第26話 ジュル・エハラスト(前)
もう、いい加減こう言うのも嫌になってきているが、とにかく、あたし達は遺跡の闇の中を延々と歩いていた。
あのアイアン・ゴーレムをブチ倒してからというもの、あたし達の行く手を塞ぐ、魔法生物たちとの遭遇回数が目に見えて増加していった。
しかも、その内容も、おなじみの「オオカミ」だけではなく、「スライム」や巨大な「コウモリ」、果ては「四つ足で歩く得体の知れない獣」と、とにかく多種多様な「種族」が出現するようになってきた。
そして、それに加えて、エリナの手によって簡単に解除されているものの、うっかり作動させてしまえば即座に命に関わるような凶悪な罠も、かなり頻繁にお目にかかるようになってきている。
今までの経験から、この変化が意味する事は一つ。あたしたちが、徐々にこの遺跡の重要部に近づいているということだ。
もっとも、以前エリナから聞いた話によれば、彼女が最初に「飛ばされた」階からあたしたちと出会った階に至るまで、「いくつもの階段を登った」という事だったはずである。
それなのに、あたしたちがこの階に至るまでに目にした階段は、たった一つだけ。
つまり、この階は、少なくとも最下層ではないということである。
となると、この先、さらにこの遺跡の地下深くの階層に降りていく事になれば、よりいっそう強力な魔法生物や罠に出くわす可能性もあるわけだ。
まあ、これは決して声に出しては言えないけど、かなり気が滅入る話よねぇ。ふぅ。
「ん?ちょっと待った。また行き止まりだ」
と、先頭を歩くお師匠が、そう言って足を止めた。
あたしを含めた他の四人も、それに習ってその場で立ち止まる。
見ると、魔術の明かりがぎりぎり届く程度でハッキリとは見えないが、確かに行く手に大きな壁のようなものがある事は分かった。
「やれやれ、また『幻』かしら?」
ため息混じりにそう言って、エリナは首だけ動かして背後を見つめた。
その彼女の視線の先は、前に思わぬ活躍を見せた、ローザに向けられている。
「うーん。今のところ、特に変な感じはしないけど……」
エリナの視線に気が付いたらしく、ローザは自信なさげにモゴモゴとそう言った。
「それじゃあ、もう少し近づいてみますか」
そんな二人のやりとりを見て、あたしは無意識のうちにそうつぶやいた。
「ああ、そうだな。ここからじゃあ、本当に行き止まりかどうか分からんからな」
と、元々特に意識して問いかけたわけではなく、むしろ、独り言と言ってもいいような感じだったのだが、お師匠が律儀にそう応えてくれた。
彼が言うとおり、ここからでは「何となく壁があるような気がする」という程度なので、この先が完全に行き止まりなのか、それとも、見えない範囲に通路や階段などがあるのかは定かではない。となれば、言うまでもなく、より近づいてみるしかないのである。
「よっしゃ、そうと決まれば話は早い。さっそく、迅速かつ慎重に進むわよ!!」
と、少し無理をしているのが分かる妙に明るい声で、エリナがそう言った。
と、そうそう。特に頼み込んだワケじゃないのだが、ここに至るまでの間に、いつの間にか、何かに付けエリナが仕切るようになっていた。
まあ、どうにも荒っぽい彼女ではあるが、これでも、魔道院の調査部でその名を知らぬの者は『モグリ』と言われるほどの大ベテランだし、あたしなんぞが仕切るよりも、よほど理にかなっていると言えるだろう。
正直、ヒラの隊員よりも遙かに責任が重く、そのわりには、あまり報われる事のない調査隊の隊長など、出来る限り避けて通るべき役回りだというのが、あたしの率直な見解である。もっとも、極短期間とはいえ、仮にも魔道院院長などという、調査隊隊長とは比較にならないほど面倒で、しかも全然旨味がない役職にあった者のセリフじゃないけどね。これは。
とまあ、そんなどうでもいいような話をしているうちにも、あたし達は行き止まりとおぼしき壁に向かって進んでいる。
あたしたちが進むと同時に、魔術の明かりの範囲も移動し、やがて、進行方向の様子がはっきりと視認出来るようになってきた。
……どうやら、この先は完全な行き止まりらしい。
目の前を塞ぐ、床から天井まで繋がる壁には、どこにも通路らしきものは見あたらないし、他の階へ移動するための階段も見当たらない。
となると、あとはもう少し近づかないと判別出来ない「転移」の魔法陣があるか、もしくは、先にあった「幻の壁」である事に期待するしかないのだが……。
「ローザ、なにか感じる?」
「……なにも変な感じはしないわ」
前を見たまま問いかけるエリナに、ローザが自信なさそうに答えた。
まだ分からないが、どうやら、後者の可能性は低いようである。
……あーあ、これで正真正銘の行き止まりだったら、さすがにちょっと泣くかも。
などと、少々弱気な事を心の中でつぶやいているうちに、あたしたちは、とうとう行き止まりの壁に到達してしまった。
先に述べたとおり、通路や階段などはなく、また、最後の望みだった「転移」の魔法陣もない。
「うーん、特になにも感じないわね。あたしも断言できるほどの自信はないけど、ただの壁だと思うわ」
と、誰に言われるまでもなく、ローザは頭を掻きながらそう言った。
一応、あたしも意識を集中させて、目の前の壁をじっくりと観察してみたのだが、やはり、ただの壁だとしか思えない。
「そっかぁ……。まあ、とりあえず、試してみるわね」
そう言って、エリナは早口でなにやらつぶやき、そして、両手を前方に突き出した。
すると、その両手の平が淡い光に包まれ……全く何事もなく、そのまま消えていった。
「ふぅ、ダメね。やっぱり、これはごく普通の石壁よ。残念ながら、文句なしに行き止まりってこと」
と、ため息混じりにそう言って、エリナは前方に突き出していた両腕を下ろした。
その瞬間、みんなの顔に少なからぬ落胆の色が浮かぶ。もちろん、あたしもその仲間の一人だった。この時点で、途中にゴーレムまで配されていたこの通路が、実は、ただの長過ぎる袋小路であったという、信じたくもない事実が確認されたわけである。
