第21話 マールの遠い過去

 この出口が見えない遺跡を彷徨い始めてから、一体、どれだけの時間が過ぎただろうか。

 エリナの言う「彷徨える亡霊」。すなわち、一定周期で勝手に内部の構造が変わる遺跡というものが、一体どれほど厄介なシロモノであるか。あたしたちは、それを骨の髄まで味わうことになった。

「……罠よ。ちょっと待ってね」

「了解」

 いい加減、疲労困憊という感じのエリナの声に、応えたのはあたしだけだった。

 他のみんなは、もう歩いているだけで精一杯のようで、ただ黙ってエリナの作業が終わるのを待っている。

 もはや、誰の身にも、会話どころか、軽い冗談すら飛ばす余裕も残されていない。

 ……ふぅ、こりゃあそろそろいかんかな。

 ともすれば、ぼんやりしてくる意識を無理に奮い立たせながら、あたしは漠然と胸中でそうつぶやいた。

 ここにいる全員が全員とも、そろそろ限界を迎えつつあるのは、誰の目にも明らかである。それ以上無理強いしても、その先にあるのはロクでもない事態だけ。

 文字通り先が見えない中、気持ちが焦るのは確かだが、そろそろ二度目の大休止が必要な頃合いだろう。

「……おし、罠解除完了。いつでも先に進めるわよ」

 しばらくして、エリナがそう言ってきた。

 その声は明るいものだったが、かなり無理をしているのはあたしにも容易に分かる。

「了解。だけど、『今日』はここまでにしましょう」

 こちらも負けじと明るい声でそう言うと、エリナ以外のみんなは、まるで崩れ落ちるようにして床にへたり込んだ。

「さてと、それじゃあ、食べられる人は各自『夕食』を取って。マリア……は、ダメそうだから、エリナ。悪いんだけど、簡単な結界を張ってもらえる?」

 と、あたしは矢継ぎ早に指示を出した。

 そうでもしないと、あたし自身が動けなくなりそうなのだ。

「はいはい、テント代わりになる程度でいいのよね?」

 あたしに名指しで指示されたエリナは、そう言ってなにやら小声でつぶやき始めた。

 その間に、あたしは自分の道具袋の中から、例のボロノートを取り出し、ここまでの経緯を記録していく。

 とはいえ、この遺跡の構造は可変式であるため、簡単に地図を描き、どの場所で何があったか注釈を付けるという、いつもの方法は使えない。

 よって、記録といっても、ほとんど愚痴ばかり並べ立てた、日記のようなものでしかない。

「おや、仕事熱心ですな。隊長殿」

 と、脇からいきなり声をかけてきたのはエリナだった。

「あっ、もう終わったの。お疲れ様」

 一時ノートに記録する手を止め、目の端で青白く淡い光を放つ結界の姿を確認してから、あたしはエリナにそう返した。

「そりゃまあ、この程度の結界だったら、昼寝していても張れるし……。そんなことより、みんなはもう寝たわよ。あんたもさっさと休んだら?」

 と、そう言って、エリナは疲れを感じさせる笑みを浮かべた。

「あのねぇ、あたしまで寝ちゃったら、誰が見張りするのよ。罠解除やなんやで疲れているだろし、エリナこそどうぞお先にお休みくださいませ」

 そんなエリナに、あたしはわざとふざけているような口調で返してから、再びノートに記録する作業に戻った。

 そりゃあ、あたしだって疲れているには疲れているが、お師匠と一緒に、とかく神経を使う罠の察知・解除作業をこなし続けた彼女に比べ、あたしはほとんどただ歩いていただけである。

 それなのに、まさか、彼女に見張りを押しつけて、あたしが先にさっさと寝るというわけにはいかないだろう。これは、別にいい子ぶっているわけでも何でもなく、後のことを考えればこその事である。

 この先、遺跡を進むに当たって、彼女の経験と知識は何物にも代え難い貴重な助けとなるのは確実なだけに、途中で倒れられでもしたら厄介な事になる。

 しかし、そんなあたしの思惑を敏感に察したらしいエリナは、すぐさま首を横に振った。

「あのねぇ、あんたに心配されるほど、あたしは惚けちゃいないわよ。これでも、ちゃんと体力配分を考えて行動してるから、途中でぶっ倒れて足を引っ張るようなマネはしないわよ。ほら、余計な事を考えないで、お子様はさっさと寝る!!」

