第27話 ジュル・エハラスト(後)

 遺跡調査における基本原則。

「分からない場所は、自分の足で確かめろ」

 つまり、四の五の言わずにひたすら歩き回り、己の愛と勇気と根性と忍耐と体力と(以下、二十三項目省略)に全てを委ねて活路を開くべし!!


 なんというか、この上なく投げやりな行動原則である。

 とまあ、そんなわけで、あたしとエリナはひたすらあちこち歩き回っていた。

「……でね。まあ、あたしもさすがにムカついたから『ウザい。この原始耳長族が!!』なんてうっかり口を滑らせちゃってさ。ホント、危うく人間対エルフの異種族大戦に発展するところだったわ」

「あ、あはは、そりゃそうだわ。って、もしかして、今エルフと人間が不仲なのは、もしかしてそれが原因じゃあ……」

「まさか。そこは、誠意にアリスの強力な資金力をプラスして、ちゃんと円満に収めたわよ」

「う~ん。特に『資金力』って辺りが、なんだか政治よね」

 ……ハッキリ言断言しよう。あたしたちは、緊張感の欠片もない完璧な世間話モードである。

 そりゃもちろん、あたしたちだって真面目にやっていたのだが、どれだけ歩いてもあるのは床と闇だけ。こうなると、遅かれ早かれ緊張感や集中力が尽きてしまうのが人間の悲しい性である。

 ちなみに、先に「限界点」に到達したのはエリナの方だったようで、彼女が世間話をふっかけて来た事をきっかけに、あたしも見事に「上がり」となってしまったわけである。

 まあ、要はもし何かあっても、あたしは悪くないと言いたいわけだ。以上。

「なんだかんだ言っても、やっぱ世の中最後はゼニが物を言うのよ。ゼニが。あんたも、せっかく『魔道院院長の野良上級魔道士』なんていう、得体の知れない強力すぎる武器があるんだから、無節操に借金ばかり作っていないで、今のうちにしこたま稼いでおかないと確実に後悔するわよ。特に、あと十年ぐらいして体力とか気力の衰えを実感できるようになると、なおさらね」

「うっ……。こ、心に染みる言葉ね。特に『借金ばかり作るな』とか『野良魔道士』って辺りが泣けてくるわ」

 人生における大先輩の有り難すぎる忠告に、思わず本当に涙してしまった時、あたしは目の前の光景にふと「感覚的な違和感」としか言いようのないものを感じ、反射的に足を止めた。

 ・・・あたしが盛大に打ち上げた『光明』のお陰で、今は周囲二十メートル程度は視界が利く。

 しかし、注意して辺りを見回しても、特に目を引くような物は見当たらない。

 だが、何かがおかしい。うまく言えないが、これ以上進むのはマズイような気がする。

「へぇ、よく気が付いたわね。なかなかいい勘してるじゃないの」

 すぐ隣からエリナに声を掛けられ、反射的に彼女を見やると、その手には、先ほどあたしが貸した拳銃があった。

 ……どうやら、「荒事」みたいね。ふぅ。

 ともあれ、今は落ち込んでいる場合ではない。

 あたしも取り出したままにしておいたサマナーズ・ロッドを改めて持ち直し、じっと前方を注視した。

 実は、今までかなりの時間が経っているため、今は召喚術の一発ぐらいならぶちかませる程度まで回復している。

 これなら、よほどの相手でなければ、何とか対応が出来るだろう。

 とはいえ、決して余裕があるわけではないので、召喚術はあくまでも最終手段だが……。

「へぇ、僕に気が付くなんて、なかなかやるじゃないか」

 と、突然どこからかそんな声が聞こえてきた。

 あたしには聞き覚えのない声だが、その質から推察すると、恐らくまだ声変わりする前の男の子だろう。

 しかし、素早く辺りを見回してみても、肝心のその姿がどこにも見当たらない。

「こら。どこのガキンチョだか知らないけど、あんたのかくれんぼに付き合っている暇なんてないの。いいから、さっさと出てきなさい」

 どうやら、彼女もあたしと同じ考えに至ったらしく、辺りを見回した。

 口調こそ完璧に相手を嘗めきった感じだが、しかし、彼女の動きには一分の隙もない。

「やれやれ、せっかちなオバサンだね。今そっちに行くから、ちょっと待ってよ」

「お、おば……」

 またもや闇の中から聞こえてきた男の子の声に、エリナは引きつった笑みを浮かべた。

 ……うわっ、エリナってばかなり怒っていらっしゃるわね。

 もっとも、彼女はオバサンではない、「化石」とさえ呼んでも差し支えないような年齢である。

 しかし、だからといって、それを面と向かってハッキリ言われれば、そりゃあムカつくのも無理はないだろう。

 ……ふむ。このガキンチョ、なかなかの無茶っぷりね。まるで、昔のあたしを見ているような感じで、微笑ましさすら感じてしまうぞ。ただし、あんまり長生き出来るタイプじゃなさそうだけど。

「はい、来たよ」

 次の瞬間、いきなり背後から聞こえてきた「声」に、あたしは思わず身を強ばらせてしまった。

 ……ち、近い。っていうか、ほとんど真後ろ!?

「へぇ、こっちのオバサンもいい勘してるね。もしちょっとでも動いていたら、今頃は首から先が無くなっていたよ」

 まさに、吐息すら感じられる距離で聞こえてきた「声」は、いかにも無邪気な子供という感じだったが、その中にも異様な冷たさを感じるものだった。ハッキリ言って、怖い。

 ……どうやら、変なハッタリというわけじゃないわね。

「それじゃあ、こっちのオバサンは、僕がいいと言うまで動いちゃ駄目だよ。もし、勝手な事をしたら……」

 続けて、そんな『声』が聞こえてきたかと思うと、首筋にヒヤリとした感覚が走った。

 ……なるほど。まさか、この距離では大振りな剣という事は無いだろうから、恐らくナイフかせいぜいショート・ソード程度かな。

 ともあれ、かなり癪に触るが、今は言う事を聞いておくしかないだろう。

 思わず、うなずいて応えそうになってしまったが、しかし、その寸前で「動くな」と言われていた事を思い出し、あたしは沈黙で肯定の意を示した。

「ふぅ。オバサンが頭のいい人で良かったよ。血を見るのはあまり好きじゃないんだ」

 しばらく黙っていると、そんな、まるで人をナメているかのような「声」が聞こえた。

 ……こ、このクソガキ。あとで、傷口から出血しなくなるまで殴り倒す!!

