第30話 旅立ち

 あたしが遺跡からペンタム・シティに来て、数ヶ月が経過した。

 ……そう、「戻った」ではない。あくまで一時的に来ているだけである。

 もうすっかり本来の魔道院院長としての職務に慣れてしまい、このまま流されてしまいそうなので、あたしはたまに自分にそう言い聞かせている。

「……以上です。よろしいでしょうか?」

 セシルによる朝の定期報告が終わり、あたしはうなずいた。

「では、この書類にサインをお願いします」

 いつも通り、あたしはセシルの差し出した書類にサインした。

「ありがとうございます。では、私はこれで……」

「ちょっと待った」

 あたしは退室しようとするセシルを呼び止めた。

「どうなさいました?」

 こちらを振り返ったセシルに、あたしはため息をついた。

「……なんでこの服なの?」

 あたしはそう言ってため息をついた。

 今日は休暇ではないので、魔道院の制服とも言えるローブではあるのだが……。

 どこでこんなの見つけたのか、ヒョウ柄なのである。

「えっ、お似合いですよ。ワイルドでよろしいかと思ったのですが……」

 ……ワイルドか。これ?

 こんな調子でこの数ヶ月、あたしはセシルの着せ替え人形になっていた。

「まあ、いいわ。何かあったらすぐ連絡してね」

「はい、失礼します」

 一礼をしてセシルは部屋から出ていった。

 なんていうか、服のセンスはなんとも微妙ではあるが、セシルは事務方の魔道師としてはかなり優秀である。とにかく仕事が早く、気が利くのだ。

「さてと、これ片付けなきゃね」

 そうつぶやき、あたしは執務机の上に山積みになった『未決』書類の山にかかった。

 この単調作業がなんとも苦手なのであるが、文句を言っても始まらない。

 あたしは次々と書類に目を通し、『承認』『保留』『却下』の箱に投げ込んでいく。

「あーこんなことやってる場合じゃないんだけどなぁ……」

 書類を片付けつつ、あたしは誰ともなく呟いた。

 ほころび始めた『ジュル・エハラスト』の調査をしないといけないのだが、エリナもすっかり魔道院院長になってしまったあたしには、なかなか手を出せないようである。

 季節は冬を通り越して春。

 うららかな日差しが窓から入ってくる。

「うー外に出たい」

 一度外の世界を知った猫は、二度と室内飼いには戻れない。

 今のあたしは、まさにその状態だった。

 マリアが帰ってきたら、この役を押しつけてやろう。

 コンコンと部屋のドアがノックされた。

「どうぞ」

 書類の山から目を離し、あたしは入り口を見た。

「やっほー、元気。って、なにその格好!!」

 顔を見せたのはエリナだった。

 あたしの姿を見て、エリナが大笑いした。

「いつものセシル・セレクトよ……」

 いい加減慣れろと思いつつ、あたしはエリナにそう言った。

「あはは、全く面白い子よね。そのセンスはなかなか身につかないわよ」

「はいはい……で、またいつもみたいに笑いに来たの?」

 これも毎朝の日課だが、エリナはいつも通りあたしの服装を見て笑いにくる。

 セシルはまだまじめにやっているから文句は言えないのだが、エリナは完全にお遊び。 よくもまあ飽きないものである。

「いや、そうじゃないわよ。ちょっと時間とれる?」

 エリナは顔を真面目なものに戻し、そう言った。

「大丈夫よ。ちょうど書類作業で嫌気が差していたのよ」

 そう言ってあたしは席を立った。

「あれ、お出かけですか?」

 部屋を出たとたん、張り番をしていたらしいセシルが声をかけてきた。

「ちょっとエリナと込み入った話があってね」

 あたしがそう言うと、彼女は頷いた。

「分かりました。私も護衛として同行してよろしいですか?」

 エリナを見ると軽く肩をすくめた。

「大丈夫よ。一緒に来て」

 エリナの様子を肯定と取ったあたしは、セシルにそう言った。

「じゃあ行くわよ」

 エリナはそう言って、魔道院の正面玄関に向かった。

 そのまま外に出て、近くにあった喫茶店に入った。

 コーヒーの香りがなんとも言えず心地いい。

「セシルは分からないだろうけど、黙って聞いていてね」

 エリナがそう言うと、セシルはうなずいた。

「分かりました」

 そう言って、彼女はノートを取り出して記録体勢に入った。

 こういう辺り、さすが有能な事務方である。

「マール、例の『ジェル・エハラスト』覚えてる?」

 店員さんにコーヒーを3つ頼んでから、エリナがそう言ってきた。

「もちろん、覚えているわよ」

 覚えているもなにも、この数ヶ月ずっとそのことを考えていたのである。

「結論から言うと『他のジェル・エハラスト』はもうダメね。ほとんど機能してない。特にプレセア大陸は深刻よ。遺跡自体が完全に制御を失っていて、魔法生物が地上にあふれ出てる」

