第19話  彷徨える亡霊

「あーあー、テストテスト。あたしはマール・エスクード。アストリア王歴一千二百七十年冬の第二月十一日生まれ。年齢十八才。現在の職業、素浪人。よし、記憶は正常ね」

 先に断っておくが、別に脳みそが逝ってしまったわけではない。

 いまだ鈍痛が残る頭の後ろをさすりつつ、あたしは一人ブツブツつぶやいたのち、最後に満足してうなずいた。

「……ったく、少しは加減しなさいよ。ほら、こんなでっかいコブが出来ちゃったじゃないの!!」

 そして、あたしは傍らでヘラヘラとごまかし笑いを浮かべているエリナを睨みつつ、胸中の怒りを仮借なく乗せた声でそう言ってやった。

 ……そう。先ほどの『エリナ衝撃発言』を聞いた後、あたしは混乱のあまり、深刻な思考停止状態に陥ってしまったのである。

 もちろん、その時のことはあまりはっきりと記憶には残っていないのだが、エリナとマリアがなにやらギャーギャー騒いでいるなぁなどと思っていたら、いきなり目の前に無数の星が飛び散って……そこから先は、完全に記憶がない。

 そして、この次に意識を取り戻した時には、あたしは床に仰向けに寝かされていて、頭を駆け抜けるなんとも耐え難い鈍痛と、心配そうにあたしの顔をのぞき込んでいたマリアと、なんともバツが悪そうにしているエリナの姿があった。

 まあ、それはともかく……。

 意識を取り戻してからしばらくして、どうにも鬱陶しい鈍い頭痛がようやく収まってきた時に、あたしは二人にそれとなく事情聴取してみたのだ。すると、なんとも恐ろしい事実が判明した。

 どこかに「トンで」しまったあたしを、速やかかつ確実に「こちら側」に呼び戻す最終手段として、なんと、エリナは自らが常時持ち歩いているという『トゲトゲ付き金属棍棒』であたしの頭をぶん殴るという、気付けどころか、もはや殺意があったとしか思えない暴挙に出たのである。

 幸い、後頭部に巨大なコブが出来た程度の副作用で済んだようだが、だからといって、あたしの怒りが収まるはずもない。

 全く、なんて事してくれやがるんだ。この見た目だけは若い、年齢詐欺師が!!

「申し訳ありません。一応、止めたのですが……」

 と、全く反省の色が見えないエリナと対照的に、マリアが思いっきり沈んだ様子で謝罪してきた。

「どうせ止めるなら、いっそ、こいつの息の根ごと止めて欲しかったわ」

 と、そんな彼女を睨みながら、あたしは爆発しそうな感情を無理に押し込めつつそう応えた。

 マリアに関しては、むしろ被害者といってもいい立場だし、もちろん、これが八つ当たりだとは分かってる。……分かってはいるが、あたしも暴れたい衝動を抑えるだけで精一杯なのだ。

「そんな事より、エリナ。この落とし前、きっちり付けさせてもらうわよ」

 ゆっくりと視線をエリナに移しつつ、あたしは押し殺した声でそう言って、虚空に『穴』を開けた。

 そして、おもむろにその中に手を突っ込み、素早くサマナーズ・ロッドを引っ張り出す。

「ふむ。それが噂の『召喚術士の証』か。……なるほど、面白い!!」

 その銀色の大きな杖を静かに構えるあたしを見て、どうやら開き直ったらしいエリナが、思いっきり悪役っぽいセリフを吐きながら、素早くあたしのそばから離れた。

 そして、なにやら小声でつぶやきながら、儀式めいた変な『踊り』を始めた。

 魔術……いや、あのエリナだというならこれは魔法か。

 どうやら、彼女はこのサマナーズ・ロッドを見て、あたしがなにかを召還するのだと判断し、そのタイム・ラグになにか一発ぶちかまそうという腹らしい。

 事前に『構成』が『漏れ出てくる』魔術と違って、魔法の場合は、『呪文』が聞こえない限り、実際に発動してみなければ、なにが起こるか分からない。

 よって、エリナの魔法が『攻撃系』か『防御系』かという、基本的な事すら判断しかねるが、しかし、いずれにせよ、あのエリナなら、あたしが何かを召還するより先に、魔法を完成させる事は確実だろう。

 ……しかし、甘い!!