もっとも、この特殊な構造上、ここに至るまでのどこかで、「当たり」の通路を歩いていた可能性もあるが、だからといって、これはあまり慰めにはならない。
「あーあ、無駄骨か。まあ、しょうがないとは思うけど……」
まるで、なにかを吐き出すようにそう言って、エリナはその場にどっかりと腰を下ろしてしまった。
それにしても、床に直に腰を下ろし、胡座をかいている彼女のその姿は、いかにもベテランという風格のようなものを漂わせ、なんだかヤケに頼もしそうに見える。
そんなだから、エリナってば、「ソッチの方面」の意味合いで、魔道院の一部の女性魔道士に好かれるのよ。きっと……。
閑話休題。ともあれ、少なからぬ疲労感にさいなまれたのは、あたしとて同じである。
さすがに、エリナほど潔くは出来なかったが、その場に腰を下ろし、何とも言えぬ気だるさを感じながら、あたしは天井を仰ぎ見た。
……あたしのすぐ頭上には、マリアだかローザだかが浮かべた『光明』の光球があり、なんだかひたすら無闇にまぶしい。
もはや、なにかしゃべる気力もなく、そのうち、ただ座っているだけでも面倒になってしまったので、あたしは、そのまま仰向けにひっくり返ってしまった。
……ああ~、今まですっかり忘れていたけど、なんか頭の先からつま先まで、やけにベタ付く感じがして気持ち悪いわねぇ。
そういや、もう何日体を洗っていないんだっけ。って、なんか本気で気持ち悪くなりそうだから、これ以上はやめておこう。
ふぅ。早いところ地上に戻って、ちょっと強めのお酒を浴びるほど飲みたいわね。
それに、この辺りって、さすがにアストリア王国最大の貿易港があるだけのことはあって、見慣れないけどやたら旨いっていう食べ物が豊富にあるのよね。
……いかん、マジで切なくなってきた。
と、思わず胸中で涙してしまった時、色々な物を全てぶち壊しにする巨大な爆音が辺りを蹂躙した。
「だぁぁぁ、人がシミジミしている時になんだってのよ!!」
さすがにたまらず怒鳴りつつ、あたしはその場でパッと飛び起き、思いっきり怒鳴り散らしてしまった。
「あっ、ゴメンゴメン。あんまりムカついたもんで、つい爆破したくなっちゃってさ」
と、頭をポリポリ掻きながら言ってきたのは、他ならぬエリナだった。
見ると、彼女のすぐ近くにある壁から、もうもうと煙が立ち上っている。
「爆破って、全員埋める気だったンかい。あんたは!?」
辺りの状況をちらりと見やりつつ、あたしはジト目でエリナにそう言ってやった。
行き止まりの壁からやや離れた場所にいたあたしはともかく、より近くに立っていたはずのお師匠とマリアは床に倒れて目を回しているし、かろうじて意識がある様子のローザも、床にへたり込み、引きつったような笑みを浮かべたまま硬直してしまっている。
まあ、幸い誰も大怪我をした様子はないが、まかり間違ってこれだけ巨大な壁が倒壊していたら、あたしたちは、それを自覚する間もなく生き埋めになっていただろう。
「もう、あたしだってちゃんと考えているわよ。爆破する前に、ちゃんとこの壁全体を防御魔法でコーティングしておいたから、ぶっ飛ばした時の破片やら瓦礫やらはこっちには飛んでこないし、爆風対策もこれでバッチリ」
と、あたしの抗議に、エリナはシレッとした顔でそう反論してきた。
……そういや、爆音と振動こそ感じたけれど、当然、襲いかかってくるはずの爆風やら壁の破片やらは飛んでこなかったわね。
だけど……。
「『バッチリ』じゃないわよ、ったく。防御魔法を使う事を思いつく余裕があるなら、それ以前に、爆破する必然性があるのかって事を考えなさいよ」
呆れ八割、関心一割、なんかどーでもいいやという、投げやりな気持ち一割をブレンドした複雑な気持ちで、あたしはエリナにそう言ってため息を吐いた。
「まあ、確かに、それを言われると辛いわね。ったく、せっかく特製の魔法薬をありったけぶち込んでやったのに、コゲ跡一つ付かないんだから……」
と、あたしの物言いに少しひるんだらしいエリナは、しかし、どこか微妙な見解の相違を見せつつ、愚痴を漏らすようにそう言ってきた。
「あのねぇ、壁がぶっ壊れなかったとかそーいう事じゃなくて、そもそもなんで爆破しようと思ったワケよ。意味無いでしょうが」
思わず頭を抱えそうになってしまいつつ、あたしはエリナにそう言った。
「いや、だから、さっきも言ったけど、なんか頭に来たからよ。ほら、マールだって、ちょっと前までは、マリアとツルんで色々と「八つ当たり的破壊工作」をやらかしていたでしょう。アレと同じよ」
「……」
キッパリとエリナに返されてしまい、あたしは咄嗟になにも返せなくなってしまった。
……「八つ当たり的破壊工作」。なるほど、決して的はずれな表現ではない。
だが、破壊工作というのは、少々オーバーだろう。
なにしろ、あたしがやらかした事といえば、「魔術実験許可証」という免罪符を入手した上で、ちょっと城壁に穴を開けてみたり、大して通行量のない橋を二、三本落としてみたり、三年後に取り壊し予定だった計画を前倒しして、魔道院の旧実験棟を無料で破壊してみたりと、せいぜい、ちょっと活発な子供のいたずらレベルである。
いやいや、魔道士たる子供というのは、ノリと勢いだけで、無邪気に街を丸ごと吹っ飛ばしたりするんだから、それに比べれば、あたしのやらかした事など、どうという事もない。
「おやま、なにか不満そうねぇ」
「いいえ、何でもないですってば」
エリナの意地悪な問いかけに、あたしは努めて素っ気なくそう返した。
……ったく、これだから魔道院時代のやんちゃなあたしを知ってるヤツは嫌なのよね。
「ま、まあ、あたしの過去はどうでもいいとして、ストレス発散なら、もっと穏便な手を考える事をお勧めするわよ。『破壊の三姉妹』なんて呼ばれたくなかったらね」
と、半ば開き直ってそう言うと、さすがに『三姉妹』は嫌だったのか、エリナはちょっと顔をしかめた。
……フフフ、人の印象ってものは、悪いものほど後を引くものなのよ。
たった一度でも変なレッテルを貼られると、そう簡単にはまっとうな魔道士には戻れないのさ。ざまーみろ!!