「さてと。それじゃあ、今度はそっちのオバサンに言うけど、その手に持っている危ない物を床に置いて」

 心の中で渦巻くどす黒い感情を、なんとか臨界寸前状態で押さえ込んでいると、今度はそんな「声」が聞こえた。

 これは、あたしに向けたものではなく、エリナに向けられたものだろう。

 視界の外なので直接彼女の様子を見る事は出来ないが、それでも、気配で彼女が何やら動いたのが分かる。

 ……た、頼むから、余計な事しないでよ。

 あたしは、思わず胸中でそんな事をつぶやいてしまった。

 情けないと言う無かれ。こっちは、真面目に命が掛かっているのだ。

 しかし、あたしのそんな悲痛な思いは、彼女には通じなかったらしい。

 次の瞬間、鼓膜が破れそうな程の大音響が聞こえ、一瞬意識が遠ざかりかけたその刹那、いきなり誰かに右腕を掴まれて力一杯引っ張られた。

「のわっ!?」

 いきなりの事に、そのままバランスを崩してしまったあたしは、為す術もなく床に倒れ込んでしまった。

 そして、それとほぼ同時に、激しい耳鳴りにも負けない轟音が、再びあたしの鼓膜を容赦なく痛めつける。

 もう、なにがなんだか……。

 全く状況がつかめていなかったが、とるもとりあえず身を起こそうとしたその途端、背中に強烈な圧力が掛かった。

「ぐえっ!?」

 思わず踏みつぶされた蛙のような声で呻いてしまったその瞬間、もはやほとんど機能していないらしいあたしの耳が、三度微かな爆音のような音を捉えた。

 ……どうやら、動かない方が身のためのようだ。

 ふとそんな事を悟り、あたしはひたすらそのままじっとしている事にした。

 しかし、聞こえるものといえば、気分が悪くなるほどの激しい耳鳴りだけ。見えるものといえば、文字通り目と鼻の先にある床だけ。感じるものといえば、さっきからずっと背中を押しつぶしているなにかの「圧力」だけ……。

 可能な範囲で首を動かしてみたが、それでも、あたしの視界では床と闇ぐらいしか捉えられない。

 ……一体、なにが起こっているのよ。

 と、その時、不意に背中に掛かっていた「圧力」が消えた。

 あたしとて、もはや我慢の限界である。

 たまらず飛び起きるようにして身を起こすと、すぐ目の前に、困ったような笑みを浮かべている見知らぬ少年が立っていた。

 その見た目から察するに、恐らく二桁の年齢に達しているかどうかという所だろう。

 あと二十年もすれば、掛け値抜きにいい男になっているだろうと思う整った顔立ちに、凝った刺繍が施された、いかにも高級そうなローブがよく似合っている。

 この服装からして、恐らくは何かの宗教関係者だと思うが、あたしはそっち関連には疎いのでよく分からない。

 ……誰だ、コイツ?

 などと、状況を忘れて訝しんでいると、その『少年』がなにやら言ってきた。

 しかし、耳鳴りが激しすぎて何を言っているのか分からないし、あたしには「読心術」などという便利な技能はない。

 そこで、身振りで「耳が聞こえないからちょっと待って」と返答すると、彼は何か納得したようにうなずき、そして、さっと右手をあたしの顔面にかざした。

「はい、これで治ったと思うよ。ちゃんと聞こえてる?」

「うわっ、テメェか!?」

 嘘のようにピタリと耳鳴りが収まった瞬間、聞き覚えのありすぎる嫌な「声」が聞こえ、あたしは思わず三歩ほど後じさってしまった。あのクソガキだ!!

「あはは、そんなに嫌わなくてもいいのに」

「……異界の鍵よ。我が身を守る力となれ。最大威力で展開(ディ・マクスム・ラファイ)!!」      

 問答無用。

 手にしたままだったサマナーズ・ロッドを構え、暢気に笑い声を上げるクソガキに答える代わりに、あたしは最大出力で電撃をお見舞いしてやった。

 もちろん、こんなものをまともに食らえば、人間など一瞬にして消し炭と化す。

 あたしとて、それは十分承知しているが、しかし、一度命を狙われた相手に対して、手加減してやる義理はない。

 しかし……。

「なっ!?」

 荒れ狂う電撃の雨が収まった時、あたしは信じがたい光景を目の当たりにした。

「へぇ、頭がいいだけじゃなくて、ずいぶん変わった物を持っているみたいだね。まあ、僕には効かないけどさ」

 思いっきり小馬鹿にしてくれた口調でそう言ってきた少年には、傷どころかその衣服にコゲ跡すら無かった。

「……そ、そんなバカな」

 そんな余裕綽々な少年の姿に、あたしの口から自然にそんな言葉がこぼれた。

 先ほどサマナーズ・ロッドから放たれた電撃は、掛け値抜きに最高出力である。

 確かに、この杖に仕込まれた魔法はあくまでも『簡易版』で、本来の手順を踏んで使うそれより威力は数段落ちる。

 しかし、そこは腐っても魔法である。例え上級防御魔術を使ったとしても、到底防ぎきれるものではない。

 それなのに、これは一体……。

「まあ、今回はサービスだよ。もし、もう一度僕を傷つけようとしたら、その時は……言わなくても分かっているよね?」

 あくまでも気楽にそう言ってくる少年に、あたしは黙ってうなずくしかなかった。

 さっき、不覚にもあっさり背後を取られた時の事は、あたしの脳裏にしっかりと焼き付いている。

 あの時、確かに油断していた部分はあるが、それを差し引いても、あたしよりもこの少年の方が上手だという事は確かだ。

 もし、彼の警告を無視して再び何か仕掛けても、先に倒れるのはあたしの方だろう。

 まあ、あたしとてて、こんな事を認めるのは誠に遺憾ではあるのだが、無駄死には嫌だし、事実は事実として真摯に受け止めておく必要がある。

「それにしても、二人とも思った以上にヤってくれるから驚いたよ。もう一人のオバサンなんて、いきなり銃撃してきたかと思ったら、そのままあっさり逃げちゃうし」

 あたしが少なからぬ緊張感を抱いていると、再び少年が無邪気な声でそんな事を言ってきた。

 ……おい、ちょっと待て。『もう一人のオバサン』って、紛れもなくエリナの事よね。

 そう言われてみれば、彼女の姿がどこにもない。って、ことは。

「……あ、あんの薄情者ぉぉぉ!!」

 今さらながら、自分の置かれた状況をようやく全て把握し、あたしは思わずそう叫ばずにはいられなかった。

 そう。あたしの鼓膜を破壊してくれたあの轟音は、エリナがこの少年に向かって発砲した時の銃声というわけである。

 恐らく、いきなり銃弾をぶち込んでこの少年をひるませ、その隙にトンズラするというのが彼女の作戦だったのだろう。

 この少年にしてみれば、まずはあたしを抑える事に成功し、自分が主導権を握ったと思った直後の事態だっただろうから、その効果は覿面だったはずである。

 ……あ、あんのド腐れババア、あたしを「人柱」にしたわね!!

