第2限 音央side:裏腹なときめき
あたしは講義室の様子を伺いながら入り、一番後ろの空いていた席に座った。
昼食後の講義を前に、手で口を隠しながら、小さな欠伸をするあたしは
この大学には、この春入学したばかり。音楽大学への受験を諦めて、なんとなく受験して、なんとなく受かった大学。
高校が音楽科だった事もあり、仲のいい子達はみんな音大へ。
どうして音大受験を諦めたかは、早く言ってしまえば、才能がないから。趣味としてなら通用しても、プロになる様な腕はない。それに向かって努力する事で、大好きなピアノが嫌いになりそうで、あたしはそこから逃げ出してしまった。
何がしたいとか、何になりたいかもわからないまま、宙ぶらりんのあたし……。
なんとなくスッキリしない気分をどうにかしたくて、昨日行ったのは行き付けの美容室。背中まで伸びたストレートロングの髪を、あたしはバッサリと切った……というより、切り過ぎた。
「鎖骨くらいまで」って言ったのに、何故か顎のラインくらいで切り揃えられていて。あまりのショックに、怒るに怒れず、行き付けだという事もあって、あたしはそのまま美容室を後にした。
切り過ぎた髪を気にする様に触りながら、思わずこぼれる小さな溜息。
始まった新生活に、これといった楽しいことも見つけられないところにきて、髪は切り過ぎるし、テンションは上がるどころか下がる一方。
そしてまたあたしが小さな溜息をこぼした時だった。
「あれ!? 音央ちゃん!?」
突然、横からした聞き覚えのある声に、視線を向ける。
「うわっ。めっちゃ久しぶり!! 音央ちゃんもこの大学だったんだ!?」
あたしの目に映ったのは……とても懐かしい顔。
それは、あたしが高二の時にバイトしていたファミレスで、一緒にバイトしていた小日向成斗くんだった。
あまりにも突然な出来事に、あたしの心臓が跳ね上がる。
何を隠そう、成斗くんは、あたしがその当時好きだった男の子で……。
一年くらい一緒にバイトをしていたんだけど、告白する事も、そんな機会もないまま、結局成斗くんは先にバイトを辞めてしまってそれっきり……。
「ホント久しぶり。成斗くんもこの大学だったんだ?」
あたしは思いっきり冷静を装って、成斗くんに小さく笑ってみせた。本当はとんでもなくドキドキしてるし、飛び跳ねたくなるくらい嬉しいのに、成斗くんを前にすると、どうも素直になれない。昔なんて素直になれないのを通り越して、冷たくしてしまう事さえあった。
「取り敢えず、隣座っていい?」
成斗くんは昔と変わらない無邪気な笑顔で、あたしの隣の空いてる席に座る。
「訊いてる前から座ってるし」
あーっもう。どうして「いいよ」とか、もっと可愛げのある言葉が言えないんだろう。心の中じゃ「大歓迎」なんて、めっちゃWelcomeなあたしがいるのに。
「音央ちゃんのクールな突っ込みは、相変わらず健在だね」
まったく気にしてないと言った風に、ケラケラと笑う成斗くんも、あたしにしてみれば相変わらずで。気持ちが一瞬にして、あの頃へとタイムスリップする。
「あれからどれくらい経つんだっけ?」
指折り数え始める成斗くんに、あたしはサラリと言った。
「ちょうど一年。高3になる春休みで、成斗くんがバイト辞めたから」
「あっ、そうだった。音央ちゃんよく覚えてんね?」
「成斗くんが辞めたおかげで、厨房の手伝いまで、ホールのあたしがさせられたからね」
「もしかして俺、ずっと音央ちゃんに、それで恨まれてたわけ?」
「『恨まれてた』って過去形じゃなくて『恨んでる』って現在進行形」
少し意地悪く笑って言って、ホント、どこまでも可愛くないあたし……。
「なんだよ成斗、俺より先に来て、さっそくナンパか?」
そこに成斗くんの友達らしき男の子がやって来て、成斗くんの隣に座ると、成斗くんとあたしを交互に見て、からかうように笑った。
「俺が高校の時、バイト先が同じだった生田音央ちゃん。で、こっちが大学来て友達になった雨城叶」
成斗くんは間に入り、あたしと叶くんをそれぞれに紹介する。
「ども」
叶くんが口端をあげながら小さく会釈して、あたしも同じ様に返したところに先生が入って来て、あたし達三人は、取り敢えず前に向き直った。
講義中ノートを取りながら、何気なく視線を横に向ける、と……頬杖をつきながら、ペン回しなんかしている叶くんと、眠っている成斗くんがいた。
初めて見る成斗くんの寝顔に、ちょっとドキドキしたりして……。
正直、あたしも講義どころじゃなかった。
楽しい事なんてなんにもないって思ってたけど、成斗くんとまた再会出来た事で、この大学生活も捨てたもんじゃないかもなんて、あたしって単純。
そういえば高校のバイトの時も、同じ様な事を思ってたっけ……。成斗くんは厨房で、あたしはホールだから、話す機会なんて滅多にないのに、成斗くんがいるって思うだけで、バイトに行くのが楽しかったあの頃――
そんな淡い思い出に浸っていたら、いつの間にか講義は終わっていた。
講義が終わるや否や、数人の女の子が成斗くんと叶くんのところに駆け寄って来て、何やら騒がしく楽しそうに話している。