「……お子様って、あんたの話が本当なら、『召還された時の年齢』のままなんでしょう? つまり、十八才って事で、あたしと同い年でしょうが」

 ノートに記録する手を休めないまま、あたしはわざと大げさに呆れたような声でそう返してやった。

 なんにしろ、寝る前にこの作業だけは片づけておかないと、どうにも気分が悪いのだ。

 いやはや、習慣とは怖いモノである。

「なるほど。妙に鋭いツッコミを返す余裕があるなら、まだ大丈夫か。ふぅ。実は、あたしもまだちょっと寝るような気分じゃないし、暇つぶしに話し相手になってよ」

 なにやら納得してくれたようで、エリナは諦めたようにそう言ってきた。

「別にかまわないわよ。ただ、あんまり小難しい話は勘弁ね」

 ちょうど記録作業が終わり、ノートと筆記用具を道具袋に戻しながら、あたしはエリナにそう答えた。

 ……ふぅ、なんか肩こったわねぇ。

「大丈夫よ。あたしだって、そんな小難しい事を言うつもりはないから……。ほら、ちょっと前になるけど、あんたがあのアリス・エスクードの血筋だって話をした時のこと、まだちゃんと覚えてる?」

「あっ、あの時のことね。もちろん、ちゃんと覚えているわよ」

 と、あたしはエリナにそう答えた。

 「ちょっと前」などと言うが、あの話があったのは、前に大休止を取った時の事である。

 まあ、正確な時間は分からないが、まさか、何ヶ月もぶっ通しで今まで歩き続けたわけでもあるまいし、はっきり言って、つい最近といってもいいことである。

 いくらなんでも、記憶の中に埋没するような事はない。

「そう。それなら良かったわ。あのとき、あたしがあなたの額に指を当てた時、なんだか妙な感覚を感じなかった?」

 と、まるでなにかを楽しむように、エリナは再びそう問いかけてきた。

 ……そういえば、あのとき、なにか軽い目眩でも起こしたような、妙な感覚があったわね。

「ええ、確かに変な感覚を感じたわよ。一瞬、クラッと来て、あんまり気分がいいもんじゃなかったけど」

 そう答えると、エリナは小さくうなずいた。

「実はあのとき、あたしはある魔法を使ったのよ。まあ、厳密に言うと違うんだけど、一種の『解呪法』だと思ってもらえればいいわ」

「えっ?」

 エリナの意外な言葉に、あたしは思わずそう聞き返してしまった。

 「解呪法」というのは、魔法だけではなく魔術にも存在するのだが、何かに対してかけられた魔法や魔術の効果を消失させるというものである。

 一例を挙げれば、ローザが得意としている「幻影」の魔術で、仮初めの姿に変化している人や物にこの解呪法を使ってやると、たちどころにその元の姿を拝むことが出来るというような感じである。あのとき、エリナの様子からなにか魔法か魔術を使ているとは察していたが、まさか解呪法とは……。

「まっ、恐らく自覚はしていないでしょうけど、あなたには生まれつき魔法による強力な封印がかけられているのよ。それも、何重にもね」

 その瞬間、あたしはエリナの言葉が理解出来なかった。やや間をおいて、ようやくその全てを嚥下出来たその時、あたしは呆れてしまい、思わずため息をついた。

「あのねぇ、何を言い出すかと思ったら、そんな悪徳商法みたいな事を。いいわ、もう分かってるわよ。今すぐその封印とやらを解かないと、類い希なる不幸があたしに襲いかかったりするんでしょう? で、そうならないためにも、あんたに多額の寄付金を支払って、今すぐ『解呪』してもらわないとダメだと。ったく、劇症金欠病と慢性借金症候群を併発しているあたしに売り込むなら、そこで寝ているローザとかマリアにしておいた方が無難よ」