「あはは。まあ、次からは相棒をちゃんと選ぶ事だね」

「あ、あんたが言うなぁぁぁ!!」

 少年の的確なツッコミに、あたしは思わず涙しつつそう怒鳴り返すしかなかった。

 ……ううう。あたしったら、あまりにも不遇過ぎるわ。まさか、これは魔道院の陰謀か!?

「ああもう、こうなったらヤケよ。どーせあたしが死んだって誰も泣いてくれないし、煮るなり焼くなり好きにしな!!」

 もう、本気でなにもかもどうでも良くなってしまい、あたしは吐き捨てるようにそう言って、その場にどっかりと腰を下ろした。

 なんか、追いつめられて開き直った悪党みたいな言動だが、それはこの際気にしないで貰いたい。

「う~ん。僕は食人の趣味なんて無いから、残念だけどその要望には応えられないよ」

 と、からかうようにそう言って、少年は屈託のない笑みを浮かべた。

 もっとも、その顔の裏で何を考えているのか分かったものじゃないけど。

「あっ、そうそう。一応、礼儀として自己紹介しておくね。僕はカリム・フリーダ。カリムって呼び捨てでいいよ」

「ったく、この状況で礼儀もなにもあったモンじゃないわよ……。まあ、いいわ。あたしはマリー。マリー・クレスタよ。不本意だけど、よろしく」

 と、投げやりな気持ちそのままの口調でそう返し、ついでに中指を押っ立ててやった。

 一瞬、本名を名乗ってしまおうかとも思ったのだが、この少年……カリムの素性が分からない以上、多少なりとも手札を残しておく必要があるだろう。

 もっとも、偽名といっても、かつては「本名」として使っていた名である。

 そういう意味では、完全な偽名というわけではないのだが、むしろ、こちらの方が色々と好都合なのである。

 なぜなら、馴染みがある名前だけに、いきなり呼ばれて思わず不自然な反応をしてしまうという恐れがないし、なにより、魔道院ではこちらの方が「本名」といってもいいので、仮に疑い深い相手がこの名を照会したとしても、すぐに「実在」だと証明されるからだ。

 そんなわけで、偽名を名乗る必要がある時には、この「旧名」を使用する事にしている。

「あーあ、なにもそんなに嫌わなくてもいいのに。僕の言う事さえ聞いてくれれば、オバサン……じゃなかった、クレスタさんに危害を加えるつもりはないよ」

「えっと、姓で呼ばれると違和感があるからマリーでいいわ。……ったく、どの口がンな事言うんだか」

 思わず呆れてしまいながらそう返すと、少年は小さな笑い声を上げた。

「あはは。それもそうだね。……さて、もうあまり時間がないから、そろそろ本題に入るよ。実は、マリーさんたちがここに来るまでの間、僕はここからずっと様子を見ていたんだ。それで、大体の事情は分かっているつもりなんだけど、念のために確認しておくね。 ……あなたたちは、僕の敵ですか?」

 言葉の後半を改まった口調にしてカリムがそう言った瞬間、ほんの一瞬だけ頭の中がざらつくような、何とも言えない感覚を感じた。

「うっ。気持ち悪い……」

 思わず率直な感想を漏らしてしまうと、カリムは小さく笑みを浮かべた。

「はい、結構です。ごめんなさい。慣れない方には、少し辛かったかと思いますが、特に害はありませんので安心してください」

 と、これまでのいかにも子供のような無邪気な口調から一転、いきなり大人びた落ち着いた声でそう言って、カリムは小さく笑みを浮かべた。

「……なんなのよ。あんたは?」

 どうやら、見た目通りに「子供」じゃないと直感しつつ、あたしはカリムにそう問いかけた。

 すると、彼はコクリと一つうなずき、そして深く頭を下げた。

「失礼致しました、少々記憶を読ませて頂きました、マリー・クレスタ様……いえ、マール・エスクード様。改めて自己紹介致しますが、僕はカリム・フリーダ。アリス様よりこの『ジュル・エハラスト』の管理を託された者です」

 そう言って、カリムさんは頭を上げた。

 ……『ジュル・エハラスト』。これは、古代アストリア語ね。

 えっと、現代語に直訳すると『檻の一角』か。

 エリナの話では、この遺跡は巨大結界の一部だという事だから、かなりストレートなネーミングよねぇ。

 って、あれ。そんな事より、さらに優先すべきツッコミ・ポイントがあったような気がするわね。

 うむ。こういう時は、最初から整理して考えてみるのが一番。

 さて、彼が言った言葉をもう一度繰り返すと……。

「あの、どうかされましたか?」

 あたしが必死に思考を巡らせていると、カリムさんが不思議そうにそう問いかけてきた。

「あっ、ゴメンゴメン。あのさ、悪いんだけど、さっきあたしに言った事、もう一度だけ繰り返して貰えるかな」

 思わず手をパタパタ振ってしまいながらそう返すと、彼は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに一つうなずいた。

「失礼致しました、少々記憶を読ませて頂きました、マリー・クレスタ様……いえ、マール・エスクード様。改めて自己紹介致しますが、僕はカリム・フリーダ。アリス様よりこの『ジュル・エハラスト』の管理を託された者です」

 だったと思います。……あの、何か失礼な事を申し上げてしまったでしょうか?」

「そうじゃなくて、ちょっと気に掛かる何かがあったから・・・。ゴメン、少し時間を貰える?」

 心配そうに問いかけてきたカリムさんにそう言ってから、あたしはもう一度彼の言葉を脳裏で繰り返した。

 ……えっと、「失礼致しました、少々記憶を読ませて頂きました、マリー・クレスタ様……いえ、マール・エスクード様。改めて自己紹介致しますが、僕はカリム・フリーダ」

 ここまでは問題ないだろう。記憶を読んだのなら、偽名だってバレる。おかしな所はない。

「アリス様よりこの『ジュル・エハラスト』の管理を託された者です」

 あった、小骨はコレだ。私が知っているアリスは一人しかいない。

「『アリス様』って、もしかして、あのアリス・エスクードとかいう、なんかドジで間抜けなヘボ魔道士の事よね?」

 ようやく、最大のツッコミ・ポイントに気が付いたあたしは、思わず叫んでいた、

「おおっ、『ドジで間抜けなヘボ魔道士』ですか。なかなか当を得た表現ですね。はい、そのアリス・エスクード様ですよ」

 と、苦笑のようなものを浮かべて、カリムさんはそう返してきた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。そのアリス・エスクードって、今から五百六十年くらい前の人じゃないの!?」

 全くワケが分からないまま、あたしは思わずそう聞き返してしまった。

 そう。あのアリスという人が生きていたのは、今から五百六十年ほど前の大昔。

 まあ、エリナという例外があるので、こう言うのもなんだかちょっと自信がなかったりするが、とにかく、普通の人間が生きられる年数ではない。

「ええ、そうですね。もう少し正確に言うと、アリス様は今から五百四十三年前に、とある魔法の実験に失敗するという事故で亡くなっています。ちなみに、この事故が原因で、アストリア大陸の約半分が海中に沈み、現在の姿になりました」