 ……ん?ちょっと待った

「何ヶ月も前になるけどプレセアから使者が来て、魔法生物討伐隊を送ったわよ。セシル、その後連絡はあった?」

 あたしが振ると彼女は首を横に振った。

「あれからなんの連絡もありません。そろそろ到着してもいい頃なのですが……」

「恐らくだけど、討伐隊は壊滅ね。いくら腕っこきでも、あの数で押されたら勝ち目はないわ」

 セシルに続いて、エリナがそう言った。

「……調べていたみたいね」

 あたしがそう言うと、エリナはうなずいた。

「もちろん。動けるのはあたしだけだったから、それなりに頑張ったわよ」

 そう言って、エリナは苦笑した。

「急ぐ必要があるわね。セシル、すぐに出立の準備を」

「あのどちらに向かわれるのですか?」

 セシルに問われ、あたしはさも当然というように返した。

「もちろん、プレセア王国よ。すぐに準備して!!」

「分かりました。早速準備します」

 頭の回転が早いセシルは、余計な事は聞かない。

 ただならぬ状況と察したらしく、なにも言わずにただそう返した。

「エリナも準備を」

「もう出来てるわよ。いつでもいけるわ」

 やはり、あたしは魔道院院長の椅子より現場の方が性に合う。

 かくて、あたしは再び魔道院の外へと出ることになった。


 隣の大陸へ向かうには、東の端にあるポート・リホトリルから連絡船に乗るしかない。

 急作りで作った荷物を抱え、あたしとエリナはもちろん、どうしても行くと言って聞かなかったセシルも一緒に大陸「横断」鉄道に乗っていた。

「さすがに早いですね」

 と、初めて列車に乗るというセシルが、心なしか楽しげに言う。

 ペンタム・シティーからポート・リホトリルまで、仮に十六頭立ての高速馬車を使っても数ヶ月かかるが列車なら数日の距離である。

「問題はポート・リホトリルからの連絡船よ。国がメチャメチャだから、ちゃんと運航しているかどうか……」

 ふかふかの椅子にどっかり座りながら、エリナがそう言った。

「そんなに酷いの?」

 あたしがそう言うと、エリナはうなずいた。

「ちょっと調べたけど、すでに国としての体裁をなしていないわ。恐らく、過去最悪の魔法生物事件ね」

 うーん、そこまで……。

「大丈夫です。院長は私が守ります」

 と、セシルがなんとも力強い事を言ってくれるが……彼女の実力はまだ謎のままである。

「ありがとう。でも、自分の身を守ることを優先すること」

 そう言って、あたしは車窓に視線を向けた。

 ポート・リホトリルまではあと三日。

 全てはそこからである。

「それにしても、またあの『遺跡』みたいに延々と歩かされるのかしら?」

 ちょっとげんなりしつつ、あたしはつぶやいた。

「遺跡ですか?」

 セシルがそう聞いてきた。

「まあ、細かい話は省くけど……」

 そう前置きして、あたしはセシルに先だっての遺跡探査の話をした。

「そうなんですか。困りました、私は遺跡探索の経験がありません」

 困ったようにセシルがそう言うと、エリナが手をぱたぱたと振った。

「その点は大丈夫。カリムからこれ預かっているから……」

 そう言って虚空に『穴』を開け、エリナが取り出したのは握り拳大の小さなオーブだった。

「これさえあれば、最深部まで一気に『転送』出来るから、あんな苦労しなくて済むわよ」

「へぇ、それは助かるわね」

 遺跡探査の風情は味わえないが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 時間最優先だったからこそ、こうしてまた鉄道を使っているのである。

「ただし、楽観視はしないでね。『遺跡』からあふれ出た魔法生物の数は半端じゃないから、たどり着くまでが大変よ」

 口調を改め、エリナがそう言った。

「分かってる。二百人の討伐隊ですら手こずるくらいだしね」

 あたしが送り出した討伐隊は、戦闘経験豊富な連中ばかりである。

 それでも一報をよこす余裕すらないほど苦戦しているとなれば、これはきを引き締めて掛からないと命を落としかねない。

「まあ、実際に行ってみないとわからないけどね。……あー、眠くなっちゃった、お休み」

 エリナは目を閉じた。

 ……そう、行ってみるしかない。

 あたしも目を閉じ列車の揺れに任せるうちに、いつの間にか寝てしまったのだった。

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