第1限 香耶side:一番近くて遠いモノ

 時計を気にしながら支度をすませ、自室を出ると階段を駆け下りた。そのまま玄関に行き、靴を履いていたアタシの背後に、やって来たのはお母さん。

香耶かや、朝ご飯食べずに行くの?」

「いらない。時間ない。行ってきます」

 お母さんを振り返りもせず言い、「行ってらっしゃい」の声を背中で聞いて、玄関を出た。

 朝の眩しい光に、一瞬目を細め、両手を上にあげて、思いっきり伸びををして。

「よし」

 気合いを入れる意味で、そんな独り言を呟くと、少し足早に歩き出す。

 通りがかりにある公園の桜は、満開を通り過ぎ、そよ風にハラハラと舞っていた。


 この春、めでたく大学生になったアタシは、芹沢香耶せりざわかや

 先月まで着ていた高校の制服を着なくなっただけで、すごく大人になった様な気がするのはアタシだけ?まだ誕生日が来ないから、十八っていう年齢も変わらないのに、なんか変な感じ……。そんなセンチメンタルな事をらしくもなく、しみじみ考えていた時だった。

 バチンッ ―― 。

 アタシの後頭部に、誰かの平手突っ込みが大ヒット。あまりの不意打ちに声も出ず、叩かれた頭を押さえながら、思いっきり不機嫌顔を勢いよく向けた。

 アタシを追い越し、大袈裟にブレーキをかけて止まったクロスバイクに、乗っていたのは成斗せいと

「おは!」

 悪びれもなくニカニカ笑って「よぉ」と、片手をあげる。

 アタシはムッとした顔のまま歩き出し、

「痛いっつーのっ!!」

 成斗の後頭部に、思いっきり倍返しをお見舞いした。

「ィデッ。俺そんなに強く叩いてねぇーぞ!?」

 ほっぺたを膨らませ口を尖らせる成斗に、アタシは「イーッ」ってして、そのまま歩き出す。

「香耶、んな怒るなって。ほんの軽いおふざけじゃん?」

 アタシの歩くペースに合わせて、クロスバイクに乗ったまま、成斗が横に並んだ。

「まったく……。小学生からやる事なーんも変わってないんだから」

 成斗をわざとチラ見して、アタシは呆れた様に目を逸らす。

「どうせなら『いつまでも純粋な少年の心を持ってる』って言ってくれよ」

「もう一発殴らせてくれたら、言ってやってもいいけど?」

「それだけは遠慮ってことで。じゃあ、お先」

 成斗はクロスバイクでウイリーなんかしてみせる一芸を披露した後、そのまま走り去って行った。

 成斗の背中が見えなくなるまで見送ってから、アタシは自然と綻んだ顔で小さく吹き出す。同じ大学生になっても、成斗は子供の頃と、ホント何も変わらない。

 成斗こと小日向成斗こひなたせいとは、アタシの隣の家に住む幼馴染み。物心つかないうちから、ずっと一緒。高校も、そして大学も一緒。一緒にいる事が、常に当たり前の様な程の腐れ縁。成斗と話さない日なんて、一年三百六十五日、一日だってありはしない。

 だからこれからの四年間も、今までとなんら変わらない日々が、ずっと続くんだろうって思ってた。


 大学までは自宅最寄り駅から五駅という距離。運動バカの成斗は、その距離をクロスバイクで通っている。

 成斗の運動神経の良さは、昔っから半端ない。足は速いし、球技はなんでもこいだし、泳ぐのも滑るのも。成斗に出来ないスポーツなんてあるのかって感じ。

 その中でも、成斗が一番好きで得意なのは、ACROBATICなダンス。

昔からやってて、今もずっと続けてる。「運動バカ」と言うより、「ダンスバカ」のが正しいかも。だってホントに、成斗の頭の中は、ダンスの事しかないんだもん。一にダンス、二にダンス、三、四もダンス、五にダンス……。

 本当は大学じゃなくて、ダンスの専門学校に行きたかったみたいなんだけど、『ダンスだけやって将来どうするつもりだ!?』って、お父さんに相当きつく言われたらしい。

 進路の事で親と散々喧嘩する度、アタシの部屋が成斗の避難場所になってた。

 結果「大学に行きながら、ダンスも続ける」って話で折り合いがついて、現在に至るってわけ。

 今頃あのダンスバカは、必死にクロスバイクを走らせてるんだろうなぁ…なんて。電車に乗り、流れる景色を見ながら、なんとなく思う。そしてアタシは、知らず知らず、小さな溜息をいていた。


 下車駅の名前を告げた車内のアナウンスで、ふと我に返り、慌てて降りる。駅はビジネス街に近いこともあって、学生の他にサラリーマンやOLで、ごった返していた。

 高校が自転車通学だったせいか、どうもこの窒息しそうな朝のラッシュは苦手。

 取り敢えず人の流れに乗り、駅の外に出たところで、アタシの目に入った自販機。ペットボトルのお茶でも買おうと、その自販機に歩み寄る。

「芹沢さんだよね?」

 いきなり後ろから声をかけられ、足を止めて振り返ると、いかにもチャライ感じの見知らぬ男の子が、馴れ馴れしい笑顔で近づいて来た。

東高ひがしこうだった芹沢香耶ちゃんでしょ?」

 “さん”付けだったのが、いきなり“ちゃん”付けに変わる。やっぱりコイツ、馴れ馴れしい――ってか、アンタ誰!?