 サマナーズ・ロッドは、召還魔術を使う際の『鍵』という他に、もう一つ便利な使い方があるのだ。

 軽く息を吸い込んでから、あたしは、その大きな杖の先端を前方に突き出すように両手で構え直し、そして、それをなにやら『踊り狂っている』エリナに向けた。

「異界への鍵よ。我が身を守る力となれ!!」

 瞬間、まるで槍のように前方に突き出している杖の先端部分に、大人の握り拳程度の大きさの光球が生まれ、バチバチと放電する音が辺りに響いた。

「えっ!?」

 どうやら、これは予想もしていなかったらしく、そんな短い声と共に、ひたすら魔法の式に没頭していたエリナの動きがピタリと止まった。

 その隙を逃さず、あたしは『結実の言葉』を声高に叫んだ。

「最小威力で展開(ディ・アルミン・ラファイ)!」

 バヂッ!!

 そんな騒々しい音と共に、杖の先に生まれた光球が瞬時にしてはじけ飛び、通路の幅一杯に電撃の嵐が吹き荒れた。

 もちろん、その渦中にあるエリナに逃げ道はない。

「!?」

 まさに、一撃必殺。

 あたしのサマナーズ・ロッドから発された電撃の濁流に巻き込まれたエリナは、悲鳴すら上げる事が出来ないまま、そのまま床に倒れ伏した。

 見ると、彼女の体のあちこちから白い煙が立ち上り、時折ピクピクと痙攣している。

「あ、あの、いくらなんでも、これはちょっと……」

 あたしのすぐそばに立つマリアが、ぽかんとした表情を浮かべながら、乾いた声でそう言ってきた。

「……このサマナーズ・ロッドには、その所有者の自衛用として、低威力の『雷撃』の魔法が仕込まれていてね、決められた言葉を読み上げる事で発動させられるのよ。もっとも、低威力とは言っても魔法は魔法だから、最小威力に抑えても、並の攻撃魔術以上の威力はあるけどね」

 目を見開いたまま固まっているマリアに、あたしはそう言ってついでに小さく笑みを送った。

 ……サマナーズ・ロッドのもう一つの使い方というのは、つまりこれである。

 召喚術というのは、強大な力を持つ反面、その完成までに時間がかかるという、状況によっては致命的な欠点があるのだ。

 それをフォローするために考え出されたのが、この『仕込み魔法』という訳である。

 魔術と違い、『呪文』を記せばその効力が得られる魔法ならではの方法だが、人間たちの間では、すでにその『呪文』が失伝してしまっているので、このサマナーズ・ロッドは、魔道院の発注で、とあるエルフの職人が極秘裏に製造していたりする。

 ともあれ、これであたしの怒りもすっきり解消。やっぱ、あまり我慢しない方が精神衛生上好ましいというものである。

「そ、そうですか……。ですが、それではエリナさんは……」

「あっ、大丈夫大丈夫。なんせ、あのエリナ・ムラセよ。こんな程度の電撃じゃあ、せいぜい気を失う程度だろうし」

 心配そうなマリアの言葉を遮って、あたしはお気楽に右手を手をパタパタ振りながらそう言ってやった。

 そうそう。なにせ、なにもしていないらしいが、あの世界を破滅させるような化け物にさえ打ち勝ったとかいう、伝説の賢者である。

 この程度の電撃なんぞ、ちょっと虫に刺された程度のものだろう。

「ですが、なんか白目向いたまま動かなくなってますよ。彼女?」

「大丈夫。彼女、五百六十年以上も正体を隠し通した、かなり気合い入った演技派だし」

 マリアの鋭い突っ込みに、あたしは抑揚のない棒読みセリフでそう返したのだった。

 ……ちょ、ちょっとヤバイかな。これは?