 思い切り混ぜっ返してやったのだが、しかし、エリナは小さく首を横に振っただけだった。

「言っておくけど、あたしは変な商売始めたわけでも、笑えない冗談言ってるわけでもなく、至って真面目よ」

「……」

 まっすぐにそう言い返されて、あたしは二の句が継げなくなってしまった。

 ……誰か教えて欲しい。

 面と向かって、いきなり「あんたには封印がかけられている。しかも、魔術じゃなくて魔法で」と真面目に言われて、一体なにをどう返せばいいのかを。

 これが、お師匠やローザ辺りだったら、くだらない世迷い言ぐらいにしか思えなかっただろうが、あたしが知る「エリナ・ムラセ」という人は、冗談飛ばすならもっと笑える事を言うし、ハズした「ネタ」をいつまでも引きずるような事はしない。

 つまり、彼女が言っていることは、極めて真面目だということである。

「あたしが初めてこっちの世界に来た……というか、偶発的に引きずり込まれた時に、当時の魔道院で、ある特殊魔法の実用化研究が、極秘で行われていたのよ」

 困惑するあたしを、心なしか楽しげな様子で見つめながら、エリナは静かな口調で語り始めた。

「特殊魔法!?」

 再び飛び出した驚きの言葉に、あたしは思いっきりトーンを跳ね上げた声で聞き返してしまった。古文書などに残されている、魔法を使用したという最後の記録は、今から三百年も昔の話である。

 なんでも、その時代に起きた争乱で魔法が多用され、その余波で世界が破滅する寸前にまで追い込まれたとの事で、その時に生き残ったわずかな魔道士たちが、魔法をベースに、現在まで伝わるいわば出力抑止版の魔術を開発し、本家本元の魔法に関するノウハウは、全て破棄されたという事である。

 事実、今まで遺跡から発掘された資料の中に、魔法が存在した事を示す記述はいくつも見つかっているが、具体的な使用方法が記されているものは、不自然なほど全く発見されていない。

 それなので、かなり昔の事とはいえ『特殊魔法の実用化研究』と言われて、反応しない魔道師は少ないだろう。

「まあ、驚くのは無理もないわね。だけど、当時のアストリア国王ってのが、また無茶な人でねぇ。国内でも五本の指に入るっていうほど、かなり優秀な魔道士だったんだけど、こういう人にありがちな事で、誰も追随出来ないような強力な『力』に、異常なほど執着した結果ってわけ」

 と、エリナはそこで一息ついた。

 ……向上心が強く、真面目で優秀な魔道士ほど、それが暴走した時に、歯止めが効かなくなる。

 どうやら、これは今も昔も変わらないようである。

「なるほどね。つまり、その『研究されていた特殊魔法』ってやつは、国王が自分の権限と威光でごり押しして、無理矢理魔道院に研究させていたってわけね。そりゃあ、公にはできないわね」

 あたしがそう言うと、エリナは小さくうなずいた。

 王宮と魔道院は相互不干渉。これは、魔道院設立当時から現在に至るまでの原則であるが、だからといって、素直にその通りとは限らない。

 なにしろ、『開かれた王室路線』とやらで、以前は決して開かされる事のなかった様々な情報を、王室自らが積極的に公表する現在ですら、魔道院の全予算のうち、実に4割近くが、『研究助成費』という名目で、国から支給される公費、つまり、税金が占めているのだ。

 まして、こういった情報を頑なに隠匿していたであろう昔なら、もっと露骨かつ強力に魔道院に干渉出来たことだろう。

 となれば、国王から『この魔法を実用化しろ』と強力にプッシュされれば、魔道院としては、是非も無く従うしか無かったはずである。

「そーいう事よ。いつの時代も、金と権力持ってるヤツが一番強いのよ……。って、まあ、それはともかく、その国王のごり押しで魔道院が研究していた魔法ってのが、また非常識極まりないものでね。その名も、ズバリ『不老不死の法』。もう、ベタ過ぎて、笑いもでないわよ。ホント」

「プッ、それホント?」

 さすがに我慢できず、あたしは思わず吹き出してしまった。

 ……『不老不死』。エリナじゃないけど、確かに笑いも出ないわね。これは。

「大マジ。確かに、今でこそ笑い話にもならないけど、あの当時は、大昔にそういう魔法があるという記録が残っていたし、当の国王はもちろん、魔道院までもが、あながちフザケた話とは思っていなかったのよね」