 まるで、世間話でもするかのような口調で、カリムさんはそう言って小さく笑みを浮かべた。

「こ、こらこら、笑ってる場合じゃないでしょうが。アストリア大陸の半分が沈むような事故って、一体なにをやらかしたのよ!?」

 なんとなく頭痛のようなものを覚えながら、あたしは思わずそうツッコミを入れてしまった。

 まあ、あたしも「大昔のアストリア大陸はもっと広大だった」という話は知っていたが、まさか、たった一人の魔道士が引き起こした災厄だったとは。

 全く、世の中知らない方がいい事って、結構あるものよねぇ。

 って、そうじゃなくて、ここまで細かい事を知っているという事は、すなわちこのカリムさんが「アリスの時代」にはすでに生まれていたという事だろう。

 ということは、この人って……。

「……あ、あの、つかぬ事をお伺いしますけど、カリムさんって何歳?」

 驚き。というか、戸惑い過ぎたあまり、かえって『醒めて』しまいつつ、あたしは彼にそう問いかけた。

「あっ、僕の年齢ですか。今年で、ちょうど十才ですよ。・・・もっとも、『人間式』に計算し直すと、概算で五百八十才ぐらいになりますけど」

 そう言って、彼は自分の耳を指さした。

 その動きに釣られて視線を動かすと、今の今まで全然気が付かなかったが、彼の耳は先がピンと尖った細長い形をしていた。

 これが意味する事は一つ。すなわち、彼がエルフ族の血を引く者であるという証である。

「なっ……。あなたって、ハーフ・エルフだったの?」

 瞬間、あたしは思わずそんな驚きの声を上げてしまった。

 ちなみに、ハーフ・エルフとは、人間とエルフの混血によって生まれた種である。

 とはいえ、姿形や考え方などは人間そのもので、その特有の形をした耳を見なければ全く気が付かないだろう。

 あたし自身、今までかなり世界中を見て回って来たが、それでも、ハーフ・エルフを見かけたのほんの一、二回程度しかない。

 ともあれ、これで彼が常識はずれに長生きしている理由が分かった。

 というのも、ハーフ・エルフは、さすがにエルフの血が流れているだけの事はあって、人間と比較するとその寿命は桁違いに長く、軽く数百年から千数百年は生きてしまうらしいのだ。

 もっとも、かつては『不老不死』とまで言われ、ドラゴン以外の他種族を圧倒する長寿を誇るという、純粋なエルフ族にはちと及ばないようだが、それにしても、驚異的に長生きすることに変わりはない。

「あはは、ハーフ・エルフですか……。うーん、あなたは人間ですし、そう思ってしまうのは当然かも知れませんが、僕はこれでも純エルフなんですよ」

 と、なんとも言えない複雑な表情で、カリムさんはそう言って頭を掻いた。

「うげっ。じゅ、純エルフ!?」

 今までの人生において、恐らく初めてではないかと思うほどの極めて強烈な衝撃を受け、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 ……純エルフ。つまり、混じりけなしの純粋なエルフ族である。

 本来は、「エルフ」と言われればこちらを思い浮かべるべきなのだろうが、なにしろ、彼らは極めて少数である上に、世界各地にある森林地帯などの奥地に引きこもっているため、人間がその姿を見る事は極めて稀・・・というか、ほとんど不可能である。敵対関係だしね。

 それ故に、人間にとって「エルフ」といえばハーフ・エルフの事だと思うのが普通で、素直に純エルフだと思う者はまずいないだろう。

 ご他言に漏れず、このあたしもその一人で、よもやカリムさんが純エルフだとは、端から思っても見なかったというわけだ。

 とまあ、言い訳はこのぐらいにして、カリムさんが純エルフだとすると、人間であるあたしに対して、次に起こす行動は・・・。

 と、次に起こるであろう、あたしにとってはあまり望ましくない展開を察し、思わずその場から三歩ほど後じさりつつ、いつでも魔術が使えるように心構えを整えた。

「あっ、ご安心ください。純エルフと言っても、僕はかなり変わり者ですから、人間に対する無意味な敵愾心というものは一切ありませんから」

 しかし、あたしの予想は完全に覆され、カリムさんはそう言って笑い声を上げた。

「・・・そ、そうなの?」

 彼の言う事がどうにも信用できず、あたしは警戒を解かないまま、とりあえずそう聞き返した。

 前にも少し述べたと思うが、エルフと人間はかなり仲が悪い。

 まずあり得る話ではないが、運悪くエルフと人間がどこかでバッタリ遭遇してしまったらどうなるか、その後の展開は容易に察しが付く。

 もし、『特に理由はないが、とにかくエルフなんざクソ食らえ』という、そこらによくいるタイプだった場合は無論の事、彼らと無意味に事を構えるつもりはないという、少数派の人間だった場合でも、ほぼ確実に戦闘状態になるだろう。

 なぜなら、前者はともかく、例え後者の場合であっても、エルフにとっては『忌まわしき人間ども』である事に変わりはないからだ。

 ちなみに、あたしは少数派である後者の一人なのだが、ちゃんと人並みに自己防衛本能を持ち合わせている。

 だから、どんなに不本意ではあっても、混じりけ無しの殺意をむき出しで掛かってくるような相手に、『話せば分かる』などと悠長な対応をするつもりはない。

 そんなわけで、望む望まないに関わらず、ここでカリムさんと一悶着ある事は確実と、身構えていたのだが……。

「おや、信じて頂けないようですね。ですが、少し考えてみてください。もし、僕にその気があるなら、問答無用で仕掛けると思うのですが」

 あたしの心中を察したらしく、カリムさんが苦笑混じりにそう言って来た。

「ふぅ、分かった。とりあえず、今はそれを信じましょう。ただし、もし何か妙な事をしたら、その時はあたしも容赦しないからね」

 カリムさんを見つめつつ、しばしの間考えてから、あたしはため息混じりにそう言った。

 とはいえ、あたしは彼の事を完全に信用したわけではない。

 しかし、彼の様子を見る限り、少なくとも、今すぐ何か仕掛けるつもりはなさそうだし、なにより、こんな場所で延々と不毛な言い争いをするというのは、どう考えても得策ではないだろう。