 そんな心の声を怪訝な目で訴える様に、その男の子を見た。

「俺、去年の東高の学園祭行ったんだけど、香耶ちゃんバンド組んでボーカルしてたでしょ?その時からファンでさー。よかったら携番とかLINEとか交換しない?」

 「しねーよ!!」と滅多切りしたくなる気持ちは抑えに抑えて、

「彼氏が煩いんで」

 アタシは取り繕う笑顔もなく、サラッと言ってのけた。あまりに素っ気ないアタシの物言いと態度に、

「そ、そっかぁ……」

 男の子は笑いをひきつらせながら、行ってしまった。

「一件落着」なんて思いながら、気を取り直して、自販機の前に立つ。

「随分、バッサリいくね?」

 突然した声に驚いて、コイン投入口に入れようとしていた五十円玉が、アタシの手元から滑り落ち、アスファルトに転がる。と……。

 自販機の脇にしゃがみ込み、缶コーヒーを飲んでいた男の子の足元で止まった。男の子はそれを拾うと、立ち上がることもせず、そのままアタシへと腕を上向きに伸ばし、それを不愛想に「どうも」と受け取りながら、小さく会釈したアタシに言う。

「見てる分には気持ちいいけど、自分がされたらかなりへこむな」

「余計なお世話」と言わんばかりの眼差しをアタシが向けると。

「怖っ」

 おちょくる様に言い、あからさまに視線を逸らしたは、まるで何もなかった様な涼しい顔で缶コーヒーを飲む。

「思わせぶりにヘラヘラする方が、どうかと思うけど?」

 自販機の購入ボタンを押しながら、アタシは独り言みたいに言って、ペットボトルを取り出すと、学校に向かって足早に歩き出した。


 今日は朝から、なんかツイテナイ気がする。チャラ男には言い寄られるし、余計なお世話男は出没するし……。

 ――それもこれも、成斗が朝っぱらから、不意打ちでアタシの頭なんか叩くから、そこでアタシの運気が落っこちたんじゃないのっ!?

 なんて、こじつけもいいところで、心の中、思わず成斗に八つ当たり。

 ――こうなったら、お昼は成斗に、学食で何かおごってもらおっと。

 そんな突拍子もない企みを考えつつ、さっきまでのなんとなく浮かない気持ちを切り替える。

 成斗はもう学校に着いたのかな? なんて事も思いながら、アタシは大学の正門を抜け、校舎へと向かった。


 その日の昼休み。学食にやって来たアタシは、2限の講義が別だった成斗の姿を探す。そこに成斗の姿はなく、アタシはすぐに諦めて、ひとり昼食を乗せたトレイを持ち、空いてる席に座った。

