「そりゃそうだけど。金貯めてなんかやりたい事でもあんのかってこと」
訊いた俺に、叶は意味深に笑うと、
「女と駆け落ち?」
まるっきりふざけた口調で言った。
「そんな風に思う彼女いたんだ?」
わざとそれに乗っかった俺に、叶がケラケラと笑う。
「ばーか。んなの、いねぇーよ」
「知っててわざと言ったんだよ」
正直、叶が女と駆け落ちするとか、まったく想像がつかない。
俺が見る限り、叶は女の子なら、誰でも気安く友達みたいに相手する。可愛いとか可愛くないとか、誰が特別とか、そんなのはない。
俺にも少なからず、そういうところがある。別に意識して、博愛主義ってわけじゃ、まったくもってないけど。
恋とか愛とか、そっちに神経を集中させる事はあまりしない俺と、叶は同じタイプの人間に思えた。
「言っとくけど、俺は成斗みたいに、ずっと彼女がいないとか、女に興味がないとか、そういうんじゃないけどな」
まるで俺の心を見透かしたように、叶がわざと意地悪く笑う。
「俺だって別に、女に興味がないわけじゃねぇよ」
「おっと意外な発言。じゃあ、なんで成斗は、今まで彼女作んなかったんだ?」
叶に訊かれて、俺は高校の頃の出来事を思い出した。
それは同じ高校で幼馴染みの香耶にも知られていない、俺の中の淡い恋の記憶。
あれは……高校二年の時だった――
俺はクラスメートの女子を好きになり、言葉にはしなかったけど、お互いなんとなく両想いじゃないかって、そんな気がしていて……。
そんなある日、クラスで仲のいい男女数人とテーマパークに出掛ける事になり、そこには俺が好きになった女子もいた。でも、その日はちょうど、俺のダンスレッスンの日で……。俺としても最後までみんなと居たかったけど、俺はダンスレッスンに行く為に、ひとり先に帰ってしまった。
それからも何度かその仲間達で、放課後どこかに遊びに行ったり、出掛けたりしたんだけど、いつも俺はダンスを優先して、途中で帰ってばかりだった。
そんなある日、俺が好きだった女子の態度が一変した。
泣きそうな顔をしたその子に、言われた一言がこれ。
『成斗くんて、ダンスの事しか頭にないんだね…』 ――
それ以来俺は、恋愛感情を封印した。なんて言い方をしたら、随分かっこよく聞こえるけど、本音の本音は、恋愛をする事が面倒になってしまった。
ダンスと恋愛の両立は、不器用な俺には出来そうにもないし、きっと俺は恋愛とダンスなら、ダンスを優先する。そうなれば必然的に、俺は彼女になった子に、寂しい思いをさせてしまうわけで……きっとうまくなんて、いくはずがない。そんな想いがいつの間にか強く根付いて、俺はわざと自分を恋愛から遠ざけていた。
友達でいれば、楽しいだけですむし、俺は心置きなく大好きなダンスに時間を気にせず費やせる。
そんな俺の話を叶に聞かせた。
「なるほどね……」
最後にそんな相槌を打って、「お前らしいな」と言う様に、叶が小さく笑う。
「ところでさ。成斗、バイトする気ねぇ?」
何を思ったのか、突然叶が訊いた。
「バイトってなんの?」
「俺のバイト先。もうひとりのバイトが急に辞めちゃってさ。金曜と土曜の週二日だけでいいんだけど。店長に誰かいないかって言われてて…。週二が無理なら金曜だけでもいいんだけど」
「週一、二回のバイトは、俺も大学入ったらやろうとは思ってたけど、叶のバイト先って……俺、バーテンとか無理だって」
「カウンター越しにお客さんの相手してくれたらいいだけだから。さっきの話聞いて、成斗ならって思った」
不思議顔をした俺に、叶が続ける。
「俺が働いてる店は、女のお客さんが多いんだけど、お客さんとの恋愛禁止なんだよ。それでも結果、お客さんとデキちゃって、バイト辞めてく奴ばっか。その点、成斗は心配なさそうだし、誰でも気軽に話出来るじゃん?」