 などと、先ほどまでの自信が揺らいできた時だった。

「あんなもん、まともに食らって大丈夫なわけないでしょうが。このヘボ魔道師!!」

 あたしの背後からそんな声が聞こえ、同時に、あたしの頭にコツンとなにかがぶつかった。

「!?」

 驚きのあまり、声にならない悲鳴を上げてしまいつつ、パッと背後を振り向くと、そこにはニッと笑みを浮かべたエリナの姿があった。

 この時になって、先ほどあたしの頭にぶつかった『何か』は、彼女が右手で作ったゲンコツであると、ようやく理解した。

「ったく、いきなりシャレにならんものをぶちかましてくれるわねぇ。さすがに、ちょっと驚いたわよ」

「お、驚いたって、それはこっちのセリフよ。あんたがあんたなら、あっちでコゲてる『あんた』は何なのよ!!」

 呆れたようなエリナの言葉で硬直が解けた、その瞬間、あたしはほとんど怒鳴り散らすようにしてそうわめきながら、ついでにビシッと床に倒れたまま動かない「エリナ」を指さした。

「あ~、はいはい。いいから少し落ち着きなさい。はい、大きく息を吸ってぇ~……」 エリナの言葉に合わせ、あたしは大きく空気を吸い込んで……。

「……って、そうじゃなくて、ゲホゲホッ!!」

 はたと我に返り、反射的にツッコミを入れようとしたその瞬間、あたしは思いっきりむせ込んでしまった。

「もう、無理に大声出そうとするからそうなるのよ。……うーん、魔道院時代は『なんじゃ、この根暗娘は!?』とか思っていたんだけど、あんたって、実は結構オモシロい人だったのね」

「……あ、あのねぇ、妙なところで関心しないでよ」

 なにか、呆れたような感動したような、実に微妙な様子で変なことを言い出すエリナに、どうにかこうにか、呼吸を立て直す事に成功したあたしは、すかさずそう言い返した。

 しっかし、「破壊の姉妹の妹」だの「魔道院の最終兵器」だのという評判は嫌と言うほど耳にしたが、『根暗娘』ってのは初めてかも。

「まっ、それもそうね。それじゃ、話を元に戻すけど、あそこでコゲてる「あたし」は、一種の幻みたいなもんよ」

 そう言って、エリナが指をぱちんと鳴らすと、床に倒れたままだった「エリナ」の姿が、スッとかき消えていった。

 ……なるほど、囮ってわけね。

 どうやら、エリナが使おうとしていた魔術……じゃなかった、魔法は、攻撃系でも防御系でもなく、相手の目を欺く幻影系のそれだったらしい。

「ほれ、この通り。まあ、まさか、噂に聞くサマナーズ・ロッドに、そんな『ウラ技』があるとは思わなかったし、ちとばかしビビったのは確かよ……」

 と、苦笑を浮かべながら、エリナが静かな口調でそう言ってきた。

「だけど、あたしだって、これでもそれなりに場数は踏んでるつもりよ。本当のことを言うとね、最初は防御系の魔法を使おうと思っていたんだけど、途中から『召喚』じゃないって分かった時に、急遽方針変更したのよ。……それっぽい囮を残し、自分は『転移』の魔法であなたの背後に移動するってね。まあ、そのまま素直に防御系魔法でも良かったんだけど、それじゃあ面白くないでしょ?」

 そう言って、なにやら自慢げに胸を張るエリナ。

「あっきれた。あの状況で、まだお遊び出来る余裕があるとはね」

 咄嗟に返す言葉が思いつかず、あたしは、とりあえずそう言って苦笑を浮かべるしかなかった。

 はっきり言って、完敗である。

 エリナ自身も言った通り、防御ではなく囮を作り出したということは、つまり、あの普通では逃げ場など全くない電撃を、確実に回避出来る自信があったという現れである。

 それも、ある程度は、あたしの不意打ちが成功していたにも関わらず。である。

 もちろん、あたしはちゃんとした手順で魔法など使ったことはないので、これは、あくまでも、魔術で同じ事をやったらどうなるかという推論になるが、相手の攻撃を防ごうと思った場合は、『障壁』を展開するか、強制無効化を試みるかという二択を迫られるものの、いずれにせよ、ただ一つの事に専念すればいい。