なんだか居心地の悪さを感じて、ノートや筆記用具を早々に片付け、席を立ったあたしに成斗くんが訊いた。
「あれ? 音央ちゃん、もう帰るの?」
「今日はもう受ける講義ないから」
素っ気なく言って、あたしは足早に講義室を出た。大学の正門へ向かって、ひとりタラタラと歩きながら思う。爽やか少年系の成斗くんと、いまどきカコカワ系の叶くん。まさに女の子達が、放っておく様なタイプの二人じゃないよね……。
翌日、昼休みの学食。食券の券売機の前は、ちょっとした行列が出来ていて、ちょっぴりウンザリしながら、最後尾に並んだ。
あたしの前には、綺麗な巻き髪をした女の子が並んでいて、その後ろ姿に背中まであった自分の髪を思い出し、切るんじゃなかったなんて、思わず後悔。
「あれ……? あれ!?」
突然、あたしの前の女の子が、自分の鞄を覗き込んで、小さく騒ぎ出す。あたしが見たところによると、どうやら財布が見当たらないらしい。
困った様子の女の子に、あたしは思いきって声をかけてみた。
「あの……財布失くしたんですか?」
あたしの声に、女の子はちょっぴり驚き顔で振り返り、小さく苦笑いする。
「失くしたっていうか……朝、急いでたから、家に忘れてきたみたいで……」
「よかったら、貸しますよ? 千円で大丈夫ですか?」
あたしが財布から千円札を出して差し出すと、「え?でも……」と、遠慮がちに女の子が言った。
「これからまだ講義あるんですよね?だったら、お昼ちゃんと食べないと」
「じゃあ、遠慮なくお借りします。ありがとうございます」
女の子はあたしから千円を受け取ると、
「アタシ、一年の芹沢香耶って言います」
律儀に学年と名前を言い、ペコリとお辞儀をした。
アタシは同い年な事に、思わず驚く。女の子は可愛いと言うより綺麗系で大人びていたから、あたしより年上かと勝手に思っていた。
「同い年だったんだ? 年上かと思ってた」
「もしかしたら同い年かなって思ったけど、敬語だったから、アタシも思わず慣れない敬語つかっちゃった」
急に親近感がわいて敬語をやめたあたしに、芹沢さんも一気にラフな喋り方になって、お互い顔を見合わせると笑った。
「誰かとお昼食べる約束してる?」
芹沢さんの問い掛けに、あたしは首を横に振る。
「よかったら、一緒にお昼食べない?」
芹沢さんの思わぬ誘いに、あたしは笑って頷いた。
「あ、お金明日、ちゃんと返すからね。えっと……まだ名前聞いてなかったよね?」
「あたしは生田音央。音央でいいよ」
「アタシも香耶でいいから」
そんなちょっとした事がきっかけで、あたしは香耶と一緒にお昼ご飯を食べる事になった。
空いていたテーブルに香耶と並んで座り、お昼ご飯を食べながら、お互いのちょっとした事を話した。何を専攻しているとか、家はどことか、高校はどこだったとか。
香耶の出身校が東高だと聞いて、心臓がトクンと鳴った。成斗くんと同じ東高……。
――香耶は成斗くんを知ってたりするのかな?
訊きたいけど、なんとなく訊けなくて、ちょっと呆けてしまった。
「どうかした?」
「え? あ、ううん。なんでもない」
あたしは咄嗟に笑って誤魔化すと、わざと話を逸らした。
「あたし大学で友達とかまだいなかったから、香耶とこんな風に話せてよかった」
「アタシも。音央が声かけてくれたおかげで、餓死しなくて済んだし。そうだ。携番とLINE交換しよ?」
見た目よりぜんぜん気さくな香耶が、スマホ片手にはしゃぐ。
あたし達はすっかり意気投合して、このお昼の間にあっと言う間に仲良くなった。
その日の夜、香耶からLINEが届いた。
それは明日のお昼も一緒に食べようという誘いで、あたしはOKスタンプで返信した。
大学に入って初めて出来た女友達に、ちょっぴり心が浮足立つ。
本来のあたしは大人しいタイプではないけど、基本的に人見知りだったりする。だけど香耶とは、何故か凄く仲よくなれそうな予感がした。
翌日、二限の講義が終わり、速攻で学食に向かったのにもかかわらず、もう香耶は待っていた。
「香耶、早いね?」
「今日アタシ、三限だけだから。あ、昨日は本当にありがとうございました」
言って香耶は深々とお辞儀をすると、あたしに千円札を渡して笑う。
「別に、三限しかない今日じゃなくてもよかったのに」
「ううん。アタシが音央と一緒に昼ご飯食べたかったから。それより何食べる?」
そんな会話をしている時だった。
「あれ? 香耶と音央ちゃん」
その声に思わず、あたしの心臓がビクンと飛び跳ねる。
「えっ? 成斗、音央のこと知ってるの?」
あたし達の前に現れた成斗くんに、香耶がとても驚いた様子で訊いた。
「高校の時、俺がファミレスの厨房でバイトしてたことあっただろ?その時、ホールでバイトしてたのが音央ちゃん」
「そうなんだ。音央が成斗と知り合いだったなんてビックリ!」
成斗くんの説明を聞いて、あたしに向き直った香耶が、驚きながらも嬉しそうに笑う。なのに、あたしはといえば、必死に笑顔を作る事で精一杯だった。
成斗くんは香耶の事を名前で呼び捨てしてるし、それは香耶も同じで……二人の間には、なんとも言えない親しい空気が漂っている。
――もしかして、香耶は成斗くんの彼女?