 と、そう言って、エリナは小さく笑みを浮かべた。

「へぇ、時代が違うと面白いことやるものね。もし、今同じ事をやろうとしたら、きっと『税金無駄遣いするな!!』とかいって、大規模抗議集会とか開かれるわよ。きっと」

 半分は呆れ、残り半分はある意味で関心してしまいつつ、あたしはエリナにそう返した。

「まあね。だけど、このどう考えても軽挙妄動な研究が、意外なことにある程度の成功を収めたとなれば、もう笑い話じゃ済まなくなるわよね?」

「えっ、まさか!?」

 なにやらもったいぶったエリナの言葉に、あたしは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「まあ、さすがに、最終目標の『不老不死』にはたどり着かなかったけれど、その代わり、『対象者の記憶や能力などを、そっくりそのまま自分の後世に引き継がせる』という、今改めて考えても、得体の知れない変な魔法が実用化されちゃったのよ」

「はぁ!?」

 エリナの言葉の意味が分からず、あたしは反射的に変な声を出してしまった。

「つまり、その妙な魔法を使っておけば、その親の記憶や能力、ついでに経験なんかが、そっくりそのまま子供にコピーされるってこと。言い換えれば、肉体っていう『入れ物』こそ変わるけど、一種の擬似的な『不老不死』みたいなものよね。といっても、その親から『コピー』された記憶やなんかは、生まれた時にいきなり全てが『開花』するワケじゃなくて、年齢と共に徐々に解放されていくらしいけど」

 そう言って、エリナはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「……な、なんか、ある意味で『不老不死』より無茶苦茶だと思うんですけど」

 ようやく、その「イメージ」を思い浮かべられるようになり、あたしは思わずそんな事を言ってしまった。

 要するに、その怪しい魔法を使っておけば、その後に生まれる自分の子供は、そのもの「自分自身」という事だろう。これがまだ一人っ子ならいいが、二人以上子供が生まれれば、その全員が自分のコピーとなるわけで……。なんか、もう分け分からない人外魔境と化す事請け合いね。これは。

「ええ、はっきり言って無茶苦茶よ。もう『親の背を見て子は育つ』とかいうレベルの話じゃなくて、まんま親そのものなんだもの。しかも、さらにこの魔法の度し難いところは、一度使えば、あとは放っておいても勝手に効果が継続するって事。つまり、その血筋が滅亡するまでは、永劫滞る事無くひたすら『自分で自分を生む』っていう、アメーバかテメェは!? 的な無限ループを続ける事になるのよね。もっとも、これはあくまでも、記憶とか能力とか経験とかいった目に見えないレベルだけの話で、その子の成長環境によっては『開花』しない部分もあるし、肉体的な部分はちゃんと別人だけどね」

「……なによ、その『あめーば』って? まあ、いいわ。とにかく、『不老不死』よかよっぽどアホな魔法だって事は分かったわ。でも、そんな変なモン創っちゃったら、いくら極秘だって言っても大騒ぎになったでしょう?」

 これ以上同じ話題で引っ張ると、さらに得体の知れない話になりそうなので、あたしはさりげなく『方向転換』を促した。

「そりゃ、もちろん大騒ぎになったわよ。確かに、この魔法の開発チームには厳重な箝口令が敷かれていたけど、それでも『ついうっかり』口を滑らせる人はいるものでしょう?」

 『ついうっかり』だけ妙に強調して、エリナはそう返してきた。

「なるほど、やっぱりね」

 と、そんなエリナに答え、あたしは苦笑を浮かべてしまった。

 魔道院は、その性質上、常に諸外国の注目を集める存在だし、ある程度の大きさを持つ国なら、間者の一人や二人ぐらい潜り込ませておくのは当然とも言えるだろう。

 その間者が開発チームに含まれていたか、あるいは、懐柔工作によって開発メンバーの堅い口をこじ開けたか。いずれにせよ、そんなアホらしくも目立ちまくりな魔法など完成させようものなら、たちどころに外部に漏れるのは確実である。

「それで、魔道院内はもちろん、諸外国まで巻き込んで大騒ぎになったんだけど、中でも一番反応したのは、『ルクト・バー・アンギラス』の伝説で有名な、あのアリス・エスクードよ。当時、彼女は魔道院の遺跡調査隊、つまり、今の調査部に所属していたんだけど、この一件に反発したアリスは、なんと、直接国王の元に押しかけて、この魔法に関する研究記録の破棄を訴えたのよ」