……って、なんか壊れ気味ね。あたし。
「うふふ、マールさん。よく分かっているじゃないですか。私たちは、あくまでも二人だから『破壊の姉妹』で済んでいるのです。これでエリナさんが新規加入したら、ただのテロリスト集団になってしまいますからね」
「うわっ、びっくりした!!」
一体いつの間に復活したのか、いきなりマリアが横からクチバシを差し込んできた。
……しっかし、どーでもいいが、なんなのよ、その得体の知れない理屈は。
「ちょ、ちょっと、なんであたしが加わるとテロリスト集団なのよ!?」
と、どうやらマリアのセリフが気に入らなかったらしく、エリナが猛然と抗議の声を上げた。
「あら、自覚していませんか。なんでしたら、ここで逐一ご説明申し上げましょうか?」 と、口調はあくまでも丁寧ではあるが、しかし、何となくドロドロしたものを感じさせるマリアの言葉に、エリナは引きつった笑みを浮かべた。
「あ、あはは……。結構です」
乾いた笑い声を上げつつエリナがそう返すと、マリアはニコリと笑みを浮かべた。
「なるほど、『結構』なんですね。それでは、お話しましょう。あれは、去年の事でした。エリナさんは……」
「だぁぁぁ、やめれ。ったく、あんたは悪徳業者の営業か!!」
なにやら語り出したマリアの肩をガシッと掴みつつ、エリナが慌ててそれを遮った。
「……なんつーか、あんたら、実はいいコンビじゃないの」
まあ、「去年の事」とやらが無性に気になるところではあるが、とりあえず、それは胸の内にしまっておく事にして、代わりにそうツッコミを入れてやった。
「どこがいいコンビよ。あたしにしてみれば、敵よ敵。ったく、誰がこんなのを魔道院院長代理にしたんだか……」
すると、エリナは心底嫌そうな顔をして、即座にそう反論してきた。
「それは、私の人望が厚かったお陰でしょう。エリナさんも、日頃から人に好かれるように心がけていると、多分ちょっとはいい事があるかもしれませんよ」
「ええい、やかましい。大体、あんたのどこに人望があるのよ。人望が!?」
「あら、分かりませんか。そんな事ですから『彼氏にしたい先輩ベストテン』の堂々1位に君臨することに……」
「ぬわぁ。そのおぞましい話をするな!! っていうか、それって、むしろ人望厚いような気がするんだけど、これは気のせいかしら?」
「あっ、そうですね。これは失敗でした」
……あーあ、なんかおっ始まっちゃったよ。やっぱり、この二人って結構いいコンビだと思うんだけどなぁ。
って、ンな事はどうでもいいか。それより、この二人が飽きるまでの時間つぶしを考えなくちゃね。
「な、なあ、マール。一つ聞きたいんだが、なんであの二人は言い争っているんだ?」
思考を巡らせているそのうちに、どうやらこちらも復活したようで、お師匠がポカンとしながらそう問いかけてきた。
「一言で言うなら、『女の友情』ってヤツです。あまり深く考えない方がいいですよ」
と、そんなお師匠に投げやりに答えるあたし。
はっきりいって、バカらしくて真面目に説明する気にもなれない。
しかし、そんなあたしのいい加減な一言で、なぜかお師匠は納得してしまったようで、大きくうなずいた。
「そうか、女の友情か。ならば、僕が口を出す問題でもないな」
……いや、納得されても困るんだけど。
まっ、誰が損するわけでもないし、別にいいか。
「まあ、あの二人は放っておくとして、今のうちに、適当に食事でも取りますか?」
あたしがそう提案すると、お師匠は小さくうなずいた。
「そうだな。あの様子じゃ、二人ともしばらくは正常に戻らないだろうし、正直な所、かなり空腹なんだ」
そう言って、小さく笑みを浮かべるお師匠に、あたしは片目を閉じて答えてから、その場に腰を下ろした。
そして、傍らに置いてあった荷物袋の中から、味よりも保存性を優先させたとしか思えない、干し肉だのなんだのといった携帯食料を取り出した。
まあ、マリアだったら、ここで喜々として豪勢な料理を作り始める所ではあるが、残念ながら、あたしの腕は彼女には及ばない。
「しかし、何だな。僕も色々と遺跡を見てきたけれど、ここほど面白い場所はなかなかないな」
と、あたしの取り出した干し肉をひとかけらかじりながら、お師匠がつぶやくようにそう言ってきた。
「『面白い』ですか。まあ、ある意味ではあたしも同意見ですけど」
思わず苦笑を浮かべてしまいつつそう返すと、お師匠はオーバーなリアクションで肩をすくめてみせた。
「なんだよ、その歯に物が詰まったみたいな言い方は。遺跡好きたる者、なんか変なものを見たら素直に喜べって、前から言っているだろうに」
「あの、初めて聞きましたけど。それ」
あたしがすかさずそう切り返してやると、お師匠はきょとんとした表情を浮かべた。
「あれっ、言わなかったっけ。じゃあ、今言ったから、今後はそのつもりでよろしく」
しかし、すぐに立ち直ったらしく、お師匠はそう言ってビシッと右手人差し指を立てて見せた。
「よろしくって……。まあ、いいですけど」
色々と言いたい事はあるのだが、とりあえず、それはそっと胸の内にしまい込み、あたしは投げやり気味にそう返した。
……『なんか変なモノ見たら素直に喜べ』って、ただのヘンタイのような気がするんですけど。実際。
などと、思わす胸中でシミジミつぶやいてしまった時である。
突然、辺りに「ゴキッ」という、生理的嫌悪感を伴う音が響いた。
反射的に、今まで放っておいたエリナとマリアの方を見やると、その双方の顔面にお互いの拳が食い込み、両者とも尋常じゃない方向に首が曲がっていた。
「……」
そして、あたしとお師匠が無言で見守る中、エリナとマリアはゆっくりと床に崩れ落ち、そのままピクリとも動かなくなった。
「・・・どーやら、カウントは要らないみたいね。二人とも、お疲れ様」
と、どうせ聞こえているわけがないと思いつつ、あたしは一言そう言ってやった。
まあ、二人ともそれなりに重傷のようだが、こんな下らない事のために、貴重な魔力を使ってまで治療してやろうとは思わない。まっ、二人とも首を斬り飛ばしても死ななそうなほど頑丈だし、もうちょっと経てば、勝手に回復するでしょう。
「ふむ、麗しき友情だな。すばらしい」
と、皮肉か本気か、お師匠がなにやらそんな事を言って、ウンウンとうなずいるが、これは無視することにする。
「それにしても、正直言って、本当にこの遺跡から出られるのか心配になってきました。これじゃあ、体力の方はともかく、気力の方が保つかどうか」
気持ちを切り替え、あたしはお師匠にそう言ってため息を吐いた。
もっとも、これはあたしだけではなく、他のみんなにも共通する本音だろう。
しかし、これは大きな声で言える事ではない。
もし、あたしたちの誰か一人でもそういう弱音を吐けば、それを引き金にして、今までなんとか押さえ込んでいた全員の感情が爆発する。そうなったら最後、もはや、脱出できる望みはほとんど絶たれてしまうだろう。それが分かるからこそ、あたしを含めて、今まで誰もこの事は口にしなかったのだ。聞いているのが他ならぬお師匠だからこそ、あたしはこうして本心を明かせるのだ。
「おいおい、マール。この程度でそんな事を言うなよ。こんなシケた遺跡より、『レビィ・サップ』の方が、遙かにしんどかっただろう?」
と、お師匠はそう言って肩をすくめた。
「まあ、それはそうなんですけど……。あたしはともかく、これが遺跡初経験のローザはもうとっくに限界を超えているでしょうし、いくらベテランとは言っても、エリナはあたしたちよりかなり長期間ここにいますからね。控えめに言っても、あまり長くは保たないと思います」
あたしがそう返すと、お師匠は難しい表情を浮かべた。
いままで特に述べなかったが、いつの間にか、ローザはスヤスヤと寝息を立てていた。
その様子から、もはや彼女が限界点などとうに超えている事は、容易に察しが付く。
それでも、今のところは、なんとか動けるようだが、それも、いつまで保つ事やら……。
「そうだな……。それは、僕も分かっているんだが、現状ではどうにもならないだろう。とにかく、どこかに進まないと話にならない」
と、久々に見る真面目な様子でそう言うお師匠に、あたしはなにも返せなかった。
お師匠の言う事は、しごくもっともな事である。もちろん、あたしとてそのぐらいは分かっている。地上に戻るすべがあるなら、とっくにそれを試みているだろうし、それが分からないからこそ、こうして延々と地下をうろついているのだから。
「まあ、そう悲観するな。考えても仕方ない事は、端から考えないのが一番。こうなったら、成り行きに任せで前進あるのみだ」
あたしがごちゃごちゃ考えていると、いつものお気楽モードに戻ったお師匠が、そう言ってあたしの肩をバシッと叩いた。
「……まあ、それもそうですね。っていうか、肩痛いです」
あたしとて、もちろん完全に吹っ切ったわけではないが、お師匠の言うとおり、いくら考えても事態が好転するわけでもない。
無理矢理気持ちを切り替えて、あたしはわざと大げさに肩をさすりながら、お師匠にそう返した。
……ふぅ、この神経の太さは、いまだにあたしがお師匠に勝てない部分なのよね。言い意味でも、悪い意味でも。
「わはは、骨が折れたわけでもあるまいし、このぐらい我慢しろ。そんなことより、さっさと食っちまおう。特にマリア辺りが起きると、またうるさくなりそうだし」
「そりゃごもっとも……って、それあたしの分!!」
「だはは、早い者勝ちだ、こんなもん」
と、素早くあたしの分の干し肉まで貪り尽くしたお師匠が、勝ち誇ってそう言った瞬間だった。
まさか、あたしの胸中の怒りに呼応したわけではないだろうが、突然、辺りの床が激しく振動し始めた。
「う、うわっ。って、み……」
慌ててそこらに転がっているエリナ&マリアとローザに声をかけようとしたその時、いきなり床が「消滅」した。
それも、あたしだけではなく、全員をすっぽりとカバーするほどの広範囲に渡って。
・・・そ、そういえば、「定期的に」内部の構造が変わる仕掛けがあったんだっけ!?