 まあ、このまま本当に彼が何もしてこないなら、それでよし。反対に、もし何かあったら、その時はあらん限りの『火力』で対抗するのみである。

「あはは、それはお互い様ですね。僕の方も、いざとなったら手加減はしませんよ。念のために申し上げておきますが、エルフ族を怒らせるとネチネチしつこいですからね」

 と、冗談のような口調で、カリムさんがそう答えてきた。

 ……そういや、さすがに寿命が桁違いに長いだけの事はあって、エルフの時間感覚は人間のそれと大きく異なるって、何かの本で読んだ事があるわね。

 そのせいで、数十年ぐらい前の事でも、エルフにしてみれば「つい最近」の話で、彼らを怒らせると、その禍根は親、子、孫と三世代ぐらいに渡って引きずられるらしい。

 まあ、あたしはエルフを怒らせた経験はないし、もちろん今後もその予定はないので、この真偽は確認しようがないが、ともあれ、よほどの事情と覚悟がない限り、エルフには手を出すべきではない事は確かだろう。

「さて、それはともかく、まずはあなた以外の皆さんについてお話しましょう。エリナ様とあなた以外は、全員僕が地上に転移しておきました。本来なら、お二人も一緒にお送りすべきだったとは思いますが、なにぶん、ここで一人きりという生活は退屈なものでして……。手前勝手な事と承知で、エリナ様とアリス様の血筋であるあなたを、ここにお呼びさせていだたきました」

 と、そう言って、カリムさんは申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 まあ、こんな場所に数百年も独りぼっちで放り出されたら、いかなエルフとはいえ、確かに退屈……どころか、気が狂ってもおかしくないだろう。

 そんな時に、どうやら旧知の仲らしいエリナの顔を見たら、思わず『お呼び』したくなるのも無理はない。しかし……。

「なるほどね。とりあえず、みんなの事については感謝するわ。……だけど、エリナはともかく、なぜあたしをここに呼んだの? いくら『アリスの血筋』とは言っても、あたしにしてみればよく分からない『昔の人』だし、あんまり関係ないと思うんだけど……」

 あたしがそう問いかけると、カリムさんはなぜか一瞬だけ困ったような表情を浮かべ、そして、真顔でこちらを見つめた。

「それは……」


『解説しよう。そこのカリムが、あたしのみならずマールまでここに呼び寄せたのは、単に寂しさを紛らせたかっただけでなく、この『大結界』に異変が起きているからなのだ!!』


 と、カリムさんの声を遮って、どこからか聞こえてきた聞き覚えのありすぎる大声に、あたしは思わずハッとしてしまった。

「なっ。あんた、逃げたんじゃなかったの!?」

「え、エリナ様!?」

 あたしはもちろん、どうやらこれはカリムさんにとっても予想外の展開だったらしく、二人ともほぼ同時に驚きの声を上げた。

「だ~れが逃げたって?」

「どぇあぁぁぁ!?」

 いきなり背後から聞こえてきたエリナの声に、あたしは正体不明の叫び声を上げつつ、思いっきりその場で飛び上がってしまった。

「お、脅かすんじゃないわよ!!」

 着地と同時にバッと背後を振り向きつつ、あたしは思い切りそう怒鳴った。

「あら、これって今魔道院で大ブレイク中の挨拶よ。知らなかったの?」

 と、いつの間にかそこに「出現」していたエリナが、シレッとした顔でそう返してくる。

 ……そ、そういや、前にマリアも同じ事を言っていたような。

 もしかして、本当にこんな暗殺者まがいの挨拶が流行ってるのか。

 だとしたら、死ぬほど迷惑だぞ。この腐れ魔道院め!!

「ま、まあ、なにはともあれ、エリナ様が戻って来てくださった事ですし、ここはよしとして・・・」

『良くない!!』

 少しおどおどした様子で割り込んできたカリムさんに、あたしと、そしてなぜかエリナまでもが異口同音に発した怒声が突き刺さった。

「ち、ちょっと、なんであんたまで……」

 思わずエリナにツッコミを入れかけてしまったあたしだったが、しかし、彼女は黙って手を挙げて『止めろ』と無言のままに伝えてきた。

 その何とも言えぬ迫力に、あたしが思わず言葉を飲み込んでしまうと、その間に、エリナはキッとカリムさんを睨み付けた。

「あんたねぇ。いくら『手順』とはいえ、いきなりあたしの背後を取った挙げ句、混じりけ無しの殺気ぶつけてくるなんざいい度胸してるじゃないの。もしかして、もっかい素っ裸で晒されたいわけ。ああっ!?」

 と、実にドスが利いた声でそう言って、エリナはズイッと顔をカリムさんに近づけた。

 ・・・な、なんか、もの凄いメンチ切ってるわね。

 さ、さすが、金貸し屋で取り当てのバイトしてるだけの事はある。

 などと、思わず関心してしまっているうちにも、カリムさんの顔色は、青から白へとめまぐるしくその色彩を転じていった。

「も、もももも、申し訳ありませんでした!!」

 そして、ついにエリナの凄みに耐えられなくなったらしく、ついにカリムさんは大泣きしながら土下座したのだった。・・・が。

「おい、兄ちゃん。ゴメンで済んだら、警備隊は要らないんだよ」

 と、なんかどこかで聞いたようなセリフを吐き捨てつつ、エリナは土下座しまくっているカリムさんの背に右足を乗せ、そのままグリグリとこじり始めた。

 ・・・うわっ、エリナさんったら、あたしもそこまでは滅多にやらないぞ。

 でも、なんか妙にハマッてるわね。

 って、暢気に関心してる場合じゃないわね。

 エリナのやつ、このまま放っておくと、どこまでもダークサイドに墜ちていきそうだし、ここらで正気に戻すか。

「・・・必殺、打算と馴れ合いの女の友情アタック!!」

 ゴキィィィン!!

 咄嗟に思いついた正体不明なあたしの声と、澄み渡った金属音が周囲に響き渡る。

「うぐっ!?」

 そして、苦悶のうめき声と共に、床に力無く伸びたのは、他ならぬカリムさんだった。

 その彼の後頭部には、あたしが力一杯突き出したサマナーズ・ロッドの先端が食い込んでいる。

「フッ、死して屍拾う者無し」

 と、タイミング良くどこからか吹いてきた風に前髪を嬲らせながら、あたしは誰とも無くそうつぶやいた。

「……あ、あのさぁ、格好付けてるところ悪いんだけど、ミスは素直に認めた方が好感度高めよ」

 ……むっ。

「な、なによ。人がせっかく勝利の余韻とか虚しさを噛みしめている時に!!」

 背筋に流れる冷や汗らしきものは無理矢理気にしないことにして、あたしは無粋なツッコミを入れてくれたエリナに反論した。

 そ、そりゃあ、実はエリナを狙っていたけど、ちっとだけ手元が狂ったという些細なミスがあったような気がするが、何事にも予想外のトラブルは付きものである。

 それに、世の中には『終わりよければ全てよし』という言葉がある。

 途中の経過はどうあれ、最終的に『エリナを正気に戻す』という目標を達成できたのだから、どこからも文句を言われる筋合いはない!!