 しかし、囮を作りだし、なおかつ『転移』するとなると、単純に考えても、全く別の二つの魔術を使わねばならず、当然、前者に比べて遙かに難易度が高くなるし、手間も時間も必要になるので、失敗するリスクが飛躍的に大きくなるのだ。

 それにもかかわらず、わざわざエリナがこんな面倒な手段を採った理由はただ一つ。

 すなわち、彼女とあたしの圧倒的な力量差を顕示するためである。

 ……全く、嫌みな事をしてくれるわね。こいつ。

「さてと、マール殿。これで、あたしがあの『エリナ・ムラセ』だって、少しは信じて頂けましたでしょうか?」

 あたしが内心複雑な思いを抱いていると、まるでそれを見越したかのように、エリナはそう追い打ちをかけてくれた。

「ったく、どこまでも嫌な人ねぇ。・・・まあ、完全に納得したワケじゃないけど、目の前で魔法なんて使ってくれるわ、余裕ぶっこいて遊んでくれるわ。少なくとも、ただ者じゃない事ぐらいは分かったわよ」

 深くため息をついてから、あたしは、ニコニコ笑顔のエリナにそう返すより他ならなかった。

 まあ、正直なところ、「ただ者じゃない」どころか、「バケモノ」とはっきり明言してやりたいところだったが、なにか角が立つと面倒なのでやめておいた。

 ……しっかし、単なる作り話だと思っていた「ルクト・バー・アンギラス」の伝説だけど、こうなると、そうそうバカにしたものじゃないかもしれないわね。

 もっとも、だからといって、頭から最後まで素直に丸飲みするほど、あたしは単純じゃないけど。

「なーんか引っかかる物言いねぇ。やれやれ、当のエスクード家の人間がこれじゃあ、あたしも張り合いがないわねぇ」

 どうやら、あたしの反応が気に入らなかったらしく、エリナはやや不満そうにそうぼやいたが、すぐに気を取り直したようで、再び笑みを浮かべた。

「まあ、いいわ。それよりなにより、今は少し休ませて欲しいわ。なにしろ、この遺跡に潜ってから、ほとんど不眠不休だったし……」

 そして、まるで独り言のようにそう言いながら、エリナは未だにしつこく寝こけているローザの隣に移動して床にひっくり返ると、ものの数秒で気持ちよさそうな寝息を立て始めてしまった。

「ふぅ、ものすごい寝付きの良さね……って、しまった!?」

 そんなエリナの様子を見て、半ば呆れつつそうつぶやいてから、あたしは驚愕の事実に気がついてしまった。

 これだけ派手な騒音を立てまくったというのに、起きる気配すらなかったお師匠とローザはともかく、いつの間にか、マリアまでぐっすりとお休み状態に入っていたのだ。

 つまり、今現在起きているのは、唯一このあたしのみという状況である。

 ……あああ、マリアの奴、やけに静かだと思ったらそーいう事かい!!