と、改めて気が付いた時には、もはや、逃げる暇などどこにもなかった。
当然といえば当然だが、、あたしたちは奈落の底めがけて落ちていくしかなかったのだった。
「……ほぇ?」
永遠に続くかと思った落下感が急に消え失せ、あたしは思わず変な声を上げてしまった。
とりあえず、辺りを見回して見たが、まるで黒インクで塗りつぶされたかのような闇の中で、全くなにも見えない。
「ふむ、重力緩和の魔法か」
と、突然、闇のどこからかエリナの声が聞こえてきた。
その様子からして、さして遠い場所ではないようだ。
「あっ、エリナ。どこにいるの?」
「いや、そう聞かれてもねぇ。これじゃなにも見えないって」
・・・あっ、確かにそうね。
我ながら、ちと間抜けな質問しちゃったわね。
「うーん、それにしても、なんか首から上が異様に痛いのよね。……まあ、それはともかく、なにがどうなっているわけ?」
と、続けてエリナがそう問いかけてきた。
彼女もまた、あたしからさほど離れているわけではなさそうだ。
「なにがどうなっているって……。あっ、そうか。掻い摘んで説明するわね」
一瞬、エリナ流のボケかと思ってしまったが、すぐにあのときの状況を思い出し、今までの経緯を簡単に説明した。
「……なるほど。つまり、今は『墜落中』ってわけね。それにしても、『重力緩和』なんて、そうそうお目に掛かる罠じゃないんだけど」
あたしの説明が終わると、エリナは思案している様子でそう言った。
「とにかく、『光明』の魔術をよろしく。こう何も見えないんじゃ、なにかと不便だし」
「はいはい。それじゃあ・・・」
エリナの声に答え、あたしは『光明』の魔術を使い、闇に慣れた目にはちと辛い光球を一つ作り出した。
すると、あたしのすぐ隣にエリナの姿は確認できたものの、他のみんなの姿がない。
「あれ、あとの三人は?」
特に誰にと言うわけでもなく、あたしは思わずそう問いかけてしまった。
「さあ、なぜか記憶がぶっ飛んでいるから、あたしにはなんとも」
と、少々困った様子で、エリナがそう答えてきた。
……ああ、そうだったわね。またやっちゃったよ。
「それもそうか……。それにしても、ここって一体?」
なんとなく漂う気まずい空気を振り払うべく、あたしはわざと声のトーンを上げてそう言った。
もちろん、あたしも姿が見えない三人の事は気がかりだが、それと同等程度に、あたしたちが置かれている状況も気になる。
死ぬほど考えれば、他の三人の居所が分かるというなら別だが、今は、こちらの事を解決する方が先決である。
「さあ、今のところは何とも言えないわね。まあ、無闇に広い空間だってのは確かだけど」
と、辺りを見回しながら、エリナがつぶやくようにそう答えてきた。
確かに、『光明』の魔術が及ぶ範囲にエリナ以外は何も見えない所を見ると、ここが無闇に広大な空間である事は間違いない。
ただ、緩やかながらも『落下中』であることは感覚的に分かるので、あたしたちが、いまだに虚空にあることは間違いない。
「まあ、なんにしても、用心しておくに超した事はないわね。うまく言えないけど、なにか嫌な予感がするわ」
こちらも辺りを見回していると、いつになく真剣な様子で、エリナがぽつりとそう言ってきた。
何かは分からないが、少なくとも、彼女が冗談を言っているわけではない事は分かる。
あたしは、返事代わりに虚空に『穴』を開け、その中からサマナーズ・ロッドを取り出した。
もっとも、未だに召還魔術が使える体調ではないし、前に全開でぶっ放してから、もうかなり時間が経っているとはいえ、例の『裏技』がどれほどの効果を発揮出来るか、正直分からない。
しかし、色々と付加機能が付いているとはいえ、基本的には、そこそこの頑丈さと重量を持った金属の杖である。
仮に『裏技』が使用できないとしても、「思いっきりぶん殴る」という原始的な攻撃は出来るし、現状では使いこなせない銃に頼るよりはマシだろう。
「あっ、そうそう。こう言うと、マールとしては嫌かも知れないけど、その銃を貸してくれると有り難いんだけど……」
「えっ?」
いきなり意外な事を言い出すエリナに、あたしは思わず変な声で答えてしまった。
「いや、別に変な事しようっていうわけじゃないのよ。ただ、この先武器らしい武器がないっていうのは、さすがに心許ないからさ」
と、あたしの反応を違う意味に捉えたらしく、エリナは慌ててそう言ってきた。
「あっ、そうじゃないのよ。ただ、エリナが銃を使えるのかなって思ったのよ」
あたしがそう言うと、彼女はニッと笑みを浮かべた。
「もちろん、ちゃんと知っているわよ。そもそも、いくらなんでも、使えない武器を貸せなんて言わないって」
「・・・そ、そうだったの。いつの間に」
あまりにあっさりと断言されてしまい、あたしは驚きのあまり、モゴモゴとそう返すのが精一杯だった。
なにしろ、前にも述べたと思うが、このアストリア王国において、銃という武器は基本的に禁忌とされているし、なにより、圧倒的大多数の魔道士は、この武器に対して強烈な拒絶反応を見せるのだ。
そんなわけで、そんな武器を持っている好事家など、この国ではせいぜいあたしぐらいだと思っていたのだが……。
「ま、まあ、今のところ、あたしが持っていてもあまり意味がないし、貸す事はやぶさかじゃないんだけど。手荒に扱って壊さないでよ」
いまだ驚きが収まっていないあたしだったが、ともあれ、せっかくの強力な武器を眠らせておくのは勿体ない。
一応軽く釘をさして置いてから、あたしは両足のホルスターごと拳銃を取り外し、エリナに手渡した。
「フル装填済みで残弾はあと十二発あるわ。必要なら、そっちも渡しておくけど」
「とりあえず、これだけでいいわ。へぇ、これってミスリル製ね。確かに、これは壊すわけにはいかないわね」
自分で言うだけの事はあって、エリナはやけに手慣れた様子でホルスターを装着し、そこから銃を引き抜きつつ、関心したようにそう言った。
むぅ、エリナってば、実はかなりの使い手とか?