「だけど俺、酒の事とかよくわかんねぇし……」
「シェイカーは俺が振るから、簡単なもんだけ覚えてくれたらそれでいいからさ。頼む。このとーりっ!!」
拝む様に手を合わせて、叶に頼み込まれ……。
結局俺は、そのバイトの件を承諾してしまった。
一度は承諾したものの、家に帰ってもう一度考え、やっぱり叶に断りを入れようかと思っていた矢先、叶からの電話で店長との面接もなしに、バイト決定。
トントン拍子に進み過ぎる話をよくよく聞いてみると、叶が働く店の店長というのが、叶の親父さんの親友らしく、なんでも叶は高三の時から、そこでバイトをしていたらしい。
叶の友達でもあり、更に叶のお墨付きをもらっている俺は、店長が面接するまでもないとのことで即決したんだとか。
俺が断るタイミングを失ってしまったところに、叶がバイトに関わる世間話を始めてしまった。
叶の持っていた名刺は、店長了解のもとで、叶が自分で作ったものらしく、知り合いに宣伝用として渡しているだけで、バーテンダーと書いてはあるけど、あくまでもそこは自称だとか。バーテンダーの資格っていうのは三段階あるらしく、第一段階でも二十歳以上で実務経験が一年以上ないと取れないとか。
そんな叶の話を聞きながら、俺はまた思い直していた。
週一でバイトなんて、なかなか見つからないだろうし、ダンスの負担になる様な重労働でもなさそうだし。
面倒くさがりな叶が、こんな手早く動いてくれたことでもあるし、やるだけやってみるか……。
「なんも知らないだらけで、迷惑かかると思うけど、やってみるよ」
『俺がビシビシ教えてやるから、心配すんな』
俺の言葉に、叶は嬉しそうに笑いながら言い、『じゃあな』とその電話を切った。
終話をタップし、やけに嬉しそうだった叶を思い出して小さく笑む。
変わらないと思っていた日常が少しずつ変わろうとしているのを、この時の俺はまだ、何も気付けずにいた。
俺はふと思い立って、自室のカーテンを開けた。隣の家の二階、明かりのついたひとつの部屋が見える。手を伸ばせば届く様な距離にある幼馴染みの香耶の部屋。
俺の部屋には子供の頃から壊れた一本の釣り竿があって、それは香耶を呼び出す昔ながらのアイテムだったりする。
俺はその釣り竿で、香耶の部屋のガラス窓を叩くと、ほどなくしてカーテンと窓が開き、香耶が顔を覗かせた。
俺と香耶は電話やLINEではほとんど話さず、何かあればお互いここで話している。それは別にどちらが言い出したわけでもない、子供の頃からの癖? みたいなもん。
「叶のバイト先で、俺も週一でバイトする事になった」
「はぁ? 成斗にバーテンなんか出来んの!?」
馬鹿にして笑う香耶に、悔し紛れで大見栄をきる。
「どんだけ馬鹿にしてんだよ。俺だってな、やりゃあ何でも出来るんだよ」
「で?バイトすんの何曜日?」
「金曜日」
「じゃあ音央でも誘って、『やればできる』ってとこ見に行ったげる」
「冷やかしならお断り」
「人がせっかく行ってあげるって言ってんのに何それ」
「別に頼んでねーよ」
からかって笑った俺に、
「頼まれてねーよ」
わけのわからん返しをして、香耶が頬をふくらます。
「って、その返しはおかしいだろ」
笑い出した俺に、香耶も笑った。
「香耶はバイトとかしねぇの?」
「んー……まだわかんない。受験勉強終わったばっかだし、ちょっと遊んでたいかも」
「遊んでる暇があったら、恋愛でもしろ」
「成斗だけには言われたくない」
ほんの冗談で言ったのに、香耶は得意の「イーッ」って顔を俺にして、そのまま窓とカーテンが閉められた。
――なんだ?