「ふーん。じゃあ、あたしが彼にフォローする必要はないわけね。念のために確認しておくけど、彼が純エルフ族だっていうのは、もう知っているわよね?」

 ……それからきっかり三秒後。あたしはその場に土下座までして、エリナにフォローを要請した事は言うまでもない。

「はいはい、最初から素直にそうすればいいのよ。……だけど、あたしの目から見ても、これはかなり重傷よ。もしかしたら、すでに逝っちゃってるかも?」

「そ、それは……」

 エリナの本気と冗談をブレンドしたような声に、あたしは咄嗟になにも言い返せなかった。

 カリムさんの後頭部にめり込んでいたサマナーズ・ロッドはすでに除去済みだが、それでも、どこに当たったかすぐ分かるほど、くっきりとその跡が残されている。

 そして、もちろん、彼はピクリとも動かない……。

 エリナではないが、控えめに言っても、これはかなりの重傷だろう。

 ……マズイ。もし、本当に『最悪の事態』になっていたら、あたしはエルフ族全員を敵に回す事になる。

 いや、これは決して大げさな話ではない。

 なにしろ、彼らは『個』に対する攻撃でも、種族全体に対する攻撃だと認識し、一丸となって報復措置に出るのだ。

 いくらエルフが少数派種族だと言っても、その数は十や百という単位ではあるまい。

 そんな大人数。しかも、魔法すら使う種族を相手に、あたし一人でどう立ち向かえというのだろうか。

 ……よし、こうなったら。

「猛り狂う炎よ。我が前に……」

「うらぁ、ヤメんかい!!」

 ゴッ!!

 己の身を守るため、何の躊躇いもなく炎系最強の攻撃魔術を放とうとしたあたしだったが、エリナの激しいツッコミにより、それを中断せざるを得なかった。

「いったいわね。なにも、グーで殴る事はないでしょうが。グーで!!」

 痛む頬をさすりつつ、エリナに文句をつけたあたしだったが、しかし、彼女にギロリと睨まれ、思わず三歩ほど後じさってしまった。

「あんたねぇ……。『証拠隠滅』を謀る前に、全力で治療を試みるのが人の道だと思うけど」

 と、低く抑えたエリナの声に、一瞬ひるみかけてしまったあたしだったが、しかし、何とか気を取り直し、彼女を逆に睨み付けてやった。

「……なにを甘い事を言ってるのよ。いい、相手は純エルフなのよ。どうにかこうにか治療に成功したとしても、『ゴメン』って謝って済む相手じゃないわ。となれば、いっそ全てを無に返すしかないでしょうが!!」

「だから、勝手になかった事にするなってば。……あのねぇ、純エルフってのは、あんたが考えてるほどヤワじゃないのよ」

 と、そう言って、エリナは小声でなにやらつぶやいた。

 すると、床に倒れたまま動かないカリムさんの体を淡い光が覆ったかと思うと、彼の後頭部に残された傷跡が、見る間に消えていく。

「……んあ。あっ、エリナ様じゃないですか。おはようございます」

 そして、傷が跡形もなく消え去ったその瞬間、少し寝ぼけたような声でそう言って、カリムさんは、何事もなかったかのように、その場に立ち上がったのだった。

「ねっ。この程度の怪我なら、すぐに治療してやればどうって事はないのよ」

 心なしか得意げな口調でそう言って、エリナはニヤッと笑みを浮かべた。

「そ、そうなんだ……」

 カリムさんのあまりのタフさに、半ば唖然としてしまいつつ、あたしはエリナにそう返した。

 この程度の怪我……。あたしの見間違いじゃなければ、カリムさんは、後頭部の形が変わる程の思い切り重傷……いや、致命傷としか思えない深手を負っていたような気がするんですけど。

「えっ、誰かお怪我されたのですか?」

 一人状況が飲み込めていないらしいカリムさんが、不思議そうな様子でそう問いかけてきた。

「えっと……」

「あっ、大したことじゃないわよ。気にしないで」

 思わず返答に困ってしまったあたしだったが、タイミング良くエリナが助け船を出してくれた。

「そうですか。分かりました」

 一瞬怪訝な表情を浮かべたカリムさんだったが、しかし、どうやら納得してくれたようで、すぐにそう言ってきた。

 ……ふぅ、エリナのお陰で、なんとかなったわね。

 もっとも、さっきから彼女が「貸し一つよ」と目で伝えてきているので、素直に謝意を捧げる気にはなれないけどさ。

「まっ、ンな事はどうでもいいとして、わざわざあたしたちだけ呼び寄せたぐらいだから、よっぽど急ぎの事態なんだろうし、さっさと本題に入りましょう」

 と、エリナが促すと、カリムさんはコクリとうなずいた。

 ……そういや、さっきエリナが『大結界』とやらに異変があるなんて言っていたわね。

「あっ。はい、そうでした。それでは、早速お話しさせて頂きます」

 そう前置きしてから、カリムさんはあたしには得体の知れない話を始めたのだった。

 ……今更どうでもいいけど、あたしがサマナーズ・ロッドを振るうきっかけになった、エリナとのいざこざは、当事者二人ともすっかり忘れているみたいね。

 もちろん、あたしにしてみればその方が都合がいいんだけど。


「というわけなんです。この大結界について、エリナ様がどの程度ご存じなのかは僕には分かりませんが、少なくとも、尋常ならぬ事態であることはご理解頂けたと思います」

「……そうね。確かに、楽観できる話じゃないわね」

 なにか必死な様子が見て取れるカリムさんに、あたしは滅多に見た事がない、極めて深刻な表情を浮かべたエリナが応える。

 こんな感じで進むカリムさんとエリナの会話は、あたしの体感ですでに二時間以上続いているが、いまだに終わる兆候が見られない。

「ええ。念のために、もう一度確認しておきますが、現段階で生きていると確認できるジュル・エハラストは3つです。残りの二つ……具体的には、プレセア大陸とエスト大陸のそれは、完全に機能を停止してしまっています。この状況で、あと一つ機能を停止すると……。エリナさんもよくご存じの、アレが再び出現することになります」