 くっそー、これじゃあ、密かに胸中に秘めていた「どさくさに紛れて見張り交代作戦」が遂行不能じゃないのさ。むぅぅぅ、不覚!!。

 かくして、あたしの孤独な見張り任務は、次に誰かが起き出してくるまで、延々と続く事が確定したのだった。……涙。


「……というわけで、あたしが思うに、この遺跡には、なにかとんでもないものが眠っていると思うのよね」

 と、長々と続いた話を締めくくり、エリナは一つうなずいた。

 ここは、あたしたちが仮眠を取ったあの場所である。

 現在は、今後の策を練るために、全員が車座に座り、とりあえず、あたしたちとは全く別のアプローチでここまで来たエリナから、詳しく事情を聞き出していたというわけだ。

 昨夜(といっても、これは便宜上の「夜」だけど)は色々とあったが、すでに『探索者』モードに切り替わっているらしいエリナの表情は、当然ながら真剣そのもの。

 もっとも、これは彼女だけではなく、あたしたち全員が同様であるが・・・。

「なるほど。確かに、僕もこの遺跡には、何かあるような気がしてならないんだ。まあ、これは明確な根拠があるわけじゃなくて、ただの直感みたいなものだがな」

 そう言って、お師匠は寝癖で髪の毛がゴシャゴシャになっている頭を、右手でさらにワシャワシャと引っかき回した。

 もっとも、彼に限らず、全員が全員ともお世辞にも清潔感があるとは言えない姿だし、こと、あたしたちよりかなり長くこの遺跡にいるエリナに至っては、頭の先からホコリやらなにやらにまみれ、かなり悲惨な姿になっているが、こればかりは、遺跡探索の宿命ともいえる事なので仕方ない。

「まっ、正直に言うと、一度地上に戻って出直すか、あるいは、このまま魔道院に帰還して、しかるべき処置を講じるのが得策だとは思うんだけど、その辺り、クレスタはどう思ってる?」

 と、まるで試験問題を出すような口調で、エリナはお師匠にそう問いかけた。

「実は、僕たちは別々にこの遺跡に潜ったんだよ。最初は、偵察を兼ねて僕とローザ君で地上部を調べていたんだが、うっかり落とし穴に引っかかってね……・」

 と、苦笑混じりにお師匠がそう言うと、ローザが決まり悪そうに自分の頭を掻いた。

「……それでだ、いつまでも戻ってこない僕たちを心配したらしくて、今度はマリア君とウチの娘がやってきたんだが、どうも、こっちは『監獄』に引っかかったらしくて……」

 続けて、お師匠がいうとエリナは軽く嘆息した。

「つまり、全員が全員ともこの遺跡の出口を知らないワケね」

 と、彼女がそう言った瞬間、何とも言えない気まずい沈黙が辺りに落ちた。

 お師匠の話は、本当に要点のみを掻い摘んだもので、その正確性はあまり高くないが、しかし、そこから導かれる結論は同じである。

 つまり、あたしたちに出口はない。そういうことである。

 ちなみに、彼女の話によれば、この遺跡は多階層構造になっていて、その各階はこの階と同じように、さして広くもない通路が延々と続く、気が滅入りそうな構造になっているらしい。

 ただ、通路はグネグネと湾曲こそしているものの、基本的には途中に枝道のない一本道で、部屋の類もなかったという事なので、変な場所に迷い込む心配はないだろう。

 その代わり、他の階には、酷い目に遭わされたあの「オオカミ」よりも、遙かに強力と思われる魔法生物もいたようなので、決して油断は出来ない。

 もっとも、これはエリナたちが『飛ばされた』階から、あたしたちが今いるこの階までの、全二十四階層に限った事なので、その先に進むとどうかは分からないが……。

「まあ、ここで無い物ねだりをしていても、埒があかないわ。誰も出口の見当がつかないなら、意地でも探すしかないでしょう」

 しばしの沈黙の後、まず最初に発言したのはこのあたしだった。

 瞬間、あたし以外の全員から、何とも言えないため息が漏れた。

「だけど、先に進む前に、まずエリナに確認してもらいたい場所があるのよ」

 と、続けてあたしがそう言うと、当の彼女は怪訝そうな表情を浮かべた。

「確認して欲しい場所?」

 と、聞き返してくるエリナの声に、他のみんなも同調してコクリとうなずく。

 ……おいおい。

「もう、エリナはともかく、他の人がそれでどーするのよ。ほら、エリナと合流する前に、ローザが落ちた落とし穴のところに戻ろうとして、いきなり通路がぷっつり消えていたでしょう?」