「おっ、そんな事を言っているうちに、ようやく床が見えてきたわね」
と、いきなり口調を改めてそう言ってきたエリナの声に、あたしは反射的に足下を見やった。すると、彼女の言うとおり、まるで闇の中に浮かび上がるように、見慣れた石造りの床が確認できる。
「さてと、着地する前に話しておく事が一つあるわ。もし、あたしの身になにかが起こっても、構わずに自分の身を守る事を最優先に考えてね。その代わり、逆にマールの身に何かがあっても、あたしは一切フォローしないわ」
「えっ?」
いきなり真面目に言ってきたエリナに、あたしは思わずそう聞き返してしまった。
「つまり、そのぐらいの覚悟をしておいてっていう事よ。さっきも言ったけど、どうも嫌な予感がするのよ」
と、少し慌てた様子で、エリナは手をパタパタ振りながらそう言ってきた。
「嫌な予感、か……。分かったわ。仰せの通り、何かあったらあたしは自分の事を最優先で行動させてもらうわ」
そう返して、あたしは小さく笑みを浮かべてやった。
といっても、別にエリナをバカにしているわけではない。
むしろ、その反対で、あたしはエリナの「忠告」を真面目に受け止めていた。
もちろん、これには十分な経験に裏打ちされている上でという但し書きが付くが、遺跡委調査において、「直感」や「予感」といった類のものは、なによりも強力な武器になるのだ。
特に、今まで誰も踏み入った事のない未調査遺跡の場合は、文字通り右も左も分からない場所だけに、なおさらの事である。これをバカにすると、それこそ、助かるはずだった場所で命を落とす事にもなりかねない。
「うむ、素直で結構。あのヘボ弟子も、さすがに、要所だけはちゃんと教育していたみたいね」
と、満足そうにつぶやくエリナ。
……えっと、「ヘボ弟子」っていうのは、たぶんお師匠の事よね。
うーむ、ふと思ったんだけど、「師匠」がこの様子だと、その『弟子』たるお師匠も、やっぱり、今頃何かとあたしの事をコケにしまくってくれている可能性が高いわよね。
まあ、どーでもいいって言えば、どーでもいい事なんだけど、今後の師弟関係を良好に保つために、あとでこっそり調査してみるか。
などと、密かに胸中で決意を固めたその時、あたしたちは無事に床へと降り立った。
両足に軽い着地の衝撃を感じつつ、注意深く辺りを見回してみるが、『光明』の魔術の効果範囲以外は、ひたすら深い闇があるのみ。
今のところ、エリナの言う『嫌な予感』が現実になる兆候はない。
「ふぅ。とりあえず、『着地地点にいきなり罠がある』っていう、腹立たしい事この上ない反則技は無かったみたいね」
と、こちらも辺りを見回していたエリナが、心の底から安堵したと言わんばかりにそうつぶやいた。
「それにしても、ここってかなり広そうね。わざわざ手間暇掛けて、こんな場所を造ったぐらいだから、きっと重要な何かがあるとは思うんだけど、エリナはどう?」
あたしがそう問いかけると、エリナは腕組みをして小さくうなり声を上げた。
「うーん、そうね。まあ、あなたが言うとおり、ここには『何か』があるのは確かだろうけど、『重要な物』かどうかはなんとも言えないわね。最悪、『監獄・ドラゴン付きお買い得セット』の可能性もあるわよ」
……そーいや、前にそんな事を話してくれたわね。
まあ、「お買い得」かどうかはともかく、これだけの広さがあれば、巨大な体を持つドラゴンでも、なんら動きが制約される事無く、十分に活動できるだろう。
もし、エリナの言うとおりだった場合、あたしたちは、控えめに言ってもかなりヤバイ事になる。
その頑強な鱗は全ての攻撃をたやすく弾き返し、その鋭い爪は万物を引き裂く。また、その吐息は、あらゆる物を刹那の間に灰燼に帰すだろう。
これは、とある古文書に残されていた「竜」、すなわちドラゴンに関しての記述である。
まあ、実際の所は、それ相応の武器や魔術を使えば、どうにかこうにか傷を負わせる事が出来るし、最強クラスの防御魔術を使えば、爪や『吐息』……ブレスはどうにかしのぐ事は出来るのだが、それと「倒す」事はまた別問題である。
これは、正規の調査隊としてこの遺跡に派遣されたエリナの隊が、たった一匹のドラゴンの前に壊滅させられたという事を例に挙げれば、容易に理解できる。
なにしろ、魔道院が未調査遺跡に派遣する正規調査隊の戦力は、魔道士を一人も擁しない通常部隊換算で、ざっと兵士一万人分程度に匹敵するのだから。
もっとも、ただの剣や弓などを主戦力とする通常部隊と、制限付きとはいえ、一時的に物理的な制約から逃れられる魔術を単純には比較出来ないのだが、それでも、ドラゴンを敵に回すと、どれほど悲惨な目に遭うかは分かって頂けたと思う。
正直、こうしてエリナが生きているというのは、ほとんど奇跡に近いのだ。
「まあ、これはあくまでも『可能性』よ。だから、そんなビビッた顔しないの」
と、まるで諭すようなエリナの声に、あたしははたと我に返った。
「そ、そう言われても、エリナが『ドラゴンがいるかも』なんて言うと、あながち的はずれな話とは思えないし……」
「あのねぇ、あんたも『魔道院の最終兵器』とまで呼ばれた男でしょうが。たかが、トカゲの親分ぐらいで、がたがた言わないの」
「……いや、あたしって、これでも女だし」
と、そこはかとなく失礼な事を、一片の躊躇いもなく威風堂々と言い放ってくれたエリナに、あたしは思わずそうツッコミを入れてしまった。
「ええい、あたしが男と言ったら、あんたは男なの!!」
しかし、当のエリナは、全く聞く耳持たずと言わんばかりに、キッパリとそう言い切ってくれた。
「いや。それって、かなり無茶苦茶な事言ってるし……」
「あはは、聞こえない。聞こえないわよ!!」
あたしの抗議もなんのその。首をブンブン横に振りながら、にこやかにそう言ってのけるエリナの様子を見て、あたしは思いっきりため息を吐いてしまった。
……つまり、あたしに揚げ足を取られたのが、よほど気にくわなかったってわけね。エリナのやつ。性別間違えるなよ。バカヤロウ!!