「アレか……。現代にあんなもんが出現した日には、本気でシャレにならない事になるわね」

 ……ううう、いつ終わるの。このツッコミを入れる余地すらない、ひたすらシリアスな会話は。

 あっ、そうそう。余談かもしれないけど、完璧に『置いてきぼり』を食らってしまったあたしは、暇つぶしに道具袋の整理中っす。

 といっても、単に中身を全部出してまたそれを入れ直すという、非建設的この上ない作業を繰り返しているだけなんだけどさ。

 よし、こうなったら、ここのところずっと片づけていなかったあれ。別名「第二の道具袋」こと、いつも虚空に開いている『穴』の整理でもするかな。

 などと、普段なら絶対に思いもしない事を胸中でつぶやいた時、いきなり頭をコツンと小突かれた。

「こら、あんたにも関係する話なんだから、遊んでいないでちゃんと聞きなさい」

 慌てて辺りを見回していると、そんなエリナの声が飛んできた。

「えっ、あたし?」

 彼女の思いもよらぬ言葉に、あたしは思わずそう聞き返してしまった。

「ったく、なにぼけっとしてるのよ。……まあ、いいわ。とにかく、掻い摘んで話すわね」

 と、心底呆れたようにそう言って、エリナはそこで軽く一息ついた。

「マール。あたしが、この遺跡は『大結界』の一部だっていう話をしたのを覚えてる?」

 口調をガラリと変え、真剣そのものの表情でそう言って来たエリナに、あたしは一つうなずいて応えた。

「ええ、覚えているわよ。確か、大昔に世界規模の超巨大結界を張ったっていう、アレでしょう? それで、この遺跡は、その超巨大結界の要となるジュル・エハラストとやらの一つとか……」

「まあ、及第点ね。で、そのジュル・エハラストは、この遺跡の他にあと4つあって、いわゆる『五大陸』に、それぞれ一つずつある。これも、前に話したけど大丈夫?」

「もちろん、ちゃんと覚えているわよ」

 心なしか心配そうに問いかけてきたエリナに、あたしはすぐにそう答えた。

「それなら結構。じゃあ、これから本題に入るけど、カリムの話では、その合計5つあるジュル・エハラストの内、プレセア大陸とエスト大陸にある二つが、二ヶ月ぐらい前に、相次いでいきなり機能停止状態に陥ったらしいのよ。それも、原因不明でね」

 そう言って、エリナは深くため息をついた。

「えっ、それじゃあ……」

「あっ、大丈夫よ。アリスにしては、珍しく器用な事をやったらしくて、5つあるジュル・エハラストの中で、2つまでは機能停止してもなんとか大結界を維持出来るらしいわ」

 あたしの言いたい事を察したらしく、エリナがすかさずそう言ってきた。

 ……なるほど。大体話が読めてきた。

 つまり、あと一つジュル・エハラストが機能を停止してしまうと、『大結界』が維持できなくなって消滅するというわけである。

 もちろん、あたしはその『大結界』がなんのために設けられたのか分からない。

 しかし、これほどまでに大規模な結界を張ったという事は、それ相応の『何か』を守るか、あるいは封じるために設けられたものだという事ぐらいは察しが付く。

 ・・・いや、先ほど何となく聞きいていたカリムさんとエリナの会話内容からして、大結界が作られたのは、恐らく後者の『何か』を封じるためだろう。

 すると、大結界が解かれれば、当然、その『何か』も解放されてしまう事になるわけで、それが極めてヤバい事態である事は、エリナとカリムさんの様子を見れば、細かい事情をよく知らないあたしでも容易に察しがつく。となれば、エリナが最終的に言いたい事は……。

「なるほど。つまり、機能停止したその2つのジュル・エハラストの調査と、状況次第によっては機能回復をやろうっていうわけね」

 あたしがそう言うと、エリナは一瞬驚いたような表情を浮かべてから、コクリと一つうなずいた。

「なんていうか、時々だけど鋭い勘が働くみたいね……。もちろん、あたしも最終的にはそのつもりだけど、その前に、この『大結界』についてちゃんと調べる必要があるわ。ここから出たら、急いで王都に戻らないといけないわね」

「その『時々』ってのは余計よ……。まあ、いいわ。なんだか大変そうだけど、どう考えても、あたしが力になれそうな所はなさそうね。とにかく、無理しない程度に頑張ってね」

 と、あたしが心の底から労いの言葉を掛けた瞬間、エリナはピクリと眉を跳ね上げた。

「はぁっ、何言ってるのよ!? さっき、『あなたにも関係ある』って言った事、もう忘れちゃったの?」

「えっ!?」

 こんな時に冗談言うなと言わんばかりのエリナの声に、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「『えっ!?』じゃないわよ。あのねぇ、あんたがアリスから引き継いだものは、記憶や能力だけじゃないでしょうが。知らないとは言わせないわよ?」

 と、尖りまくった声で、エリナが口早にそう言ってきた。

 どうやら、彼女はあたしがすっとぼけてこんな反応を返していると誤解しているようだ。

「なんの事を言ってるのよ。言っておくけど、あたしが誰かから引き継いだものって、変な人脈とこの体ぐらいのものよ」

 キッパリとそう言ってやると、エリナはぽかんとした表情を浮かべた。

「……いや、マジで知らないの?」

「知らないも何も、他になにがあるっていうのよ?」

 そして、しばし流れる沈黙。

「……ふぅ。今思い出したけど、前に『フーリズ亭』の話をした時も、あなたは知らなかったのよね。それじゃあ、知らない方が当然だわ」

 なにか、酷く疲れたような様子で、エリナはぼやくようにそう言った。

 そういえば、ちょっと前に、あたしが親から引き継いだ「お宝」があるとか無いとか、エリナがちらりと言ったわね。

「まあ、いいわ。あなたが持っている『お宝』は一つじゃない。これに関しては、あたしが口で言うより現物を見た方が早いわ。とにかく、急いで王都に向かうわよ!!」

「えっ。ちょ、ちょっと!?」

 力強く一方的に断言してくれるエリナに、あたしは慌てて声を上げた。

「なによ、まだなんか文句あるの?」

 と、かなりイライラした様子で聞き返してきたエリナに、あたしは思いっきり深いため息を返した。

「大アリよ。今のあたしがどういう立場か、あなたも知らないわけじゃないでしょう?」

 と、何となく頭を抱えてしまいながら、あたしはエリナにそう言ってやった。

 ……そう。何を隠そう、あたしは「魔道院から逃げ出した」という重罪人なのである。

 そのくせして、「魔道院院長代理」などという超大物が身近に現れたりしているが、それはあくまでも王都から遠く離れたこの地だから許される事。

 ここまで来る道すがら、列車の中で自分の手配書を見せられたのは、まだまだ記憶に新しい。もし、あたしが王都に「帰還」などしようものなら、それはもうエラい騒ぎになる事は間違いなしだろう。

「もちろん、知ってるわよ。だけど、用事があるのは第四街区だけだし、あそこなら『手配者』が一人くらい入り込んでも、誰も気が付かないわよ」

 と、あたしの心境を知ってか知らぬか、エリナはお気楽にそう言ってくれた。

 ……おいおい。

「そりゃまあ、確かに、第四街区だけならどうとでもなるとは思うけど、その前にある『入街審査』はどうするのよ。さすがに、ここは簡単にパス出来ないわよ」

 非常に重要な点を完全に忘れてしまっているエリナに、あたしは半分呆れてしまいつつそう返した。

 一度も旅をした事がない人は、もしかしたら知らないかもしれないが、ペンタム・シティのような大きな街に入る時には、必ずといっていいほど「入街審査」と呼ばれるチェックを受ける必要がある。