そう訊こうとして、開きかけた唇は、
「あー腹減った。取り敢えず飯食いながら話そうぜ?」
成斗くんの言葉にタイミングをなくして、そのまま閉じられた。
空いていたテーブルに三人で座る。あたしの隣には香耶、その香耶の前に成斗くん。
「ところで、香耶と音央ちゃんは何つながり?」
「千円つながり。ね? 音央」
成斗くんの問い掛けに、香耶が答えて、あたしに話を振る。
「は? なんだそれ?」
成斗くんは突っ込みながら、あたしへと無邪気な笑顔を向けた。
「学食の券売機の前で、財布忘れて困ってた香耶に、千円を貸したのがきっかけ。ね?」
あたしは成斗くんの顔を見ずに、香耶の方を見て話を振り返した。
「そうそう。音央がいなかったら、餓死するとこだったんだから」
「まったく……相変わらず、とんでもねぇドジだな」
「煩いなー。成斗だけには言われなくないっ」
そんな他愛ない会話さえ、成斗くんと香耶の関係が普通の友達以上だと、あたしに思わせる。
「おっと。なんかおもしろい組み合わせのメンツ発見」
不意に現れた叶くんが、空いていた成斗くんの隣に座った。
「小日向成斗。恋人と愛人のトライアングル?」
ゴシップ記事みたいな事まで付け足してケラケラ笑う叶くんに、成斗くんが「アホか!」と、笑いながら突っ込みを入れる。
「ちなみにどっちが恋人で、どっちが愛人?」
あたしは返ってくる答えが分かりながらも、叶くんに冗談ぽく訊いてみた。
「
あたしが思っていたのと真逆な答えを返されて、ちょっと面食らう。
「どうせ愛人するなら、もっと危険な匂いのするカッコイイ人がいいし」
冗談なのか、本音なのか分からない口調で、ふくれっ面をする香耶に、
「その言い方。まるで俺がぜんぜんイケてねぇーみてーじゃん」
成斗くんも口を尖らせて、思いっきり抗議した。
「え? 自分でイケてると思ってたの? 自意識過剰。音央だって、こんな奴の恋人なんかヤダって!」
「そんな事ねぇ~よな? 音央ちゃん」
「ヤダ!!」
あまりの恥ずかしさに言ったあたしの一言は、香耶と叶くんを大爆笑させ、成斗くんを撃沈させた。
「だとよ。やっぱ現実は、幼馴染みと友達のトライアングルってやつだな」
叶くんが大袈裟に項垂れてる成斗くんの肩を叩いて、また笑い出す。
「香耶と成斗くんて幼馴染みなの?」
あたしは今度こそ思いきって、香耶に訊いてみた。
「幼馴染みっていうか……腐れ縁? 家がただ隣同士ってだけ」
「いいなぁー。幼馴染みっていないから、なんか憧れる」
「幼馴染みとかって、漫画とかテレビだけの話かと思ってたけど、実際あるもんなんだな」
あたしに続いて、叶くんも共感した様に言う。
「そんないいもんでもないけどね……」
香耶のセリフに、
「こっちのセリフだっつーの」
成斗くんが、力いっぱい同意した。
それから四人でお昼を一緒に食べながら、くだらなくて他愛ない話をたくさんした。
あたしはそれがとても楽しくて、気付いたら大きな声をあげて笑ってた。
あんなにつまんないって思ってた大学生活が、成斗くんと再会して、香耶や叶くんと知り合った事で、こんなに楽しい気持ちになるなんて……。
無邪気に笑う成斗くんの顔を見て、昔以上に胸がときめく。
それがこの先、切なさに変わることなんて、思いもしないで。
成斗くんと叶くんと香耶とあたし。あたし達を待つ未来が大きく波打つ事をこの時、誰が予測できただろう……?
そんな事も知らずに、あたしは……あたし達は、ふざけ合い、笑い合っていた。
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