「まあ、いいわ。アホな事で体力を浪費する暇があるなら、さっさと次に取るべき行動を考えましょう」
もうどうでもいい気持ちになりながら、あたしが思いっきり冷たくそう言ってやると、エリナは少し寂しそうな表情を浮かべた。
「なによぉ、その連れない態度は。せめてもの気分転換に、後輩でもからかって遊ぼうと思ったのに……」
「ん。なんか言った?」
なにやら得体の知れない文句を付けてきたエリナに、あたしは努めて笑顔でそう言ってやった。
むろん、あたしの耳は彼女の言葉をきっちり捉えていたが、いちいち真面目に相手してやるような内容ではない。
「……いーもん。そーいう事言うなら、一人で勝手に遊ぶから」
しかし、エリナはそれが不満だったようで、いきなりふくれっ面しながらそう言って、その場にしゃがみ込んでしまった。
「ええい、いいトシこいて駄々捏ねるな。鬱陶しい!!」
さすがにたまらず、思わずそう怒鳴り散らしてしまうと、エリナがパッと立ち上がった。
「フフフ、あたしの粘り勝ちね。突き放すなら、最後まで貫徹しないとただの間抜けよ」
と、なにか勝ち誇ったように、エリナは声も高らかにそんな事をのたまってくれた。
「……アホくさ。いい加減にしないと、その鬱陶しい口にサマナーズ・ロッドの先端を突っ込むわよ」
ジト目でエリナを睨みつつそう言ってやると、彼女はなにかを諦めたようにため息を吐いた。
「はいはい。ったく、シャレの一つも分からないとは、よっぽど荒んでいるのね」
「だから、拗ねるなっての。ったく、もうちょっと真面目にやってよね」
なにやら不満そうにぼやくエリナにそう言いながら、あたしは『明かり』の光球をさらに3つ打ち上げた。
それにより、あたし達を中心にして広がる光の輪が大きくなったが、見えるものと言えば、見慣れた飾り気のない床だけ。
あとは、本気で何処までも続いているような気がする一面に広がる闇しかない。
念のため、あらん限りの集中力を動員して、辺りの気配を探って見たが、特に気になる事は無かった。
「言われるまでもなく、真面目にやっているわよ。……どうやら、あたしの嫌な予感は見事に的中しちゃったみたいよ。不幸な事にね」
「えっ?」
ガラリと口調を変え、低く押し殺したようなエリナの声に、あたしは思わずそう聞き返してしまった。
見ると、彼女は何とも言えない複雑な表情を浮かべている。
「ほら、足下をよく見てよ。あなたなら、この正体がなんだか分かるでしょ?」
言われるままに、あたしは足下に視線を落とした。
しかし、あたしの視界にあるのは、見慣れた床とそこに立っている自分の足だけ。
これが、一体……。って、ちょっと待った。
かなり注意しないと見落としてしまうが、なにか、床に彫り込んであるのが分かる。
これって……。
「恐らく、『魔法陣』の一部だと思うわ。薄すぎて、ちょっと読み取れないけど……」
あたしがそう言うと、エリナは大きくうなずいた。
「ご名答。これは、結界魔法の一種よ。ただし、『外から中』を守るっていう本来の目的とは逆に『中のものを外に出さないため』に使われているんだけど」
と、そう言って、エリナはその意図が読み取れない笑みを浮かべた。
「何か『訳あり』みたいね」
そんなエリナの様子を見て、あたしは彼女にそう言った。
「ええ、もちろん『訳あり』よ。まさか、こんなところで『逢う』とは思わなかったけどね」
エリナは、何かを諦めたような、少々投げやりとも取れる口調でそう言って、闇の奥を睨み付けた。
「……今になってようやく分かったけど、この遺跡は『古代魔法時代』に造られたものじゃないわ。そう。今から五百六十年前、アリス・エスクード手によって張り巡らされた『大封印』の一つよ」
「なに、その『大封印』って?」
心ここにあらずというような感じで、まるで独り言のように言ってきたエリナに、あたしは思わず聞き返してしまった。
あたしとて、これで魔道士の端くれである。
この国や世界の歴史。特に、魔術や魔法が絡んでいる事に関しての知識は、今すぐ魔道院で指導教官が出来ると自負出来るほど、深く広く蓄積しているつもりだ。
それ故に、これは自信を持って断言出来るのだが、この国に遺されている古文書やあまたの歴史書の中に、「大結界」などという記述は一切ない。
そんなわけで、エリナの口から飛び出した聞き慣れない言葉に、あたしは少なからぬ興味を抱き始めていた。
「そっか、今はもう失伝しているのよね。……『大結界』っていうのは、一言で言えば、全世界規模の巨大結界よ。アストリア、プレセア、ザイース、モンティノ、エストの五大陸にそれぞれ『頂点』となる祭壇を造り、その各点を結ぶと一つの巨大な『魔法陣』となるってわけ」
「な!?」
頭の中に世界地図を思い浮かべながら、あたしは思わず驚きの声を上げてしまった。
エリナの言った事が本当だとすると、世界のほとんどがその『巨大な魔法陣』の中にすっぽり収まってしまう事になる。
そんな非現実的とも言えるような『大事件』があったなら、当然、なにかしらの記録が残っていても良さそうなものだが……。
「まあ、この事は厳重に隠蔽されていたから、僅かな関係者以外は、誰も知らなかったはずよ。一応、当時のアストリア王国の全てを知る事が出来る立場に在って、さらに、彼女とは親友とも言えるぐらいの仲だったあたしでさえ、『そういうものを造った』程度しか知らないくらいだしね」
そう言って、エリナは苦笑のようなものを浮かべた。
「なるほど。そういう事なら、どの資料を見ても記録が残されていなくても不思議じゃないわね」
と、思わず声のトーンを跳ね上げそうになるのを何とか抑えつつ、あたしは冷静を装ってエリナにそう言った。
多少なりとも歴史やら魔術やらに興味がある人なら、『歴史に埋もれた世界規模の大魔法』などと聞けば、思わず興奮してしまうだろう。
ご多分に漏れず、あたしもその一人だったのだが、しかし、エリナの発する何とも言えない雰囲気が、それを素直に表す事を許してくれない。
どうやら、この件に関しては、アリスとエリナの間になにか深い因縁があるようである。
「あっ、ゴメンゴメン。まあ、大したことじゃないんだけど、ちょっと昔の事を思い出しちゃってね。ったく、アリスのやつ、相変わらずショボい『魔法陣』を描くわね。見習いの方が、よっぽどマシなやつを描くわよ」
どうやら、あたしの胸中を察したらしい。
いきなり口調を変え、エリナはそう言って呆れたようなため息をついた。
……まあ、今はそういう事にしておきますか。
「そ、そうかなぁ。あたしが見る限り、これってかなり凄いと思うけど」
エリナの調子に合わせ、なるべくわざとらしくならないように注意しながら、あたしは床の魔法陣を見つめつつそう言った。
今あたしの足下にあるものは、恐らく、この広大な空間全体を使って描かれているであろう、巨大な『魔法陣』の一部である。
もちろん、これでは全体としての意味を読み取る事が出来ないが、しかし、その複雑に絡み合った『図形』を見れば、これがかなり高度な魔道知識をもって描かれていることが分かる。
ハッキリ言って、見習いどころか、魔道院に所属する魔道士の中で、このレベルの魔法を使える者が、一体何人いることやら……って、『魔法』!?