思いながら小首を傾げると、俺も窓とカーテンを閉めた。
大学に向かってクロスバイクを走らせていると、見知った後ろ姿を見つけた。
「音央ちゃん、おはよ」
ひとり歩いていた音央ちゃんの横で、俺はクロスバイクを降りると、並んで歩き出した。
「っ……おはよう」
一瞬、驚き顔をしながらも、音央ちゃんらしい淡々とした挨拶。
音央ちゃんとは高校の頃、バイト先が同じで、その頃からの知り合いではあるんだけど。音央ちゃんはその当時から、どことなくクールな対応が多くて、俺に会話を振る事もあまりしない。
そんな音央ちゃんの横を歩きながら、何気なく会話を探していた時だった。
大学に向かう坂の上の途中、止まっていた一台の車の助手席から降りたのは……叶。
叶が軽く手をあげてそのドアを閉めると、車はそのまま走って行ってしまった。
叶は立ち止まったままその車を見送り、後ろを歩いていた俺達にも気付かず、大学へと入って行った。
「運転席、女だった?」
「よくわかんないけど……多分」
冷やかし全開の俺の問い掛けにも、相変わらず冷静沈着な音央ちゃん。これが香耶なら、大いに乗ってくるか、バッサリ斬るかのどっちかだ。
俺はなんだか、そんな音央ちゃんの対応がおかしくて、小さく吹き出す。突然吹き出した俺へと、音央ちゃんが思いっきり不思議顔を向けた。
「音央ちゃんのそういうとこ、いいよ」
言って笑い出した俺に、音央ちゃんは恥ずかしそうに眉根を寄せる。
「そういうとこ……って?」
「なんか、普通の女の子っぽくないっていうか……なんかうまく言えないけど」
俺は心底褒め言葉で言ったつもりだったのに、不機嫌顔で音央ちゃんが言った。
「あたしって、そんなに普通じゃない?」
「えっ!? 俺、褒めたつもりなんだけど…」
言いながら、思わずこぼれる苦笑い。
「褒めてる様に、ぜんぜん聞こえなかった」
俯きがちに口を尖らせて、小声で言う音央ちゃんは、なんか可愛いくてますますからかいたくなったけど、それは止めにして、話を叶のことに戻した。
「それにしても叶の奴、彼女いないとか言ってたのに」
「叶くんなら、彼女じゃない女の子が、何人もいそうな感じだけど? そういうの器用そうだし」
「器用そうで、案外、不器用だったりするんだけどな」
自分に似ていると思う叶の事を、自分と重ね合わせて言った俺に、
「もしかして、それ自分に言ってる?」
呆れた様な笑いを浮かべた音央ちゃんが、すかさず突っ込む。
「だって俺と叶って似てるじゃん?」
「ぜんぜんとは言わないけど、似てないよ」
「そうかぁ? 自分では結構似てると思うんだけど、音央ちゃん的にはどのへんが違うと思うわけ?」
「だって叶くん、カッコイイもん」
って……音央ちゃん、冗談かどうかもわからない真顔で、そりゃないっしょ。
取り敢えず冗談と受け止めて、「ふふ~ん」と笑った俺に、音央ちゃんは「ん?」と、真顔のまま小首を傾げる。
――って!!冗談じゃないってか!?
同じバイト先だった頃にも、こんな事があった様な……。
「こうなったら、叶を問い詰めてやるっ!!」
なんとなく残る虚しい気持ちを消し去る様に、思いっきり叶に話題を戻して、俺は拳を突き上げた。
「音央ちゃん、賭けしよーぜ? 叶に彼女がいるかいないか」
「何を賭けるの?」
「負けた方が勝った方の言う事なんでも聞くってのどお?」
「いいけど。あたしはいない方に賭けるよ?」
「じゃあ、俺はいる方で」
そんな俺達の冗談めいた賭けごとになった叶の真相が、俺達四人の関係に、これから深く関わる事になるなんて、きっと誰ひとり、思いもしなかった。
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