 これは、その街に入る者から通行税を徴収する事を主目的として設けられたものだが、同時に手配中の犯罪者や素性の怪しい者が、街に入り込まないようにするという、一種の防波堤のような役目も担っている。

 もっとも、その審査員に幾ばくかの「袖の下」を渡せば、スネに傷がある者でもどうにか街に入れる可能性がある。しかし、今回はその場所に大きな問題があるのだ。

 というのも、さすがに魔道院のお膝元だけあって、ペンタム・シティの入街審査に当たっているのは、魔道院特別警備部の連中なのだ。

 これが、もし他の人なら、あるいはどうにかなったかも知れないが、ちょいと昔に色々とあったせいで、あたしの顔は、魔道院のみならず、ペンタム・シティ中に広く知られているのだ。となれば、さすがに入街審査員も、露骨に見て見ぬふりを決め込むわけにはいかないだろう。

 以上の理由から、あたしにとって、ペンタム・シティは無闇に近寄る事が出来ない場所だという事が、よく分かって頂けたと思う。

 エリナの言うとおり、ペンタム・シティ第四街区に入ってしまいさえすれば、いくらでも身の隠しようがあるのだが、それ以前に入街審査で引っかかってしまえば、街に入れないどころかその場で捕縛され、二、三日後には処刑台の露と消えるのがオチだろう。

 と、こんな事は、わざわざあたしが口に出すまでもなく、エリナとて十分承知しているとは思うのだが、しかし、彼女はニヤッと笑みを浮かべた。

「フフフ、その辺は問題ないわよ。なにしろ、今の魔道院はマリアの完全独裁体制だからね。彼女にちょっと手を貸して貰えば、入街審査なんぞなきに等しいわ」

 自信たっぷりにそう言って、なぜか得意げに胸を張るエリナに、あたしは深いため息を返した。

「ふぅ……。あのね、エリナ。マリアって、ああ見えて公私の分別はきっちり付ける人よ。彼女の個人的な感情は知らないけど、魔道院院長代理という立場から見れば、あたしは是が非でも処刑しなければならない重罪人よ。まあ、魔道院の影響が少ない他の街ならまだしも、ペンタム・シティでそういう便宜を図ってくれるとは思えないけど」

「あのねぇ、あんたに言われなくても、そのぐらいはちゃんと承知してるわよ。まあ、マリアとの交渉は、あたしに任せておいて」

 と、自信たっぷりに言ってくれるエリナに、あたしは咄嗟に反論する事が出来ず、とりあえず肩をすくめて応えた。

 ……まあ、そこまで言うならお任せしましょう。まあ、あまり期待はしていないけど。

「とまあ、そういうわけで、まずはここから出ないとね」

 あたしがなにも言わないのを肯定の意ととったようで、エリナは独り言のようにそう言って、視線をカリムさんに向けた。

「それじゃあ、大結界に関しては、まずはあたしたちで調査してみるわ。頃合いを見て、もう一度ここに来るから、それまでに、あんたの方でも出来る限り情報を集めておいて」

 ……いや、「あたしたち」って、まだあたしが手を貸せるかどうか分からないんですけど。

「分かりました。お手数をおかけして申し訳ありません。僕がここから動く事が出来れば、なにかお手伝い出来るのですが……」

 しかし、あたしの胸中のツッコミなど伝わるわけもなく、カリムさんはそう言って軽く一礼した。

「まっ、これもアリスと関わりを持った宿命みたいなもんだから、気にしないでいいわよ。それじゃ、とにかくパパッと地上に戻してくれる?」

「了解しました。それでは、よろしくお願いします」

 と、カリムさんがそう言った瞬間、軽い酩酊感のようなものと共に、視界がぐにゃりと歪んだ。

 そして、歪んだ視界が元に戻ったと思った瞬間、いきなり強い光が目に飛び込んできた。

「ぐっ……」

 暗闇に慣れていたあたしの目には、この光はあまりに強烈だった。

 思わず悲鳴のようなものを漏らしてしまいつつ、あたしは目を限界まで細く閉じ、右手を庇のようにして額に当てながら、ゆっくりと辺りを見回した。

 ・・・周囲を取り囲む巨木の群れ。そして、鼻を擽る緑の臭い。

 ここ久しく忘れていた地上の姿が、今まさにあたしの眼前にある。

 そう。恐らくはカリムさんが使った『転移』の魔法だと思うが、あたしは地上に帰ってきたのだ。

「ふぅ。やっぱ地上の空気はおいしいわね」

 と、すぐ近くでエリナの声が聞こえた。

 ようやく明るさに慣れてきた目でそちらを見ると、心の底から安堵しているという表情を浮かべながら、エリナが小さな笑みを浮かべていた。

「はぁ。ったく、あれだけ苦労して進んだのに、一瞬で地上に戻れるなんて、なんか拍子抜けだわ」

 そんなエリナの様子を見た瞬間、なぜかいきなり派手な疲労感に襲われ、あたしは思わずそうぼやいてしまいながら、その場に腰を下ろした。

 と、今気が付いたが、ここはあの「祭壇」の上である。

 ……最初にここに立った時には、まさかこういう展開になるとは思ってもみなかたわね。ふぅ。

 などと、ちょっと感慨にふけっていると、突然、それを完璧にぶち壊す素っ頓狂な声が聞こえた。

「ああっ、エリナさんとマール。良かった、無事に帰ってこられたのね!!」

 我に返り、辺りを見回してみると、まず、こちらに向かって駆け寄ってくるローザの姿が目に入った。

 そして、彼女からやや遅れて、やはり走ってくるお師匠とマリアの姿も確認出来た。 

「ふぅ。どうやら、こっちも無事だったみたいね」

 思わず手を振って応えながら、あたしは誰とも無くそうつぶやいた。

「まっ、ヘタレなカリムにしては上出来ね。……ふぅ、さすがにあたしも疲れたわ」

 と、こちらも手を振りながら、エリナがぽつりとそう漏らした。

 まっ、なんにせよ。とりあえず、この遺跡の調査は一段落って所かな。

 あとは、報告書を書いて打ち上げやって……。それから先の事は、まともなベッドで一晩寝てから考えましょう。

 こちらに駆け寄ってくるみんなの姿を見ながら、あたしは胸中で漠然とそうつぶやいたのだった。



『魔道院調査部各位

           王歴1760年夏の第4月3日

        魔道院院長代行 アリス・コンフォート


    ※緊急通達※


 王歴1760年夏の第1月25日、ポートケタス近郊で発見された『未調査遺跡第二百三十九号』について、初期調査の結果、下記のように決定する。


     記


公式名称 ジュル・エハラスト・ウィ・アストリア

調査区分 第1級

記録閲覧区分 非公開


                以上』

                  

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