 半ば呆れつつそう言うと、エリナを除く全員がハッとした表情を浮かべた。

 ……こいつら、マジで忘れていたわね。

 まあ、それはともかく、あたしがエリナに見てもらいたい場所というのは、他でもなくあの中途半端な場所にあった、広大な空間である。

 あのときは、特に妙な事は見つからなかったが、なにしろ、エリナはお師匠の師匠だったというだけに、ここに居る誰よりも遺跡について造詣が深いはずである。

 まあ、過度の期待は禁物だとは思うが、もしかしたら、あたしたちの目では見つけられなかった『何か』を発見してくれるかもしれないし、さらなる遺跡の深部から戻ってくる事に比べれば、ここからそれほど遠いワケでもない。

 それなら、一度引き返してみるのも悪くはないだろう。

「ん。通路が消えていた?」

 当然といえば当然だが、あの時その場にいなかったエリナには、あたしがなにを言っているのか理解出来なかったらしく、不思議そうな表情で聞き返してきた。

「まあ、実際に見てもらった方が分かると思うわ。みんなに異存がなければ、さっそく戻るわよ」

 酷く深刻な表情を浮かべているエリナに適当に応えつつそう言うと、どうやら、みんなは納得してくれたようで、誰も文句を言わず立ち上がった。

「隊列の順番は、休憩前と同じでよろしく。新規加入のエリナは、お師匠と一緒に、先頭で罠の警戒をお願いね」

「はいはい、りょーかい。ったく、何の因果であんたに仕切られなきゃならないんだか」

 と、エリナは酷く不満そうではあったが、それでも、隊長役はやりたくなかったようで、不承不承にそう言いながら、お師匠のすぐ脇に並んだ。

 ……ちっ、もっと抵抗してくれれば、『隊長権限委譲』に踏み切れたんだけどね。

 などという本音は厳重に胸中にしまい込み、隊列が整うのを待ってから、あたしは『前進』の合図を出した。

 もっとも、あたしたちとは反対方向から来たエリナは別として、結局は、すでに歩いた道を引き返しているだけである。

 すでに、罠などのチェックは入念に行ったあとだし、特に警戒すべきものは、いつどこから移動してくるか分からない魔法生物だけだろう。

 と、密かに高をくくっていた時である。

 列の先頭を歩くお師匠が、突然手振りで『止まれ』という指示を出してきた。

「どうかしたんですか?」

 反射的にあたしがそう問いかけると、それに答えてくれたのはお師匠ではなく、エリナだった。

「罠よ。えっと、『我が領域に踏む込む愚かなる者に死を』か。……ふぅ、この魔法陣を踏んづけていたら、今頃全員お陀仏だったわ」

 そんな、緊張感の中にも安堵の色を忍ばせた彼女の声とは裏腹に、あたしは言いようのないショックを受けていた。

 ……言うまでもないが、今いる場所は、エリナ以外のあたしたちが昨日(便宜的だけど)も歩いた場所である。

 罠というのは、適当だと思われる設置場所に、あらかじめなんらかの仕掛けを施しておき、迂闊な犠牲者がそれを作動させるのを待つという、大昔から存在する手段である。

 その罠を設置する目的や場所によって、仕掛けの内容は大きく異なるが、全てに置いて共通して言えることは、ただひたすら犠牲者を待ち受けるだけで、自分から動き回る事はない受動的な物であること。

 つまり、誰かがこっそり設置していない限り、『昨日は罠なんて無かったのに、今日はいきなり罠があった』などという、真夏の夜の怪奇現象みたいな事は、まずあり得ないということだ。

 となると、この遺跡には、あたしたちが未確認の『存在』が蠢いているか、もしくは、前に歩いた時に見落としていたかである。

 もっとも、前者はともかく、後者のだった場合は、今持ってあたしたちが生きている事が異常事態で、よほど運が良かったという事になってしまうが……。

「ほい、解除完了。いつでも進めるわよ」

 そんなエリナの声が聞こえ、あたしの意識は現実に引き戻された。

 どうやら、あたしが延々と考え込んでいるうちに、エリナが手早く罠の解除作業を行っていたらしい。

「了解。それじゃ、前進するわよ。ただし、最大の警戒態勢でね」

 なにはともあれ、今は考え込んでいる場合じゃない。

 努めて平静にそう言うと、あたしはちょっと緩みかけていた警戒心をもう一度締め直したのだった。

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