「うわぁ。すんごい活発というか、熱血というか……」

 なにか、妙に楽しげに語るエリナに、あたしは半ば呆れてそうつぶやいてしまった。

 昔は知らないが、国王に対してまともに意見できる人間は、国の要職にある者か、あるいは、名の知れた貴族ぐらいのものである。

 それなのに、一介の「魔道院職員」にも関わらず、いきなり国王に直訴なんぞしようものなら、下手すれば、「不敬の罪」によって、その場でバッサリという事にもなりかねない。

「まあ、熱くなると止まらなくなる人だったのは確かよ。でも、アリスはただの『魔道院の一員』じゃなくて、実は国王の血を引く娘だった。つまり、れっきとした王家の一員だったのよ」

「えっ、王家!?」

 エリナの言葉に、あたしは思わずそう聞き返してしまった。

 アストリア王国は、世にも珍しい事に、建国以来からずっと変わらず、フォレスタ家が治めている国である。

 つまり、正当な王家の血筋なら、エスクード姓ではなく、フォレスタ姓を名乗ることになるはずなのだが……。

「まあ、これにはワケがあるのよ。ただ、その前に、アリスの国王直訴事件の顛末を話しておくわね」

 エリナは勿体ぶるように一呼吸置いた。

「実は、あの頃の国王はどこかイッちゃっていたらしいのよ。それで、実の娘であったにも関わらず、国王は彼女の訴えを聞き入れるどころか、ぶちキレちゃったらしくて、アリスは父親でもある国王に、問答無用で斬りかかられるハメになったのよ。

 まあ、この時はどうにか逃げることが出来たらしいんだけど、その代わり、アストリア王国史上初の『国家反逆罪』の罪を着せられて追われる身になっちゃってね。

 なんとか一般人の中に潜り込んだものの、こうなると、さすがにフォレスタ姓は名乗れないっていうんで、急遽考え出した偽名が、マリア・エスクードだったってわけ」

 一気にそう言って、エリナは軽く片目を閉じた。

「……もしかして、過去にたった一人だけ、この罪に問われたっていう記録が残っている『あの人』って、そのマリア・エスクードさんだったの?」

 驚きを通り越し、もはや完全に呆れてしまいながら、あたしは思わずそうつぶやいてしまった。

 国家反逆罪とは、その厳めしい名が示す通り、この国では最も重い罪である。

 その量刑はというと、その当人は極刑に処されるのは当然として、その家族や2親等以内の親族、果ては親しくしていた友人に至るまで一蓮托生というもので、一体どんな事をしでかせば、この罪に問われるのかと思わず聞きたくなってしまうほどである。

 故に、記録に残されている限りでは、アストリア王国の歴史上、この重罪に問われた者はたった一名しかいない。あたしは含まずにね。

 ただし、その者の名前は残されていなかったので、今の今までどこの誰がこんなシロモノを食らったのかと思っていたのだが、まさか、今ここでその疑問が解決するとは……。

「その通り。まあ、若気の至りの対価としては、ちょっと支払いすぎのような気がするけど、マリアのすごいところは、それでもめげなかったって事ね」

 そう言って、エリナはニヤッと笑みを浮かべた。

「エリナって、おおよそ短絡的で間抜けなヤツだったんだけど、なぜか妙に人望だけは厚かったみたいでね。エリナは、国中の有力な貴族とか富豪たちに声をかけて、いきなり反国王軍を立ち上げて、ノリと勢いだけで王都を制圧しちゃったのよ。未だに信じられないけど」

 ・・・お、おいおい。なんか話がエスカレートしてきたわね。

「ちなみに、この争乱は、後に『第三次アストリア内乱』なんて呼ばれる事になったわ。

 それなりに有名だし、あたなも多少は歴史を学んでいるだろうから、あなたもその名を聞いたことぐらいはあるわよね?