 大学に通い始めて今日で三日目。

 高校みたいにクラスがあるわけじゃないし、座席も決まっているわけじゃないから、友達なんてすぐ出来そうで、案外出来にくかったりもする。

 同じ高校で仲の良かった女の子は、短大や専門学校に行っちゃったから、アタシがこの大学で仲がいいのは成斗だけ。

 鞄に入れていたファッション雑誌を取り出し、それを見ながら昼食を取っていると、

「香耶見っけ」

 成斗がアタシの前の空いてる席に、トレイを置いて座った。

「遅かったじゃん」

「講義終わってから、ちょっと友達と話してたからさ」

「もう友達とか出来たんだ?」

「まーな。ほら、誰かさんと違って、愛想いいから。俺」

 成斗は、人見知りという言葉とは昔から無縁で。いつでもどこでも、すぐ仲よくなる。

「何それ。まるでアタシが、いつも無愛想みたいじゃん」

「無愛想ってか、香耶は黙ってるとちょっと、とっつきにくい風に思われがちなとこあるからさ。いっつも誰かれかまわずニヘラ~って顔してたらいいんじゃん?」

「それじゃ単なるバカでしょ……あっ。それより、今日アンタがアタシの頭なんか朝から叩くから、その後、ロクな事なかったんだからね!!」

 アタシが思い出した様に、朝の出来事を愚痴り始めようとした時だった。

「成斗、隣いい?」

 アタシの斜め前の席に、トレイを置きながら、男の子が訊く。

「おう。ぜんぜんいーよ。な? 香耶」

 成斗に言われて、「うん」と頷きながら、男の子の顔を見た。

「あ……」

「今朝はどーも」

一瞬フリーズしたアタシに、男の子はサラッと言って、意味深っぽく笑う。

 なんとその男の子は、自販機の脇に座り込んで、缶コーヒーを飲んでいたあの「余計なお世話男」で……。

「なんだよ? お前等知り合いだったのか?」

 成斗がアタシと男の子の顔を交互に見ながら、嬉しそうに訊いた。

「駅前の自販機の前で、アタシが落とした五十円玉拾ってもらった」

 ブスくれた顔のままアタシが言うと、

「朝からドジ丸出しだな」

 経緯を知らない成斗が大笑いする。

「もしかして、今朝言ってた『煩い彼氏』って、成斗のこと?」

 冷やかしの眼差しで男の子がアタシに訊き、アタシは飲んでいたお茶を吹き出しそうになって咽た。

「は? 彼氏?」

 なんの話かわからないと言った顔で、成斗が首を傾げる。

「二人は付き合ってるんじゃねぇの?」

「俺と香耶は単なる幼馴染み。なんでそんな話になるんだよ?」

 アタシが咽ている間に、二人で進む会話。

「彼氏が煩い」って言ったのは、断る為のアタシの口実。本当のところ、アタシには煩い彼氏どころか、彼氏さえいない。

「あ、なんだ。嘘?」

 小馬鹿にした様に男の子が可笑しそうに言って、アタシを見るから、

「断るのに、あれが一番楽なのっ!!」

 恥ずかしさをひた隠しにして、ムキになって抗議した。

「香耶、また誰かに言い寄られたのかよ?相変わらずモテモテだな」

 アタシと男の子の会話の流れから察知したのか、成斗が感心した様なからかい言葉で笑う。

「へぇ~。そんなにモテるんだ?」

「そうなんだよ。なんでか知らないけど、香耶の奴、けっこう昔からモテるんだよなー。なのに彼氏っていたことないんだよな」

 男の子の問い掛けに、成斗が答え、

「今、不意に思ったんだけど…お前さ、なんで彼氏つくんねぇーの?」

 今更のタイミングで成斗がアタシに訊く。

まったく……誰のせいだと思ってんのっ!? なんて、まさか言えるはずもない。

「アタシが彼氏作らないとか、成斗には関係ないでしょ!!」

「なんだよ。幼馴染みとして、心配して訊いてんのに」

「余計なお世話っ。人の事心配してる場合!? 自分だって彼女いたことないじゃん」

「俺はダンスで忙しいから。恋愛なんかしてる暇ないんだよ」

「あー出た出た。ダンスバカ」

「ダンスバカってなんだよ!?」

 そんなところに、着信を告げる成斗のスマホ。成斗はその電話に出ながら、テラスの方へ行ってしまった。

 必然的にテーブルに残された、アタシと男の子。なんとなく……いや、思いっきり気まずいんですけど……。

「ねぇ、その鞄についてるストラップのイニシャル、なんで?」

 椅子の上に置いていたアタシの鞄を指差しながら、男の子が訊く。

「芹沢だから」

 動揺する気持ちを悟られないよう、何てことなく言ってみせた。

「へぇ。そういうのって普通は、名前の方のイニシャルにしない?例えば成斗のとか?」

 何もかも見透かした様な目で見て、男の子が含み笑いをする。

 咄嗟に何も答えられずにいると、男の子は財布の中から名刺を一枚取り出し、アタシの前に手を滑らせる様に置いた。

「俺、ここでバイトしてるから、よかったら来なよ。なんなら恋愛相談にも乗るよ? じゃあ、俺先に行くから、成斗にそう言っといて」

男の子はそう言うと、トレイを片付けて学食を出て行った。

 目の前に置かれた名刺を手に取って見る。

名刺に書かれた名前は、雨城叶あまききょう。「カフェバー南十字星」という店の名前と、雨城 叶の名前の前には「バーテンダー」の文字。

「あ、香耶も叶から名刺貰ったんだ?」

 いつの間にか戻って来た成斗が、アタシの手にあった名刺を覗き見て言う。

「なんか、食べるものとかも結構美味いって言ってたし、近いうちに行ってみようと思ってたんだよな。って、あれ?叶は?」

「先に行くって」

「そっか。香耶、三限は?」

「アタシは四限まで講義ない」

「マジ!? いいなー。俺は三限もあるから、そろそろ行くわ」

 アタシはそんな成斗に軽く手をあげて応え、学食を出て行く成斗の背中を見送った。

 成斗も雨城もいなくなったテーブルで、アタシは鞄に付けているイニシャルストラップを見た。

『例えば成斗のとか?』

 雨城の言葉がリフレインする。

 まさに、図星だった。アタシが彼氏を作らなかったのは、ずっと好きな人がいたから……。それを恋だと知ったのは、いつのことだっただろう。

 アタシは幼馴染みの成斗に、いつしかそれ以上の気持ちを抱いていた。だけどあまりに近すぎて、告白なんて出来なかった。

 告白する事で幼馴染みという関係さえ壊れてしまったら……と思うと、告白なんてとても出来なくて。

 誰に言う事も出来ず、ずっと抱えている恋心に、アタシはまた知らず知らず、小さな溜息をこぼしていた。

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