「これが作られたのが五百六十年間、その作者のアリスはあたしの中で確実に眠っている、そして、人間が『魔法』を放棄したのが今から約三百年前か……」
「ええ、そうよ。それが何か?」
なんとなくつぶやいたあたしに、エリナはきょとんとした表情でそう答えてきた。
「なんていうの。壮大だなってさ」
エリナが吹いた。
「あんたも遺跡探査やってる身でしょうが、今さらよ。ああ、壮大っていえば、アリスの代から始まったエスクード家には、代々引き継がれているとんでもない『お宝』があってね。その現在の所有者は、他ならぬマール・エスクード。あなたよ」
「……エリナ。もしかして、ボケた?」
なにやら思わせぶりに語り始めたエリナに、あたしは思わずツッコミを入れてしまった。
なにを隠そう、あたしは借金こそ一山いくらで特売したくなるほど在庫を抱えているが、いわゆる「お宝」なんぞは何一つ持っていない!!
というか、ンなものが一つでもあれば、あたしはもうちょっと平穏な人生を送っているはずである。
「なによ、失礼ね……。まあ、いいわ。今度、何かの機会で王都に来る事があったら、四番街区三十三番街にある『フーリズ亭』っていう酒場に顔を出して見るといいわ。サンイースト通り沿いにあるし、多分、すぐに分かると思うわよ」
そう言って、エリナは意味ありげな笑みを浮かべた。
……王都ペンタム・シティは、その中央にある王宮を取り囲む五重の城壁により、合計五つの区画に分けられている。
むやみやたらに立派なアストリア城が建っている一番中央の区画は純然たる王宮の敷地であり、実質的に残り四つ分の区画が、ペンタム・シティーと呼ばれる街である。
エリナの言葉にあった『四番街区』とは、最外周とその一つ内側の城壁の間にある区画で、旅人やよその街から流れてきた人たちが多く集まるせいか、この街でもあまり治安が良くない場所である。
その中でも、三十三番街というのはとりわけ危険な地域で、誇張でもなんでもなく、不慣れな者が運悪く迷い込むと、二度とまともな姿で出てこられないような所である。
もちろん、言うまでもないとは思うが、この街で生まれ育ったあたしでも、この三十三番街どころか、魔道院を飛び出した時に、一時的に身を潜める必要があった関係で、生まれて初めて四番街区に立ち入ったというような状況である。
そんなわけで、当然、その『フーリズ亭』なる酒場など心当たりが無いのだが、エリナの口ぶりからすると、そこに何かがあるようである。
・・・よりによって、四番街区三十三番街ねぇ。正直、あんまり気が進まないけど、暇があったらあとで行ってみるかな。
「まあ、その『フーリズ亭』ってのはいいとして、あまり勿体ぶらないでその『お宝』とやらを話しなさいよ」
と、あたしが促すと、エリナは一つうなずいた。
「まあ、アリスっていう人は、これがまた変わり者でさ。どういうわけか、当時のエルフ族族長と親交があったみたいで、こっそり魔法のノウハウを教わっていたみたいなのよ」
「うなっ!?」
エリナの口から飛び出したとんでもない言葉に、あたしは思わず変な声を上げてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。アリスって人間でしょう。それなのに、エルフ族と仲が良かった上に、魔法まで教わっていたっていうわけ!?」
ほとんど無意識のうちにあたしの口から飛び出した声は、かなり掠れていた。
まあ、これは言うまでもないとは思うのだが、はっきり言って、エルフ族と人間は極めて仲が悪い。
この原因に関しては諸説紛々だが、あたしの見解はこうだ。
つまり、自然の環境をうまく利用して生活するエルフ族にとって、自分たちの都合で見境無く環境を変えてしまおうとする人間は、限りなく愚かで度し難い存在に映り、また、自分たちの生活の場を奪う脅威でもある。
対して、人間から見れば、エルフなんぞ、いまだに原始的な生活を送っている下等種族のくせに、唯一の取り柄である魔法の力を振りかざして、大きな顔をしている鬱陶しい連中というわけだ。
これでは、お互いに敵対することはあっても、理解し合う事などまずあり得ないだろう。
そんなわけで、人間の社会では純粋なエルフ族を見る機会はまずなく、世界に何カ所かあるエルフの集落に人間がうっかり踏み込んでしまうと、たちまちボコボコにされてたたき出されるというのが現状なのだ。
これで、アリスがエルフと親交があったなどと言われても、あたしがにわかには信じられない理由がお分かり頂けただろうか。
まして、エルフ族の虎の子とでも言うべき魔法のノウハウなど、例え死ぬほど土下座しまくって懇願しても、絶対に教えてもらえるわけがない。
「まあ、『現代人』のあんたが驚くのも無理はないけど、アリスが生きていた頃の人間とエルフの関係は、今よりはもう少しマシだったのよ。とはいえ、さすがに魔法のノウハウなんて、普通なら絶対に教えて貰えるようなものじゃなかったんだけど、この辺りは、アリスの人柄ってやつでしょうね」
そう言って、エリナは小さく笑みを浮かべた。
「ひ、人柄って、そんな一言で片づけていい問題じゃないと思うけど……」
あまりの事に、少なからず混乱してしまいながら、あたしは彼女にそう返した。
まあ、あたしは魔法を使えないので、これは自信を持って断言できるわけではないが、全てにおいて魔術とは桁違いの力を持つ魔法は、それに比例して術者にかかる負担も相当なものになるはずである。
もし、今エリナがあたしに魔法のノウハウを伝授してくれたとしても、おおよそまともに使えるとは思えない。
「まあ、なにしろ、エリナってのは、魔道師としては肝心なものが色々と抜けてるヤツだったけど、相手を信用させるって事に関しては、あたしもいまだに彼女を超える人に会った事がないくらいだからね。ホント、魔道士なんてやってないで、詐欺師にでも転職したら大金持ちになれたかもしれないわね」
そう言って、エリナはひょいと肩をすくめた。
「うーん、詐欺師で大金持ちになっても、あまりいい人生は送れなさそうな……。って、そうじゃなくて、いくら人に信用されやすいって言っても、限度ってものがあると思うけど……。それに、百歩譲ってエルフに信頼されて、魔法のノウハウを教えてもらえたとしても、人間が簡単に使えるようなものじゃないと思うけど」
あたしがそう言うと、エリナはわざとらしくオーバーなリアクション付きで、驚いたというような表情を浮かべた。
「あらま。じゃあ、人間で魔法が使えるあたしは何?」
「変態」
あたしがそう短く即答した瞬間、エリナは派手にコケた。
「あ、あんたね……」
よろよろと身を起こしながら睨み付けて来るエリナに、あたしは苦笑を浮かべつつ手をパタパタと振ってやった。
「冗談よ。でも、『少なくとも五百六十年くらい生きてる人』に向かって、あたしの常識なんて何一つ通用しないでしょう。だから、エリナは例外。それこそ、なんだってありでしょうが」
「ぐむっ……」
と、額に汗を浮かべながら、何とも言えない表情を浮かべるエリナ。
……ふっ、勝った!!