 もっとも、歴史書には『アリス・エスクード』じゃなくて、『アリス・エバ・フォレスト』っていう本名で記されているけど」

「あっ、もしかしてあの内乱の話!?」

 その名どころか、歴史書で分かる範囲の情報は全て記憶しているあの内乱と聞いて、あたしは思わず声のトーンを跳ね上げてしまった。

 第三次アストリア内乱。時の国王、ゲインフル四世とその第二王女の間で起こったいざこざが発端となり、国を二分する大規模な戦闘にまで発展したという、アストリア王国史上最大の内戦である。

 当時、国王率いる数百万人規模の国王軍に対し、第二王女であるアリスが率いる反乱軍は、わずか数万人規模。

 常識で考えれば、どう考えても反乱軍側に勝ち目は無いが、しかし、後に史上初の女性宮廷付き魔道士となる、参謀エリナ・ムラセの機転により、奇跡的ともいえる勝利を収めた。と、どの歴史書にもそう記されている。

 ……待て。エリナ・ムラセって、どこか近くにいるような気がするんだけど。

「よっ、名参謀!!」

 記憶の糸が全て繋がった瞬間、あたしはわざとらしくおどけた口調でそう言ってやった。

「フフフ、軍事マニアの友人を持った事と、『大○略』にハマっていたのはダテじゃないわよ……って、それはどーでもいいわ。そんな事より、問題は王都を制圧し、いよいよ仕上げの王城攻略って時に起きた大事件よ」

「大事件?」

 エリナの言葉に、歴史書には記されていない、真実の歴史の匂いを感じ、あたしは思わず身を乗り出してしまった。

「まあ、タイミングがいいっていうのか、悪いっていうのか。アリス側がいよいよ王城に攻め込むっていう時になって、追い込まれた国王はついに最悪の決断を下した。『ルクト・バー・アンギラス』の解放。アストリア王国どころか、世界の全てを巻き込む巨大な『自爆装置』のスイッチを入れたのよ」

 と、言葉の後半をなにか言いよどむようにして、エリナはうって変わって重い口調でそう言った。

「『ルクト・バー・アンギラス』って、まさか、実在したわけ!?」

 思わずそう聞き返すと、彼女はハッとした表情を浮かべた。

「だからいるっていってるじゃん。まだ信じていなかったの!? ……まあ、詳しくはおいおい話すわ。今大事なことじゃないから」

 真剣な表情でそう言ってきたエリナに気圧され、あたしは黙ってうなずくしかなかった。

 正直なところ、詳しく聞きたい。読み始めた小説のクライマックスのページが抜け落ちていたような心境だが、彼女の様子を見る限り、とても無理強いは出来ない。不本意ではあるが、ここは引き下がるしかないだろう。

「ともあれ、色々とすったもんだした挙げ句、どうにかこうにか反乱軍側の勝利に終わり、成り行きでエリナが新国王の座に就いたんだけど、少なからぬ因縁があったとはいえ、実の父を手にかけた彼女としては、あまりいい気持ちはしなかったみたいね。元々、彼女は例の妙な魔法を永遠に葬りたかっただけだし、なにより、国王なんて柄じゃないのよ。アレは」

 先ほどまでの重い口調から一転、声を急に明るいものにして、エリナはまるで冗談のような口調でそう言った。

「そんなわけで、即位後、わずか半年で一方的に王位を妹に押しつけ、自分は『アリス・エスクード』として魔道院に戻り、父王が残した、例の曰く付きの魔法を封印する作業に没頭したの。幸いなことに、あの魔法は、子供が生まれる前に使わなきゃ意味ないし、当の国王自身は一回も使っていなかったから、話は簡単に済むしね」

「ふぅん、なるほど。それで、めでたしめでたし。っと……」

 と、何気なくあたしがそう言うと、彼女は右手の人差し指をピッと立てて、それを左右に揺らした。

「あま~い!! 興味本位で、あたしをこっちの世界に引きずり込んでくれたようなヤツが、ンな綺麗に話をまとめるわけないでしょう?」

「い、いや、そー言われても……」

 なぜか、やけに得意げに叫ぶエリナに、あたしはしどろもどろにそう答えるのが精一杯だった。

 なにしろ、アリスは今から五百六十年も昔の人である。

 当然ながら、若干十八才のあたしに直接の面識などあろうはずもなく、これは仕方ないことだと思うのだが……。

「あのバカ、例の魔法を封印しようとしたのはいいけど、なにをどう間違えたのか、ボケかまして『発動』させちゃったのよ」

「うわぁ、イタ過ぎるわね。それ……」

 あんまりと言えばあんまりのオチに、あたしは思わずそうつぶやいてしまった。

 ……だって、戦争までやらかして葬り去ろうとした魔法なのに、よりによって、自分で発動させちゃったんだよ? そりゃあもう、やるせないというか、切ないというか……。

 その時のアリスの心境たるや、どこか遠くの海を見に行きたい……どころの騒ぎではなかっただろう。

 しかし、彼女には悪いが、はっきり言って間抜け以外のなにものでもない。そりゃ、エリナがバカにし倒すのも無理はない。

「でまあ、それ以来、アリスの血を引く子孫には、その意識だか精神体だかの片隅に、彼女の記憶や経験、能力がきっちり受け継がれていくようになったってわけよ。前にあたしが使った『解呪法』は、アリスから強制的に引き継がされた『遺産』の封印を、一時的に解除するものだったってわけ」

「ちょ、ちょっと。つまり、それは……」

「そう。あの『解呪法』に反応を示したってことは、すなわち、あなたは正真正銘、あのアリス・エスクードの末裔ってわけよ」

 エリナの楽しそうな言葉が、あたしの脳裏に残響音すら伴ってしみこんでいく。

 ……はっきり言って、色々な意味でショックである。

 あの歴史に名を残す内戦の立役者の末裔で、しかも、一応は王家の血筋を引いている。これは、いい意味でショックである。

 これだけなら、あたしも胸を張って自慢出来るのだが、しかし、その反面、あまりに間抜け過ぎる。

 自分の父親と事を構えてまで葬り去ろうとした魔法を、よりによって自分で発動させた度し難い阿呆。そんな彼女の血筋なのである。このあたしは。

 しかも、それだけだったらまだいいが、よりによって、その彼女の記憶や経験、そして、『能力』までもが、あたしのどこかに眠っているのだ。

 エリナの話によれば、「年齢と共に、それは徐々に『解放』されていく」ということ。つまり、あたしもいつかは、その大間抜けぶりを「開花」させる事になるのだ。これを、憂鬱といわずなんと言えばいいのだろうか……。

「あっ、そうそう。ついでに言っておくけど、アリスの腕が良かったのか悪かったのか、本来はそのまま『遺産相続』されるはずだったんだけど、どっか不具合が出ているみたいでさ。例えば、魔道師としての資質は申し分ないし、他の系統の魔術は文句なしに使いこなせるくせに、なぜか攻撃魔術だけは、やけに強力なものしか使えなかったりとか、不自然にアンバランスな場合が多いのよね」

「……それ、モロにあたしだし」

 さらに追い打ちをかけられ、あたしはもう完膚無きまでに叩きのめされてしまった。

 ……そーか、そう言うことか。

 通常、基本的な低威力の攻撃魔術を完璧にマスターしない限り、それより遙かに複雑な『構成』を持つ上級攻撃魔術は使えないはずなのである。

 そう。小難しい文言が列挙されている書物を読むためには、まず、文字の読み書きや文法などといった、基礎知識が必要である事と同じようなものだ。

 それなのに、当初からまるで戦争でも仕掛けるつもりのような、常識はずれの強烈な攻撃魔術しか使えず、これでかなり悩んだのだが……。

 よもや、こんなどーにもならんような事が原因だったとは、なんかもう、笑うしかない。あはは……。

「とまあ、そういうわけで、話したかった事は話たし、これを信じる信じないはあなたの判断に任せるわ。それじゃ、見張りよろしく……」

 そして、あたしが大いなる困惑と行き場所のない憤りを覚えている隙に、、エリナはさっさと結界の中に入ってしまった。

「な、なによぉ、言うだけ言って勝手に寝るなんて、ちょっと酷い……って、もう、手遅れだわ」

 一瞬遅れて、あわてて抗議の声を上げたあたしだったが、エリナはすでにスヤスヤと寝息を立てていた。

 ……おのれ、エリナ。あとで、イジメ倒してやる!!


 かくして、すっかり眠気が飛んでしまったあたしの長い「夜」は、今こうして幕を開けたのだった。

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