「ま、まあ、あたしの事はともかく、実際の話、魔法なんてそんな難しいものじゃないわよ。諸般の事情で詳しくは話せないけど、あたしなんて、魔法の知識なんて完璧にゼロの状態だったのに、とある事をきっかけに、いきなり使えるようになっちゃったぐらいだしね。ある意味、魔術よりも習得が楽かも」
「ふーん、そうなんだ」
と、なにやら言い訳のように言ってきたエリナに、あたしは素っ気なくそう答えてやった。
まあ、にわかには信じられないが、かといって、魔法を使えないあたしが否定するわけにもいかない。
「なんか冷たいお言葉ねぇ。って、まあ、これ以上は教えるわけにはいかないから、あたしとしては、むしろこの方が助かるけど……」
と、そう言う割には、エリナはなにか物足りないような表情を浮かべている。
「あのねぇ。それなら、そんな不満そうな顔してないで、もうちょっと嬉しそうにしなさいって」
そう言ってあたしが苦笑を浮かべると、エリナはため息をついた。
「だって、面白くないんだもん。あんたも魔道師なら、普通はもっとビシビシとツッコミを入れたっておかしくないわよ」
「だって、これ以上教えられないんでしょう。それじゃあ、いくらあたしが食い下がっても意味ないし」
「むっ……」
……ふっ。勝利とは虚しいものね。
「さて、ンなどーでもいい事はこの辺で切り上げて、真面目にこれからどうするか考えましょう。手当たり次第に歩き回るってのは、どう考えても得策じゃないしね」
「はいはい。分かってますよ。とはいえ、あたしも『大結界の頂点』を見るのは初めてだから、どうするって言われても困るのよね」
と、本気で困った様子で、エリナがそう返してきた。
「そういや、この遺跡に関わったのは、そのマリアとかいう人と他数名だけだったっていう話だったわね。エリナ、もうちょっと細かい事は聞いていないの?」
あたしが問いかけると、彼女は力無く首を横に振った。
「まあ、さっきも言ったけど、『大結界』に関しては、エリナ本人と数名の仲間以外は誰も知らないわ。……いくら魔法が使えるとはいえ、これほどの物を造るならそれなりに大工事になったはずなんだけど、『なんか変な事やってる連中がいる』っていうレベルの噂話すら聞かなかったわ」
なにやら思案している様子で、まるで独り言のようにエリナがそう言ってきた。
……確かに、これほどまでに大規模な遺跡。いや『建築物』を造ろうとすれば、いくら魔術や魔法を駆使したとしても、どうしても派手で目立つ大工事にならざるを得なかったはずである。
となれば、その「建築物」を造る目的などの詳細な情報は分からなくとも、様々な噂話ぐらいは飛び交うはずである。
しかし、それすらないと言うのだから、これはちょっと不自然な話だ。
「……でも、その辺りの事情は、『あなた』に聞けば分かるわね」
どうやら、あたしが考え込んでいる間に、何か思いついたらしい。
そう言って、エリナは意味深な笑みを浮かべた。
「えっ、あたし?」
いきなり話を振られ、あたしは思わず聞き返してしまった。
「そう。あなた以外に誰がいるのよ。正確に言うと、あなたの中で居眠りこいてる『誰かさん』だけどね」
「……なるほど、そういう事か」
エリナが言わんとしている事の意味が分かり、あたしは反射的にうなずいた
つまり、交代すればいいのだ「あたし」と「アリス」が。
これなら、確かに直接「本人」に話が出来るわけだし、この遺跡に関する様々な情報を引き出せるというわけだ。なんだか反則技っぽいが、この際それは言うまい。
と、十分乗り気なあたしだったが、しかし、次のエリナの言葉で、思いっきり冷や水をぶっかけられたような気分になってしまった。
「だけど、これにはちょっと問題があるわ。アリスが闇に葬ろうとして自爆した『例の魔法』は、元々、彼女の父王が『不老不死』を得ようとした課程で開発されたものだけあって、結構えげつないのよ。前にも言ったけど、あなたの中に眠っている『アリス』は、今のところはほぼ軽く解放されているみたいだけど、さすがにここまで徹底して機密保持に努めた『大結界』の記憶となると、ちょっと封印を弱めたぐらいじゃあ掘り出せないと思うわ。……最悪、マール・エスクードという人間は、この世界から消えてなくなるかもしれない」
重い口調でエリナが話し終えても、あたしは即座になにも答えられなかった。
見た目は変わらないまま、『中身』だけそっくり別人に入れ替える。
あたし自身は使えないが、これは『精神操作系』という特殊な系統に属する魔術で実現出来るという知識はある。
しかし、これはあくまでも一時的なもので、その持続時間はせいぜい半日程度だったはず。『生まれ変わる』などというにはほど遠い。エリナの口ぶりからすると、わりとマジでこうなるかもしれない。
「つまり、『マール・エスクード』として一生を終えられるはずだったのに、ここであなたがさらに『封印』を解いちゃうと、あたしはあたしじゃなくなるって事か」
エリナにといういより、ほとんど独り言というような感じで、あたしの口から自然にそんな言葉がこぼれ出た。すると、エリナはコクリと一つうなずく。
そのエリナはあたしをじっと見つめた。
「……冗談じゃないわね。ンな事」
小首を振りながら言うと、エリナは小さく笑みを浮かべた。
「もちろん、あたしだって分かってるわよ。だから、アリスにご登場願うのは、他にどうにもならなくなった場合の最終手段。今あたしたちが取るべき行動は一つ。遺跡調査の基本原則『分からない場所は、自分の足で確かめろ』ってこと!!」
口調をガラリと変え、勢いよくそう言い放ったエリナは、何処とも知らぬ闇の向こうを
ビシッと指さした。
「……いや、その『最終手段』だけは絶対に止めてね。ホント、お願いだから」
そんな元気なエリナに、あたしは深くそう言って深くため息を吐いたのだった。
……悪いわね。アリス。まだ人生くれてやるつもりはないのよ。
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